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第三章 追放令嬢リュドミラ
第四十八話 ロディオン王子のウワサ
しおりを挟むぐつぐつぐつぐつ――――
大きめのビーカーの中で、深緑色の液体が煮えたぎっている。
その脇でミナヅキは、ゴリゴリと数種類の素材をすり鉢ですり潰し、ペースト状となったそれを煮えている液体の中に投入。液体の色が暗い緑から明るい青色に変化するのを見て、周囲は驚きを隠しきれないでいた。
「な、なぁ、ミナヅキさん? 本当にその薬、大丈夫なんだろうな?」
「だーいじょうぶ、だーいじょうぶ」
二十代前半ぐらいの冒険者パーティのリーダーの青年が、実に不安そうな表情で問いかけるも、ミナヅキは軽い口調で答える。
リーダーはますます不安になるが、ミナヅキはそんな彼の様子を気にも留めず、調合薬の制作に没頭していた。
「でも、これはホント見事ですね。実に興味深いです」
その一方で、錬金術師の青年が眼鏡をクイッと動かしながら、煮えたぎる液体の様子を凝視している。
「これだけの腕前があれば、錬金術のほうも行えるのではないですか?」
「ハハッ、あいにくそっちは専門外だよ」
ミナヅキは苦笑しながら答えた。そして火を止め、専用の取っ手でビーカーを掴んで中の液体をカップに注ぐ。
「さぁ、できたぞ。これを冷ましながらゆっくりと飲ませてくれ」
「分かった」
魔導師の少女がカップを持って、ベッドの上で苦しそうに唸っている少年の元へ駆けていく。その様子を見ながらミナヅキは小さく息を吐いた。
「それにしても災難だったな。酔い止めの薬を落としちまうなんてよ」
「あぁ、全くだ。ミナヅキさんたちに会えて、ホント良かったぜ」
ミナヅキの言葉にリーダーは深く頷いた。
彼らと出会ったのは、船が港を出た日の夕方――ミナヅキとアヤメが二人で船を散策していた時、焦った様子で駆けずり回るリーダーと遭遇した。
そこで事情を聞いたミナヅキは、自分が調合師であることを話した上で、協力すると申し出た。更にリーダーのほうもミナヅキの名を知っており、是非ともお願いしますと態度を改めた上で、願い出たのである。
ちなみにリーダーはミナヅキに対して敬語で話していたが、年下の俺にそこまでかしこまる必要はないとミナヅキは言った。
そして話し合った末、リーダーがミナヅキをさん付けで呼ぶことでなんとか収まったのは、ここだけの話である。
「はーい、おまたせー。薬草入りのあったかスープよー」
アヤメがお盆を持って簡易キッチンから出てくる。その後ろから、調合師の少女が輝いた目でアヤメを見つめていた。
「凄いですお姉さま。あの苦い薬草を美味しいスープに変化させるなんて……私は感服しました!」
「そんな大げさよ。これだってミナヅキから教わったんだから」
「……そうなんですか?」
一気に興奮の熱が冷め、キョトンとした表情で調合師の少女はミナヅキを見る。そして再びアヤメに視線を戻すと、笑顔で小さく首を縦に振っていた。
「そうですか……お姉さまの自作ではなかったのですね」
「あいにく私に調合の適性はないからねぇ」
少々がっかりした様子を見せる調合師の少女に、アヤメは苦笑する。そしてそれを聞いた錬金術師の少年は、ミナヅキに対して目を輝かせた。
「素晴らしいですミナヅキさんっ! よくレシピを思いつきましたねっ!」
「ただの受け売りだよ。俺のオリジナルじゃないさ」
「それでもですよ!」
興奮する錬金術師の少年。それに対して、調合師の少女があからさまな嘲笑を浮かべていた。
「バッカみたい。真似事をしてる人をソンケーするなんて」
