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第二章 火と土の魔女

2-4 傷心と里帰り

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「本当に片付けちまったな」

 サミュエルはミュウの手際にただ感心するばかりだった。
 リンジーは何かを考え込んでいる様子だったが、特に何を言うでもない。

「さて、申し訳ないがさっき決めた通りだ。お前らはここに残って調査部隊が来るまでここを守っていてくれ。残りは一度ダナンに帰還する」

 小屋が崩壊したとはいっても、魔女に関する何らかの手がかりが残されているかも知れない。
 一部の兵をここの守りに残して、改めてダナンから調査団を派遣することとした。

 樹木に目印を刻んでも再生してしまうので、地面にスカウトにしか分からない目印を設置しながらダナンへの帰路につく一行。
 途中、リンジーはアイルの左肩の上でご機嫌な様子のミュウに近づいていき、意を決したように告げる。

「ミュウさん。アイルさんが喋れるようになったのは、やっぱり北で魔女を倒したからですかね? だとしたら私の推測の魔女の呪いっていうのもあながち間違いでもなかったということになりますね」

 何かを考え込んでいたと思ったら、リンジーがずっと考えていたのは当然アイルが『いや』と言えるようになった原因についてだった。
 最早ミュウがアイルの通訳のようなものだというのはサミュエルから聞いていたので、アイルに聞くのではなくミュウに直接聞いてしまう。

「どうなんでしょうね? 喋れるようになった、のではなく今まで一文字だけしか話せなかったのが二文字になっただけだそうです。それ以上を口にすると全身に激痛が走るそうで、その場面は北で一度私達も見てしまいました。あまりの痛みに意識を失って三日も目が覚めなかったんですよ」

 左の肩の上でスラスラと、吟遊詩人が歌うように、我が事のように語るミュウをジロリと横目で睨むアイルだったがその効果がないのはお約束だ。

 その後も、リンジーがミュウに質問する、それを聞いてしまったアイルがつい思い浮かべてしまう、それをミュウが読み取って解説するという謎のやり取りを繰り返しているうちに森の終点に近づいていく。

「あれ? でももし魔女を倒して言葉を取り戻せるなら、逆にもう一つの年を取らない呪いが解けてアイルさん急にお爺ちゃんになっちゃうかも?」

 そんな疑問をリンジーが呟いたところでようやく一行はダナンに到着する。

 先触れとしてスカウトが街に知らせていたために、ロンダール中将始め主だった面々が門まで出迎えに来ていた。

「ようキャシー、しっかりと仇は取ってきたぜ。まあ、美味しいところはお嬢ちゃんが持って行っちまったけど、それなりに俺も……っ」

 キャシーの姿を見つけたサミュエルが親指を上げてニカっと笑いながら戦勝報告をしている途中で、それ以上喋れなくなってしまった。

 無言で駆け寄ってきたキャシーがそのまままるでタックルでもするかのようにサミュエルに抱きついてきたから。

「お、おい……」

「よかった……本当に無事でよかった」

 そのまま胸に顔をうずめたままで顔を上げない様子に、どうしていいかわからずに直立不動となってしまうサミュエル。

 それを見た兵達が囃し立てる中、ただ一人リンジーの表情に暗い影が差した。
 アイルはそれに気付いて心配そうな顔になる。

「リンジーさん、リンジーさん、ちょっといいですか?」

「なにかしら」

 そんなリンジーの袖を、アイルの方から降りていたミュウがちょいちょいと引っ張り、一団から少し離れたところへと連れて行った。

 先程まで楽しそうにアイルのあれこれを質問していた表情は、今はもうどこにも見当たらない。

「一つ私にいい提案があるのですよ、ゴニョゴニョ」

 ミュウはリンジーをしゃがませると、その耳に何やら耳打ちしていた。

 それをふんふんと聞いていたリンジーだったが、やがてその顔にパアッと光が差したように表情が変わっていった。

「ミュウさん、あなたは天才です。最高です。その案は絶対採用です」

 思わずその場でミュウを抱きしめるリンジー。

 二人が仲良く手を繋いで帰ってきたのを見て、かつ、リンジーの表情に明るさが戻ったのを見て、ミュウが何かを言ったのだろうと察したアイルはガシガシとミュウの頭を乱暴に撫でる。

