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【清掃日誌68】 夫妻
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一躍、時の人となったカロリーヌ姫はいつの間にか姿を消していた。
主役不在のまま感謝祭は最終日を迎える。
初日のコンペに顔を出して以来、俺は一度も会場に足を運んでいない。
首長国から拾って来たネリーの身元引受手続きは煩雑で、特に必要書類が膨大だったからだ。
「先輩の御陰徳には、ただただ頭が下がるのみです。」
『単なる巡り合わせさ。』
役所の手続きに苦しんでいた俺達に助け舟を出してくれているのは、大学の後輩でもある首長国第九王女のオーギュスティーヌ。
心無い人は《学者姫》と彼女を揶揄している。
『首長国に帰るのか?』
「ええ、これ以上居ても憎まれるだけですから。」
まさしく一発勝負。
この姉妹は祖国に逆転の芽を残す為に全てを賭けて敵地で戦い抜き、見事勝利した。
多くの者はその戦果に気付きもしないだろう。
『羊クズ乳、美味しかった。
あれ、多分帝国人の口にも合うよ。
俺が連載持ってるタウン誌にもそう書いておく。』
「…感謝申し上げます。」
後輩は丁寧に頭を下げる。
勿論、俺の首長国への憎悪を察した上で。
『いつか、両国が手を携えて歩む日が来るのかな。』
「私は願っております。
いつか、また先輩が助けてくれるとも信じております。」
『俺にそんな徳はないよ。』
「貴方が我が国民、ネリー・クルーゾーを助けた事により。
あの男の計算は大きく崩れました。
今頃は事態の収拾に慌てていることでしょう。」
『政治犯1人の放出にそこまで動揺するかな?』
「詳しい事を申し上げる事が出来ないのですが
超法規的な運用が裏目に出ているのです。
策士策に溺れた、とのみ申し上げておきますね。」
『ふーん。
みんな大変だね。』
後輩は父王を《策士》と評しているが、俺に言わせればこの女自身も相当な策略家である。
その言葉を鵜呑みする事は出来ない。
彼女が今語った言葉は、俺を納得/油断させる為のストーリーという線もかなり濃厚である。
三姉妹と父王の葛藤。
これも計算されている気配を感じるのは俺だけだろうか?
聞けば、カロリーヌ三姉妹は父王から相当な不興を蒙っており、娘の反抗的態度への懲罰として生母の遺品が全て焼き払われ、墓もジェリコ城壁外に移されてしまったとのこと。
今丁度、ソドムタウンにその話が伝わって来ており、民衆は悲劇のヒロインたるカロリーヌにますます同情し
「補助食糧位なら採用してもいいんじゃないか。」
という愚かな世論が沸き上がっている。
話が今回のコンペにとって都合が良過ぎる。
ルイ王程の策士なら、ここまでは織り込んで振舞えるだろう。
カロリーヌの憂いを帯びた表情も、或いは父の策を看破したが故であったのかも知れない。
ともあれ。
キーン派が必死に道理を説いているが、所詮役人如きは小利を知って叡智を持たぬ生き物である。
そして愚民は情緒でしか物事を判断出来ない。
あっさりと国是を曲げるだろう。
間もなく首長国は《自由都市軍装の決定に関与した事がある》という大きな前例を手に入れる。
ここから先は天才独裁者と小役人・愚民の勝負。
勝ち目はない。
城壁は、崩れた。
「きっとお怒りでしょうね。
先輩は物が見通せる方なので…」
婉曲に後輩が詫びて来る。
『是非も無い。
これからも俺は俺のベストを尽くすだけだ。』
オーギュスティーヌは深々と頭を下げ馬車に乗り込む。
彼女もカロリーヌも祖国に帰り、今度は父王と対決しなければならない。
別れ際、俺達の共通の後輩が正式に連邦に帰還した事を知らされる。
ああ、いつぞやの美丈夫か。
「ルドルフは先輩に正式に挨拶出来なかった事を悔やんでおりました。
論文《国土論》も直接献本したかったらしいです。
ポール・ポールソンからは本当に多くを学んだのに。」
『学問も思想も波のようなものだよ。
そこまで想ってくれたなら、それはとっくに伝授済みという事だし。
そこまでの理念を持った治世は必ずや次代の若者に引き継がれる事だろう。
俺個人に惜しむ程の価値はない。』
馬車がゆっくりと進む。
車内のオーギュスティーヌが優しく笑った気がした。
それはきっと年齢相応の、彼女本来の笑顔だったのだろう。
さらば誇り高き姫君よ。
もう逢う事もないだろうが、君達の幸福を願っておくよ。
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さて、俺も俺の幸福を追い求めている素振りくらいは見せておくか。
『いつもスマンなジミー。』
「いえいえ、これくらいお安い御用です。」
もっとも、最近は素振りすらもジミーに丸投げしているのだが。
感謝祭でポールソン家が確保していたVIP席は、《ポールくん(39さい)苦情受付窓口》となった。
受付は当然ブラウン夫妻が務めた。
「ポール殿への苦情の多い事多い事。
拙者もヘンリエッタも一生分の頭を下げました。
まあ、みんな半分笑ってましたがな。」
『本来オマエラの新婚披露の筈だったのにな。』
「ある意味、わかりやすい披露になったでしょう。
これからもブラウン夫妻は、ポール殿をフォローし続けるでゴザルよ。」
『それ、オマエに何のメリットがあるんだよ。』
「面白い!
そして来年はもっと面白くなっている筈です。」
『これ以上俺が面白くなったら世界が滅ぶわ。』
「いいじゃないですか。
人類一丸となって爆笑出来るのなら、世界だって喜んで滅びますよ。
あ、そうだ。
リストに名前のあった御婦人全員に
《ポールくん誠意チラ見せチケット》を配布しておきましたぞ。
有効期限は(40さいになるまで)としておきました。」
『うむ。
じゃあ、1年どこかに身を潜めるか。』
「誠意の欠片もない御仁ですな。」
ちなみに俺の余命は体感で残り1年だ。
『女性陣はどうしてるの?』
「ポールソン家の区画に居座って動きませんな。
ポール殿の顔を見るまでは退去しないそうですよ。
エミリー殿は指名手配中なのでややおとなしいですが。」
『まだ捕まってなかったのか。』
「レニー殿が証人を恫喝して回って
何件かの告訴が取り下げられたらしいです。
捜査は難航しそうですな。」
『もうすっかりマジモンのヤクザだな。』
「本人たちは《ポール殿の妻に相応しくなるために女を磨いている》と言い張っておりました。
一度、厳しく叱責してやって頂けませんか?」
『アイツらには義理があるからなあ。
今のこの命もアイツらに拾われたものだし…
まあ、いいや。
鎮静化の方法を考えておく。』
「鎮静化と言えばノーラ殿も早急に何とかして下され。」
『ノーラ?
あの子は普通だと思うけど?』
「普通!? アレを普通!?」
『??』
「ノーラ殿が元締を務める冒険屋は、この数か月で急速に肥大。
今や我が国最大のギャング組織となっております!」
『まさかあ。
あそこにいるのって年若い女の子ばっかりだよ?』
「その年若い女子が毎週冒険者ギルドや傭兵団と合コンしてるんでゴザルよ。
どんどんヤクザカップルが誕生しております。
10年後、いや来年には誰も手を付けられない超巨大地下組織に発展している可能性があります!」
『大袈裟だなあ。
わかった、ノーラには注意しておくよ。
あの子には義理があるしな。』
「絶対わかってねぇ~。
ノーラ殿は最優先で何とかして下されよ?
あの少女が権力と結託した瞬間に、この街は陥落しますからな!?」
『わかったわかった。
ジミーは心配性なんだよ。
じゃあ、エミリー・レニー・ノーラには…
まあ、頑張るわ。』
「それともう一人。」
『?』
「ギリアム殿の妹君。
完全武装で乱入してきましたぞ。
幾ら田舎者とは言え言語道断の所業なのですが
何と、会場に平然と騎馬で乗り込んで参りました。」
『え? シモーヌ?』
「自分はポール殿の妻だからこの席に座る権利がある、の一点張りで。」
『えー、俺あの子と結婚とか…』
「してないのでゴザルよな?」
『プロポーズしただけだよお。
正妻として迎えるって言っただけだよお。』
「してるではゴザランかぁーーーッ!!」
『ゴメンゴメン、忘れてたw』
「まずいでゴザルよ。
シモーヌ殿はギリアム殿の罪と敵を相続している状態でゴザル。
普通に地方州で敵対者を殺してから、こっちに来たみたいでゴザルぞ!
