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本編
5話「ごはん」
しおりを挟む夜はこの状況からしても、大したものが作れそうにないくらいメンタルが不調だった。
不調の正体は、もどかしさ、もやもや、疑惑、謎など、多くの要素を占めていた。
これは弁当屋に行ったほうが早いと思い、近所の一角へ帰宅途中に寄ってみることにした。
マンションのある通りの手前に、『せせらぎ杏』。という弁当屋がある。
外観は木造で、普段ランチタイムは定食を提供しているのだが、夜は一部の弁当がテイクアウトで購入できるという、なんとも俺たちに優しいシステムとなっている。
早速、一週間ぶりに店内へお邪魔した。
「いらっしゃいませー。ん、あれ、高谷くん」
「どうも、こんばんは。お弁当注文していいっスか」
「今日は、何にする?」
レジ袋の中に弁当が積み重なっていく。
これだけ量があれば流石に大丈夫だろう。
「今日はお弁当沢山買ってくれるんだね、珍しい。もしかして新しい彼女とか?」
「やめてくださいよ! そんなんじゃないです、たまたまですって! 最近、夜も自宅で仕事してて忙しくて。夜食ですよ」
「ほんとか~? 毎度あり!」
この長年行きつけの場所の店長は、忠岡さんという方で、感が鋭いんだよな。何もかも見抜かれそうで、ハラハラしてしまった。身長が俺よりほんの少し低いくらいで、眼鏡をかけていて、短髪で黒髪の頼れるお兄さん、だ。過去に恋愛相談に乗ってくれたっけなぁ。
最終的に、唐揚げ定食とサバの味噌煮定食と肉野菜炒め定食、緑茶とコーヒー、黒胡麻プリンを二個買った。
まぁ、一人暮らしでこれだけ買ってしまうと珍しがられるか。そう思いながら、会計を済ませ、商品が詰め込まれた袋を手に取り、家へと急いだ。
車を走らせている間、アイツ、着替えあるだろうか?
歯ブラシも買わないとな。どう見ても手ぶらだったよな――とか。
ボディソープとシャンプーの中身あったっけ。なんてことばかり気にしていた。
あれあれ、俺、同棲しようと目論んでいる?
まじで?
実はこれが向こうの目論みでは……?
こんな思考をしている自分が少し薄気味悪いと思ってしまった。
「まるで保護者だな、俺。それにしても……」
細身の体で、あのほんわかした口調。まさか強盗であるわけでは――。もしかして、ストーカー?
手に汗を握りながら自問自答を繰り返しているうちに、マンションへと到着するのだった。
自宅ドアの鍵を、そっと開けてみた。
ギィと音を立て、玄関の向こうには暗闇が広がっている。どうやら彼は一切照明を付けていないようだ。
もう夜の八時半。寝てるのか、それとも――。
「た……だいまー……」
こんなにも、緊張感のある帰宅は人生で初めてだ。自分の家なのに。
玄関のライトをパチッと付けてみたが、奥の部屋から起きてくる様子もない。
俺はそのまま、抜き足差し足忍び足でリビングの中を覗いてみた。
そこには、ソファーの上で横になりすやすやと寝ている安野がいた。
「……寝てたのか」
俺は、クローゼットから橙色のブランケットを取り出し、そっと彼に掛ける。
そして覗き込むように、まじまじと顔を見つめてしまった。どう考えても、過去の記憶を辿っても、思い出せない。彼は本当に誰なのだろう。
起こしてしまうのも気が退けたので、安野が起きるまで俺はリビングのテーブルで作業をすることにした。
――――誰かの声が聞こえる。
「たくとさん? たくとさんてば」
優しく肩を揺さぶられてる。手のぬくもりが伝わってくる。
「帰ってきたのなら、起こしてくれても良かったのに。僕、ちゃんと、おるすばんできていましたか?」
デスクの上でノートパソコンを広げながら、完全に寝落ちしていたらしい。
