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第四章 現れた同郷者
第七十八話 タツノリ、女神と出会う
しおりを挟むミナヅキたちが工房で、てんやわんやしていた頃――ギルドのロビーは異様な空気に満ち溢れていた。
正確に言えば、ロビーの片隅にある多目的スペースにて、それは起こっていた。
「なんでここで煙草が吸えねぇんだよ! ギルドで酒と煙草は基本だろうが!」
「当ギルドのルールですから」
テーブルに拳を叩きつけながら抗議する冒険者の男を、受付嬢のニーナが笑顔で応対する。
明らかにブチ切れ状態の彼に対し、どこまでも冷静に笑顔を絶やさない。下手な冒険者よりも肝が据わっているお嬢さんだなぁと、周囲は感心しつつ彼女に対する認識を改めるのだった。
「念のためにもう一度だけ申し上げておきます」
どこまでも落ち着いた声色で、ニーナは姿勢を正しながら言った。
「当ギルドは全域において禁煙となっており、喫煙所の類もございません。これは冒険者や職員の健康管理のため、国王様の許可の元、正式に取り決められたルールの一つにございますので、なにとぞご理解いただきたく存じ上げます」
「ざけんな!!」
しかし男は、聞く耳を持たないと言わんばかりに一蹴。もはや子供の癇癪も同然の状態となっていることに、本人だけが全くもって気づいていない。
「俺様はついこないだ、別の王国で高ランク認定された男だぞ? つまり、そんじょそこらのヒヨッコとはワケが違うってことだ。この輝かしきギルドカードが目に入らねぇってのか!?」
男はポケットからギルドカードを取り出し、それをニーナに突き出す。
確かにそこにはランクも記されており、ちゃんと正式な手順を踏んでランクが更新されていることが、ハッキリと証明されているモノであった。
「えぇ、確かにあなたはそれ相応の実力者であることは、認知できますね」
「そうだろう? だったら多少のことぐらい――」
「しかし、それとこれとは話が別です」
「……んだとぉ?」
またしても笑顔でキッパリと言い放つニーナに、一瞬だけ期限良さそうな笑顔を見せた男が、再び睨みを利かせる。こめかみに青筋が立っており、今にも大爆発が起きそうな雰囲気であった。
しかしそれでも、ニーナは笑顔を絶やすことはなかった。
ニコニコと。それはもう太陽のように。
「上等じゃねぇかよ」
それが男からしていれば、ケンカを売っているようにしか思えなかった。拳をバキバキと鳴らしながら、血走った目を向け、スッと立ち上がる。
「もう女だろうが容赦しねぇぞ。冒険者を舐めたらどうなるか思い知らせ――」
――ゴシャアァッ!!
突如、脇から拳が勢いよく降り抜かれ、それが男の顔面にめり込んだ。
テーブルと椅子の崩れる音を盛大に響かせながら、男は吹き飛び、やがて壁に激突して動かなくなる。
「全く……同じ冒険者として恥ずかしい限りだぜ」
スッと脇からニーナの前に出てきたのは、一人の青年であった。
その凄まじい光景に、周囲の人々は唖然としている。ずっと笑顔を絶やさずにいたニーナでさえも、この時ばかりは驚いたらしく、目を丸くさせていた。
「こんなヤツが少なからずいるから、ちゃんと真面目に頑張ってるヤツが損をするってんだよなぁ」
しかし、そんな周囲に気づいていないのか、青年はため息交じりにやれやれと手のひらを上にしてかかげるポーズをとる。
妙に演技じみたその姿は、あまりにも自然でむしろ似合っていた。