「……聞き捨てなりませんね。あなたこそ、調合とは無関係の人を勝手に熱を上げて崇めるなど、迷惑という言葉を思い出したほうがいいと思いますが?」
「なーんですってぇ?」
不穏な空気が漂う。まさに一触即発な二人は、今にもぶつかりそうだった。
それを――
「はい、そこまでにしときましょうね」
魔導師の少女が互いの頭を掴み、ゴッツンコと実際にぶつからせる。額を押さえながら呻き声を上げる二人を、魔導師の少女が呆れた表情で見下ろす。
「病人がいるんだから静かにしなさいっての、全く……」
『い、いたいぃ~……』
錬金術師の少年と調合師の少女は、揃って涙目で見上げるも、魔導師の少女の睨みによって、再び押し黙る。
それをアヤメはドン引きした様子で見ており、更にミナヅキとリーダーは、呆れながらもどこか微笑ましそうな表情を浮かべていた。
「アンタのところも大変だな」
「全くだ」
そんな保護者みたいなやり取りをした後、リーダーに誘われる形で、ミナヅキとアヤメは船のレストランに向かう。仲間を助けてくれた礼に、食事をご馳走させてほしいと言われたのだ。
ミナヅキは気にしなくていいと言ったのだが、俺の気が済まないと押され、結局折れてしまったのである。
少し早めの夕食ということもあって、レストランに人は少ない。
おかげで三人は隅の席でゆっくりと話すことができた。
「へぇ、そっちはメドヴィー王国に行ってきたのか」
驚きの声を上げるミナヅキに、リーダーはニッと笑いながら頷いた。
「まぁな。俺らが行った時もかなり賑やかだったんだが、きっと今頃は、更に凄いことになってるだろうぜ」
その理由は言わずもがな。遠く離れた町でも、新聞記事一つでちょっとした騒ぎになるほどなのだ。これが現地ともなれば、想像するのは容易い。
「イケメンで優しくて、更に頭脳明晰で運動神経抜群――まさに絵に描いたような王子様ことロディオン王子の婚約だ。コイツは騒がないほうが、むしろ驚くってもんだと思わんか?」
「確かに」
リーダーの言葉にミナヅキは思わず笑みを零す。どこぞのアイドルが結婚を発表した時の驚きっぷり――まさにそんな感じなのだろうと思いながら。
「相手の女性も凄いわよね。あのエリート魔法学院でトップクラスの成績を誇っているって言うじゃない」
焼き立てのフカフカなパンを千切りながら、アヤメが新聞記事に書かれていた婚約相手の女性について思い出す。
「確かその子は、レギーナっていう名前の貴族だったわよね?」
「あぁ。アレクサンドロフ家っていう、メドヴィー王国の中でも特に王族と親しい貴族らしいぜ。ただな……」
アヤメの問いに答えつつ、リーダーは周囲をチラッと確認し、声を潜める。
「ここだけの話、実はそのレギーナって女よりも前に、ガチで優秀な女子生徒がいたらしいぜ。今年の首席卒業生の座も確定になっていたとか」
「へぇ、そうなのか?」
軽く目を見開きながら問いかけるミナヅキに、リーダーは頷く。
「数ヶ月くらい前だったかな。その生徒が卒業直前に、何か大きな問題を起こしちまったらしいんだ。その罰を受ける形で、学院から抹籍されたんだとさ」
「つまり、学院生だった事実ごと消されたってことか」
「穏やかじゃないわね。その子は一体何をやらかしたのかしら?」
重々しい表情を浮かべるミナヅキとアヤメ。しかしリーダーは、ここで悩ましげな表情に切り替わった。
「それがな……分からないんだよ」
その言葉に、ミナヅキとアヤメは揃って目を見開き、二人は顔を見合わせる。そしてミナヅキが代表して問いかけた。
「分からないってのは、どういうことだ?」
「どうもこうも、そのままの意味さ。その大きな問題ってのが、何故か全く明らかにされてないんだよ」
リーダーの声は次第に苛立ちを募らせる。