「ちょ、痛いです。そういう所がお父さんのようで中年臭くてダメです。子供扱いもよくありません」

 ジタバタと厳重抗議するミュウを楽しそうに見つめるアイル。
 ミュウの言う通り、確かにその表情は娘の成長を喜ぶ父親のようで、実に的を射た表現だった。

「それに、アイルさんが心配そうだったからちょっとだけアドバイスをしてあげただけですから。これからどうするかはリンジーさんが決めることです」

 そのリンジーは、ようやく帰還を祝う集まりへと加わり、皆でこれから『銀の斧亭』で祝勝会を開きに移動するところだった。



「西に行きたい?」

 昨夜は夜明け近くまで飲み食いしていたので、まだ誰も起きてきていない早朝。

 アイルはミュウに向かって『例の小屋から西に向かう』と心に思い浮かべた。

 かつて近衛兵を辞して西の森を彷徨っていたアイルだったが、その時もひたすら森の西側を目指していた。
 だが、森の木々はともかく魔物のせいで思うように進めず、魔物を狩りながら暮らしていたところを再会したサミュエルに拾われたのだった。

 それからは傭兵稼業を営みながら暮らす日々に甘んじていたが、昨日の戦いにおいて恐らくは魔物発生の元凶を叩いたと考えていいと感じたアイルは再び森を抜ける事に決めた。

 律儀なアイルのことである。
 黙って一人で出かけたりはせずに、パートナーであるミュウには一言断っておこうと思っただけなのであるが。

「なるほど、いいですね。行きましょう」

 何故こうなることを予測できなかったのか。
 そのままギルドに赴いて、しばらく不在にする旨を届け出る。
 これは、指名依頼などが来た場合に本人が何処にいるのか、連絡を取ることは可能なのかがわからないとギルドが困るためである。

 受付には、昨晩みんなと飲み明かしていたはずのリンジー嬢がきちんとした身なりで座っていた。

「あら、アイルさんにミュウさん、お早いですね」

 アイルとミュウは実はそれほど飲み食いはしておらず、酔っ払った三人組が泣きながら互いの無事を祝うのを延々と聞かされたり、途中からチンメイがミュウこそは天が遣わした神聖なる女神であるなどと言い出し、床で拝み始めるのをやめさせたりと別のことで忙しかった。

 が、リンジー嬢はキャシーの手伝いをしつつサミュエルの横で兵達に次々と注がれる酒をグイグイ飲んでいたはずだ。

「リンジーさんこそ、あれだけ飲んでいたのにもうお仕事ですか」

「私は公私の区別はしっかりとつける性格なので」

 そういう問題なのだろうか。
 他の者は全員『銀の斧亭』の床に無残に転がっていたはずだ。
 ちなみにマレーダーは宴会の始めから黙って飲み続け、気付いたら黙ったまま酔いつぶれていた。

「ほうほう、お二人はしばらくダナンを留守にすると」

「ええ、そんなに長くはかからないと思います。長くて一週間ほどかと思います。調査隊とは別で、ちょっと魔の森で調べたいことがあるので」

 ミュウの説明にリンジーの眼光が鋭くなった。
 この敏腕受付嬢の鋭い勘が侮れないことはミュウも承知していた。

「さては……でえと、ですね?」
「いや……」
「そんなようなものです」
「いいなあ、いいなあ」

 アイルもやっと話せるようになった二文字を駆使して否定してみたのだが、二人には全くもって聞いてもらえていない。

「リンジーさんも、例の作戦をちゃんと考えておかないとダメですよ?」
「うーん、まだ考え中。今回の戦いで私もまだまだだなって思った所があって」

 人の身で魔女の眷属を単独撃破できるだけでも、しかもそれがギルドの事務員というだけでも充分に規格外だと思うのだが、リンジー嬢は納得いっていない様子である。

「では、行ってまいります。おみやげは無いかも知れません」
「いってらっしゃい。もし指名依頼が来たら、当分帰ってこないと伝えておきますのでご安心を」

 斯くして二人は魔の森へと旅立った。



「なるほど、王都でのお仕事を辞めたあとにも一回ここを通って西に行こうとしていたわけですね」

 鬱蒼と生い茂る木々を剣で切り開きながら森を進んでいくアイルと、すっかり定位置となってしまった左肩の上で楽しそうに鼻歌を歌うミュウ。

 もうすっかり考えを読まれることにも慣れてしまったアイルは、かつて一度西を目指したことなどを説明している。

「ほうほう、この森を西に抜けた先の岬にアイルさんの故郷があるのですね。それは実に興味深いですねえ」

 戻ってみた所で、今の姿では何を言われるかわからないし、脱走したままなので最悪はそのまままた捕縛されるかも知れない。
 前に西を目指した時は目標など何も無くなっていたために、アイル自身もそれでもいいと思っていたが、今は捕縛されるのは困る。
 だが、やはり黙って脱走したままにはしておけない、という気持ちがあった。

 それに魔女ヘレンと出会った場所がどうなっているのかも確認しておきたかった。

 今回倒した相手が魔女ではなくただの配下だったことや、その魔族がサミュエルから聞いたところのヘレンの信奉者だったという事。
 それらを考えれば、ずっとダナンに魔物をけしかけていたのはヘレン自身だったという可能性もある。

