end of souls

和泉直人

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二章6

寝返り

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  怒り。
  セーベルニーチ帝国の為に戦った兵士、あるいは戦に追いやられた難民達。
  祖国にも帰る事が叶わず、新たに住み始めた国からは冷遇を受けた。
  長きに渡り蓄積された、怒り。

  「人が死ぬぞ。大勢。あんただけじゃすまない」

  イゴールの瞳に宿る怒りそれを見て、無駄と知りつつ、俺は言う。

  「……名を聞かせてもらえないか、『牙』よ」

  唐突な言葉だった。
  正直意図が読めず、沈黙していると、

  「単なる好奇心だ。満たしてくれまいか」

イゴールが言葉を続けた。
  妙に穏やかな声だった。

  「グレイ=ランフォード」

  俺は名乗った。
  何となく悟ったのだ、彼の覚悟を。

  「ランフォード? ふむ。そうか」

  イゴールは片方の眉をぴくりと上げ、数拍考え込むそぶりを見せた。
  俺の姓に反応者は珍しい。

  「グレイ。貴君はこの国をどう思う? 何故黒犬となった?」

  彼はもう、自分の死を覚悟している。
  ならば良いだろう。

  「俺はこの国の人間じゃない。故郷と呼べる場所など無く、両親も知らん」

  その最期の好奇心、満たしてやろう。

  「物心ついた時から武器を握っていた。そうしなければ生きていけない場所にいた」

  「……」

  イゴールは待つ。

  「人殺ししか能の無い俺には二つしか選択肢が与えられなかった。牢獄で死ぬか、黒犬として殺し続けるか」

  これが彼の問いの後者の答え。

  「この国に思う事は特に無い。ただ、近しい人達には、笑っていて欲しい、とは、思う」

  前者の答えを述べながら、俺は戸惑い始めた。
  言葉がたどたどしくなっていく。
  ヴェルナー、サラ、ステラ、下町の人間達の顔が浮かんだのだ。

  「その者達が居る場所が、貴君の『故郷』ではないか」

  イゴールが静かに言った。
  そう、なのか。
  そうかもしれない、な。

  「ならば故郷を守りたい気持ちは多少は解るか」

  イゴールが言いながら、両手を軽く挙げて掌を見せてきた。
  武器は持っていない、次の行動を見ろ、という意思表示だろう。
  俺は小さく頷く。
  それを確認し、イゴールは左手で上着の懐を大きく、ゆっくり開いた。
  武器は無し。
  そして右手で、内ポケットから紙の束を取り出した。

  「それは……」

  多数の人名とおぼしき文字群、その下に赤黒い斑点。

  「私に賛同した者達のだ」

  それをこちらに差し出すイゴールの目が、再び怒りに燃え始めた。
  つまり反乱を起こしたのは『ここに書かれている者だけ』と言いたいのだろうが、

  「期待に応えられるかは保証できない」

血判状を受け取りながら告げる。
  残念ながら判断を下すのは『上』だ。

  「構わんさ」

  折り込み済み、といった表情。
  俺は紙束を胸当てと身体の、わずかな隙間にねじ込んだ。
  ここが一番安全で、確実に持ち帰る事ができよう。

  ふぅ

  どちらからともなく、ため息を吐いた。
  もう後戻りは無い。

  「イゴール=サイティエフ。叛意は明らか。王命により、斬る」

  「グレイ=ランフォード。さらばだ」

  イゴールの視線が執務机の上に置かれた、人呼び用の卓上ベルへ向く。
  俺は左手、右手と剣を抜き始める。
  イゴールが卓上ベルへ右手を伸ばす。
  その手首を左手のショートソードで打ち据え、止める。
  そして右手のショートソードを水平に振り抜く。
  その切っ先はイゴールの声帯ごと頸動脈を切り裂いた。
  噴出する返り血が迫る中、

  ごつっ

俺は左手に想定外の手応えを感じた。
  目玉だけ回して見やれば、ショートソードはイゴールの右手首を切断し、机に食い込んでいた。
  イゴール!
  卓上ベルを手を伸ばすなら、手首はだ。
  切断には至らない。
  だが彼は掌を上に、手首をにして手を伸ばしていた。
  俺に手首を切断させる為に。
  腕から離れた右手、しかし彼の執念がこもったその指先は卓上ベルを突き落とす。

  りぃぃぃん!

