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第7章

47 ベリトと野ウサギ ②

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「さてと」

 食事が終わって一段落した頃、野ウサギが改まった様子でこちらに向いた。

「ねえ、バーデン・バーデンの処女さん。あんたが誠実だと見込んで、いくつか確認したいことがあるんだけど、いい?」

 数分前までとは打って変わって穏やかな口調だ。違和感を覚えつつも、ひとまずうなずいておく。

 野ウサギは苦笑いを浮かべ、「これまでのこともあるし、すぐに信用しろって言う方が無理な話だよね。でも、危害を加えるつもりはないから安心して答えて」と前置きするや、

「あんた、いずれはLR×Dを離脱したいと思ってる?」と訊いてきた。

 私は思わずベリトを見る。すると彼はにこやかにうなずき、答えを促す。

「……はい。目的を果たしたら……」

「目的って何?」

「………」

 野ウサギが肩を竦め、「心配しなくていいって。あんたみたいなド新人の秘密を握ったところで、あたしにメリットなんかないんだからさぁ」と言うので、私は正直に答えた。

「父の仇を討つことです」

「それは、LR×Dの中にいるの? 処刑人?」

「……言えません」

 一拍置いて野ウサギが続ける。

「さっきこの部屋の盗聴器チェックは済ませたよ。ここだけの話にするし、あたしはあんたの問題を解決するために協力したいと思ってるんだけど?」

「……すみません。まだ、あなたを信用しきれていないので」

 ジュースに手を伸ばしかけた野ウサギの動きが止まる。失礼なことを言ったので、彼女は気を悪くしたかも知れない。

「そっか、危機感も当事者意識もしっかり持ってるわけか……」

 野ウサギはそう言うとジュースを一口飲み、こちらへ視線を向けた。

「実はあたし、公安の協力者なんだよね」

「えっ」

 意外な告白を受け、言葉を失う私を後目に、野ウサギは続ける。

「いろいろとヤバいんで、先方にもLR×Dにも最低限の情報しか漏らしてないけど。あ、ベリトは別ね。ネタのためなら何でもするし、何かと使えるから」

「あはは、よくわかってらっしゃる」

 ベリトは朗笑し、自分のグラスをジュースで満たした。

 気になることはいくつもあるが、まずはこれを訊かねばなるまい。

「どうしてまた……」

 野ウサギはジュースを飲みながら、経緯を語り始める。

「さっき、あたしが弟みたいに思ってる親戚の子の話したじゃん? 少し前にその子の同僚が殺されたんだ。詳細は不明なんだけど、見つかったのが“LR×Dウチの遊び場”の一つでさ。どう考えても堅気の人間じゃないやり口で殺されてたんだって。“日本では出回ってないスタンガンで撃たれて、アイスピック的なもんで顎から脳まで串刺し”なんてさ、あり得ないんだよ。警察官がさ」

「………!」

 すぐに“カネス”と呼ばれていた大柄な女性警察官の姿が脳裏に浮かぶ。
 間違いない、あの人のことだ。
 では、野ウサギの言う“弟みたいに思っている親戚の子”とは、もう一人の屈強な男性警察官のことか。
 漠然としていた人物像が鮮明化したことで、当時の恐怖と動揺が生々しく蘇ってくる。

 うつむく私の額に、野ウサギの視線が突き刺さる。

「それに親戚の子がね、同僚が殺される前に“ハードなプレイ中だったと思しき女子高生”を見てるんだ。地元では見ない制服を着た、大人しそうな黒髪ロングの眼鏡女子……それって多分、あんただよね? 髪はだいぶ短くなってるけど」

「………」

「と言うことは、あの子の同僚を殺したのは、あんたの相棒……凌遅くんってことになる。これはわかりやすいね」

 押し黙る私に構わず、彼女は続ける。

「人殺しと警察官が親戚ってのも因果な話だよね。人らしい感覚なんか、とっくにどっか行ってたはずだったんだけどさ……元気が取り柄のあの子が憔悴しきってるのを見てたら、なんか居た堪れなくなっちゃってね。その頃、昔から世話になってた飲み友が公安の人間だったってわかって、LR×Dを売る気になったわけ」