「こ、このヤローっ!!」
ガシャアァン、とテーブルと椅子を吹き飛ばし、男が叫びながら立ち上がる。殴られた顔から鼻血が出ていたが、それを拭うことすらせず、ただひたすら怒りを燃やしていた。
「俺様のケンカに割り込んできやがって……このガウザが直々に成敗してくれる。キサマも名を名乗れ!」
「フン、俺はタツノリだ。そのセリフ、そっくりそのまま返すぜ」
強気な笑みで堂々と言い放つ青年ことタツノリ。そんな彼に対し、男ことガウザはますます怒りを燃やす。
「その減らず口もここまでだっ!!」
ガウザは拳を振りかぶりながら突進してくる。しかしそれを、タツノリはスッと躱しつつ足を突き出し、ガウザの足を見事引っ掻ける。
「どわあぁっ!?」
マヌケな叫び声とともに、どんがらがっしゃあん、と音を立てながら、ガウザは再び転がった。
ピクピクと痙攣したまま言葉すら発せない。多目的スペースは更にメチャクチャになってしまったが、ようやく片付いたとタツノリは判断する。
「急に割り込んでしまって、すみませんでした。お怪我はございませんか?」
「え? は、はぁ……」
クルッと振り向きながら爽やかな笑顔を見せてくるタツノリに、ニーナは再び目を丸くしてしまう。
すると――
「もーっ、タツノリさんってば、また口説いてるしーっ!」
脇から不満タラタラな少女の声が割り込んできた。同時に三人の女性がタツノリの元に歩いてくる。
「流石にちょっとやり過ぎじゃございませんこと?」
「えぇ。いくら相手が悪いとはいえ……私たちのリーダーが、とんだご迷惑を」
剣士の女性が姿勢を正してニーナに頭を下げる。
その時――
「うがあああぁぁーーーっ!!」
ガウザが叫び声とともに立ち上がった。いきなり過ぎるその行動に、周囲の誰もが驚いている。それはタツノリたちも例外ではなかった。
「ちぃっ、まだやるつもりか。ニーナさんは下がっててくださ――」
タツノリが前に出ようとしたその瞬間、ニーナが無言でスタスタと歩き出す。そして未だ叫び続けているガウザの前までやってきた。
「そろそろ静かにしていただけませんか? これ以上の迷惑は、受付嬢として見過ごすワケにはいきませんので」
「うるせぇっ! こうなったらとことん暴れてやらあぁっ!!」
あくまで優しく語り掛けるニーナに、ガウザは罵声を浴びせる。もはや聞く耳を持たないどころか、冷静さを失って暴れることしかできない状態であることは、誰が見ても明らかであった。
「そうですか……仕方ありませんね」
ニーナがそう言った瞬間――
「そこをどきやがれ。女だからと言って容赦は――うおっ!?」
叫び始めたガウザの胸ぐらを掴み、そのまま担ぎ上げるようにして投げる。
まさにそれは一本背負い。実に綺麗なフォームにより、ガウザはフンワリと軽く浮き上がるようにして宙を舞い――地面に思いっきり叩きつけられた。
「がはぁっ!」
ガウザは白目を剥き、遂に動かなくなった。ぴくぴくと痙攣はしているため、少なくとも息があることは明らかだ。
「ふぅ――冒険者の皆さま! この度はお騒がせしてしまい、誠に申し訳ございませんでしたっ!」
ニーナがロビーの中央に立ち、その場にいる全員に聞こえる音量とともに、ペコリと深く頭を下げる。
しかし誰も声を発しない――否、発せないでいた。
タツノリたち四人でさえも呆然としており、目を丸くしている。今、自分たちは何を見たんだと、そう言わんばかりに。
「やれやれ。相変わらず凄いな、ニーナさんは」
