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第十九話 人間のクズ
しおりを挟む俺とカタリナは洞窟から村へ戻ってきた。
村の北側から入ると、南の入り口に人だかりが見えた。
荷馬車に乗っている男が、作り笑顔を村人たちに振りまいている。
絹織物の衣服に、無駄に豪華な装飾品を身に着けている。
顔色もよく、でっぷりとしていた。
こんな辺鄙な村で交易をしなければならないほど、商売に困っているようには見えない。
どうやらあれが件の商人らしい。
老人たちは魔晶果の入ったカゴをいくつも抱えていた。
俺はあたりを見回した。
そこかしこに潜んでいる小さな違和感。
それは村の外にいくつも存在していた。
「……そろそろだとは思ってが、やっぱりな」
「あの、どうかしましたか?」
「いや、なんでもない」
俺とカタリナは群衆に紛れこんだ。
「わざわざこんなところまで来ていただいて、助かりますじゃ」
好々爺は笑顔で感謝を述べ、二十ほどの魔晶果を商人に渡した。
「いえいえ、これも商売ですから」
商人から手渡されたのは同数の銅貨。
魔晶果一つで銅貨一枚。
これがどれほどのぼったくりなのか、この村の誰もが知らない。
その証拠に、皆笑顔で嬉しそうに魔晶果を商人に渡していた。
「しかし本当によろしいのですかな? 儂らは助かりますが、大変でしょう?」
「確かに道中は険しく、時間もかかります。ですが商売人として、困っている方を放ってはおけません。
こういった村々でこそ商売人としての責務を果たすべきだと、わたくしは思っているのです」
「おお、おお! なんと優しきお人じゃ。儂らは幸せもんじゃのぉ」
「へぇへぇ。グロウ様といい、人に恵まれておる。ありがたいのぉ」
商人は張り付いた笑顔のまま、ピクリと眉を動かした。
「おや、グロウ様とはどなたのことですかな?」
「俺のことだ」
俺は老人たちをやんわりと押しのけて、商人の前まで歩み進んだ。
商人は俺を見るや否や、僅かに怪訝そうな顔をしたが、すぐに不気味な笑みに戻った。
「このような場所に旅人とは珍しいですね、どちらから?」
「答える必要が?」
「……いいえ。ですが少々気になりまして。この村は老人ばかりですので。何かよからぬことを企む人間が訪れないかと心配に――」
「あんたみたいな、か?」
俺の言葉をきっかけに一瞬にして空気が張り詰めた。
雰囲気を感じ取ったのか、カタリナや村人たちは戸惑っていた。
「それはどういう意味ですか?」
「俺は魔術師だ」
再び、商人の眉がピクリと動いた。
魔晶果の価値を知っているのであれば、なぜ価値があるのかも当然知っているはずだ。
魔力を回復できる唯一の果実。
購買層は魔術師だということを。
つーっと一筋の汗が商人の額に流れた。
「魔晶果は魔術国家であるレーベルンではそれなりに流通しているが、需要が高く希少でもある。
王都では一つで金貨一枚はくだらないはずだ」
背後がざわつき始めた。
村人たちが口々に一体どういうことかと話している。
「……そ、それは販売価格であり、卸売価格とはまた別で」
「手数料、運搬料、課税率、すべて加味しても金貨一枚が銅貨一枚になるとは到底思えないが?」
通常、生産者受取価格は二割から三割程度だろう。
もちろん商品の需要や商品の扱いやすさ、種類によって価格は変動する可能性もある。
だがそれでも一割切ることなんてまずない。
よほどの薄利多売でもありえない価格だ。
最低でも銀貨一枚にはなるはず。
特に、王都で需要が高い魔晶果ならば、下手をすれば四割、五割で買い上げても不思議はない。
それに果実ではあるが、腐りにくく加工しやすいという側面もある。
つまり銅貨一枚という価格はどうあがいても、ぼったくり以外の何物でもないということだ。
俺の指摘を受けて、商人の笑顔に亀裂が走る。
無知な村人を騙して金を巻き上げていたのだろうが、まさか魔術師が来るとは思わなかったのだろう。
「あ、あの今の話は本当なんですか?」
「か、勘違いでしょう? そうですよね?」
カタリナや老人たちが不安そうに商人を見ていた。
数年もの間、善人だと思っていた商人は詐欺師だったのだ。
その事実をすぐに受け入れられるわけもなく、村人たちは縋るように商人を見ていた。
商人の動揺の色が濃くなる。
そして次の瞬間、商人の顔に笑顔は消えた。
「ふふふ、いやあ、まさか魔術師がこんなところに来るとは思わなかったよ。
