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第2章 カフェから巡る四季

第59話 お袋の味

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 今日は夏日ともいえる、暑い日だった。
 だが一変して夜の今は、薄曇りで肌寒い。
 撫でる風は湿っぽくも冷たい。
 そんな日に、巧は一人、カフェを訪れていた。

「おつまみ、追加いります?」

 チーズの盛り合わせを作っていた莉子が顔を上げた。
 カウンターに腰をかけ、莉子の手元をじっと眺めていたからだろう。

「いや、それはいいんだけど……。ねぇ、莉子さん、家庭の味ってどんなやつ?」
「家庭料理ってことですか? 肉じゃが的な?」

 今日のカフェはサラリーマンで賑わっている。
 莉子は盛り付けおえたチーズをテーブルに運んでいきながらも、首は傾げたままだ。
 戻ってきた莉子に、巧は言い直した。

「そーじゃなくて。莉子さんの味」
「うちの味、ですか?」

 追加オーダーのドリンクを運びおえた莉子だが、改めて巧の前に立ち直し、もう一度首を傾げた。

「うちの味……」

 まだ困っているようだ。
 莉子は悩みながらも、巧の空いたグラスに赤ワインを注ぎ足した。
 今日の赤ワインは、メルローという葡萄で造られているという。
 程よい酸味と重さ、香りの華やかさから、新世界といわれる土地のワインだとか。
 飲みやすく、味もフルーティで香りが鮮やかなのが特長だ。
 喉越しも良く、はっきりとした味わいのため、初心者のでも馴染みがいい。

 莉子は同じワインを飲み干し、

「家の味って、ないかもしれないです」

 そう言った。
 眉を八の字にした顔は、相当悩んだと見える。

「え、あのビーフシチューとかは?」
「 レシピはありましたけど、定番のご馳走というわけでもないですし、そんなに食べた記憶もないですし」

 莉子は自分でワインをグラスに注ぐと、ひと口飲み込んだ。
 巧に一緒に飲もうと言われ、彼女はありがたくいただいているのだが、巧よりも飲むスピードが早いかもしれない。

「じゃあ、巧くんは?」

 替わりに切り返えされるが、

「うちは、ないよ」
「あたしと同じですねー」

 莉子がおつまみ用のポテトチップスを追加し言うと、巧はいい音を立てながら、ポテトチップスとワインを飲み込む。

「俺が生まれてまもない頃に、俺の母親、死んでるんだ。そのあとは父子家庭だけど、親父ああだから、基本、家政婦さん」
「なるほど」
「でも莉子さんは途中までいたしょ?」
「いましたけどね、料理は父親の仕事になってたし、そんなに定番の料理とかもなくて、いつもなんかまかないっていうか、そんな感じだったんです。だからうちの定番はコレって料理、イメージできないんですよね」
「母親は料理しなかったの?」
「できなかったわけじゃないです。お弁当とか作ってくれましたよ? だけど、そうだなぁ、母親の味っていったら、ホットワインになるかな」
「ホットワイン?」
「赤ワインに香辛料を入れて温めたものです。子供用なのかオレンジジュースが入って、蜂蜜とマーマレードも入って、甘くて温まる飲み物でした」

 いいなぁ……。
 そう聞こえたが、巧の表情はそんな顔をしていない。
 何もなかったかのようにグラスが空になっている。

 注ぎながら、

「家の味ってなんでしょうねー」

 グラスに向かって莉子は話しかける。

「……実はさ、奈々美の家も両親がいないんだ。だからお互いに家の味ってなくって、2人で、なんなんだろうねって会話になっちゃってさ」
「なるほど」
「莉子さんはホットワインがあったし、なんかいいじゃん」
「そうかもしれないですね。でも、それを懐かしむのは自分だけですから」

 そう言われて、巧は思わず固まってしまう。

 知っているのが自分だけなら、懐かしいのは自分だけ───

「あの、巧くん、もしもですけど、母親の得意料理を彼女に作ってもらって、母親より不味かったらどうします?」

 それはなんとも言えない質問だ。
 母親のほうが美味いといえば妙な角が立つし、仮に美味しいと嘘をつけば、今後その料理がその味ででてくることになる───

「ないほうが丸く収まることもあるかもしれませんよ?」

 今日の莉子の言葉は深い。

「莉子さん、やっぱ大人だね」
「伊達に年は取ってませんから」

 莉子は残りのワインを注ぎきり、同じワインのコルクを開け始めた。

「このワイン、結構在庫あるんで、頑張っていきましょー」

 大人なのか、セコイのか。
 だがそれが莉子らしくもある。

「したら、瑞樹呼ぶわ」
「お願いしまーす」

 スマホをいじりながら、何かが欠けていてもそれが欠けていないと表現する莉子に、巧は度々救われている気がする。
 だからこそ、ここに来たくなるし、帰りたい家のようにも感じてしまう───

 巧は瑞樹に連絡を終えると、ワイングラスを差し棒代わりに莉子に傾け、

「俺、莉子さんが母さんでいいかも」
「こんな大きい子、いらないです」

 笑顔で即答だった。
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