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第一章 氷の魔女

1-8 斥候部隊と過疎村

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 斥候部隊として選抜されたのは、アイルとミュウ、それにバルトン、カンターク、チンメイのパーティである。
 サミュエルとマレーダーは当初、各チームの斥候担当を集めて特別な斥候チームを編成しようとしていたが、魔物の軍勢と聞いた瞬間に誰もが意気消沈してしまったのだ。

 もちろん命令として強制的に行かせることも出来たが、そんな士気の低い状態で満足な結果を得られるとも考えにくく、結果としてアイル達に頼ることになってしまった。

 要はアイル達が貧乏くじを引かされた形になったわけだが、ギルド長であるサミュエルに「すまん」と光る頭を下げられてはバルトン達も否とは言えない。

 それに何故かノリノリで「なんとかなりますよ」と明るく言い放つミュウと無言で頷くアイルがいるので、本当になんとかなりそうな気になってくるのもあった。


「すみませんミュウさん、ちょっといいでしょうか」

 出発の準備をしているアイル達の所にマレーダー大佐がやってくる。

「なんでしょ」

 小首を傾げて尋ねるミュウを連れて、一行から離れた所で何やら話し込む二人。

 やがて戻ってきたミュウにアイルは一度だけ視線を向けたが、特にミュウの楽しそうな様子に変わりはないのでまた準備作業に戻る。



 やがて準備を整え出発した五人を見送ったあとで、マレーダーはサミュエルと二人だけで人払いをして話を始めた。

「ミュウに関しての話だと?」

 マレーダーがサミュエルに話しておきたかったのはミュウのことだった。
 先程二人で話したのは、ミュウ本人にサミュエルに話してもいいかの確認を取っていたのだ。

「ええ、恐らくあの少女はハイマン族に関係があります」

 突拍子もない話にサミュエルは咄嗟にはどう反応していいかわからなかった。

「ハイマン族ってえと、あのおとぎ話に出てくる……」

「そうです。私はギルドでミュウさんに魔法の実力を見せてもらいましたよね。あの時、彼女はハイムを刻むことなく魔法を操ったのです」

「俺は魔法には詳しくないんだが、それって凄えことなんじゃないか?」

 いつも冷静なマレーダーが震え始めた。

「凄いとかいう次元の話ではないんですよ。彼女が私には聞き取れない言語で何か呟くと魔法現象が起こるんです。私が鍛えに鍛えた速度で空中にハイムを刻む間に彼女は呟くだけで魔法を放つことが出来るんです。詳しくは長くなるので省きますが、そんなことが出来るのは伝説にあるハイマン族のみなんですよ」

 マレーダーの語気が荒くなる。

「我々魔術師が使っているハイム文字は、ハイマン族の言葉を研究し続けた結果産み出されたと言われているんです。しかし言葉として運用するのはついに叶わなかったので、代わりに魔力で文字を刻むという運用方法を編み出したというわけです。その言葉を操れるということは、彼女は普通の人間ではないということになります」

 難しい話になると、中身をほとんど聞いていないという特技を持つサミュエルは実際マレーダーの話の半分も理解できなかったが、

「まあ、あのなりで八十歳だっつうんだから普通じゃねえんだろうよ。んで、それがどうした?」

 細かいことは気にしない。それがサミュエルの生き方である。

「いえ……ただ、今後のこともありますので、サミュエルさんには知っておいて欲しかったというだけです」

 要するにマレーダーはせめて口の硬い誰かと秘密を共有したかっただけなのだ。

 人はとんでもない秘密を知ってしまったら誰かに言わずにはいられない。

 せめて誰かとそれを共有しておきたい、と思ってしまう。

 今回マレーダーがその対象にサミュエルを選んだのは正解である。サミュエルはそれを更に誰かに口外したりもしない、それを知ったからとミュウを見る目を変えることもしない。
 それがわかっていたからミュウも許可したのかも知れない。