あの婦人とだけは関わってはなりません!!」
『そうは言われてもな。
ギリアムから託された女だからな。
まあ、何とかするわ。』
ギリアム。
我が師、我が兄、我が最愛の友。
その忘れ形見なら、何とかしなければな。
「妻と言えば、メアリ殿もです!」
『?』
「メアリ殿にも求婚していたそうではありませんか!」
『ああ、したね。』
「今回の感謝祭!
ポール殿はレーヴァテインと共に参加しておりました。
これ実質、ムーア家の入り婿的な立ち回りですぞ!」
『まあ、実際。
俺ムーア店主の事は父親のように思ってるからなあ。
随分義理もあるし。』
「なのでメアリ殿は周囲と揉めてます!!
何せ本人は我こそが正妻と思ってるのですから!
ポール殿がそういうプロポーズをしたと言い張っているのでゴザルから!」
『ああ、そういうニュアンスで求婚したかな。
まあ、頑張って話の落としどころを探るよ。』
「落としどころと言えばニックの姉君!」
『ん?
ナナリーさん?
あの人は来れないだろ?
キキちゃんもまだ小さいし。』
「そのキキ嬢でゴザルよ!
ポール殿の肖像画を見るなり
《パパ、パパ》と喜び出して
今、ちょっと洒落にならない雰囲気になっております!」
『えー、俺がナナリーさんに会った時
もうキキちゃんは生まれてたぞ。』
「…ナナリー殿も覚悟を決めたということです。」
『まあ、ニックには義理があるからな。
ナナリーさんの事も何とかするわ。
せめてキキちゃんにちゃんとした嫁ぎ先を用意するまでは、な。』
「義理と言えば、ソーニャ嬢でゴザル。
ポール殿の為にレジエフ家にあそこまでさせたのですから…
完全放置はマズいですぞ。」
レジエフ家なあ。
100億ウェン帝国に返させた件か、帝位継承権を放棄させた件か…
『クレアの奴も五月蠅いしな。』
「我が国に居住している旧リコヴァ流は今、形振り構わず後ろ盾を探しております。
それが…」
『俺?
こんな事は言いたくないが…
母さんの実家を滅ぼしたのがまさしくリコヴァ流なんだがな。』
「だから彼らはヴォルコフ家の名誉復旧も絡めて…」
『俺みたいな奴が生まれて来た時点で名誉もクソもないだろう。』
「…ノーコメント。」
『まあ、色々あるみたいだけど義理は果たすよ。』
「あ、1人孤児が紛れていたのですが…
一応、ポール殿から世話をするように頼まれていたビッキー嬢です。
念の為、末席に座らせてはいるのですが。
どう扱っていいのか分らず。」
『義理がある。
他の女達と同等に扱ってくれ。』
「?」
『託された。
そういう事だ。』
「承知しました。
周囲にも言い含めておきます。」
名も知らぬ売僧よ。
オマエはオマエの正義とやらを勝手に貫け。
俺は俺でオマエの心残りを勝手に救ってやる。
親無し子が奴隷に落ちない社会…
いいよ、作ってやる。
俺の残りの寿命をくれてやろう。
問題はノーラの手法こそが最善という点なんだがな。
ギャング呼ばわりされようがどうしようが、徒党を組んで社会が無視できない存在になってしまう。
本人達にとってはそれがベスト。
もう孤児問題はノーラが解決済なのだ。
だから、俺はもっと穏健な代案を提示する。
保護者の居ない子供がギャングにならずに済む道を。
ジャック・ポールソンの息子には、きっとその義務があるのだ。
「以上がポール殿争奪戦のメンバーです。
独断で申し訳ありませんが
ポール殿がどこかに一家を構えたら全員を招聘する、と勝手に約束しておきました。」
『全員!?』
「そういう事にしないと場が収まりませんから。」
『全員って、どうするんだよ?』
「ハーレムでも作れば良いではないですか。
子供の頃はそういう妄想を得意気に語っておられたでゴザロウ?」
『それは絵巻物の話だ。
そりゃあ、男は大抵ハーレムを夢見るけどさ。
現実でやってるのは首長国の…
あ。』
「…ポール殿なら政治活用出来ると踏んでの判断でゴザル。」
この現代社会でハーレムを実際に作っているのは、首長国王くらいのもので。
マーサが国を追われたのも結局は、ルイ王即位に伴うハーレム構築作業で原因で…
『そっか、ありがとう。
じゃあ、世論誘導に使うよ。』
「首長国も災難でゴザルな。
理由もわからぬままポール殿に噛みつかれ続けて…
すっかり国際的地位を落としてしまいました。
マーサ殿の件を知っているのは、今ではもう拙者とキーン社長くらいのものでゴザルか…」
『ペラペラ話すようなことでもないだろう?』
「ですな。」
2人で黙って空を見上げる。
ルイ王には知る由もないだろう。
自身のハーレム構築作業の被害者が異国で乳母となり、その子が昏い憎悪を40年燃やし続けているなどと。
その俺がハーレム?
笑ってしまうな。
「御婦人方はポールソン・ハーレムにかなり乗り気です。
あ、嫌そうな表情をしないように。
また刺されますぞ?」
『子供の頃からの夢という事にしておくよ。
まあ、大抵の男にとってはそうなんだろうけどさ。』
「さて、馬車が来たようですな。」
『オイオイ。
あれ、新婚用のお披露目馬車じゃないか。
それもなんだあの装飾は!?』
「ヘンリエッタがロマンティストでしてな。
ああいう白馬の王子様仕様の馬車を強請られたのですよ。
まあ、感謝祭の間は受付に専念して貰いますが。」
『スマンな、俺なんかが借りてしまって。』
「年齢順でゴザルww
大先輩のポール殿に先に幸せになって下さらねば…
拙者も肩身が狭いでゴザルよ。」
ジミーが貸してくれる馬車は…
封建国家の王子か、共和制国家の馬鹿ボンボンが好みそうな浪漫仕様だった。
『あー、これ女が好きそうなデザインだな。』
「ヘンリエッタ渾身のデザインでゴザル。
ロットガールズも総力を挙げて手助けしたみたいでゴザルな。」
『普段モンスターイラスト描いているオタク女子も…』
「そりゃあ、理想はこちらでゴザロウな。」
『クレアもこういうの描く訳?
アイツ、商売にしか興味無さそうだけど。』
「甘いでゴザルなぁ。
アレはポール殿にしか興味がないのでゴザルよ。
ああ見えて白馬の王子様願望強いですぞ?」
『わからんな、女というものは。』
「女性陣も常々ポール殿をそう評しておりますぞ?」
『そう?
俺ほど分かりやすい男も居ないと思うが。』
「うーーーん、ノーコメント。」
『馬車、用意してくれてありがとうな。』
「…本当にやるのですな。」
『たまには自由にさせてくれ。』
「たまには!?」
驚くジミーに手を振り馬車に乗り込む。
御者は見知った顔の老人だ。
俺が生まれる前からブラウン家に仕えており、アネクドートを帝国に返還するまでの世話を任せてもいた。
『どうもスミスさん。
毎度、申し訳ありません。』
「いえいえ。
まさかポール様の晴れ舞台に立ち会えるとは。
本当にやるんですか?」
『色々すみません。
貴方にとっての不名誉になってしまうと思います。』
「ふふっ、当家の人間はみな
ポール様は更に御出世されると信じております。
今や押しも押されもしない騎士階級ですからな。」
『俺なんかが騎士を名乗っては、ちゃんとした騎士達に悪いですよww』
笑い合いながら馬車に揺られてソドムタウンの景色を眺める。
ゆっくりと中央区の自宅へ向かう。
感謝祭期間ということもあって、街を行く人々の顔はどこか晴れやかだ。
途中、面識のあるゴブリンの一団を見掛けたので手を振り合う。
色々あったが、彼らも冠婚葬祭の日くらいは、街中に入る事を許されるようになった。
だが、あくまで態度は遠慮がちである。
やはりクレバーな連中だな。
来年の王国侵攻で滅亡不可避と言われている彼らだが、案外凌いでしまうかも知れない。
ポールソン家の門前。
その王国に侵攻する気満々の男の馬車が停まっていた。
『ドナルド。
こんな所で何してるんだ、アンタ。
感謝祭で演説するんだろ?』
「いや、オマエの御父上の御具合が悪いから。
会場に向かう前に様子を見ておこうと思ってな。
今、鎮静剤を渡してきた。」
『お、おう。
いつもゴメンな。
…なあ、何でアンタって
いつも父さんに色々気を遣ってくれる訳?』
「オマエの親不孝のバランスを取る為に決まっとるだろうが!!!!」
『ひ、ひえっ
ゴメンゴメン。』
「あのなあ、ポール。
あまり他人様の家庭に口を出すつもりは無いんだがな…
少しは御両親に孝行しろ!