 一拍置いて、野ウサギが口を開いた。

「何が言いたいかって言うとね、あたしの裏切りの原因はあんた達にあるってこと」

 とんだ言いがかりだ。反論しようと顔を上げた私を目で制し、野ウサギはまた一口ジュースを飲む。

「もちろん、あんたが本意じゃなかったのは察しがつくよ。だけど、結果的にあの子の同僚の死に一役買ってるって意味では同罪だよね」

 身も蓋もないが、その通りなのでぐうの音も出ない。

「……目的はなんですか」

 私が問うと、彼女はグラスを置いて宣言した。

「この機会に、あんたを官憲に保護させようと思ってんの」

 思いがけない発言に、私は目を剥く。

「何で急に……」

周牢チュリに頼まれたんだよ。ヴィネの仇を討ちたいけど、自分じゃどうにもできないから、手を貸して欲しいってね」

 野ウサギは平然と言う。

「あんたが脱出して自由の身になったら、本部は混乱するだろうね。教育係の凌遅くんも頭を抱えるはず。あんたを吟味することで、公安は長いこと監視を続けている犯罪組織に関する貴重な情報を手に入れられる。周牢とあたしの仇討ちも叶うし、ベリトは単純に楽しめると……まさに良いこと尽くめってわけ」

「……私を逃がしたのがバレたら、野ウサギさんも危ないんじゃないですか」

 当然の疑問をぶつけると、彼女は「そんなもん、覚悟の上だよ」と言い切った。

「伊達に何年も裏の活動してないから。で、どうする?」

「それは……」

 ちらりとベリトに視線を送ると、彼は当然の如くノリノリだった。

「言いましたよね。僕は面白い話に目がないんだって。こんな愉快な展開を邪魔するのは野暮ってもんです。お二人の決断を尊重しますよ」

 私は考え込む。正直なところ、この話には不信感しかない。だがヴィネという支えを失い、本部から命を狙われていると知って心が不安定になっていた私は、を強く欲してしまっていた。

 そこで「その時は、お願いします……」と遠回しに同意しておくことにした。

「そうこなくちゃね。じゃあ、これから予行演習付き合ってよ」

「えっ」

 意外な展開に驚く間もなく、野ウサギは席を立ち、部屋にあった適当な食器に残り物を移し替え、保存容器やプレートを洗い始めた。

「これ片付けたら、スクェア・エッダに戻るからね。あそこって特定のエリア以外には一般客も入れるから、引き渡しには持って来いなんだ。レストランに食器返しながら下見して……行き帰りの時間も入れて2時間てとこかな。まあ、夕方までには十分帰れるよ」

 “俺が帰るまで、建物の外には出るな。たとえリエゾンに促されてもだ”

 凌遅の言葉を思い出し逡巡する私に、野ウサギが言う。

「大丈夫だって。今日はただのリハーサル。凌遅くんがあんたを置いて外出する機会なんかそうそうないんだし、一緒にチェックしといた方がいいでしょ。それに命を狙われてるんだったら、逃げ場がないこの部屋より外の方がむしろ安全。本部も本気ならそれなりの手練れを寄越すはずだけど、あたしらの戦闘力って一般人に毛が生えた程度だから、押し入られたら詰んじゃうんだよね」

 そう言われては、返す言葉がない。

「ですね。外、行っちゃいましょう!」

 ベリトも同意する。

「もしかしたら楽しいハプニングも起こるかも知れませんし。あーでも、何かあったら凌遅さん、怒るかな……ひょっとしたら僕、殺されちゃうかも知れませんね」

「怖くないんですか」

 思わず訊くと、彼は子供のような眼差しをこちらに向けた。

「怖いですよ? でも凌遅さんて標的を前にした時、ものすごくカッコイイんですよ。あの特徴的な目がギラギラするのが堪りません。あれを間近で見られるんなら、命も惜しくないかなって」

 あまりにぶっ飛んだコメントを聞かされ、私は呆れるしかなかった。

「……もしかして夜会の時も、で動いてませんでしたか」

 身支度をしながら訊ねたら、ベリトはあっさりうなずいた。クエマドロに頼まれて、鉄の処女の中から音を鳴らす役目を担当していたらしい。

「面白そうだったんで引き受けたんですが、あんな大事おおごとになるとは思ってませんでした。さすがに悪ふざけが過ぎたと反省してます」

 一応、申し訳なさそうな表情を浮かべているが、彼の言動は胡散臭い。凌遅の信頼を得ているとは言え、用心した方が良さそうだ。

「じゃ、そろそろ行こうか。あんた、これ持ってくれる? ベリトは戸締りね」

 荷物をまとめた野ウサギが、私の肩に手を乗せながら指示を出す。このままなし崩し的に彼女の思惑に乗せられていく気がする。

 だが、今はまだLR×Dから離れるわけにいかない。バエルに会い、その正体と目的を知った後で、しかるべき報いを受けさせるのだから。
 そのための準備もしなければならない。凌遅との関係性の変化が、今後どのように影響してくるのかもわからない。

 流されるな。落ち着いて、為すべきことを為すまでだ。

 私は前立てのピンに触れながら、部屋を後にした。
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