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第15章
115 オーダー
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屋内に風が入ってくる。窓の外には、見事に晴れ渡った空と青々とした山稜、その間に広がる“夢の国の跡地”が見える。
もう昼だ。ちっとも空腹ではないが、じりじりと浪費されていく時間を意識させられ、焦りを覚える。
怒って泣いて絶望して、著しく消耗した私が椅子に腰掛け、頭を抱えてからしばらく経つが、状況は何一つ進展していない。
6人掛けのテーブル席にバエルと凌遅、私がいて、それぞれの前に酒の注がれたグラスが置かれている。言及こそしないが、見覚えのあるものだ……。
バエルは頻りにそれを取るよう勧める。
「お前は未成年だけれど、ほんの一口分だ。何の問題もないよ」
当然、私は動かない。罰則に当たらないとか身体に影響はないとか、そんなことはどうでもいい。誰が悪魔と乾杯などするものか。
すると彼は小さく嘆息した。
「椋、この酒は一緒くんの最後の贈り物だ。“献杯”としてなら、付き合ってくれるかい」
「……殺した張本人が、何言ってるの……」
私は顔を背けた。
ふざけるのも大概にしろ。どこまで人を侮辱すれば気が済むのだ。
ところが、バエルは困ったような表情を浮かべて、こんなことを言い出した。
「特別に注いだものだから、お前が飲まないなら捨てるしかなくなってしまうんだよ。それは忍びないだろう?」
そんなもの、自分で飲むか瓶に戻せばいいだけじゃないかと思うが、絶対的なルールのように突き付けられると気持ちが揺らぐ。
私が黙っていると、バエルは自分の手元のグラスを手に取った。
「――それにこのグラス、覚えているかい。お前が買ってくれたものだ。修学旅行の初日にも関わらず、土産物店で見つけて」
「…………」
私は拳をきつく握り締める。
「僕もお母さんもリクエストをしなかったから、みんなで使えるものを選んだんだろう? 春だったし、お母さんが好きな植物のモチーフだから、桜の柄にしたんだね。黒と紫、ピンクと白で、家族の数と一緒だ。叔父さんの分も忘れなかったのがお前らしいね」
ああ、くそう……その通りだよ。思考の流れまで看破された。さすがは“奸計に長け、戦にも強いとされる悪魔バエルの名に相応しい男”だ。
それとも、“父親だから”なのか。父親だから、私を理解し寄り添うことができるのか……。
だったら何故、妻を葬り、義弟を殺め、娘を殺人に駆り立てるような真似をするのだろう。
もはや、私の感情はぐちゃぐちゃだ。
「ずっとしまいっ放しになっていたが、今日ここで使うのが一番しっくりくると思って持ってきたんだよ。でないと、せっかくのお土産が可哀想だ」
バエルはクーラーボックスからおもむろに4つめのグラスを取り出し、酒を注ぐ。
「これは一緒くん……叔父さんの分だ。お母さんの分も兼ねて、少し多めにした。処理は僕が請け負うよ。引き金を引いた責任を取ってね。凌遅くんも、形だけで良いので付き合ってくれますか」
「ええ、構いませんよ」
凌遅は膝の上の携帯端末から視線を上げ、目の前のグラスを取った。
「さあ、椋。お前のグラスを取りなさい」
身を固くしたままの私に、バエルが命じる。
「みんな、お前が参加するのを待っているよ」
声音こそ穏やかだが、有無を言わさぬ口調だった。
「…………」
私が応じなければ、この茶番がいつまで続くかわからない。あまりに生産性がなさ過ぎるため、不本意だがお義理で付き合うことに決めた。
形だけだ。こんなもので私の未来が決まるわけではない。
心の中で強く念じながらグラスを手に取ると、バエルは満足げに口角を上げた。
「挨拶はどうするんですか」
凌遅が問う。
「うん、そうだね――」
バエルは少し考えた後、
「――“家族や儕輩の繋がりを再確認し、いずれ組織の枢要をなす椋が、また一歩、力強く歩き出せることを願って”にしましょうか」
バエルはわざと難解な単語を並べ、私が過敏に反応しそうな“偲ぶ”や“祝う”、“門出”といった表現を避けることで、うまく言い抜けた。
本当に狡猾だ。畏怖の念を抱くほどに。
おざなりに掲げたグラスに口を付け、酒で唇を濡らしながら、私は思い知る。
自分が今、どれだけ必死に足掻こうが、彼には通じない。いや、きっと一生、対等な立場には立てないだろう。親だということに加え、もう既にあれほど拒絶していた彼の命令に従っているのだから。
如何に圧力をかけられても、追従すべきではなかった。
この瞬間から、バエルの思う“理想の後継者”に仕立て上げられていくのだと理解した途端、ぞわりと鳥肌が立ち、私はグラスの底をテーブルに叩き付ける。