ジジババ共とバカな娘だけだったら、気づかれることもなかったろうね」
にやぁと歪んだ笑みを浮かべる商人。
俺に驚きはなかった。
しかしカタリナや村人たちは想像もしてなかったに違いない。
背後から感じる明らかな動揺。
彼らの中で裏切られたという負の感情が生まれていた。
「最初はね、魔晶樹を奪おうかと思ったんだ。
ただ、他にも目をつけていた馬鹿どもがいてね。そいつらは殺したからいいとして。
問題は魔物が多く生息していることだったんだ。
村人は安全な道を知っている。けれどそれは確実ではないし、そもそも護衛を頼むのも、採取に人を雇うのも金や労力や時間がかかる。
そこで俺様は考えた。村人に全部やらせてタダ同然で巻き上げればいいってね!」
高説を垂れる商人を、カタリナや村人たちは呆然と見ていた。
彼らが現実を受け入れられていないことは明白だった。
数年の付き合いがあり、それなりに交流もあっただろう。
善人だとも思っていた。
その相手の豹変っぷりに、俺以外の誰もついていけていない。
「加齢臭たっぷりな村人たちは無知で馬鹿で魔晶果の価値もわからない。
だからタダ同然で買っても気づかない。むしろちょっと優しくすれば感謝する馬鹿さ加減さ。
搾取されていることにも気づかず、ありがとうありがとうって言う姿は滑稽だったよ。
ふははははははは!!」
そうだ。
これが人間だ。
クソのような、腐った人間の姿だ。
見ろ、このクズを。
自分の利益しか考えない豚を。
他者への情なんて微塵もない下種を。
あんたら善人はいつの世も常に奪われる側だ。
俺は肩越しに振り返る。
村人たちは全員青い顔をして、絶望していた。
ああ、その顔だ。
それが見たかった。
見たかった……はずだった。
期待していたはずだったんだ。
それみたことかと、爽快な気分になるかとそう思っていた。
でも。
現実は最低最悪な気分だった。
「ふぅ、笑った笑った。で、だ。ここまで話したのには理由があるんだ。
うん、親切じゃない。わかるかな? わからないかな?
頭が足りないおまえたちにはわからないよなあ?」
商人が指をパチンと鳴らすと、村周辺の森の中から次々に男たちが現れた。
手には武器を持っており、不穏な空気をまとっている。
十人か。
老人二十人程度と小娘一人相手と考えれば妥当な数字だろう。
護衛にしては多いし、森に隠れておく必要もない。
つまりは、だ。
「この地の魔晶樹を植林して、数を増やす資金は調達できたし丁度良かったよ。
君たちはもう用済みってわけだ」
じりじりと男たちが歩み寄ってくる中、村人の誰かが言った。
「そ、そんな、わ、儂らは、だ、騙されていた、のか?」
「そうだよおおおおおおお!? まぁだわかってないんだぁ!?
だから馬鹿で無知でクズでノロマでその年まで働き続けても貧しい負け犬なんだよおおおおお!?
死ぬ前に気づけてよかったねえ? もうすぐ死ぬけどさあああ!!??!? ひゃーーはっははっ!!」
下卑た笑い声を上げる商人。
迫り来る賊たち。
俺はただただその様子を見ていた。
村人たちはうなだれ、目の前の絶望にあらがう気力さえない。
俺はその姿を一瞥し、そして小さく舌打ちした。
肥えた豚商人の言うとおり。
こいつらは負け犬だ。
騙され、金を巻き上げられ、殺されそうになっていても逃げることさえしない。
愚かで無知な奴らなのだ。
「で、君は? こいつらに手を貸すなら容赦しないけども?」
ギロリと俺を睨む商人は、明らかに先ほどまでとは別人だった。
俺は半眼で、何を思うこともなく口を開いた。
「別に。好きにすりゃいい」
そう言って、道を開けた。
「賢明だ。口止め料くらいはあげるよ」
魔術師は基本的に協会に所属する。
魔術師が殺されれば、その捜査は一般人以上に緻密に行われるし、魔術師協会を敵に回せば、どのような人間も淘汰される。
それを知っての行動だろう。
まあ、俺はもう追放されているんだが。
どうやら俺のことをこいつは知らないらしい。
俺はまだ指名手配されていないのか、手配書をこいつが見ていないのかは判断できないが。
村人と対峙し、商人と賊が佇んでいた。
まもなく、虐殺が行われるだろう。
だが、俺には関係のないことだ。
立ち向かうこともせず、迎合し、這いつくばるような負け犬を助ける義理など、俺にはない。
だが、賊たちが襲おうとした時。
カタリナが賊と商人たちの前に立ちはだかった。
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