 だが、何故配下が倒されるままにしていたのか、何故今まで散発的にダナンに攻撃を仕掛けていたのかなど謎は深まる一方になってしまう。

「そうですねえ。ヘレンが何を考えているのかは私もわからないんですよねえ。恐らくアイルさんからは魔法を操る力と寿命を、私からは魔眼の力を手に入れたんだと思うんですけど、じゃあなんでアイルさんは年を取らないのか、なんでアイルさんはダイアと戦った時に見せたように魔法が使えるのか、結局謎が多いんですよねえ。まあヘレンに直接聞いてみるしかないんですけどね」

 アイルの中に浮かぶ取りとめもない思考を適当に拾っては、ミュウも自身の見解を述べていく。

 ミュウが読心の術と引き換えに魔眼の力を奪われた結果、視力を失ったのであるならば、人間の身体を得ることと引き換えに寿命と言葉を奪われたアイルは普通の人間のように年を取るようになるのが道理である。

 だが、いくら考えても仕方のないのは確かである。

 魔女ヘレンが既にこの森にいないことは承知していたが、痕跡を調べれば何かわかることはあるかも知れないと、ただ森を進んでいく。



 アイル達が森に入ってからはや三日が経過している。

 かなり森の奥までやってきたが、一体この森がどこまで続いているのか知っているのはアイルだけである。
 そのアイルにしても、かつて六十年ほど前にがむしゃらに通過しただけなので、正確な距離などはわかっていない。

 だが、かれこれ二百キロメード近く西進してきた結果、ついにかつて魔女ヘレンと出会った小屋跡に辿り着いた。
 小屋跡、というのも、既に小屋そのものは完全に風化して森の一部となっており、ここに誰も住んでいないということを表していたからだ。

 もしかしたらヘレンがいるかも知れない、と思っていたアイルは若干落胆の表情を見せる。

「アイルさん、私はここを少し調べてみます。何かわかるかも知れませんから」

 ヒラリとアイルの肩から飛び降りたミュウは、小屋の残骸付近を調べ始めた。

 アイル自身は特に調べたいことなど無かったので、そのまま自分の一族が住んでいるところを目指すことにした。

「では、私はここで調べ物をしながら待ちますので、思う存分里帰りしてきてくださいね。あ、もし万が一ですが、危険な状態になったら強く念じてください。いつでも風の女神が駆けつけます」

 その平らな薄い胸をトンと叩くミュウ。

 それを見てクスッと笑ったアイルは、そのまま再度森の中に分け入っていった。

「ほんとにアイルさんは難しいことは放置なんですねえ。ここにヘレンが残した何かがあるかも知れないのに」

 魔法の話にしてもそうだが、アイルは色々と考えを巡らす割には難しい理論的なことを考えるのが苦手なようである。

 『あれこれ考えるよりも殴ったほうが早い』と思っている節が見受けられる。

「まあそのへんはこの可愛いミュウちゃんがサポートしてあげないとですね。とりあえず邪魔な木はどけちゃいましょう。どうせ明日には再生するんでしょうから」

 辺りを見回したミュウは何事かを呟き、己の操る風の刃によってスパスパと枝を切り払っていく。基本的にずっとアイルの肩に乗って移動していたミュウはほとんど疲れていなかった。
 時にはアイルの頭に体重を預けて眠りながら移動していたことさえあった。

 やがて一つ一つの残骸を風でどけていたミュウは、一冊の古びた手帳を見つけた。

 それは羊皮紙を束ねて一冊の本の形にしたようなものだった。

 盲目にも関わらず周囲の状況を手に取るように把握するミュウにも不得手な物がある。それが書物である。

 さすがに紙などに書かれた文字を読むことまでは出来ないのである。

 それでも庶民向けの『本』と呼ばれるものは実は羊皮紙にインクで書かれているわけではなく、薄い板に字などを彫ってあるものが多いため、その凹凸のおかげで認識できるのだが、今回発見したものはインクによるものだった。

「あとでアイルさんに読んでもらいましょう」

 まるで、寝る前に父親に絵本を読んでもらうのを楽しみにしている子供のような表情で大事そうにその手帳をバッグにしまうミュウ。

「はっ、いけません。これでは本格的に子供扱いされてしまいます。これでも私も相応に年齢を重ねたレディであるのですから、もう少し気品を保たないと」

 そこには誰もいないのに、一人言い訳をしている。


 その後も他にも何かしらヘレンに関する手がかりはないかと小屋跡を丹念に調べるミュウ。

 いつしか陽も暮れ、深い森に夜の帳が訪れても、もともと光を必要としないミュウの活動はいつまでも続いた。
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