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第2章
17 とんだ幕引き ② ⚠
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「さっき興味深いことを言っていたな」
会場中、私を引き回しながら凌遅が言った。
「何か企んでいるらしいが、訊いても教えてくれないんだろう」
「知りたいですか」
私が問い返すと、凌遅はかぶりを振った。
「言わなくていい。君との腹の探り合いは面白いからな」
意外だった。私にとって不毛でしかない日常の些細なやり取りを、彼は楽しんでいたのか。
決まりが悪くなり、私は歩みを止めた。
この男に対して、気恥ずかしさなど覚える必要ないはずなのに。
「やあ、凌遅さん。そちらが話題の新人さんですね」
近くの同輩に声をかけられた凌遅は淡々と応じた後、聞き分けのない愛玩犬を引き寄せるような体で、私を彼らの前に突き出した。
「ほら、挨拶しな」
私はしぶしぶ言いにくいHNを口にし、申し訳程度に頭を下げた。
「これはこれは。先ほどのステージではずいぶん大胆な振る舞いをされていましたが、こうしてお話ししてみると、極普通のお嬢さんといった印象ですね。いや、お見逸れしました」
「お目付け役がついてて窮屈でしょう。いつか独立できたら好きに動き回れるから、それまでの辛抱よ。がんばってね」
処刑人達は銘々に言いたいことを言って笑った。アルコールが入っているためか、誰もが無意味に明るかった。
明らかに場違いだ。早くここから立ち去りたいと願った時、
「そろそろ帰るか。君も疲れただろう」
凌遅が私に囁いた。あまりのタイミングのよさに面食らい、私は黙って視線を落とした。それを合図に、彼は私の手を掴んで出入り口へと歩を進めた。
ふと思う。近頃、私は凌遅に繋がれること、支配されることを前ほど苦痛に感じなくなってきている。それどころか受け入れつつある。
順応したのか。
いや、少し違う。
認めたくない“ある考え”が脳裏をよぎった。犯罪被害者と加害者が一定の間、場所や時間を共有することで生まれる特別な依存感情がある。北欧の都市の名を冠した深刻な心理現象だ。
まさか、と思う。
しかし、
「俺は腹が減った。途中、コンビニにでも寄って行こう。牛乳とゆで卵ならすぐ飲み食いできるしな」
凌遅に話しかけられる度に、好い声だと感じる。何故。それは好感によるものだ。だとしたら……。
あり得ない。
だが、その可能性は否定できない。だとしても、絶対に許容するわけにはいかない。
半ば投げ遣りになっていた私は一度だけ深呼吸をし、以降なるべく思考を放棄するよう努めた。
ずるずるとあの巨大な像の側まで来た。先を行く凌遅が話しかけてきた男性に応ずるべく足を止めたので、私は暇を持て余し、何の気なしに像を見上げる。
名前とは裏腹に木製の“鉄の処女”だ。微笑を浮かべた顔の下、いわゆる胴体部分の表面にはいくつかの取っ手と鋭く細かい金属製の突起が並んでいて、グロテスクな様相を呈していた。
レプリカだと思うがよくできている。この分だと、扉の中にはしっかり棘もついているのだろう。
しばし観察していると、どこからか微かに音がしていることに気がついた。
聞き覚えのある独特なテンポの振動。これは確か……そうだ、クエマドロの携帯端末から聞こえていた着信音と同じ音だ。ひょっとしたら彼の失くした端末だろうか。
注意深く耳を澄ましたところ、どうやら像の中から聞こえているようだ。何故こんなところから聞こえるのだろう。
周囲を見渡すがクエマドロの姿はない。凌遅はまだ会話を続けている。
どうしたものか戸惑ったが、とにかくまずは確認してみないことには。そう思い立った私は像の側に近寄り、開口部を探すことにした。
その時だった。
「――ンダヨ」
声が聞こえた。途端、鈍い音と共に頭上に影が覆い被さった。
あっと思う間もなく衝撃が来た。ずしりという重みを全身に受け、私はソレに押し倒された。
後頭部に痛みが走り、視界が曇る。喧騒が遠退く。私の意識は深く暗い穴に落ちていこうとしていた。
死ぬのか、ここで。こんなもので……。
くだらない。何と呆気なく情けない死に様だろう。せっかく命がけの洗礼を生き延びたというのに。こんなことなら、ステージ上で華々しく脳みそをぶちまけておくべきだった。
でも、家族のもとへ行けるのなら、それはそれでいいような気もした。
「バーデン・バーデンの処女」
今度は近くで声がする。
「おい」
ペチペチと頬を張られた。ゆっくり目蓋を開けば、遠巻きに覗き込むギャラリーの手前でお馴染みの男がしゃがみ込み、静かに私を見下ろしていた。
