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5 ヴィルヘルム・フォルク・アンガーミュラー

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 小城内は手狭で、そして飾り気がなかった。
 豪華なシャンデリアも絵画もインテリアもない。
 下級貴族の方が華美な内装を施しているだろう。
 ホールもまた狭く、左右に扉、正面に階段があり、吹き抜けで二階が見えるだけ。
 二階正面に両開きのほんの少し豪奢な扉がある。恐らく謁見の間だろう。
 二階の扉は左右に二つ。くぐれば廊下が伸び、いくつか部屋があるのだろうが、広さから言えば二部屋あればいい方だろう。
 シリカは興味深そうに内観を眺めた。

(住むには十分だし、何も問題ないわね……ちょっと汚れているけれど)

 うんうんと嬉しそうに頷くシリカに、守衛は戸惑いながら視線を向けた。
 守衛の案内で左側の扉を通り、手近な部屋の前で止まる。

「お連れ致しました」
「入れ」

 部屋の奥から男性の声が聞こえる。
 どうやら件の陛下がいるのだろう。
 シリカの中で緊張が一気に高まる。

(一体どういうお方なのかしら……)

 ゆっくりと扉が開かれると同時に、シリカは顔を上げて、中を見た。
 正面の机にその人物はいた。
 長い髪に痩躯。四肢は細く、およそ健康とは程遠い様相だった。
 長身でありながら病的に痩せているため、かなり貧相に見える。
 頬はこけ、それでいて眼光は妙に鋭い。
 恐らくは二十代後半なのだろうが、痩せぎすなせいで妙に年老いて見えた。

(この方が陛下……ヴィルヘルム様)

 シリカは観察するようにじっとヴィルヘルムを凝視した。
 自然と足が一歩二歩と進み、気づけば部屋に足を踏み入れていた。
 後方で扉が閉まる。守衛によるものだろう。
 二人だけの空間が生まれたせいか、シリカは我に返った。
 見惚れていたわけでも、落胆していたわけでもない。
 ただなぜかヴィルヘルムから目を離せなかったのだ。
 一般的な評価で言えば、ヴィルヘルムはかなり貧相で、おおよそ整った容姿ではなかった。

 しかしシリカは彼の容姿を評価しない。
 そんなものに大して意味はないのだと、シリカは考えていたからだ。
 ヴィルヘルムはほんの僅かに眉を顰めるも、すぐに無表情に戻った。
 どうやら執務の途中だったらしく、ペンを置くと部屋中央にある対面式のソファーに座った。
 本棚が無数にあるためかなり狭く、移動もやや窮屈そうだった。
 ヴィルヘルムが座ってなお、シリカは呆然としていた。

 不思議な感覚だった。
 一目惚れというわけではなく、彼の容姿に落胆したわけでもない。
 彼そのものに何か言いようのない魅力があったのだ。
 不可思議な求心力、というべきか。
 あるいは……運命的な感覚と言ってもいい。
 シリカは人生で初めての経験に戸惑っていた。
 同時に鼓動が異常に早いことに気づく。

(こ、これは一体、どういうことなの? 心臓がとてもうるさい……)

 不意に自分の胸に手を当ててしまう。
 熱を持ち、心は混乱し、足は感覚を失っていた。
 無作法に見つめられているというのに、ヴィルヘルムは感情を表に出さない。
 あるいは憮然としたように感じられるほど無感情に、彼は言った。

「座ってはいかがか?」
「あ! も、申し訳ありません!」

 慌ててシリカはヴィルヘルムの正面のソファーに座った。
 さっきまでとは打って変わって、シリカはヴィルヘルムを直視できなくなる。
 俯いて僅かに頬を染めることしかできない。

「……すまないな」
「い、今、何かおっしゃいましたか?」

 ヴィルヘルムの声はあまりに小さく、シリカは聞き逃してしまう。
 ヴィルヘルムの表情は変わらず、感情が読み取れない。

「何も……挨拶が遅れた。余はロンダリア国王、ヴィルヘルム・フォルク・アンガーミュラーだ」
「わ、私は聖ファルムス聖神教団聖女……元聖女のシリカと申します」
「元ということは、セイクリアの聖名は返却されたのだな」
「は、はい、陛下はご落胆なされるかと思いますが」

 聖女である、というだけで求婚は後を絶たない。
 それは聖女という肩書や地位、関連する権力を有したいという考えがあるに過ぎない。
 聖女自身にその力を行使する権利はないが、伴侶であれば色々と利用できるだろう。
 しかし元聖女には地位も権力もなく、あるのは聖女として従事したという名誉だけだ。
 むしろその名誉や実績すら、教団の意思一つで覆る可能性さえある。
 実際、シリカは追放され、聖名や聖女という肩書を剥奪、しかも力まで奪われてしまった。