 ともかく、サミュエルに話せたことでマレーダーも落ち着きを取り戻した。

「誰がその種族だとか、どんなことが出来るとか、そんなことは些細なことなんだよマレーダー。俺が親衛隊の部隊長になった時、アイルは年上だった。だけどあいつの見た目はずっと変わらねえ。俺がこんなオッサンになっちまっても若いままだ。本当の年齢から言ったら恐らくあいつのほうがずっと年上なのかも知れねえ。だけどあいつは俺を上として慕ってくれる、信頼してくれてる。宿屋のキャシーだって、ギルドのリンジーだって、あいつがずっと見た目が変わらねえのに普通に接してる」

 サミュエルにしては珍しく、長口上で語り始めた。

「大事なことは、そいつは信用出来るやつなのかどうか。それだけじゃねえのか? 俺はあの嬢ちゃんを信頼してる。少し不思議なところはあるが、少なくともあいつはアイルを裏切らねえ、と勝手に俺がそう信じてるだけだがな。だがアイルだって嬢ちゃんを邪険にしてないだろう? だから、お前さんももう少し肩の力を抜いて、あの嬢ちゃんとアイルを信じてみろ」

 そう言われて、本当に肩の力を抜くマレーダー。

「そうですね……。サミュエルさんに話せてよかった。私も彼らを信じてみます」

 ようやく落ち着いたマレーダーは、困難な任務を押し付けてしまった五人が無事に生還するよう祈るのだった。



 戦場となっている平原の北側に緩い角度の三日月状になっている林。

 その西端はそのまま巨大な湖であるレナウス湖まで続いている。

 こうして戦場でのにらみ合いが続いていると、イーチ軍が湖を渡って迂回してくるという懸念もあるが、レナウス湖の南岸には敵が万が一船舶による南進をしてきた場合に備えた監視砦があり、船影が見えればすぐにでも狼煙が上がるようになっている。

 今のところはその兆候は見られないということで、そちらの心配はされていない。

 五人はレナウス湖沿いに北上し、林に潜入することに成功した。


 暑期に入っているとはいっても、王都から百キロも北にくれば幾分かは気温も低くなり、なおさら木々が陽射しを遮る林の中ともなればむしろ涼しさを感じる。

「魔の森に比べたら、茂みや木の感覚がまばらだからマシっちゃあマシだな」

 時折木々の間を駆け抜けてくる風に心地よさを感じつつ、バルトンが呟く。

 既に本来のスカウトとしての技能に長けたチンメイは一行から離れ、周辺の偵察に出ている。
 残りの四人はそれほど隠密行動に手慣れているというわけではないので、斥候部隊としては全くもって情けない限りである。

「そうですね。これだけ木々の間隔が空いていれば、魔物の接近に気付かないということは無さそうです。もっとも情報通りの大群に囲まれたらどうしようもないですよ」

 周囲を見回しつつ、カンタークは不安を拭えない様子だ。

 しかし、林の中は静かなもので些か拍子抜けするぐらいの穏やかさだ。

 小鳥が囀り、虫の鳴き声が盛んな様は思わずピクニックにでも来たのだろうかと思うような錯覚さえ覚える。


 やがて小一時間ほどでチンメイが戻り、周辺の様子を地図を交えて一向に説明する。

「周囲には魔物どころかイーチ軍の影も見当たりやせんでしたね。林の西側を作戦区域から外しているのか、別の作戦で動いているのか」

 この短時間で周辺五キロ圏内を半円状に探索し終えるのだから、やはりチンメイは優秀なスカウトである。

「ただ、ここから北西に五キロ進んだあたりの湖畔に村が一つありました。マレーダー大佐から渡された地図には乗っていない村なんで、もしかしたら王国では存在自体を知らないような村かも知れません」