ちゃんと公職に就いて、ちゃんと伴侶を迎えるのだ!」
『また、それかよ。』
「…本当はエルデフリダがお似合いだとは思うのだがな。」
『嫁を押し付けるのやめーや。』
「今、向かいのカフェで時間を潰させているのだが
逢って行くか?」
『…イラン。』
しばらく門前でドナルドと首長国の件を報告し合う。
ネリー・クルーゾーの保護について、再度念を押す。
「いやあ、それにしてもオマエの冒険譚は素晴らしいな。
男として憧れるよ。
御母上は泣いておられたけどな。」
『冒険もクソもハニトラ踏んだだけだよ。
首長国にはやられっぱなしだ。』
「ふふふ。
オマエが大冒険を楽しみ過ぎた所為でな
私の王国出張が皆から反対されて困っとるww」
『なあ、本当に行くのか?
今の王国って政治的にかなりゴタゴタしてるだろ?
坊主に政治を乗っ取られてるとか。
魔界侵攻を大義名分に大規模召喚を計画してるとか。
地方では領主同士の内戦が公然と行われてるとか。
ロクな話を聞かんぞ?
実際、もう一部の姦商が富の持ち逃げを始めてるらしいじゃないか。』
「ああ、内外の世論が逃げる王国商人を滅茶苦茶にバッシングしているな。
まあ今までの経緯を見れば当然だが。
でも横から見ている分には面白い状況だと思わないか?
私に尻ぬぐいばかりをさせて、オマエばかり騒動を楽しんでるからな……。
こっちだって派手に冒険を楽しみたい。
よーし、やる気が湧いて来た。
オマエを遥かに凌駕する大功績を挙げてみよう。」
『向こうの大臣を引き抜くとかやめろよ?
マジで戦争になるぞ?』
「え?
何で私の構想知ってるの?
オマエに言ったか?」
『やめーや!!
相手の閣僚引き抜くとか宣戦布告と一緒だぞ!』
「ははは、オマエは真面目だな。
わかったわかった。
閣僚には手を出さないよ。
引き抜いてもクレームの付かない立場の人間を引き抜くよ。
あ、王国一の大富豪とかどうかな?
そんなことしたら、今の王国の状況なら絶対財政破綻しちゃうな。
あっはっはww」
コイツ、年々幼稚になってくるな。
昔はもっと老成した男だと思ってたのだが
俺やハロルド君がどれだけ諫めても聞く耳を持たないし…
『まあ、アンタへの説得はハロルド君に任せるわ。
彼、最近はすっかり大人だしな。』
「アイツなあ、すっかり口うるさくなったよなあ。
誰に似たんだか。
まあいい、家督とオマエはハロルドに譲るわ。」
『俺はアンタの私物じゃねぇ!』
「安心しろ。
エルデフリダとキーン不動産はオマエにくれてやる。」
『…勘弁してくれ。
王国から帰ったら執行部入りだろ?
頼むから、もう少し公人としての自覚を持ってくれよ。』
そんな軽口を叩き合って笑う。
いや、勿論笑えないんだがな。
「なあ。」
『ん?』
「オマエ、正気なのか?」
『本気だよ。』
「そうか…
子供の頃からずっと言っていたものな。
オマエって有言実行で、公約は全て果たしているから凄いよ。
世間には色々言う者も居るが、私は尊敬している。」
『今から皆に軽蔑されてくるよ。
石を投げられて殺されるかもな。』
「…フォローはしておく。
極力、世論も抑えてみるつもりだ。」
『なあ、ドナルド。』
「ん?」
『昔から面倒見てくれてありがとうな。』
「友達だろ?」
『…ありがとう。
アンタが居てくれたから、俺は何とかやってこれた。』
さて、友達の顔に盛大に泥を塗りますか。
俺はポールソン邸の扉をゆっくりと開けた。
ポーラの奴はロベール君がちゃんと連れ出してくれているようだな。
我が最愛の義弟よ、これからもポーラを引き付けておいてくれ。
邸内には、父さんと母さん。
そして…
『父さん。
起きてて大丈夫なの?』
「…いや。
生きているのが不思議なくらいだ。」
『ふーん、奇遇だね。
親子の絆を感じるよ。』
「…感謝祭、活躍したようだな。」
『首長国のお姫様の引き立て役になっただけさ。』
「詳細は聞いている。
オマエの功績は大きい。
少なくとも国粋派は絶賛していた。」
『きっと政治には反映されないだろうけどね。』
「…表の馬車は何だ?
新婚仕様にも見えるが、親に伴侶でも見せに来てくれたのか?」
『意外だな。
父さんは、ああいう浮ついたの嫌いだと思ってた。』
「あまり好まぬがな…
だが、息子が身を固めてくれるのなら、もう相手は誰でもいい。」
『…そっか、誰でもいいか。
父さん。
今日はマーサを迎えに来た。』
「マーサ?
マーサ・ニューマン?
当家で雇用している?」
『うん。
あの馬車にマーサを乗せたい。
勿論、妻として。』
我が父ジャック・ポールソンはしばらく停止していたが、数秒後に不意に再起動して俺を殴り倒した。
「ハアハア!!
ハアハア!!
お、お、、お、オマエという奴は…」
床に横たわった俺は、あまりに軽くなってしまった父さんの拳にただ驚く。
文字通り徒手空拳で這い上がった男は、全てを与えた息子に人生全てを駄目にされた。
結局、俺は公職には一生就かないだろう。
父さんの《息子が公職者となり国際社会の大舞台で大活躍する》という妄想は決して現実化しない。
ゴメンな父さん。
俺なんか器じゃねーよ。
『…痛てて。
マーサも勤続40年だ。
こんなに働かせるなんて酷いだろう。』
「酷いのはオマエだ!
私だって乳母の雇用期間はせいぜい5年を見ていた!」
『じゃあ、何で40年も雇ってるのさ。』
「オマエが乳離れ出来ないからだろーーが!!!!!!」
意外なる事実。
その反論は予想していなかった。
『…ええ、悪いの俺?』
「どれだけオマエは!!!」
そこまで言い掛けて父さんは咳き込んでしゃがみ込む。
ああ、この人マジで死に掛けてるな。
良かった、年内に死んでくれれば息子の俺が先立つという最大の不孝を犯さずに済む。
父さん、何とか来年まで粘るから安らかに眠ってくれ。
「何をやっているのですか!!!」
背後から、ゲッ母さん!!
「テ、テオドラ…
何も言わずにポールを殴れ!
今まで甘やかし過ぎた!」
母さんは余程の貞婦なのか、助走をつけて俺を無言で殴り倒す。
『ぐべえあお!!』
流石は武家の娘である。
拳に一切の迷いが無い。
「事情は知りませんが、知ればきっと母はオマエを許せなくなるでしょう。」
『ぐへっ ごほっ!』
い、痛い。
母さんは長生きしてくれそうだな。
どうか先立つ不孝をお許し下さい。
「て、テオドラ…
ぽ、ポールの奴が。」
父さんの言葉を聞いた母さんは何とか起き上がった俺をもう一度殴り倒してから泣き崩れた。
そりゃあね、息子がこんなんになったら誰だって泣くわ。
「奥様!
これは一体!?」
そして二階から降りてきたマーサが父さんと母さんを介抱し始める。
『ま、マーサ。
俺も結構ダメージ大きいんだけど。』
「…望んでそうされたのでしょう?」
お見通しか。
そりゃあ、40年俺を見守ってくれてる人だからな。
『マーサ。
今日は感謝祭だ。
それも最終日。』
「存じております。」
『貴女を迎えに来た!』
俺のどこにそんな胆力・膂力があったのかは知らないが、強引にマーサを抱え上げて玄関の馬車に戻る。
呆れ顔のドナルドに両親の介護を依頼する。
「一国の閣僚になるくらいでは、この不孝の埋め合わせは出来ないぞーww」
どうしてあんなに嬉しそうなんだ、アイツ。
『スミスさん!
想い人を連れて来ました!
