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第二章 火と土の魔女

2-12 落胆と告白

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 少女は孤児だった。

 何故孤児になったのか、そんなこともわからないが気がついた時には傍には誰もおらず、食糧を入手する手段さえもわからずに飢え死にするのを待つばかり。

「おなかすいた……さむい……」

 か細い声で呟くも、その小さな声を拾う者などいない。

「ご飯が食べたいの? 寒いなら自分で火を熾せばいいじゃない」

 いないはずだったが、少女の呟きに答える声があった。

「だれ?」

「私は魔女、こわあい魔女よ。さ、暖かい火を想像してごらんなさい」

 おでこをツンとされ、何かが身体の中を駆け巡るような感覚。
 それが何かはわからなかったが、少女は頭の中に自分を暖めてくれる火を思い浮かべた。

 ポッと、目の前に火が浮かんだ。

「あっ」

 少女が思わず叫んだ瞬間にその火は消えてしまった。

「はい合格。素質がなかったらこのまま捨てて行っちゃおうかと思ったけど、運が良かったわね。あなた名前は?」

 名前?

 自分の名前は何だっただろうか。
 親は自分のことをなんと呼んでいただろうか。
 いつから自分の親がいなかったのだろうか。

「わからないの? そうねえ……ねえダイアちゃん、火だから赤い宝石の名前がいいと思うんだけど何がいいと思う?」
「うーん、赤い宝石だったらルビーがいいんじゃない?」
「ルビーね。なんか後ろの伸ばすところが間抜けっぽいから『ィ』にしてルビィにしましょう。あなたは今日からルビィよ」

 ルビィ? 自分は今日からルビィ?

「ルビィ、おなかすいた」

「ええ、私と一緒にいらっしゃい。お腹いっぱい食べさせてあげる」

 少女は、魔女ルビィになった。


 こわい魔女の家に行くと、そこには目が見えないという緑の髪の少女がいた。

「こんにちは、わたしルビィ。あなたは?」
「私はミュウ。よろしくねルビィ」

 ルビィと、ミュウと名乗った盲目の少女は友達になった。


──────────────────


「…………」
「…………」

 林道を戻り街道に出た所に設置された野営地で、先程から二名ほど魂の抜けたような顔で座り込んでいた。

「いつになったら正気に戻るんですかね。ミュウちゃんとマレーダーさんは」

 全員分の食事をテキパキと用意したリンジー嬢は呆れ顔だ。

「ミュウさんは相手が火の魔女と土の魔女だとわかってからずっとあんな感じですし、マレーダーさんもそれを報告してからずっとああだね」

 エルも、いまいち理解できないという顔だ。

 一人アイルだけが我関せずで食事を始めているが、時折、溶けてボロボロになってしまった腕甲に視線をやって、これまた溜息を吐いている。

「よりによってルビィ……よりにもよってルビィ……」

 ミュウは何やらブツブツと言っているし、

「火の魔女……この私のいまの力では対抗できるわけが……」

 時折、悔しそうに呟いて眼鏡を拭いているマレーダー。


「まあミュウちゃんから話を聞いて、ミュウちゃんが落ち込んでる理由は大体わかるけど。マレーダーさんはあれかな、さっきの戦闘中に『爆炎の魔術師』がどうたらこうたら言ってたから、炎を操る魔術師としては火の魔女が相手だと分が悪いということですかね」

「ミュウさんの理由とは?」

「風の天敵は火らしいですよ、魔法の世界では。例えばミュウちゃんが強烈な風を相手に放ったとしましょう。すると相手は炎の壁を展開する。どうなると思いますか?」

「ええと、炎に風がぶつかって……あ」

「ですね。我々がこうしてキャンプで火を起こしてもそうですけど、火の周りでは熱によって空気が上に向かいます。つまり炎によって風を思うように操れなくなるというわけです」

「ああ、それは確かに。火に対しては水ですか」

「そうですね。そこでマレーダーさんなのですが炎系の魔法に適正が高い人は水の魔法の取扱いが苦手、らしいんですよね」

「なら、土系の魔法は?」

「今回厄介なのは、その火の魔女と一緒に土の魔女がいるという点です」

「土魔法で攻撃しようにも、それ以上の土の使い手がいる、と」

 思わぬ魔法談義に興じてしまったエルとリンジーは、二人が落ち込んでいる理由が推察されて、どうしたものかと考え込む。

「アイルさんはどう思います? 今の話」

「む……」

 いつの間にか溶けた防具の残った金属を集めて、拳の部分だけでもガードするような形に打ち直していたアイル。
 どうしても左手で相手を殴りたいらしい。

「無駄です。アイルさんは、魔法の詳しい話になると、ほぼ聞いてません。ちなみにいまアイルさんが全力で考えていたのは、炎って思い切り殴ったら消えないかな、です」

 ミュウが座り込んだ状態から立ち上がり、裾についた汚れを払いながら歩いてきた。

「アイルさん、体験したとおりルビィが操る炎は金属なんて簡単に溶かしてしまいます。だから殴って消すのは無理です」

 ミュウに無理だと宣言されて、やや落ち込むアイル。

「それと、私が落ち込んでいたのは天敵の火が相手だからではないです。ルビィが相手だから落ち込んでいたんです。火に対しての対策はちゃんとあります。最早、火は私の天敵ではありません。最早、火は私の天敵ではありません」