 地図に印を付けるチンメイ。

「少し離れた所から村の様子を観察しましたが特に怪しい動きはなく、というよりも何人かの老人が確認できただけで動きらしい動きはありませんでしたね」

「アイルさん、その村に行ってみましょう」

 チンメイが報告を終えた所でミュウが提案する。

「どのみち、拠点を設けなければ偵察もできませんし、万が一その村が敵や魔物と関わりがあるなら情報収集にもなりますよ」

 ミュウの提案には一理あった。

「うーん、そうだな。闇雲に林の中を歩き回っても仕方ねえし、嬢ちゃんの言うことももっともだ。もしその村が敵と関係なくても、拠点にするっていうのも悪くない案だ」

 バルトンはこの提案に賛成のようだ。

 アイルとしてはあまり乗り気では無かったが、さりとて妙案があるわけでもないし、このまま戻って『魔物軍は見つかりませんでした』と報告するわけにもいかない。

 他に反対意見や代案もないことから、一行は村を目指すことになった。



 その村にはチンメイの情報通り、老人しかいなかった。

 粗末な木造の家屋がいくつかあるだけの村だったが、どの建物もところどころに破壊の跡がある。

 だが眼に入るのは座り込んだ老人ばかりで、村全体に活気と呼べるようなものは一切感じられない。

 セルアンデ王国内でも余り作物が育たないような地域には見捨てられたような廃村があるとは聞くが、五人はそんな村を見るのはもちろん初めてだった。

 最初は突然現れたアイル達を見てただ怯えるだけだった村人たちであったが、特に危害を加えにきたわけではないとわかると、村長だという老人が代表して交渉に出てきた。
 その村長という老人も生気のない、今にも倒れてしまいそうな顔をしていた。

「儂がこの村の村長ですじゃ。あんた達はイーチの人では無いのかの」

「ええ、私達はセルアンデ王国の辺境のダナンから来ました。この村はイーチに所属している村なのですか?」

 無骨な武装した傭兵よりも、愛嬌満点の可愛い女の子(自称)が話したほうが警戒も解けるだろうとミュウが交渉役を買って出ている。

「いんや、こんな寂れた場所にある村じゃからな。どこかの国に所属などもせず、ただここで畑を耕し、獣を狩り、魚を獲って暮らしていただけですわ。ところがつい一ヶ月ほど前に、突然イーチの方々が村にやってきましてな。ここを見つけたのは偶然だったそうじゃが、そのまま村の若い男と女子供を根こそぎ連れて行ってしまったんですじゃ」

「なんだそりゃ。あんた達はそのイーチの奴らを怒らせるようなことをしたのか」

 その話を聞いてバルトンは顔をしかめつつ尋ねた。

「とんでもありません。儂らが何事かとオロオロしているうちに『これはちょうどいい』と言って村中を荒らし回って食糧と人間を全て奪っていったんですじゃ。残された儂らはどうすることも出来ずに、わずかに見つからずに残った食糧を細々と食べながらただ嘆くだけの日々を送っていたという次第ですじゃ」

「ひでえ話っすね……」

 チンメイもカンタークも嫌な顔をする。

 イーチ軍にしてみれば地図にも載っていないような小さな村など、どうなろうと知ったことではないのだろう。
 若い人間を連れて行くのに『ちょうどいい』とはどういう事なのかはわからなかったが、奴隷・現地徴用兵などいくらでも嫌な使い途は思い浮かんでしまう。
 大方、子供は彼らを働かせるための人質であろうし、成人女性については想像するのも嫌になる。

 アイルは無表情で立っていたが、そのアイルをミュウはじっと見ていた。

「ええ、そうですね、アイルさん」

 アイルが何を考えているのかを読み取ったらしく、ミュウは村長に向かって話し始めた。

「私達は、イーチ軍が魔物を使役していると聞いてそれを調べに来ました。出来れば彼らを撃退したいと考えています。そして、今のお話を聞き、その連れ去られた人たちを助けたいと思います」