感謝祭会場まで!』
「えーーー。
本当にやるんですかい?」
『これからは自由に生きる事に決めたんです!』
「うーーーん、
ポール様は御幼少の頃から、割と好き放題しているように思えるのですが。」
ブツブツ言いながらスミス氏は馬車を走らせてくれる。
使用人同士の面識がある所為か、マーサとスミス氏は呆れ顔で俺を見ながら善後策を協議し始めていた。
『マーサ!!
スミスさんとばっかりおしゃべりしないで!!』
「坊ちゃん、これは仕事なのです。
使用人は主家を守るために、緊密な連絡を行う義務があります。」
「いやー、懐かしいですなー。
覚えてます?
ポール様が子供の頃もこういう遣り取りしたんですよ?」
『もう!!
マーサの前で子供扱いしないで!!』
スミス氏は優しく微笑みながら「本当に懐かしいなあ」と再度呟いた。
くっそー、どいつもこいつも俺をガキ扱いしやがって。
『大体、おかしいんだよ!
40年も乳母のままって、どう考えても異常だろ!?』
「…それは
坊ちゃんが泣き叫んで私の留任をせがむので…
私も辞めるに辞められず…」
『あれ?
そうだった?』
「それは酷いものでした。」
『ま、まあ。
子供の頃って、偏執的な愛情を抑制できないものだからさ。』
「何を仰いますか?
去年も一昨年も随分なものでしたよ。
おかげでポーラお嬢様の風当たりが年々厳しくなって参りました。」
あ、あれ? 去年?
ああ、そっか。
俺が床に転んで《ヤダヤダ、マーサが居なくなるのはヤダ》って手足をバタバタさせて泣いてたら、ポーラに滅茶苦茶怒られたな。
『妻として貴方を迎えたい。』
俺は率直にそう伝える。
マーサはしばらく沈黙した後。
「…正気の沙汰ではありません。」
と答えた。
俺は少し凹む。
「…でも、約束を覚えて下さったのですね。」
『うん。
一日たりとも忘れた事はないよ。
《一人前になったらマーサをちゃんとした嫁にしてやる》
って言っただろ?
だから、貴女を妻として迎えに来た。』
「…一人前なのですか?」
『う、そ、それは…
ちょっと怪しい。
でも、半人前ラインは越えて来た!
そんな気がする!』
最近、やや大人になった気がする。
うん、何かそんな気がする。
動揺している俺を見てマーサが笑う。
それは久々の彼女のリラックスした表情だった。
「まだ何も知らぬ少女の頃。
勇ましい騎士に迎えられて、その妻となる事を夢見ておりました。
農奴の私には過ぎた夢だと、随分周囲から笑われたものですが…
夢が叶ったのかも知れませんね。」
『そっか忘れてた。
俺、騎士だから一人前だ!』
「ふふっ。
御自分のお仕事を忘れているうちは、まだまだ大人ではありませんよ。」
…そっかあ。
大人になるのは難しいなぁ。
等と考えていると、馬車はいつしか感謝祭会場に入っていた。
馬車を覗き込んだ群衆が一様に愕然とした表情で硬直している。
そりゃあね。
新婚披露会場に乳母を連れて来る馬鹿は、後にも先にも俺くらいのものだろう。
「アンタに幾ら賭けたと思ってるんだ!」
「脳味噌腐ってるんじゃねえか、テメエ!」
「おい! これは無効だろ! 賭金を返せよ!!」
「このマザコン野郎! 週給全額賭けたんだぞ!!」
周囲の様子を見ると、俺の相手を予想するトトカルチョが開催されていたらしい。
配当表を地面に叩きつけて悔しがっている男にオッズを聞く。
==========================
【ポール・ポールソン花嫁予想】
1位 クレア・モロー
2位 ポーラ・ポールソン
3位 元嫁
4位 エルデフリダ・アチェコフ・チェルネンコ
5位 ソーニャ・レジエフ
==========================
色々突っ込みたい事はあるのだが、世間はそんな風な目で俺を見ているらしかった。
よくこんな糞ギャンブルに週給を賭ける気になったな…
馬車はゆっくりと会場を進み、VIPエリア前のメイン通りを進む。
ポールソン家やブラウン家の大きな座席区画が見えてくる。
「坊ちゃん。」
『んー?』
「女性ならあんなに居られるではありませんか。」
『増えたねー。』
「貴方はむごいお方です。」
『そうなのかな?』
俺、誰も傷つけないように頑張っているだけなのにな。
昔から何をやっても上手く行かない。
「坊ちゃんは…
きっと、遠くない未来に更なる大役を得られる事でしょう。」
俺に声を掛ける群衆を遠い目で眺めながらマーサはそう言った。
『俺は器じゃないよ。』
「…韜晦はおやめなさい。
もう御自身の事は理解されておられるのでしょう?」
『…まあな。
大抵の仕事は俺がやった方がマシだ。
利権が絡む仕事は、他の奴にはやらせない方がいい。
世の中は泥棒ばかりだから。』
「後は、御自身の使命を果たしなさい。
それが坊ちゃんの生まれて来た理由です。」
『マーサ。
俺は生きていいのか?』
「…約束して下さい。
生きる、と。」
『…そうだな、貴女の為なら。』
ジミーが言っていた通り、ポールソン家の席には女共が揃っている。
皆が握りしめている紙片が《ポールくん誠意チラ見せチケット》なのだろうか?
女共は一瞬激昂し掛けたが、マーサの顔を見た瞬間に何かを察したのか…
微妙な表情で唇を噛んだ。
『やあやあ皆さん
お揃いですな。』
場の緊張をほぐす為に軽妙な声色を使うも、物凄く怖い表情で睨まれる。
おいおい、御婦人がそんな顔をするもんじゃないぜ。
『母のマーサだ。
今、求婚したが断られた。
しばらく2人きりでのんびり暮らそうと思う。』
誰も何も言わず、目を見開いたまま硬直している。
女共とは対照的に周囲の群衆は口々に何事かを叫び怒ったような表情をしている。
すっかりリア充イベントと化した感謝祭と言えど、元々は神事だからな。
《母に求婚》とか最悪の冒涜だよな。
「ポール様、この雰囲気はヤバい。
一旦、会場を離脱しますよ!」
『えー、そうかな?』
「世論を刺激し過ぎです!!」
『そうかなあ?
俺、結構愛されキャラだと思うんだけどな。』
俺の読みはまあまあのもので、これだけの暴挙を犯しながらも、石礫は10発位しか飛んで来なかった。
ほらね。
日頃の行いってやつさ。
「坊ちゃん。
求婚というのは本気なのですか?」
『本気だよ。
ここ40年くらいずっと言ってるだろ?』
「例え義理とは言え、母子が契るなどあってはならない事です。」
『やっぱり義理でも駄目かな?』
「…人倫の道から大きく外れております。
獣畜生にも劣る天への反逆は、必ず天下を乱す事でしょう。
古来より、為政者が母親と関係を持った時は必ず天下に大乱が起きました。」
『俺は庶人だ。
別に役職に就いている訳でもなんでもない。
天下は大袈裟だよ。』
「…坊ちゃんの事は私が一番知っております。
ポール様は天下の枢要を預かる運命にあるのです。」
俺はマーサにキスをしようとするが、あっさりとかわされる。
だが、俺の肩に頭を預けてゆっくりと目を閉じた。
こんなに安らかな彼女の表情を見たのは生まれて初めてかも知れない。
「これからどこに行きますか?」
振り返らないよう気を遣いながらスミス氏が尋ねて来る。
『礫の飛んで来ないところ。』
「了解、世界の果てを探してみます。」
きっとそれは冗談ではないのだろう。
馬車にめり込んだ礫の跡を見れば、己の踏み込んだ立場はよくわかる。
俺とマーサは固く手を握り合いながら、静かに身体をもたれ合わせた。
目を開けば街の喧騒は、まるで俺達を責めているようにさえ聞こえた。
思わず2人で同時に笑う。
今に始まったことではないではないか。
『マーサ。』
「はい、ポール様。」
『今晩、何か食いたいものはあるか?』
俺の名前はポール・ポールソン。
39歳バツ1。
決まった仕事には就いていない。
ポールソン清掃会社の御曹司と言えば聞こえはいいが。
要は掃除屋の子供部屋おじさんである。
色々やらかして子供部屋には戻れなくなった。
見える範囲の掃除は充分に果たした。
だから清掃日誌の最期のページはオマエラが勝手に記して欲しい。
流石の俺も、俺の後始末だけは出来ないのだから。
主役不在のまま感謝祭は最終日を迎える。
初日のコンペに顔を出して以来、俺は一度も会場に足を運んでいない。
首長国から拾って来たネリーの身元引受手続きは煩雑で、特に必要書類が膨大だったからだ。
「先輩の御陰徳には、ただただ頭が下がるのみです。」
『単なる巡り合わせさ。』
役所の手続きに苦しんでいた俺達に助け舟を出してくれているのは、大学の後輩でもある首長国第九王女のオーギュスティーヌ。
心無い人は《学者姫》と彼女を揶揄している。
『首長国に帰るのか?』
「ええ、これ以上居ても憎まれるだけですから。」
まさしく一発勝負。
この姉妹は祖国に逆転の芽を残す為に全てを賭けて敵地で戦い抜き、見事勝利した。
多くの者はその戦果に気付きもしないだろう。
『羊クズ乳、美味しかった。
あれ、多分帝国人の口にも合うよ。
俺が連載持ってるタウン誌にもそう書いておく。』
「…感謝申し上げます。」
後輩は丁寧に頭を下げる。
勿論、俺の首長国への憎悪を察した上で。
『いつか、両国が手を携えて歩む日が来るのかな。』
「私は願っております。
いつか、また先輩が助けてくれるとも信じております。」
『俺にそんな徳はないよ。』
「貴方が我が国民、ネリー・クルーゾーを助けた事により。
あの男の計算は大きく崩れました。
今頃は事態の収拾に慌てていることでしょう。」
『政治犯1人の放出にそこまで動揺するかな?』
「詳しい事を申し上げる事が出来ないのですが
超法規的な運用が裏目に出ているのです。
策士策に溺れた、とのみ申し上げておきますね。」
『ふーん。
みんな大変だね。』
後輩は父王を《策士》と評しているが、俺に言わせればこの女自身も相当な策略家である。
その言葉を鵜呑みする事は出来ない。
彼女が今語った言葉は、俺を納得/油断させる為のストーリーという線もかなり濃厚である。
三姉妹と父王の葛藤。
これも計算されている気配を感じるのは俺だけだろうか?