 最後を二回繰り返した理由はよくわからないが、二回目はマレーダーに対して宣言したようにも聞こえた。

「まあ、とにかくこうしていても仕方ありません。ご心配をおかけしました。食事を終えたら山岳民族の拠点に向かってみるしかありませんね」

 いそいそとアイルの横に座って食事を始めるミュウ。

 エルとリンジーもやや呆気に取られつつ、まあ元気になったみたいだからいいかと食事を始める。

「アイルさんを見てると細かいことをウジウジ考えているのが馬鹿馬鹿しくなりますね、まったく!」

 プリプリと怒ってはいるが、結局はアイルのおかげなのだと二人は理解することが出来て、何となく微笑ましくミュウを見ていた。



 鉱山地帯を南北に貫く街道、といっても地形に合わせて右に左にうねったような道になってしまうのは致し方ない。
 また、宿場町というような存在がないために夜は野営となる。

 常ならば街道沿いのあちこちに設けられた野営用の空き地には、休憩を取る商人や旅の一行などが見受けられ、互いに行き合った者どうし時には協力して食事を用意したり寝床を並べたりという風景も見られる。

 が、魔物の噂が出始めると共に商人達も様子見に入ったので、今は誰一人すれ違う者とてなかった。

 ミュウ以外は体力のある四人であるし、ミュウはアイルの肩が指定席のために、一行の旅は驚くほど順調で五日目にはあと一山超えれば山岳民族の拠点というところまで来てしまった。

「魔物、いませんね」

 未知の魔物との遭遇、もしくはアイルが戦闘したという岩のゴーレムとの殴り合いを期していたリンジー嬢が焚き火の前で膝を抱えている。

「あはは、リンジーさんてもっと理知的な女性だと思っていたけど、そういう発言を聞くとそれだけじゃないってことだね。魔物に遭遇しないなんて、むしろいいことじゃないか。このまま山岳民族の街まで行けば何かわかるかも知れないしさ」

 爽やかな笑顔で言うエルに対して、リンジーは一瞬だけキッと視線を向けたが、いわゆる恋する乙女心などというものを男に語っても無駄かとすぐに焚き火に視線を戻す。
 未知の敵との格闘戦を求める心が、果たして恋する乙女心なのかどうかは恐らく本人以外は同性にもわからないことであろうが。

「こう誰とも遭遇しない旅路、というとセントイーチに向かう時の事を思い出しますね」

 マレーダーがポツリと呟く。

 潰走したイーチ軍を追ってセントイーチに向かう途中、あらゆる街や村は無人であり、魔物とも人間とも遭遇しなかった。
 現状はその時と同じであり、拠点についた時に何が起こるのかをそこから想定すると気分は暗くなる。

「山岳民族の方々がどうなっているのかはわかりませんが、魔物については心配ないと思います。そういう気配を全く感じませんから。それに魔女が二人も揃っているなら、わざわざ待ち構えなくても襲いかかってくればいいんです。そうしてこないということは、敵対する気がないのではないかと思います」

 ミュウは、皆が起きている間は仮眠を取っているアイルの背中に寄りかかりながら、現状の分析と推測を述べる。

「その根拠は?」

「アイルさんがゴーレムを倒したあとに、縄張り内を観光するぐらいなら自由にどうぞと言ってました。現状、私達は旅をしているだけですから観光と言えなくもありません。特に見るものなどないのが玉に瑕ですけどね」

「なるほど、確かにそう言っていたね」

 その場にいたエルも頷いた。

「なので、明日拠点の街と住民がどうなっているのかを確認してからの判断になると思います。もし住民をどうにかしてしまったならば『民を苦しめる魔女を討つ』というエレノアさんとの約束を守るために、アイルさんは魔女を絶対に討ちます。それがアイルさんの『王の剣』としての使命らしいですから」

 エルはミュウのその言葉に、チラリと寝転がるアイルに目をやる。

「エレノア様との約束?」

「そうです。本来であれば、王命に縛られずにアイルさん自身の判断で討つべき敵を見定めて討つ剣であるよう任じられたらしいです。ダナンの傭兵ギルドのサミュエルさんが証人としてその場にいたというので、間違いないでしょう。ですが、あのジジイがその後、任命書を改ざんして王命に従う剣であるという内容に変えてしまったようですね。だからさっさと王を討ってしまえば王命そのものが無くなると思うんですけどね」