 ミュウの涼やかな声を聞いた村長の顔がみるみる生気を取り戻し始めた。

「おお、それは本当ですか?」

「もちろん必ず成功するとはお約束は出来ませんが努力はします。そのためにも、この村を私達の部隊の拠点にしたいのです。ついでに言うと、色々と補強もしていっその事この村を簡易的な要塞化までしちゃいたいのです」

 そこまでは考えていなかったアイルは思わずミュウに視線を投げるが、ミュウは構わず喋り続ける。

「約五十人ほどの私達の兵をここに駐屯させます。そして恐らくはここが敵との戦場になります。よろしいでしょうか」

 村長は何かを言いたげであったが、元々彼らにしてみれば自力で食糧を集めるような気力も体力も尽きていた所であり、絶望の中で餓死するしかない状況だったのだ。
 いまさらここが戦場になろうがなんであろうが、それがもしかしたら若者たちを取り戻すことに繋がるのだとしたら、という思いで結局は村長も頷いた。

「では、チンメイさん。マレーダー大佐の所に作戦の手順を。そうですね、大佐への手紙はアイルさんが書いたほうがいいかも知れません。アイルさん字が綺麗ですからね」

「いや、それ以前に俺たちは手紙なんて書けねえからな。それにしてもお嬢ちゃん、たいしたもんだぜ」

 バルトンは苦笑しながらも、たったいまミュウが立てた作戦を聞いて、悪くない考えだと思っていた。

 敵地である林の中では、例え何百人いようと魔物の群れに四方から襲われたら壊滅することだってあり得る。
 それならきっちりと要塞化した村で迎え撃つほうが、何かと好都合なのだ。

 それに一時的かも知れないが、傭兵部隊がここを拠点にすることで老人たちの生活もなんとかなる。
 戦闘が終わった後にどうなるのかは知らないが、このままここで餓死するよりはマシだろう。

 八十年も生きてるというのも、案外冗談じゃないのかも知れない。
 思わずそんな事を考えてしまうのは、アイルという実際に年を取らない存在を既に知っているからというのもある。


 やがて、簡単に今後の方針をまとめた手紙をアイルが書き終えると、ミュウはチンメイに向かって何かをブツブツと呟いた。

「チンメイさんのローブに、よほど相手に近寄られない限りはチンメイさんを認識できないように魔法をかけておきました。効果は丸一日はありますので安心してください。傭兵部隊をこちらに移動させる際は、さすがに人数が多すぎるのである程度陽動なども必要になるかも知れませんね。まあ、あのマレーダーさんは頭良さそうなので、そう伝えれば何か考えてくれるでしょう」

「俺達から見ても何も変化がないように見えますよ」

 カンタークがキョトンとしながらチンメイを見ている。

「ええ、私達からも認識できなくなったら大変じゃないですか」

 ミュウは何を当たり前のことを言ってるんだとばかりにカンタークを窘める。

「魔法ってのは便利なんっすね」

 当のチンメイも自分のローブをつまんでみたりしながら、正に狐につままれたような顔をしている。
 マレーダー大佐がここにいたら、またもや驚愕のあまり顔面蒼白になりそうなことをしているのだが、実は傭兵の三人は魔法なんてものを見たことがないのだ。

「私だから出来るんですよ? だからマレーダーさんとかに言っちゃだめですよ」

 一応念押ししておくミュウ。
 まあ、言ったところでマレーダーには力の一端は見せているので問題ないのではあるが。

 やがてチンメイはアイルの書いた手紙を大事そうに懐にしまって村を出ていった。

「さあ、それではまずはお爺ちゃん達に美味しいものを食べさせてあげましょう。大丈夫です、しばらくこの辺りには魔物は来ませんので狩りでも野草採取でも好きなように出来ますよ」

 何を根拠にミュウがそう言っているのかは一向にわからなかったが、バルトンとカンタークは林の中に食糧に出来そうな小動物を狩りに出ていった。
 
 ただ一人アイルだけはミュウが魔法を使ったあたりから、ただじっとミュウを見つめていたのだった。
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