聞けば、カロリーヌ三姉妹は父王から相当な不興を蒙っており、娘の反抗的態度への懲罰として生母の遺品が全て焼き払われ、墓もジェリコ城壁外に移されてしまったとのこと。
今丁度、ソドムタウンにその話が伝わって来ており、民衆は悲劇のヒロインたるカロリーヌにますます同情し
「補助食糧位なら採用してもいいんじゃないか。」
という愚かな世論が沸き上がっている。
話が今回のコンペにとって都合が良過ぎる。
ルイ王程の策士なら、ここまでは織り込んで振舞えるだろう。
カロリーヌの憂いを帯びた表情も、或いは父の策を看破したが故であったのかも知れない。
ともあれ。
キーン派が必死に道理を説いているが、所詮役人如きは小利を知って叡智を持たぬ生き物である。
そして愚民は情緒でしか物事を判断出来ない。
あっさりと国是を曲げるだろう。
間もなく首長国は《自由都市軍装の決定に関与した事がある》という大きな前例を手に入れる。
ここから先は天才独裁者と小役人・愚民の勝負。
勝ち目はない。
城壁は、崩れた。
「きっとお怒りでしょうね。
先輩は物が見通せる方なので…」
婉曲に後輩が詫びて来る。
『是非も無い。
これからも俺は俺のベストを尽くすだけだ。』
オーギュスティーヌは深々と頭を下げ馬車に乗り込む。
彼女もカロリーヌも祖国に帰り、今度は父王と対決しなければならない。
別れ際、俺達の共通の後輩が正式に連邦に帰還した事を知らされる。
ああ、いつぞやの美丈夫か。
「ルドルフは先輩に正式に挨拶出来なかった事を悔やんでおりました。
論文《国土論》も直接献本したかったらしいです。
ポール・ポールソンからは本当に多くを学んだのに。」
『学問も思想も波のようなものだよ。
そこまで想ってくれたなら、それはとっくに伝授済みという事だし。
そこまでの理念を持った治世は必ずや次代の若者に引き継がれる事だろう。
俺個人に惜しむ程の価値はない。』
馬車がゆっくりと進む。
車内のオーギュスティーヌが優しく笑った気がした。
それはきっと年齢相応の、彼女本来の笑顔だったのだろう。
さらば誇り高き姫君よ。
もう逢う事もないだろうが、君達の幸福を願っておくよ。
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さて、俺も俺の幸福を追い求めている素振りくらいは見せておくか。
『いつもスマンなジミー。』
「いえいえ、これくらいお安い御用です。」
もっとも、最近は素振りすらもジミーに丸投げしているのだが。
感謝祭でポールソン家が確保していたVIP席は、《ポールくん(39さい)苦情受付窓口》となった。
受付は当然ブラウン夫妻が務めた。
「ポール殿への苦情の多い事多い事。
拙者もヘンリエッタも一生分の頭を下げました。
まあ、みんな半分笑ってましたがな。」
『本来オマエラの新婚披露の筈だったのにな。』
「ある意味、わかりやすい披露になったでしょう。
これからもブラウン夫妻は、ポール殿をフォローし続けるでゴザルよ。」
『それ、オマエに何のメリットがあるんだよ。』
「面白い!
そして来年はもっと面白くなっている筈です。」
『これ以上俺が面白くなったら世界が滅ぶわ。』
「いいじゃないですか。
人類一丸となって爆笑出来るのなら、世界だって喜んで滅びますよ。
あ、そうだ。
リストに名前のあった御婦人全員に
《ポールくん誠意チラ見せチケット》を配布しておきましたぞ。
有効期限は(40さいになるまで)としておきました。」
『うむ。
じゃあ、1年どこかに身を潜めるか。』
「誠意の欠片もない御仁ですな。」
ちなみに俺の余命は体感で残り1年だ。
『女性陣はどうしてるの?』
「ポールソン家の区画に居座って動きませんな。
ポール殿の顔を見るまでは退去しないそうですよ。
エミリー殿は指名手配中なのでややおとなしいですが。」
『まだ捕まってなかったのか。』
「レニー殿が証人を恫喝して回って
何件かの告訴が取り下げられたらしいです。
捜査は難航しそうですな。」
『もうすっかりマジモンのヤクザだな。』
「本人たちは《ポール殿の妻に相応しくなるために女を磨いている》と言い張っておりました。
一度、厳しく叱責してやって頂けませんか?」
『アイツらには義理があるからなあ。
今のこの命もアイツらに拾われたものだし…
まあ、いいや。
鎮静化の方法を考えておく。』
「鎮静化と言えばノーラ殿も早急に何とかして下され。」
『ノーラ?
あの子は普通だと思うけど?』
「普通!? アレを普通!?」
『??』
「ノーラ殿が元締を務める冒険屋は、この数か月で急速に肥大。
今や我が国最大のギャング組織となっております!」
『まさかあ。
あそこにいるのって年若い女の子ばっかりだよ?』
「その年若い女子が毎週冒険者ギルドや傭兵団と合コンしてるんでゴザルよ。
どんどんヤクザカップルが誕生しております。
10年後、いや来年には誰も手を付けられない超巨大地下組織に発展している可能性があります!」
『大袈裟だなあ。
わかった、ノーラには注意しておくよ。
あの子には義理があるしな。』
「絶対わかってねぇ~。
ノーラ殿は最優先で何とかして下されよ?
あの少女が権力と結託した瞬間に、この街は陥落しますからな!?」
『わかったわかった。
ジミーは心配性なんだよ。
じゃあ、エミリー・レニー・ノーラには…
まあ、頑張るわ。』
「それともう一人。」
『?』
「ギリアム殿の妹君。
完全武装で乱入してきましたぞ。
幾ら田舎者とは言え言語道断の所業なのですが
何と、会場に平然と騎馬で乗り込んで参りました。」
『え? シモーヌ?』
「自分はポール殿の妻だからこの席に座る権利がある、の一点張りで。」
『えー、俺あの子と結婚とか…』
「してないのでゴザルよな?」
『プロポーズしただけだよお。
正妻として迎えるって言っただけだよお。』
「してるではゴザランかぁーーーッ!!」
『ゴメンゴメン、忘れてたw』
「まずいでゴザルよ。
シモーヌ殿はギリアム殿の罪と敵を相続している状態でゴザル。
普通に地方州で敵対者を殺してから、こっちに来たみたいでゴザルぞ!