 サラっと怖いことを口にするミュウに、エルはやや苦笑いを浮かべながら焚き火に薪を足す。

「では、我々はそろそろ眠ることにしましょう。全ては明日です」

 マレーダーの合図で、各自、そこらに並べた布に横になる。
 ほぼ同時に、その動きに気づいたアイルがのそりと起きて、そのせいで思わずバランスを崩したミュウを抱えて左肩に乗せる。

「わかってきましたねアイルさん」

 そのアイルの自然な動作にご満悦のミュウである。

 アイルはアイルで寝起きの無意識の動作でそうしてしまったことに落ち込む。

「なんでそこで落ち込むんですか」

 ミュウの抗議は無視して剣を取り、夜の見張りのためにやや野営地から離れて仁王立ちになるアイル。


「アイルさん、ちょっと昔話をしてもいいですか?」

 ミュウも眠るつもりはないらしく、アイルの肩に乗ったまま語りだす。

 アイルは頷く。

 この場でミュウの話を聞いているのは自分と、周囲で必死に自分たちの季節と時間が来たことを謳歌する夜の虫たちぐらいなものだ。

「私がヘレンと契約して魔女になり、まだヘレンの元で暮らしていた頃、一人の少女が連れられてきました。それが火の魔女ルビィです。ルビィはたぶんその頃まだ十歳ぐらいだったと思います。本人は自分が何歳かもわからないと言ってましたので、ヘレンが勝手にそういうことにしちゃいました」

 ミュウは見えない目で星空を仰ぐ。

「私にはもともと友達と呼べる存在がいませんでしたが、無邪気なルビィにあれこれ教えながら一緒に暮らしているうちに友達になっていました。もっとも私が見た目が子供っぽいというだけで、その時には既に二十歳を超えていたんですけどね。あの子から見たら同い年ぐらいの女の子だと思ったんでしょう」

 心を読むことが出来ないアイルには、ミュウが何を考えているのかはわからなかったが、それでも何かを伝えようとしているのはわかった。

「ある日、ルビィがさらに小さな女の子を連れてきました。それが後の土の魔女トルマです。ヘレンはあまり乗り気じゃなかったんですけどね。ルビィの、一生に一度の、最初で最後の、一回だけの我儘だからトルマも養ってやってくれと泣いてお願いしたんです。それでヘレンも折れて、まあトルマにも魔法の素質があったことも手伝って、魔女になりました。それから十年以上、三人で魔法の修行やらなんやらしながら過ごしたんです」

 ミュウはそこで大きく息を吸い、次いで、笑った。

「私は、目を取り戻したい。そんなつまらない我儘のために」

 言葉を切る。数秒おいて、絞り出すように、

「その二人を容赦なく殺すかも知れません」

 そう、締めくくった。



 アイルには友人と呼べる存在がいない。

 幼少期に一緒に過ごしたとか、いまミュウが言うように長いこと共に過ごした仲間だとか。

 だが恩人ならば沢山いる。

 魔女ヘレンもそうだし、サミュエル、キャシー、いまここにいるマレーダーやリンジーだってそうだ。

 さて、自分が言葉を取り戻したいからサミュエルやキャシーをその手にかけなければいけないとしたら。
 答えは簡単だった。
 そんなことをしてまで、取り戻したいとは思わない。

 ミュウはそれほどまでして、己の目を取り戻したいのだろうか。

「そうじゃないんです」

 アイルの心を感じたミュウがヘニャリと笑った。

「そうじゃないんですよ、アイルさん」

 おもむろにミュウがアイルの首に抱きついた。

「何とも思わないんです。ああ、二人を殺すことになるかも知れないなって思った時に、火属性だから面倒だな、とか、土属性は私のほうが有利だな、とか。きっとあの子達は私のことを友達と思ってくれているのかも知れません。でも、私は何とも思ってないんですよ。『そういう』気持ちがわからないんですよ」

 そう言われてアイルは急速に理解した。

 この子は自分と同じなのだ。
 人間らしい感情の動きというものを、だいぶ頭では理解してきたし、少しはそれらしきものを感じる事も出来る。
 それでも、人間とはこのように激しく感情が波打つものか、と他の人間を見て驚かされる毎日だ。

 ミュウの出自については未だ知らないことが多いが、それでもきっとこの子も自分と同じなのだろう。

 そう思ったら、ミュウの先程の笑顔は、アイルには泣いていたようにしか思えなくなってしまった。

 ミュウは、アイルの首に抱きついて短いその髪の毛に顔をうずめたまま、いつまでも顔を上げなかった。

 虫たちも、もう話は終わったのかと、演奏の音量を一段あげて暑期の夜を彩るという自分たちの仕事に専念し始めるのだった。
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