「しかもそれについて、誰も疑問に思っていない。まるでそれ自体がタブーだと言わんばかりにな。俺も気になって調べようとしてみたんだが、いろんなとこから睨まれて、結局引き下がるしかなかった」
「……ますます穏やかな感じじゃないわね」
「だろう?」
アヤメのコメントにリーダーはどこか嬉しそうに言った。ようやく同意してくれる外部の人物がいた――そう思ったが故に出てしまった反応である。
「これは、あくまで証拠も何もないウワサだが……その抹籍された生徒は、ロディオン王子の元婚約者だったって話だ。まぁそれこそ、バカげた話にも程があるって言われていて、誰も信じちゃいなかったけどな」
参った参ったと、リーダーは肩をすくめる。そしてパンと思いっきり手を叩きながら明るい表情を見せた。
「さぁ、話はこれくらいにして、メシを食っちまおうぜ。俺の奢りだからな。足りなかったら遠慮せずに追加注文してくれ」
そして後から合流したリーダーの仲間たちとともに、改めて賑やかな夕食会が行わるのだった。
ミナヅキは調合について語ったりと楽しそうにしており、アヤメも一緒になって楽しそうにはしていた。
しかし時折、どこか気になる様子を見せていたのも、また確かではあった。
◇ ◇ ◇
「いやぁ、思わぬ形でメシをご馳走になったもんだな」
「ホントよね」
リーダーたちと別れたミナヅキとアヤメは、人通りの少ないデッキに来ていた。そこで夜の海風に当たりながら、二人は揃って満足そうな笑顔を浮かべている。
ミナヅキは思いっきり息を吸い込み、それを深く吐き出しながら、よく晴れた夜空を見上げ――
「それで? アヤメは何が気になってるんだ?」
隣で同じく夜空を見上げているアヤメに声をかけるのだった。いきなり声をかけられて驚いたアヤメは、目をパチクリとさせる。
「えっ、急に何を……」
「別に隠さなくてもいいよ。さっきの話について、何かお前なりに思うことがあるんじゃないのか?」
ミナヅキは起き上がりながらアヤメの顔を見る。その表情は呆然としていたが、やがて眼を閉じつつ、フッと笑った。
「……全く、ミナヅキには敵わないわね」
お手上げですと言わんばかりに、アヤメは肩をすくめた。
「アンタの言ったとおり、さっきの話がどうにも気になってるのよね」
「良い意味でか?」
「ううん、恐らく逆で」
サラリと言い放つアヤメに、ミナヅキは腕を組みながら考える。
「ロディオン王子が、レギーナとかいう貴族の女と婚約した……特に変なところはないと思うぞ?」
「私が気になっているのは、最後の部分よ」
「最後?」
ミナヅキはレストランで話した内容を、今一度思い出す。
「確か……魔法学院を抹籍された女生徒がいたとか言ってたな」
「えぇ。そしてその女生徒さんこそが、元々ロディオン王子と婚約していた。これがどうにも引っかかってるのよね。前に読んだことがあるラノベに、出だしがよく似ている展開があったから」
「ラノベで? それって、一体どんな展開なんだ?」
ミナヅキが問いかけると、アヤメは無言で頷く。
「無実の罪を着せられた令嬢が、王子様から一方的な婚約破棄を受けるの。それでそのまま家族も学歴も何もかも失い、とうとう追放されてしまう……簡単に言えばこんなところね」
「重々しい展開だな。一気に奈落の底まっしぐらじゃないか」
「まーね。大体その後は、運良くその令嬢が他の王子様か貴族に拾われて、そこで幸せに暮らしたり、新しい恋を見つけたりするのよね。そして捨てた王子様や家族の人たちは、悲惨な目にあうことが多いわ。要は『ざまぁ』ってヤツよ」
なんとなくその光景が想像できてしまったミナヅキは、思わず表情を引きつらせてしまう。
「……ご都合主義バンザイだな。読んでてスカッとはしそうだが」