あの婦人とだけは関わってはなりません!!」
『そうは言われてもな。
ギリアムから託された女だからな。
まあ、何とかするわ。』
ギリアム。
我が師、我が兄、我が最愛の友。
その忘れ形見なら、何とかしなければな。
「妻と言えば、メアリ殿もです!」
『?』
「メアリ殿にも求婚していたそうではありませんか!」
『ああ、したね。』
「今回の感謝祭!
ポール殿はレーヴァテインと共に参加しておりました。
これ実質、ムーア家の入り婿的な立ち回りですぞ!」
『まあ、実際。
俺ムーア店主の事は父親のように思ってるからなあ。
随分義理もあるし。』
「なのでメアリ殿は周囲と揉めてます!!
何せ本人は我こそが正妻と思ってるのですから!
ポール殿がそういうプロポーズをしたと言い張っているのでゴザルから!」
『ああ、そういうニュアンスで求婚したかな。
まあ、頑張って話の落としどころを探るよ。』
「落としどころと言えばニックの姉君!」
『ん?
ナナリーさん?
あの人は来れないだろ?
キキちゃんもまだ小さいし。』
「そのキキ嬢でゴザルよ!
ポール殿の肖像画を見るなり
《パパ、パパ》と喜び出して
今、ちょっと洒落にならない雰囲気になっております!」
『えー、俺がナナリーさんに会った時
もうキキちゃんは生まれてたぞ。』
「…ナナリー殿も覚悟を決めたということです。」
『まあ、ニックには義理があるからな。
ナナリーさんの事も何とかするわ。
せめてキキちゃんにちゃんとした嫁ぎ先を用意するまでは、な。』
「義理と言えば、ソーニャ嬢でゴザル。
ポール殿の為にレジエフ家にあそこまでさせたのですから…
完全放置はマズいですぞ。」
レジエフ家なあ。
100億ウェン帝国に返させた件か、帝位継承権を放棄させた件か…
『クレアの奴も五月蠅いしな。』
「我が国に居住している旧リコヴァ流は今、形振り構わず後ろ盾を探しております。
それが…」
『俺?
こんな事は言いたくないが…
母さんの実家を滅ぼしたのがまさしくリコヴァ流なんだがな。』
「だから彼らはヴォルコフ家の名誉復旧も絡めて…」
『俺みたいな奴が生まれて来た時点で名誉もクソもないだろう。』
「…ノーコメント。」
『まあ、色々あるみたいだけど義理は果たすよ。』
「あ、1人孤児が紛れていたのですが…
一応、ポール殿から世話をするように頼まれていたビッキー嬢です。
念の為、末席に座らせてはいるのですが。
どう扱っていいのか分らず。」
『義理がある。
他の女達と同等に扱ってくれ。』
「?」
『託された。
そういう事だ。』
「承知しました。
周囲にも言い含めておきます。」
名も知らぬ売僧よ。
オマエはオマエの正義とやらを勝手に貫け。
俺は俺でオマエの心残りを勝手に救ってやる。
親無し子が奴隷に落ちない社会…
いいよ、作ってやる。
俺の残りの寿命をくれてやろう。
問題はノーラの手法こそが最善という点なんだがな。
ギャング呼ばわりされようがどうしようが、徒党を組んで社会が無視できない存在になってしまう。
本人達にとってはそれがベスト。
もう孤児問題はノーラが解決済なのだ。
だから、俺はもっと穏健な代案を提示する。
保護者の居ない子供がギャングにならずに済む道を。
ジャック・ポールソンの息子には、きっとその義務があるのだ。
「以上がポール殿争奪戦のメンバーです。
独断で申し訳ありませんが
ポール殿がどこかに一家を構えたら全員を招聘する、と勝手に約束しておきました。」
『全員!?』
「そういう事にしないと場が収まりませんから。」
『全員って、どうするんだよ?』
「ハーレムでも作れば良いではないですか。
子供の頃はそういう妄想を得意気に語っておられたでゴザロウ?」
『それは絵巻物の話だ。
そりゃあ、男は大抵ハーレムを夢見るけどさ。
現実でやってるのは首長国の…
あ。』
「…ポール殿なら政治活用出来ると踏んでの判断でゴザル。」
この現代社会でハーレムを実際に作っているのは、首長国王くらいのもので。
マーサが国を追われたのも結局は、ルイ王即位に伴うハーレム構築作業で原因で…
『そっか、ありがとう。
じゃあ、世論誘導に使うよ。』
「首長国も災難でゴザルな。
理由もわからぬままポール殿に噛みつかれ続けて…
すっかり国際的地位を落としてしまいました。
マーサ殿の件を知っているのは、今ではもう拙者とキーン社長くらいのものでゴザルか…」
『ペラペラ話すようなことでもないだろう?』
「ですな。」
2人で黙って空を見上げる。
ルイ王には知る由もないだろう。
自身のハーレム構築作業の被害者が異国で乳母となり、その子が昏い憎悪を40年燃やし続けているなどと。
その俺がハーレム?
笑ってしまうな。
「御婦人方はポールソン・ハーレムにかなり乗り気です。
あ、嫌そうな表情をしないように。
また刺されますぞ?」
『子供の頃からの夢という事にしておくよ。
まあ、大抵の男にとってはそうなんだろうけどさ。』
「さて、馬車が来たようですな。」
『オイオイ。
あれ、新婚用のお披露目馬車じゃないか。
それもなんだあの装飾は!?』
「ヘンリエッタがロマンティストでしてな。
ああいう白馬の王子様仕様の馬車を強請られたのですよ。
まあ、感謝祭の間は受付に専念して貰いますが。」
『スマンな、俺なんかが借りてしまって。』
「年齢順でゴザルww
大先輩のポール殿に先に幸せになって下さらねば…
拙者も肩身が狭いでゴザルよ。」
ジミーが貸してくれる馬車は…
封建国家の王子か、共和制国家の馬鹿ボンボンが好みそうな浪漫仕様だった。
『あー、これ女が好きそうなデザインだな。』
「ヘンリエッタ渾身のデザインでゴザル。
ロットガールズも総力を挙げて手助けしたみたいでゴザルな。」
『普段モンスターイラスト描いているオタク女子も…』
「そりゃあ、理想はこちらでゴザロウな。」
『クレアもこういうの描く訳?
アイツ、商売にしか興味無さそうだけど。』
「甘いでゴザルなぁ。
アレはポール殿にしか興味がないのでゴザルよ。
ああ見えて白馬の王子様願望強いですぞ?」
『わからんな、女というものは。』
「女性陣も常々ポール殿をそう評しておりますぞ?」
『そう?
俺ほど分かりやすい男も居ないと思うが。』
「うーーーん、ノーコメント。」
『馬車、用意してくれてありがとうな。』
「…本当にやるのですな。」
『たまには自由にさせてくれ。』
「たまには!?」
驚くジミーに手を振り馬車に乗り込む。
御者は見知った顔の老人だ。
俺が生まれる前からブラウン家に仕えており、アネクドートを帝国に返還するまでの世話を任せてもいた。
『どうもスミスさん。
毎度、申し訳ありません。』
「いえいえ。
まさかポール様の晴れ舞台に立ち会えるとは。
本当にやるんですか?」
『色々すみません。
貴方にとっての不名誉になってしまうと思います。』
「ふふっ、当家の人間はみな
ポール様は更に御出世されると信じております。
今や押しも押されもしない騎士階級ですからな。」
『俺なんかが騎士を名乗っては、ちゃんとした騎士達に悪いですよww』
笑い合いながら馬車に揺られてソドムタウンの景色を眺める。
ゆっくりと中央区の自宅へ向かう。
感謝祭期間ということもあって、街を行く人々の顔はどこか晴れやかだ。
途中、面識のあるゴブリンの一団を見掛けたので手を振り合う。
色々あったが、彼らも冠婚葬祭の日くらいは、街中に入る事を許されるようになった。
だが、あくまで態度は遠慮がちである。
やはりクレバーな連中だな。
来年の王国侵攻で滅亡不可避と言われている彼らだが、案外凌いでしまうかも知れない。
ポールソン家の門前。
その王国に侵攻する気満々の男の馬車が停まっていた。
『ドナルド。
こんな所で何してるんだ、アンタ。
感謝祭で演説するんだろ?』
「いや、オマエの御父上の御具合が悪いから。
会場に向かう前に様子を見ておこうと思ってな。
今、鎮静剤を渡してきた。」
『お、おう。
いつもゴメンな。
…なあ、何でアンタって
いつも父さんに色々気を遣ってくれる訳?』
「オマエの親不孝のバランスを取る為に決まっとるだろうが!!!!」
『ひ、ひえっ
ゴメンゴメン。』
「あのなあ、ポール。
あまり他人様の家庭に口を出すつもりは無いんだがな…
少しは御両親に孝行しろ!