「何やってんだ」
ほんのわずかながら、凌遅の声に焦燥が滲む。
「こんなくだらない理由で故障しないでくれ。バエルの不興を買いたくない……」
バエル――初めて耳にする名だった。処刑人の誰か、あるいは本部の人間だろうか。釣られる私も私だが、興味が湧いて今生に後ろ髪を引かれてしまった。
私が無事だとわかったからか、ギャラリーはすでに解散していた。囃し立てるような数多の笑い声も止んでいた。誰もこちらを見ようともしない。皆、何事もなかったように歓談へ戻っている。
「いいか。合図したら這い出しな」
凌遅は一人で像を持ち上げ、私を引きずり出そうと試みた。隙間に両腕を挿し入れると、彼はぐっと力を込めた。軋み音がして、徐々に圧迫が引いていく。
「いいぞ、出ろ」
凌遅の合図が聞こえた。私は朦朧とする意識で身体を捻り、何とか床を転がった。
その時、私の肩がどこかに掠った。
瞬間、凌遅の体勢が揺らぎ、バランスを崩した塊は勢いよく彼の手元へ落下した。
「っく……」
小さく地面が揺れ、凌遅の短い呻き声がした。間髪を容れず、彼は下敷きになった片手を力任せに引き抜いた。擦れた部分が緋色に塗り潰されていく。
彼はぐったりする私を担ぎ上げると、近くにいた誰かに帰る旨を告げそのままゆっくり廊下へ出た。
「やれやれ」
凌遅がつぶやいた。
「初舞台にとんだ幕引きだな」
口調も足取りも、普段とほとんど変わらない。片腕で私を背負い、ブラブラになったもう片方を揺らしながら進んでいる以外は。
「……何、やってるんです、か……」
私は身を固くし、いくらかでも彼の背との接地面を減らそうとしながら、訊いてみた。
「痛い、でしょ……」
「君ほどじゃない。自分の心配してな」
私にはどうしても理解できなかった。平時の彼は極めて自己中心的だ。少なくとも他者を救うために、我が身を危険に曝すタイプではない。
「何で、こんな無茶を……義理ですか。バエル、とかいう人、への……」
口内に血の味が込み上げ、私はむせた。
「浪花節は柄じゃないんだがな」
凌遅は反動をつけて私を背負い直すと、歩速を上げた。
「君が右往左往するのを間近で眺められるのは、俺の特権だから」
彼らしい答えだと思った。私を救った理由が思い遣りより我欲だと告げられ、ほっとするのもおかしいだろう。
息が苦しい。身体が寒くてたまらない。だが血腥い彼の背はあたたかく、ほどよく揺れて心地好かった。
それが無性に切なくて、悔しくて、私は意識が薄れるのを止めようとしなかった。
会場中、私を引き回しながら凌遅が言った。
「何か企んでいるらしいが、訊いても教えてくれないんだろう」
「知りたいですか」
私が問い返すと、凌遅はかぶりを振った。
「言わなくていい。君との腹の探り合いは面白いからな」
意外だった。私にとって不毛でしかない日常の些細なやり取りを、彼は楽しんでいたのか。
決まりが悪くなり、私は歩みを止めた。
この男に対して、気恥ずかしさなど覚える必要ないはずなのに。
「やあ、凌遅さん。そちらが話題の新人さんですね」
近くの同輩に声をかけられた凌遅は淡々と応じた後、聞き分けのない愛玩犬を引き寄せるような体で、私を彼らの前に突き出した。
「ほら、挨拶しな」
私はしぶしぶ言いにくいHNを口にし、申し訳程度に頭を下げた。
「これはこれは。先ほどのステージではずいぶん大胆な振る舞いをされていましたが、こうしてお話ししてみると、極普通のお嬢さんといった印象ですね。いや、お見逸れしました」
「お目付け役がついてて窮屈でしょう。いつか独立できたら好きに動き回れるから、それまでの辛抱よ。がんばってね」
処刑人達は銘々に言いたいことを言って笑った。アルコールが入っているためか、誰もが無意味に明るかった。
明らかに場違いだ。早くここから立ち去りたいと願った時、
「そろそろ帰るか。君も疲れただろう」
凌遅が私に囁いた。あまりのタイミングのよさに面食らい、私は黙って視線を落とした。それを合図に、彼は私の手を掴んで出入り口へと歩を進めた。
ふと思う。近頃、私は凌遅に繋がれること、支配されることを前ほど苦痛に感じなくなってきている。それどころか受け入れつつある。
順応したのか。
いや、少し違う。
認めたくない“ある考え”が脳裏をよぎった。犯罪被害者と加害者が一定の間、場所や時間を共有することで生まれる特別な依存感情がある。北欧の都市の名を冠した深刻な心理現象だ。
まさか、と思う。
しかし、
「俺は腹が減った。途中、コンビニにでも寄って行こう。牛乳とゆで卵ならすぐ飲み食いできるしな」
凌遅に話しかけられる度に、好い声だと感じる。何故。それは好感によるものだ。だとしたら……。
あり得ない。
