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第四章 本当の親子

137 予想外の退屈しのぎ

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 時は少しだけ遡る――――
 マキトとラティは牢屋の中で暇を持て余していた。
 ラティの小さい体であれば、鉄格子をすり抜けることは容易。しかし脱出するための鍵が見つからず、結局そのまま牢屋の中で過ごす以外になかった。
 ディアドリーもあれから無言のままであり、マキトたちのことを一瞥すらしようともしていない。興味がないのか、それともどうにもならないと分かっていて諦めているのか――いずれにせよ、彼女に何かを期待するのは時間の無駄だと、マキトたちも薄々と感じていることではあった。
 するとそこに、重々しい扉が開く鈍い音が聞こえてきた。

「よぉ、小僧に御夫人殿。大人しくしているようで感心なことだな」

 男の声が響き渡る。耳を澄ませると、獣の唸り声も聞こえてきた。マキトとラティが鉄格子に近づいていくと、見張りの兵士らしき男が一匹の狼を引き連れて、ニヤついた笑みを浮かべながら歩いてくるのが見える。
 その狼に、マキトとラティは目を見開いた。

「なぁ、ラティ。あれって……」
「昨日の狼さんなのです」

 ラティの声に狼の耳がピクッと動く。当然、男にもその声は聞こえていた。

「はんっ! 囚われの身だっていうのに元気なこったぜ。庶民のお子様は状況の把握一つすらできねぇってか。全く教育が行き届いてねぇ証拠だわな♪」

 男はマキトたちを見下しながら、愉快そうに笑う。しかし当のマキトとラティはというと――

「同じヤツか? 似ているとかじゃなくて」
「わたしが見る限りは、同じとしか思えないのですよ」
「それって、分かるもんなのか?」
「なんとなくですけど」
「へぇ。やっぱり魔物同士だと、そーゆーのも見分けられるもんなのか」
「マスターも、そのうち分かるようになると思うのです」
「えー、そうかなー? 流石にそこまでできる自信はないぞ」
「大丈夫なのです。なんと言ってもわたしのマスターなのですから♪」
「……どーゆー根拠だよ、それ?」

 男のことなど全く気にも留めずに、マイペースに会話を繰り広げていた。相手にされる気配すらないこの状況に、男はプルプルと体を震わせる。

「このクソガキどもが……まぁいいだろう。俺は心が広い。細かいことを気にするようなタイプじゃねぇからな」

 そう言いながらも、男は荒くなる息を一生懸命整えていた。それだけ気持ちが高ぶっていた、なによりの証拠である。
 とても心が広いようには見えない姿であり、マキトたちもディアドリーも、冷めた表情を浮かべていた。
 しかし男はそれを全力で見なかったふりをしつつ、強気な表情を浮かべる。

「とにかくテメェらは大人しくしていろ。この狼を見張りに付けておくからな。特にそこの妖精! もし牢屋からすり抜けたら最後、一瞬にして喰われるぞ。要らんことはしないほうが身のためだ!」

 男は言うだけ言って去ろうとする。
 そこに――

「ウォフッ!」

 狼が男に鳴き声を発した。

「うぉっ、何だよ急に吠えやがって……俺に何か文句でもあるのか?」
「ウォフッ、ウォフッ!」

 顔をしかめる男に対し、まるで何かを訴えているかのように、狼は吠え続ける。しかし男はそれを察することなく、うっとおしいとしか思っていなかった。

「うるせぇな。いいからテメェはここで見張ってろ! サボるんじゃねぇぞ!」
「わふ……」

 狼は力のない鳴き声とともに大人しくなる。それを見た男は、ようやく分かってくれたかというような笑みを浮かべ、今度こそ重々しい扉から出て行った。
 しかしマキトは、その狼の様子がどうにも気になっていた。
 もうこれ以上言う価値もない――狼は男に対してそう言っていたと、何故か見えてしまったのだ。

「ラティ」
「はいなのです。わたしも恐らく、マスターと同じ考えなのです」

 重々しい扉の閉まる音が聞こえると同時に、マキトとラティが動き出す。ガシャンと鉄格子の音を響かせつつ、マキトたちは狼に向けて叫ぶ。

「狼さーん。ちょっとわたしたちと話しませんかー?」
「どうせヒマだろー? 俺たちもすっごいヒマしてるから、こっちに来いよー!」

 マキトとラティが呼びかけるも、狼は一瞥するなり視線を逸らす。相手にする気もないと言わんばかりだ。
 それでもマキトたちは、呼びかけるのを止めようとはしなかった。
 全く無駄なことを――ディアドリーはそう思いながら、黙って彼らの様子を見ていることにした。
 些細な退屈しのぎにはなるだろうと、そんな淡い期待を込めて。


 ◇ ◇ ◇


「そっか。お前も大変だったんだな」
「クゥン……」

 結論から言うと、その淡い期待は見事ひっくり返された。
 ディアドリーの呆れ果てていた表情は、今やすっかり興味深そうに目を見開き、向かいのマキトたちの牢屋に釘付けとなっている。

「つまりお前は、ずっといいように使われ続けてきたってことか」
「普段の食事も適当な残り物が多かったそうなのです。どうやらあの兵士さんたちがそう仕向けていたみたいですね」
「ウォフッ」