ちゃんと公職に就いて、ちゃんと伴侶を迎えるのだ!」
『また、それかよ。』
「…本当はエルデフリダがお似合いだとは思うのだがな。」
『嫁を押し付けるのやめーや。』
「今、向かいのカフェで時間を潰させているのだが
逢って行くか?」
『…イラン。』
しばらく門前でドナルドと首長国の件を報告し合う。
ネリー・クルーゾーの保護について、再度念を押す。
「いやあ、それにしてもオマエの冒険譚は素晴らしいな。
男として憧れるよ。
御母上は泣いておられたけどな。」
『冒険もクソもハニトラ踏んだだけだよ。
首長国にはやられっぱなしだ。』
「ふふふ。
オマエが大冒険を楽しみ過ぎた所為でな
私の王国出張が皆から反対されて困っとるww」
『なあ、本当に行くのか?
今の王国って政治的にかなりゴタゴタしてるだろ?
坊主に政治を乗っ取られてるとか。
魔界侵攻を大義名分に大規模召喚を計画してるとか。
地方では領主同士の内戦が公然と行われてるとか。
ロクな話を聞かんぞ?
実際、もう一部の姦商が富の持ち逃げを始めてるらしいじゃないか。』
「ああ、内外の世論が逃げる王国商人を滅茶苦茶にバッシングしているな。
まあ今までの経緯を見れば当然だが。
でも横から見ている分には面白い状況だと思わないか?
私に尻ぬぐいばかりをさせて、オマエばかり騒動を楽しんでるからな……。
こっちだって派手に冒険を楽しみたい。
よーし、やる気が湧いて来た。
オマエを遥かに凌駕する大功績を挙げてみよう。」
『向こうの大臣を引き抜くとかやめろよ?
マジで戦争になるぞ?』
「え?
何で私の構想知ってるの?
オマエに言ったか?」
『やめーや!!
相手の閣僚引き抜くとか宣戦布告と一緒だぞ!』
「ははは、オマエは真面目だな。
わかったわかった。
閣僚には手を出さないよ。
引き抜いてもクレームの付かない立場の人間を引き抜くよ。
あ、王国一の大富豪とかどうかな?
そんなことしたら、今の王国の状況なら絶対財政破綻しちゃうな。
あっはっはww」
コイツ、年々幼稚になってくるな。
昔はもっと老成した男だと思ってたのだが
俺やハロルド君がどれだけ諫めても聞く耳を持たないし…
『まあ、アンタへの説得はハロルド君に任せるわ。
彼、最近はすっかり大人だしな。』
「アイツなあ、すっかり口うるさくなったよなあ。
誰に似たんだか。
まあいい、家督とオマエはハロルドに譲るわ。」
『俺はアンタの私物じゃねぇ!』
「安心しろ。
エルデフリダとキーン不動産はオマエにくれてやる。」
『…勘弁してくれ。
王国から帰ったら執行部入りだろ?
頼むから、もう少し公人としての自覚を持ってくれよ。』
そんな軽口を叩き合って笑う。
いや、勿論笑えないんだがな。
「なあ。」
『ん?』
「オマエ、正気なのか?」
『本気だよ。』
「そうか…
子供の頃からずっと言っていたものな。
オマエって有言実行で、公約は全て果たしているから凄いよ。
世間には色々言う者も居るが、私は尊敬している。」
『今から皆に軽蔑されてくるよ。
石を投げられて殺されるかもな。』
「…フォローはしておく。
極力、世論も抑えてみるつもりだ。」
『なあ、ドナルド。』
「ん?」
『昔から面倒見てくれてありがとうな。』
「友達だろ?」
『…ありがとう。
アンタが居てくれたから、俺は何とかやってこれた。』
さて、友達の顔に盛大に泥を塗りますか。
俺はポールソン邸の扉をゆっくりと開けた。
ポーラの奴はロベール君がちゃんと連れ出してくれているようだな。
我が最愛の義弟よ、これからもポーラを引き付けておいてくれ。
邸内には、父さんと母さん。
そして…
『父さん。
起きてて大丈夫なの?』
「…いや。
生きているのが不思議なくらいだ。」
『ふーん、奇遇だね。
親子の絆を感じるよ。』
「…感謝祭、活躍したようだな。」
『首長国のお姫様の引き立て役になっただけさ。』
「詳細は聞いている。
オマエの功績は大きい。
少なくとも国粋派は絶賛していた。」
『きっと政治には反映されないだろうけどね。』
「…表の馬車は何だ?
新婚仕様にも見えるが、親に伴侶でも見せに来てくれたのか?」
『意外だな。
父さんは、ああいう浮ついたの嫌いだと思ってた。』
「あまり好まぬがな…
だが、息子が身を固めてくれるのなら、もう相手は誰でもいい。」
『…そっか、誰でもいいか。
父さん。
今日はマーサを迎えに来た。』
「マーサ?
マーサ・ニューマン?
当家で雇用している?」
『うん。
あの馬車にマーサを乗せたい。
勿論、妻として。』
我が父ジャック・ポールソンはしばらく停止していたが、数秒後に不意に再起動して俺を殴り倒した。
「ハアハア!!
ハアハア!!
お、お、、お、オマエという奴は…」
床に横たわった俺は、あまりに軽くなってしまった父さんの拳にただ驚く。
文字通り徒手空拳で這い上がった男は、全てを与えた息子に人生全てを駄目にされた。
結局、俺は公職には一生就かないだろう。
父さんの《息子が公職者となり国際社会の大舞台で大活躍する》という妄想は決して現実化しない。
ゴメンな父さん。
俺なんか器じゃねーよ。
『…痛てて。
マーサも勤続40年だ。
こんなに働かせるなんて酷いだろう。』
「酷いのはオマエだ!
私だって乳母の雇用期間はせいぜい5年を見ていた!」
『じゃあ、何で40年も雇ってるのさ。』
「オマエが乳離れ出来ないからだろーーが!!!!!!」
意外なる事実。
その反論は予想していなかった。
『…ええ、悪いの俺?』
「どれだけオマエは!!!」
そこまで言い掛けて父さんは咳き込んでしゃがみ込む。
ああ、この人マジで死に掛けてるな。
良かった、年内に死んでくれれば息子の俺が先立つという最大の不孝を犯さずに済む。
父さん、何とか来年まで粘るから安らかに眠ってくれ。
「何をやっているのですか!!!」
背後から、ゲッ母さん!!
「テ、テオドラ…
何も言わずにポールを殴れ!
今まで甘やかし過ぎた!」
母さんは余程の貞婦なのか、助走をつけて俺を無言で殴り倒す。
『ぐべえあお!!』
流石は武家の娘である。
拳に一切の迷いが無い。
「事情は知りませんが、知ればきっと母はオマエを許せなくなるでしょう。」
『ぐへっ ごほっ!』
い、痛い。
母さんは長生きしてくれそうだな。
どうか先立つ不孝をお許し下さい。
「て、テオドラ…
ぽ、ポールの奴が。」
父さんの言葉を聞いた母さんは何とか起き上がった俺をもう一度殴り倒してから泣き崩れた。
そりゃあね、息子がこんなんになったら誰だって泣くわ。
「奥様!
これは一体!?」
そして二階から降りてきたマーサが父さんと母さんを介抱し始める。
『ま、マーサ。
俺も結構ダメージ大きいんだけど。』
「…望んでそうされたのでしょう?」
お見通しか。
そりゃあ、40年俺を見守ってくれてる人だからな。
『マーサ。
今日は感謝祭だ。
それも最終日。』
「存じております。」
『貴女を迎えに来た!』
俺のどこにそんな胆力・膂力があったのかは知らないが、強引にマーサを抱え上げて玄関の馬車に戻る。
呆れ顔のドナルドに両親の介護を依頼する。
「一国の閣僚になるくらいでは、この不孝の埋め合わせは出来ないぞーww」
どうしてあんなに嬉しそうなんだ、アイツ。
『スミスさん!
想い人を連れて来ました!