「それは同感だわ。でも、創作された物語なんて、大抵そんなもんじゃない?」
「まぁ、そうかもしれんけど」
アヤメの物言いに納得しつつ、ミナヅキは話を進める。
「それで? そのラノベ的展開に似てるとかどうとか言ってたけど?」
「うん。その抹籍された生徒が元々王子の婚約者で、誰かに嵌められ無実の罪を着せられてしまい、その罪の責任が抹籍処分という形になった――とかね」
淡々と語り、最後にウィンクするアヤメ。そんな彼女に対し、ミナヅキは頭を抱えたい気持ちに駆られた。
「お前なぁ……いくらなんでも、そんなことが現実に起こるワケが――」
しかしミナヅキは、そこで考えがピタッと止まった。
「いや、そうとも言い切れないのか?」
多少なり形は違えど、マンガやラノベ的展開が、奇跡的な確率で現実に起こることはあり得る。
特にここは中世がモチーフとなっているファンタジー世界なのだ。
貴族や王族が当たり前に存在するならば、そのような展開の一つや二つがあったとしても、何ら不思議ではない。
そう考えたミナヅキは、アヤメの考えも満更あり得なくもない――そんな可能性を考慮し始めていた。
「仮にその予想が本当だとしたら、ロディオン王子はとんでもない男ってことになっちまうな」
「あー……まぁ、そうなっちゃうよねぇ。あまり大きな声じゃ言えないか」
アヤメは苦笑しながら、軽く周囲を見渡す。他に誰もいなさそうで、本当に良かったと安堵した。
ロディオン王子に熱を上げる声は後を絶たない。いくら婚約したとはいえ、それが潰えることはまだまだないだろう。恋に恋する女の子が、真っ先に目をハートにさせる相手としても有名なのは、決して伊達ではない。
「そもそもその抹籍された生徒云々のウワサも、今回の婚約話で、完全に上書きされちまってると思うんだがな」
「……言えてそうね。もう誰も気に留めてすらいないかもだわ」
「あぁ」
婚約というキーワードが出てきたところで、ミナヅキは前々から薄々感じていたことを思い出した。
「しかしまぁ、新聞に出ていたロディオン王子の顔だが……」
ミナヅキも周囲に誰もいないかチェックし、少しばかり声を落として言う。
「しょーじき言って、なんか気味悪かったな」
「あ、それ私もなんとなく思った。イケメン過ぎて逆にって感じでね」
「だよな!」
アヤメと二人で顔を近づけ、ヒソヒソ話で笑い合う。やったことがあるようでないこの行為が、何故かどうにも楽しいと思えてならなかった。
「そーゆーところも含めて、まさしく『絵に描いたような』ってところか」
「かもしれないわね」
そして二人はクスクスと笑い出す。なんとも心地いい時間が流れ出したと、二人でそう思っていたのだが――
「ふぅん、あなたたちイイ読みしてるねぇ♪」
突如後ろからかけられた声に、見事ぶち壊されてしまった。
ミナヅキとアヤメは揃って驚きながら振り返ると、そこには銀髪のショートヘアで背の高い女性が立っていた。
装いはごく普通の冒険者。腰に携えている短剣は店で売り出されているありふれた物だが、傷の付き具合からしてかなり使い込んでいるのが見て取れる。
「ゴメンゴメン、ビックリさせちゃって。ロディオン王子のことをそんな評価している人たちがいるなんて、ちょっと思わなかったもんだからさ」
女性は両手をかざしながら素直に謝ってくる。どうやら本当に申し訳なく思っているのだということが見えた。
「私はリュドミラ。メドヴィー王国から旅をしている、放浪の魔法剣士だよ」
そう名乗った女性はニッコリと笑う。ミナヅキとアヤメは、ただ戸惑いながら頷くことしかできなかった。
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