 狼が来てから、そろそろ三十分が経過する頃だろうか――もうすっかりマキトたちと打ち解けてしまい、これまでの生活について粗方話してしまった。

(まさか私の知らないところで、色々と好き勝手されていたなんて……)

 初めて知る事実が続々と登場しており、ディアドリーは驚きを隠せなかった。
 その八割九割が、自分の見ていないところで自由にやる。簡単に言えば下っ端に対するパワハラめいたことをしまくっていたのだ。
 この屋敷にも、上下関係は存在する。ディアドリーをトップに、執事やメイド、そして兵士たちの間でもしっかりとそれは形成されていた。
 しかしそれとは別に、屋敷の人々と狼たちの間にも上下関係はあったのだ。
 特に兵士たちは、当然のように狼を見下し続けてきたという。ペットはおろか、道具としてしか見なさないケースも少なくなかったとか。
 その事実に、ディアドリーは憤慨したい気持ちでいっぱいだったが、それをすることはできなかった。
 否――する資格がないと思わされたと言ったほうが、恐らく正しいだろう。
 どれだけ自分が、自分のことしか考えてこなかったのか。自分の家のことを何気に一番分かっていなかった可能性を、まさかこうして捕まった状態で気づかされてしまうとは、なんとも皮肉なことだろうか。

(これも一種の、因果応報ということなのかもね)

 ディアドリーはひっそりと、自虐的な笑みを浮かべる。その時、マキトとラティの話が聞こえてきた。

「でも、セアラさんが狼さんたちのことも、気にかけていたそうなのです」
「そうだったのか。あのオバサン、優しいところもあるんだな」
「アリシアに対して暴走するだけじゃなかったのですね」
「あ、それ俺も思ってたわ」
「ですよねー♪」
「ははっ、だよなー♪」

 面白おかしく笑うマキトとラティに、ディアドリーもつられて視線を逸らし、小さく噴き出す。
 言ってしまえばディアドリーの暮らす家は、セアラからすればよその家である。普通ならば気にする義理はない。それがどんな状況だろうと、それはあくまでその家の問題なのだからと言ってしまえば、それまでの話でしかないのだ。
 にもかかわらず、セアラは姉の家も気にしていた。
 なんとも彼女らしいと、思わずディアドリーは納得してしまう。

(そう……あの子は昔から心優しかった)

 むしろ優し過ぎたと言える気もする。トップに立つには不安視されるほどに。
 当主の座に執着していたのも、その面が大きかった。今になって、ディアドリーはそう思えてならない。
 ずっと自分本位と思い込んでいた考えが、実は妹を思ってのことだった。
 そんな馬鹿なと、心の中で否定しようとしてみた。しかしそれをしようとすればするほど、見苦しい強がりにしか思えなくなる。
 ディアドリーは分からなくなってきた。
 本当の自分が何だったのか。一体何が本当の自分としての考えなのか。
 ここまで真剣に、自分に対して考えるのは、思えば初めてのことかもしれない。まさかこの場でそれに直面するとは、流石のディアドリーも予想外であり、改めて驚かずにはいられなかった。

(ずっと私は、妹を憎んでいた……もう考えたくないと何度思ったことか)

 しかしそれでも考えてしまう自分がいる。その度にディアドリーは、嫌悪感を剥き出しては苛立ちを募らせてきた。
 今となっては、それも少しだけ分かったような気がする。
 血の繋がった家族――それも小さい頃から家の意向によって、姉妹で競わされていたからこそ、見たくないのに自然と見えてしまう。分かりたくなくても、いつの間にか分かってしまう。
 一番恨んでいた相手を一番に見てしまう――まさに皮肉としか思えなかった。
 そしてそれを気づかされたのが、よりにもよってこの無関係な魔物使いの少年と妖精のおかげだとは。

(退屈しのぎどころか、まさか自分自身を見つめ直してしまうとはね)

 凄まじく予想外の展開となったことに、ディアドリーは感慨深く思った。
 再びマキトたちと狼の会話に耳を澄ませてみると、どうやら狼が自分の気持ちを伝えていることが分かった。

「自分たちを道具扱いする兵士さんたちを懲らしめたい――それが狼さんの今の気持ちみたいなのです」
「ウォフウォフ、グルルルル、ウォフッ!」
「懲らしめるのに協力してくれたら出してあげる――だそうなのです」
「いや、出してあげるって言っても、どうやってこの檻から……」

 するとその時、甲高い金属の音が鳴り響く。石畳に何かが落ちたのだ。
 それは狼の体毛からすっぽ抜けたように出てきた物であり、そのまさかの正体にマキトは思わず驚いてしまう。

「……もしかしてそれ、この檻の鍵か?」
「ウォフッ!」

 自慢げに狼は大きく頷いた。
 さっきの男が落としたのを拾っており、器用に体毛の中にしまっていたのだ。男の去り際にそれを渡そうと鳴き声で呼びかけたのだが、男は取り合わずにそのまま去ってしまったのである。
 そんな説明をラティの通訳で知ったマキトは、感心しながら頷いていた。

「なるほど。さっきのアレはそーゆーことだったのか」
「とにかくマスター。これはチャンスなのです!」
「だな」

 ラティの言葉に頷いたマキトは、狼に視線を向ける。

「俺たちも懲らしめるのを手伝うから、そのカギをこっちにくれないか?」
「――ウォフッ!」

 願い出るマキトに、狼は力強く頷くのだった。

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