感謝祭会場まで!』
「えーーー。
本当にやるんですかい?」
『これからは自由に生きる事に決めたんです!』
「うーーーん、
ポール様は御幼少の頃から、割と好き放題しているように思えるのですが。」
ブツブツ言いながらスミス氏は馬車を走らせてくれる。
使用人同士の面識がある所為か、マーサとスミス氏は呆れ顔で俺を見ながら善後策を協議し始めていた。
『マーサ!!
スミスさんとばっかりおしゃべりしないで!!』
「坊ちゃん、これは仕事なのです。
使用人は主家を守るために、緊密な連絡を行う義務があります。」
「いやー、懐かしいですなー。
覚えてます?
ポール様が子供の頃もこういう遣り取りしたんですよ?」
『もう!!
マーサの前で子供扱いしないで!!』
スミス氏は優しく微笑みながら「本当に懐かしいなあ」と再度呟いた。
くっそー、どいつもこいつも俺をガキ扱いしやがって。
『大体、おかしいんだよ!
40年も乳母のままって、どう考えても異常だろ!?』
「…それは
坊ちゃんが泣き叫んで私の留任をせがむので…
私も辞めるに辞められず…」
『あれ?
そうだった?』
「それは酷いものでした。」
『ま、まあ。
子供の頃って、偏執的な愛情を抑制できないものだからさ。』
「何を仰いますか?
去年も一昨年も随分なものでしたよ。
おかげでポーラお嬢様の風当たりが年々厳しくなって参りました。」
あ、あれ? 去年?
ああ、そっか。
俺が床に転んで《ヤダヤダ、マーサが居なくなるのはヤダ》って手足をバタバタさせて泣いてたら、ポーラに滅茶苦茶怒られたな。
『妻として貴方を迎えたい。』
俺は率直にそう伝える。
マーサはしばらく沈黙した後。
「…正気の沙汰ではありません。」
と答えた。
俺は少し凹む。
「…でも、約束を覚えて下さったのですね。」
『うん。
一日たりとも忘れた事はないよ。
《一人前になったらマーサをちゃんとした嫁にしてやる》
って言っただろ?
だから、貴女を妻として迎えに来た。』
「…一人前なのですか?」
『う、そ、それは…
ちょっと怪しい。
でも、半人前ラインは越えて来た!
そんな気がする!』
最近、やや大人になった気がする。
うん、何かそんな気がする。
動揺している俺を見てマーサが笑う。
それは久々の彼女のリラックスした表情だった。
「まだ何も知らぬ少女の頃。
勇ましい騎士に迎えられて、その妻となる事を夢見ておりました。
農奴の私には過ぎた夢だと、随分周囲から笑われたものですが…
夢が叶ったのかも知れませんね。」
『そっか忘れてた。
俺、騎士だから一人前だ!』
「ふふっ。
御自分のお仕事を忘れているうちは、まだまだ大人ではありませんよ。」
…そっかあ。
大人になるのは難しいなぁ。
等と考えていると、馬車はいつしか感謝祭会場に入っていた。
馬車を覗き込んだ群衆が一様に愕然とした表情で硬直している。
そりゃあね。
新婚披露会場に乳母を連れて来る馬鹿は、後にも先にも俺くらいのものだろう。
「アンタに幾ら賭けたと思ってるんだ!」
「脳味噌腐ってるんじゃねえか、テメエ!」
「おい! これは無効だろ! 賭金を返せよ!!」
「このマザコン野郎! 週給全額賭けたんだぞ!!」
周囲の様子を見ると、俺の相手を予想するトトカルチョが開催されていたらしい。
配当表を地面に叩きつけて悔しがっている男にオッズを聞く。
==========================
【ポール・ポールソン花嫁予想】
1位 クレア・モロー
2位 ポーラ・ポールソン
3位 元嫁
4位 エルデフリダ・アチェコフ・チェルネンコ
5位 ソーニャ・レジエフ
==========================
色々突っ込みたい事はあるのだが、世間はそんな風な目で俺を見ているらしかった。
よくこんな糞ギャンブルに週給を賭ける気になったな…
馬車はゆっくりと会場を進み、VIPエリア前のメイン通りを進む。
ポールソン家やブラウン家の大きな座席区画が見えてくる。
「坊ちゃん。」
『んー?』
「女性ならあんなに居られるではありませんか。」
『増えたねー。』
「貴方はむごいお方です。」
『そうなのかな?』
俺、誰も傷つけないように頑張っているだけなのにな。
昔から何をやっても上手く行かない。
「坊ちゃんは…
きっと、遠くない未来に更なる大役を得られる事でしょう。」
俺に声を掛ける群衆を遠い目で眺めながらマーサはそう言った。
『俺は器じゃないよ。』
「…韜晦はおやめなさい。
もう御自身の事は理解されておられるのでしょう?」
『…まあな。
大抵の仕事は俺がやった方がマシだ。
利権が絡む仕事は、他の奴にはやらせない方がいい。
世の中は泥棒ばかりだから。』
「後は、御自身の使命を果たしなさい。
それが坊ちゃんの生まれて来た理由です。」
『マーサ。
俺は生きていいのか?』
「…約束して下さい。
生きる、と。」
『…そうだな、貴女の為なら。』
ジミーが言っていた通り、ポールソン家の席には女共が揃っている。
皆が握りしめている紙片が《ポールくん誠意チラ見せチケット》なのだろうか?
女共は一瞬激昂し掛けたが、マーサの顔を見た瞬間に何かを察したのか…
微妙な表情で唇を噛んだ。
『やあやあ皆さん
お揃いですな。』
場の緊張をほぐす為に軽妙な声色を使うも、物凄く怖い表情で睨まれる。
おいおい、御婦人がそんな顔をするもんじゃないぜ。
『母のマーサだ。
今、求婚したが断られた。
しばらく2人きりでのんびり暮らそうと思う。』
誰も何も言わず、目を見開いたまま硬直している。
女共とは対照的に周囲の群衆は口々に何事かを叫び怒ったような表情をしている。
すっかりリア充イベントと化した感謝祭と言えど、元々は神事だからな。
《母に求婚》とか最悪の冒涜だよな。
「ポール様、この雰囲気はヤバい。
一旦、会場を離脱しますよ!」
『えー、そうかな?』
「世論を刺激し過ぎです!!」
『そうかなあ?
俺、結構愛されキャラだと思うんだけどな。』
俺の読みはまあまあのもので、これだけの暴挙を犯しながらも、石礫は10発位しか飛んで来なかった。
ほらね。
日頃の行いってやつさ。
「坊ちゃん。
求婚というのは本気なのですか?」
『本気だよ。
ここ40年くらいずっと言ってるだろ?』
「例え義理とは言え、母子が契るなどあってはならない事です。」
『やっぱり義理でも駄目かな?』
「…人倫の道から大きく外れております。
獣畜生にも劣る天への反逆は、必ず天下を乱す事でしょう。
古来より、為政者が母親と関係を持った時は必ず天下に大乱が起きました。」
『俺は庶人だ。
別に役職に就いている訳でもなんでもない。
天下は大袈裟だよ。』
「…坊ちゃんの事は私が一番知っております。
ポール様は天下の枢要を預かる運命にあるのです。」
俺はマーサにキスをしようとするが、あっさりとかわされる。
だが、俺の肩に頭を預けてゆっくりと目を閉じた。
こんなに安らかな彼女の表情を見たのは生まれて初めてかも知れない。
「これからどこに行きますか?」
振り返らないよう気を遣いながらスミス氏が尋ねて来る。
『礫の飛んで来ないところ。』
「了解、世界の果てを探してみます。」
きっとそれは冗談ではないのだろう。
馬車にめり込んだ礫の跡を見れば、己の踏み込んだ立場はよくわかる。
俺とマーサは固く手を握り合いながら、静かに身体をもたれ合わせた。
目を開けば街の喧騒は、まるで俺達を責めているようにさえ聞こえた。
思わず2人で同時に笑う。
今に始まったことではないではないか。
『マーサ。』
「はい、ポール様。」
『今晩、何か食いたいものはあるか?』
俺の名前はポール・ポールソン。
39歳バツ1。
決まった仕事には就いていない。
ポールソン清掃会社の御曹司と言えば聞こえはいいが。
要は掃除屋の子供部屋おじさんである。
色々やらかして子供部屋には戻れなくなった。
見える範囲の掃除は充分に果たした。
だから清掃日誌の最期のページはオマエラが勝手に記して欲しい。
流石の俺も、俺の後始末だけは出来ないのだから。
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