  床に落ちた卓上ベルは、高く澄んで響き渡る音を発した。
  同時に返り血が俺の顔に降りかかる。
  やられた。

  「イゴール様!?」

  即座に部屋のドアの向こうに反応があった。
  護衛の兵士だろう。
  俺はショートソードを二本まとめて左逆手に持ち替え、窓へ走る。
  その背後で執務室のドアが開く音がする。
  両腕を顔の前でクロスさせ、肘から窓へ突っ込む。

  がっしゃぁぁっ!

  はめ込まれたガラスが弾け飛び、木製の枠も折れて砕ける。
  二メートルほど先には、この邸宅を囲む塀がある。
  俺は窓を囲んでいた下方の壁を蹴り、塀へ。

  「奴だ! 追えっ!」

  空いた右手で塀の上端を掴んだ所で、窓から兵士が俺を指差す。
  左足で塀を蹴り、右腕で身体を引き上げ、右足を塀上端にかけ、そのまま乗り越える。
  着地したそこに、

  「なんだよ、結局殺したのか」

のんびりした、気に障る声がかけられる。
  クワイエト。
  お前が居ると話などできない、と外で待機させていたのだが。

  「俺が行っても変わらなかったんじゃねぇの?」

  ニタニタ笑うその面、ああ、殴りたい。

  「任務は終わりだ! 逃げるぞ!」

  手袋に包まれた右手の甲で、顔の返り血を拭いながら叫ぶ。
  そこかしこから呼子笛が鳴らされ、大勢が激しく動く足音も聞こえる。
  ここは街の中心部だ。
  早く移動しなければ、全方向から囲まれる。

  「ま、やっと暴れられると思えば悪くねぇな」

  にもかかわらず、クワイエトはそれぞれの手でジャマダハルを抜く。
  確かにこいつの戦闘面での能力は高いのは認める。
  だがこの状況では……。

  「証拠は俺が持ってる。このまま脱出するつもりだ。殿しんがりを任せるぞ」

  割り切ろう。
  戦いたいと言うのなら、やりたいだけやらせる。

  「おうおう、逃げろ逃げろ。お前にゃ似合いの役目だ」

  もうクワイエトは俺を見ていない。
  来る流血の事態を、心底待ち望み、思い浮かべている。
  長官はこういう役割分担を見越していたのか。
  なら、正解だったという事だ。
  俺は汚れたショートソードをコートの内側へ隠して、振り返らず走り始めた。
  足元は石で舗装されている。
  ここまでしっかりと舗装されている領はそれほど多くない。
  さほど不便が無いからだ。
  しかしここは違う。
   雪解けの時期になれば、土の道はぬかるみ、歩けたものではないのだろう。
  石造りの、ほぼ平屋のみの町並みも、雪の重さに耐えるためだろう。
  物資や労働力が乏しくとも、このような工夫をしなければ生活できない。
  この地で生きる厳しさが、街並みからも読み取れる。

  ぴっ! ぴぃぃっ!

  合図の笛だ。
  しかもこれは『ケルベロス』の、『耳』の使う笛の音だ。
  この街で消えた『耳』が生きていたのか。
  だが、この音にこめられたが読み取れない。
  俺が知る符号に一致するものが無いのだ。
  戸惑う俺の耳に、

  「この辺りだ!」

  「近いぞ!」

近づきつつある、サイティエフの騎士の声が届く。
  これは、まさか……そういう事なのか?
  大通りを避けて走っていた俺の前に、騎士の集団が立ち塞がった。
  俺は左手で握り、隠していたショートソードを、両手で持ち直す。
  消えた『耳』は、イゴール=サイティエフに寝返った。
  そう確信しながら。
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