「ありがとう、椋。僕のオーダーに応えてくれて」
それを見たバエルは、さも嬉しそうに嗤った。
もう昼だ。ちっとも空腹ではないが、じりじりと浪費されていく時間を意識させられ、焦りを覚える。
怒って泣いて絶望して、著しく消耗した私が椅子に腰掛け、頭を抱えてからしばらく経つが、状況は何一つ進展していない。
6人掛けのテーブル席にバエルと凌遅、私がいて、それぞれの前に酒の注がれたグラスが置かれている。言及こそしないが、見覚えのあるものだ……。
バエルは頻りにそれを取るよう勧める。
「お前は未成年だけれど、ほんの一口分だ。何の問題もないよ」
当然、私は動かない。罰則に当たらないとか身体に影響はないとか、そんなことはどうでもいい。誰が悪魔と乾杯などするものか。
すると彼は小さく嘆息した。
「椋、この酒は一緒くんの最後の贈り物だ。“献杯”としてなら、付き合ってくれるかい」
「……殺した張本人が、何言ってるの……」
私は顔を背けた。
ふざけるのも大概にしろ。どこまで人を侮辱すれば気が済むのだ。
ところが、バエルは困ったような表情を浮かべて、こんなことを言い出した。
「特別に注いだものだから、お前が飲まないなら捨てるしかなくなってしまうんだよ。それは忍びないだろう?」
そんなもの、自分で飲むか瓶に戻せばいいだけじゃないかと思うが、絶対的なルールのように突き付けられると気持ちが揺らぐ。
私が黙っていると、バエルは自分の手元のグラスを手に取った。
「――それにこのグラス、覚えているかい。お前が買ってくれたものだ。修学旅行の初日にも関わらず、土産物店で見つけて」
「…………」
私は拳をきつく握り締める。
「僕もお母さんもリクエストをしなかったから、みんなで使えるものを選んだんだろう? 春だったし、お母さんが好きな植物のモチーフだから、桜の柄にしたんだね。黒と紫、ピンクと白で、家族の数と一緒だ。叔父さんの分も忘れなかったのがお前らしいね」
ああ、くそう……その通りだよ。思考の流れまで看破された。さすがは“奸計に長け、戦にも強いとされる悪魔バエルの名に相応しい男”だ。
それとも、“父親だから”なのか。父親だから、私を理解し寄り添うことができるのか……。
だったら何故、妻を葬り、義弟を殺め、娘を殺人に駆り立てるような真似をするのだろう。
もはや、私の感情はぐちゃぐちゃだ。
「ずっとしまいっ放しになっていたが、今日ここで使うのが一番しっくりくると思って持ってきたんだよ。でないと、せっかくのお土産が可哀想だ」
バエルはクーラーボックスからおもむろに4つめのグラスを取り出し、酒を注ぐ。
「これは一緒くん……叔父さんの分だ。お母さんの分も兼ねて、少し多めにした。処理は僕が請け負うよ。引き金を引いた責任を取ってね。凌遅くんも、形だけで良いので付き合ってくれますか」
「ええ、構いませんよ」
凌遅は膝の上の携帯端末から視線を上げ、目の前のグラスを取った。
「さあ、椋。お前のグラスを取りなさい」
身を固くしたままの私に、バエルが命じる。
「みんな、お前が参加するのを待っているよ」
声音こそ穏やかだが、有無を言わさぬ口調だった。
「…………」
私が応じなければ、この茶番がいつまで続くかわからない。あまりに生産性がなさ過ぎるため、不本意だがお義理で付き合うことに決めた。
形だけだ。こんなもので私の未来が決まるわけではない。
心の中で強く念じながらグラスを手に取ると、バエルは満足げに口角を上げた。
「挨拶はどうするんですか」
凌遅が問う。
「うん、そうだね――」
バエルは少し考えた後、
「――“家族や儕輩の繋がりを再確認し、いずれ組織の枢要をなす椋が、また一歩、力強く歩き出せることを願って”にしましょうか」
バエルはわざと難解な単語を並べ、私が過敏に反応しそうな“偲ぶ”や“祝う”、“門出”といった表現を避けることで、うまく言い抜けた。
本当に狡猾だ。畏怖の念を抱くほどに。
おざなりに掲げたグラスに口を付け、酒で唇を濡らしながら、私は思い知る。
自分が今、どれだけ必死に足掻こうが、彼には通じない。いや、きっと一生、対等な立場には立てないだろう。親だということに加え、もう既にあれほど拒絶していた彼の命令に従っているのだから。
如何に圧力をかけられても、追従すべきではなかった。
この瞬間から、バエルの思う“理想の後継者”に仕立て上げられていくのだと理解した途端、ぞわりと鳥肌が立ち、私はグラスの底をテーブルに叩き付ける。
「ありがとう、椋。僕のオーダーに応えてくれて」
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