だが、その可能性は否定できない。だとしても、絶対に許容するわけにはいかない。
半ば投げ遣りになっていた私は一度だけ深呼吸をし、以降なるべく思考を放棄するよう努めた。
ずるずるとあの巨大な像の側まで来た。先を行く凌遅が話しかけてきた男性に応ずるべく足を止めたので、私は暇を持て余し、何の気なしに像を見上げる。
名前とは裏腹に木製の“鉄の処女”だ。微笑を浮かべた顔の下、いわゆる胴体部分の表面にはいくつかの取っ手と鋭く細かい金属製の突起が並んでいて、グロテスクな様相を呈していた。
レプリカだと思うがよくできている。この分だと、扉の中にはしっかり棘もついているのだろう。
しばし観察していると、どこからか微かに音がしていることに気がついた。
聞き覚えのある独特なテンポの振動。これは確か……そうだ、クエマドロの携帯端末から聞こえていた着信音と同じ音だ。ひょっとしたら彼の失くした端末だろうか。
注意深く耳を澄ましたところ、どうやら像の中から聞こえているようだ。何故こんなところから聞こえるのだろう。
周囲を見渡すがクエマドロの姿はない。凌遅はまだ会話を続けている。
どうしたものか戸惑ったが、とにかくまずは確認してみないことには。そう思い立った私は像の側に近寄り、開口部を探すことにした。
その時だった。
「――ンダヨ」
声が聞こえた。途端、鈍い音と共に頭上に影が覆い被さった。
あっと思う間もなく衝撃が来た。ずしりという重みを全身に受け、私はソレに押し倒された。
後頭部に痛みが走り、視界が曇る。喧騒が遠退く。私の意識は深く暗い穴に落ちていこうとしていた。
死ぬのか、ここで。こんなもので……。
くだらない。何と呆気なく情けない死に様だろう。せっかく命がけの洗礼を生き延びたというのに。こんなことなら、ステージ上で華々しく脳みそをぶちまけておくべきだった。
でも、家族のもとへ行けるのなら、それはそれでいいような気もした。
「バーデン・バーデンの処女」
今度は近くで声がする。
「おい」
ペチペチと頬を張られた。ゆっくり目蓋を開けば、遠巻きに覗き込むギャラリーの手前でお馴染みの男がしゃがみ込み、静かに私を見下ろしていた。
「何やってんだ」
ほんのわずかながら、凌遅の声に焦燥が滲む。
「こんなくだらない理由で故障しないでくれ。バエルの不興を買いたくない……」
バエル――初めて耳にする名だった。処刑人の誰か、あるいは本部の人間だろうか。釣られる私も私だが、興味が湧いて今生に後ろ髪を引かれてしまった。
私が無事だとわかったからか、ギャラリーはすでに解散していた。囃し立てるような数多の笑い声も止んでいた。誰もこちらを見ようともしない。皆、何事もなかったように歓談へ戻っている。
「いいか。合図したら這い出しな」
凌遅は一人で像を持ち上げ、私を引きずり出そうと試みた。隙間に両腕を挿し入れると、彼はぐっと力を込めた。軋み音がして、徐々に圧迫が引いていく。
「いいぞ、出ろ」
凌遅の合図が聞こえた。私は朦朧とする意識で身体を捻り、何とか床を転がった。
その時、私の肩がどこかに掠った。
瞬間、凌遅の体勢が揺らぎ、バランスを崩した塊は勢いよく彼の手元へ落下した。
「っく……」
小さく地面が揺れ、凌遅の短い呻き声がした。間髪を容れず、彼は下敷きになった片手を力任せに引き抜いた。擦れた部分が緋色に塗り潰されていく。
彼はぐったりする私を担ぎ上げると、近くにいた誰かに帰る旨を告げそのままゆっくり廊下へ出た。
「やれやれ」
凌遅がつぶやいた。
「初舞台にとんだ幕引きだな」
口調も足取りも、普段とほとんど変わらない。片腕で私を背負い、ブラブラになったもう片方を揺らしながら進んでいる以外は。
「……何、やってるんです、か……」
私は身を固くし、いくらかでも彼の背との接地面を減らそうとしながら、訊いてみた。
「痛い、でしょ……」
「君ほどじゃない。自分の心配してな」
私にはどうしても理解できなかった。平時の彼は極めて自己中心的だ。少なくとも他者を救うために、我が身を危険に曝すタイプではない。
「何で、こんな無茶を……義理ですか。バエル、とかいう人、への……」
口内に血の味が込み上げ、私はむせた。
「浪花節は柄じゃないんだがな」
凌遅は反動をつけて私を背負い直すと、歩速を上げた。
「君が右往左往するのを間近で眺められるのは、俺の特権だから」
彼らしい答えだと思った。私を救った理由が思い遣りより我欲だと告げられ、ほっとするのもおかしいだろう。
息が苦しい。身体が寒くてたまらない。だが血腥い彼の背はあたたかく、ほどよく揺れて心地好かった。
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