(そんな私に価値を見出す人間はいないわよね)

 シリカは可能な限り冷静に現状を理解していた。
 しかし、完全には喪失感を拭えなかった。
 少し思い出すだけで胸の奥がチクリと痛んだ。

「いや、こちらからの申し入れだ。落胆などはない」

 驚き顔を見上げるシリカ。
 ヴィルヘルムの表情に変化がないため、本心か建前かは判然としない。
 だが少なくとも、噂であった『不遜』とは遠い反応であることは間違いなかった。

「シリカ殿。そちらはどうか?」
「どう、と言いますと」
「この婚姻に納得しているのだろうか?」

 おかしなことを言う人だ、とシリカは思った。
 納得しようがしまいが、シリカに選択権などない。
 仮に現役の聖女であったとしても、枢機卿が決めた結婚を断ることなどできない。
 聖女は聖神教団の傀儡なのだ。
 元聖女であればより顕著であることは明白。
 自由の身でありながら、過去のすべてが身体を縛る。
 どこへ行こうと何をしようと、教団の繋ぐ鎖が絡んでくる。
 それは恐らく、ヴィルヘルムも同じであることは、シリカには察しがついていた。

 弱体国、貧困国のロンダリアにとって、世界最大の宗教勢力である聖神教団を持つ聖ファルムスからの言は絶対。
 断ることは叶わないのではないだろうか。
 本意ではない結婚。
 しかしそれを拒絶することはできない。
 元々、シリカは拒絶するつもりもなかったのだが。
 例え、聖女だった自分を求めていたのだとしても、少しでも必要とされる場所に行きたい。
 行く宛のない人生なのだから、前向きに生きられるかもしれない土地で生きたい。
 だからシリカはもう迷わない。
 前を向き、生きるとそう決めたのだから。

「もちろんです」

 シリカの淀みない返事に、ほんの少しだけヴィルヘルムは面食らった様子だった。
 それも一瞬で、すぐに無表情に戻る。

「そうか……では、婚儀は予定通りに行うこととする。だが見ての通り我が国は裕福ではない。他国との国交は乏しく、国内に置いても催しを行うほどの余裕も必要性もない。国王と言えど婚儀を大々的に行うことはできない。そのため簡易的なものに留めての結婚となるが構わないか?」
「ええ、もちろん構いません」

 結婚に憧れはあったが、自分が主役になりたいわけでも、祝って欲しかったわけでもない。
 ただ、家族が欲しかっただけだった。

「婚儀は明日。長旅で疲れただろう。ゆっくりと休むがよい。以上だ」
「ありがとうございます」

 まるで会議のような会話だった。
 端的に要点のみを話す。
 夫婦になる二人の会話にしては無機質で感情が伴っていない。
 シリカは立ち上がると流れるように一礼し、部屋を出た。
 扉を閉め、扉に体重を預ける。

「……はぁ、びっくりしたわ」

 顔が熱く、鼓動も早い。
 胸の前できゅっと手を握ると、僅かに震えていたことに気づく。
 緊張だろうか。それとも疲労が溜まっていたのだろうか。
 シリカが、そんな風に見当違いなことを考えていると――

「シリカ様」
「ひっ!? な、ななな、なんですか!?」

 突然声をかけられて、びくっとその場で跳ねる。
 見ると六十そこそこの紳士がそこに立っていた。
 身なりは清潔でシャツとパンツ姿。
 白髪と白髭、ぴんと伸びた背筋、それらすべてが彼を執事然とさせている。
 紳士の横には素朴そうな若い娘が、緊張した様子で頭を下げていた。

「突然お声をかけ失礼いたしました。執事長のクラウスと申します。こちらは侍女頭のアリーナです。今後はこのアリーナがシリカ様のお世話をさせていただきます」
「よ、よろしくお願いいたします」

 侍女にしてはかなり若かった。
 通常、侍女はある程度の経験や実績を持ち、血筋が一定以上の者を据える。
 アリーナは下女と見間違うほどに若く、そして頼りなかった。
 まともな国であれば、あり得ない配属だろう。

「こ、こちらこそよろしくお願いいたしますね」

 どうやら、シリカが出てくるまで廊下で待ってくれていたらしい。
 ドクドクと心臓がうるさいくらいに主張していた。
 さっきまでとは違う感情が顔を出したせいか、鼓動は徐々に収まり、平常に戻った。
 一体、あの状態はなんだったのだろうか。
 シリカは首を傾げ、すぐに頭を振って邪念を払った。
 考えもわからないことは考えても意味はない。
 しかしやはり気になると、またうんうんと考え込んでしまう。
 そんなおかしな様子の賓客を前にして、執事長と侍女は顔を見合わせた。
 
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