「あら、デュークさん。ギルドマスターとのお話は終わりましたか?」
「おかげさまで」
苦笑しながら歩いて来たデュークは、倒れているガウザを見下ろす。
「昨日このギルドに来た時点でうるさかったから、嫌な予感はしてたが……ウチの連中に外へ運ばせておこう」
「ホントですか? ありがとうございます」
「いや、駆けつけられなかった、せめてもの侘びってことで」
なんてことなさそうにニーナと話すデューク。そんな光景を、タツノリたち四人は未だ呆然とした表情で見ていた。
「フレッドの受付嬢って、あんなに凄かったんだねぇ」
「下手な冒険者より強いかもしれないわね」
ヴァレリーとクレールが感心したような口ぶりで言う。受付嬢にも色々なタイプの人間がいることは知っていたが、あそこまで華麗なことをしでかす人物は初めて見たのだった。
いつもは楽しそうな笑みを絶やさないマジョレーヌでさえも、今回ばかりは素直に驚きを隠せない様子であった。
「凄い方もいたモノですね、タツノリ様……あの、タツノリ様?」
「…………」
タツノリはマジョレーヌの問いかけが、全く耳に届いていなかった。そしてそんな彼の視線の先には――
「ニーナさん、大丈夫ですか?」
「えぇ。大丈夫です。アヤメさんも、どうぞご心配なく」
心配そうな表情でニーナに話しかけている、アヤメの姿があった。
「……女神だ。俺は今、女神に出会ってしまった」
小さな声で呟くタツノリ。小刻みに震わせている体、そして見開いている目。彼が本気で衝撃を受けていることを、如実に表しているのだった。
◇ ◇ ◇
騒ぎもなんとか収束したところで、タツノリたち四人は、デュークとアヤメに連れられてギルドの片隅へ移動し、そこで改めて互いに挨拶を交わした。
「今回は、俺とこちらにいるアヤメが、あなた方のクエストに助っ人で参加させてもらうこととなった。是非ともよろしく頼むよ」
「こちらこそ! 俺もまた一緒に行動できて嬉しいぜ」
デュークがタツノリと握手をする。既に交流を重ねていることもあり、フランクな雰囲気を出していた。
そんな中、アヤメはひっそりとタツノリのメンバーを観察する。
(三人とも女性で、しかも美人さん揃い……また見事なハーレムパーティねぇ)
オマケにそのリーダーは長身でイケメンときている。こんなラノベ主人公全開な人物が現実にいるだなんて――そんな驚きがアヤメの中を渦巻いていた。
しかし、その驚きもすぐに別の気持ちに切り替わることとなる。
「アヤメさん、だったね? リーダーのタツノリと言います」
タツノリが爽やかな笑顔を浮かべ、話しかけてきた。アヤメは軽く頷きながら、それに応じようとしたのだが――
「キミのような美しい女神に出会えて本当に光栄だ! まずは僕たちの運命的な出会いを祝して、ここに絆を結ぶための握手をしようじゃないか!」
「…………」
アヤメは思わず言葉を失ってしまった。ついでに言えば、彼の言葉に応じる気力すらもなくなってきていた。
口調どころか一人称すらも変え、言葉を捲し立てつつキランと歯を光らせ、スッと右手を差し出してくる。それだけでもドン引き案件なのに、彼の全身から途轍もない野望という名のオーラが湧き出ているのも、アヤメを全力で引かせる大きな材料となっていた。
無論、それら全てにおいて、タツノリは全く気づいていなかったのだが。
(黒髪ロングで美人でしかも巨乳! まさに美の女神とはこのことか――なんとしてでもゲットしてやるぜ!)
タツノリからしてみれば、この世界で初めて、本当の一目惚れをしたといっても過言ではない。それぐらい真剣に、アヤメを狙う意志を見せていた。
こんな美人を素通りするなんて男じゃない――そんな気合いが、彼の心をメラメラと燃やしていた。
「おやおや、どうしたんだい? もしかして照れてるのかな? ハハッ、そんなに緊張しなくても大丈夫。僕がちゃんとエスコートするし、キミに恥ずかしい思いをさせるつもりは全くないから安心してくれたまえ。僕は男として当然のことをするだけなんだからね。ハハッ、お礼の言葉はまだまだ早いってもんだよ。これから僕とキミの輝かしい未来の道を歩きながら、ゆっくりと、ね?」
タツノリは両手を広げながら、気持ち良さそうな笑顔で語る。完全に自分の世界に入り込んでいた。
それに対してアヤメは、実に冷めた目つきで彼の様子を見ていた。
よくもまぁ、ここまでペラペラと口が回るモノだと。
そして――
「ゴメンなさい。そこまで重たい握手をするつもりはありませんので」
何事もなかったかのように、アヤメは頭を下げながらハッキリと言い放った。
彼女の反応にタツノリは笑顔のまま、ピシッと固まった。彼女は今、自分に対してなんて言ったのだと、そんな疑問がタツノリの頭を駆け巡る。
一体どういうことなのか――それを彼が問いただそうとしたその時、アヤメは更なる追い打ちをかける。
「あと、私もう結婚してますから。口説かれても断るだけなのであしからず!」
手袋を外し、左手薬指の指輪を見せつける。その決定的な証拠に対し、同じ女性として反応せずにはいられない三人がそこにいた。
「ウッソ……あの子マジで結婚してるの?」
「私たちと同年代よね? くっ、大きな差を見せつけられた気分だわ!」
呆然とするヴァレリーに悔しがるクレール。その脇でマジョレーヌも、これは予想外でしたわと、本気で驚きを隠せない様子を見せていた。
「まさかあなたの旦那様って、そこにおられるデューク様でございますの?」
「ううん、違うわよ」
間髪入れず、明るい声でキッパリと否定するアヤメに、デュークは居心地が悪そうな笑みを浮かべた。
「……まぁ、そのとおりだから別に良いんだがな」
それでもキッパリし過ぎてやしないか――そんな疑問も浮かんだが、問いかけたところで余計なダメージを負うだけのような気がしたので、デュークはひとまず心の奥底へしまっておくことにした。
ふとその時、デュークはタツノリがニヤリと笑っていることに気づいた。
「つまりアヤメは若い人妻ってことか……だったら尚更萌えるってもんだぜ!」
その笑みは歪んでいた。絶対に目当ての女を手に入れようとする男の、醜いにも程がある、真っ黒な性欲にまみれた歪んだ笑み。
デュークは瞬時に危険だと思い、アヤメのほうを向く。
「おい、アヤ――」
「アヤメさん!」
しかしわずかな差で、タツノリが先に彼女の名を呼んでしまった。そして、しっかりとアヤメの目を見つめながら、優しい声をかける。
「僕はあなたに出会えて本当に嬉しいです。あなたは僕だけの女神さまだ」
そう言いながらタツノリは、心の中で勝利を確信していた。
今までコイツにかからなかったヤツはいない。これで彼女も自分のモノになること間違いなしだと。もうそろそろ彼女は、自分に向かって頬を染め、トロンとした目を向けてくる頃だろうと。
しかし――
「はぁ? いきなり何を言い出すんですか?」
アヤメが向けてきたのは、冷え切った表情かつ凍てついた声であった。
「そんな言葉でこの私が揺れ動くとでも思ったんですか? 見損なうのもいい加減にしてくださいよ、全くもう!」
腕を組みながら苛立たしそうにそっぽを向く。明らかにタツノリに対して、友好的な気持ちを抱いていない。
そんなアヤメの様子に対して、タツノリは非常に困惑していた。
(バ、バカな! この俺の魅了が効かないだと!?)
信じられなかった。こんなことはあり得ないにも程がある現象であった。きっと何かの間違いに決まっている――そうでも思わなければ、どうかしてしまいそうになるくらい、彼の中から冷静の二文字が消えていく。
「タツノリ様、無理やり女性に迫るのは、流石によろしくありませんわよ?」
マジョレーヌが、タツノリとアヤメの間にスッと入る。それでタツノリも我に返ったらしく、冷や汗をかいた顔で周囲を見渡す。
「あ、あぁ……そうだな。済まなかった。ちょっと頭を冷やしがてら、水でも飲んでくるよ」
タツノリは速足でその場を去り、ギルドの奥へと入っていく。その際にブツブツと彼は呟いていた。
あり得ない、きっと何かの間違いだ――まるでうわ言のように。
(……なんか妙なヤツらと関わる羽目になっちゃったわねぇ)
項垂れながら歩いていく彼の姿を見送りながら、アヤメはそう思っていた。マジョレーヌが興味深そうな笑みを向けてきていることに気づくこともなく。
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