「ん、寝てた……」
「お仕事、おつかれさまでした」
その言葉を聴いた途端、あくびをしてしまった。
腹、減った……。
「弁当とかいろいろ買ってあるから、飯、食うぞ。キッチン行くから待ってて。先にトイレ」
立ち上がると、背伸びをして、廊下の方へ向かう。
「ごはん、買ってきてくれたんですか」
俺の後ろをトコトコと追ってくる。
「生きてると黙ってても腹減るだろ! それに君、荷物も何もないからさ。って、トイレまでついて来るな!」
「あっ。ごめんなさい」
謎の青年は、リビングのテーブルの座椅子に正座をしながら、じっとしていた。
聞きたいことは山ほどあるんだ。
先ずは、腹ごしらえ。
「唐揚げ定食とサバの味噌煮定食、肉野菜炒め定食、三種類買ってきた。どれがいい」
ペットボトル飲料水と一緒にテーブルの上に並べてみせると、彼はまん丸でキラキラと瞳を輝かせ、迷い始める。
そして、サバの味噌煮定食を指差し俺の顔を見た。
「これ、食べてみたいです」
「じゃあ温めてくる。飲み物はその緑茶な。飲んでいいぞ」
キッチンに向かい、電子レンジでサバの味噌煮定食を温める。ちなみに俺は唐揚げ定食にした。
電子レンジの中で回転する弁当を見つめながら、あの青年が誰なのか、必死に思い出そうとしていた。
「……ぜんぜん、分からん」
数分後、ほかほかになったサバの味噌煮と唐揚げ弁当を両手に、リビングへ向かう。
すると……
「たくとさん、ごめんなさい」
何故か彼の口から下、シャツの胸部がずぶ濡れ。薄緑の液体まみれになっていた。
ペットボトルの緑茶がもう半分しかない。
彼は今にも泣き出しそうな顔をしている。
「え、どうしたの!? 怖い怖い!」
俺は温めた弁当をテーブルに置くと、キッチンへ戻り布巾を急いで持ってくる。
「ごめんなさい」
「いいよ、いいよ、大丈夫?」
「お茶、開かなくて。でも開いたから飲もうとしたら、こぼれちゃいました」
――――どういうことだろうか。
「ちょっと安野くん、緑茶飲んでもらっていいですか」
すると、彼は大きく口を開けたかと思うと、目線の高さからペットボトルを傾けようとしたので、俺はすぐに止めた。
「違う違う違うよ、位置がおかしい! なんだ、俺を馬鹿にしてるのか」
「そんなまさか。馬鹿になんてしてませんよ。飲み方がよく分からなくて。でも、みんな、斜めにして飲んでるから」
「ペットボトルで飲んだことがないのか……。わかった、グラス持ってくるから」
「……はい。えっと、僕はできれば、ミルクがいいです」
「はぁ!? ミルク?……まぁ、あるけど牛乳! わかったよ」
「ありがとうございます」
今日だけで、キッチンを何往復しただろう。
いつも愛用しているグラスを持っていき、俺は冷蔵庫から取り出した紙パックの牛乳を目の前でそっと注いでみせた。
安野はそれを見て満面の笑みを浮かべていた。
緑茶に濡れた彼のシャツは洗濯機へ。
そして、俺が昔着ていたスポーツブランドのスウェットに着替えてもらった。
いいや、着替えさせた。という方が正しい。サイズがぶかぶかで大きいんだが、仕方ない。
それから、やっと一緒に弁当を食べた。
なんとなく予感がしていたが、彼は割り箸が扱えなかったので、自宅にある木製のフォークを貸した。それをグーで握ると、サバの味噌煮にダンッ!と突き刺し、口へと運んでいた。
よっぽど腹が減っていたのだろう。
更に視線は、俺の弁当の唐揚げを一つ狙っている様子だった。
「あー……。唐揚げも、食べる? いいよ」
「んふふ」
彼はサバを頬張りながら、左手で俺の弁当の唐揚げを鷲掴みにした。
今、俺は美味そうに弁当を食べている味噌まみれの彼の口元を、ティッシュで拭いている。
彼は涙を浮かべながら、幸せそうに口いっぱいにして頬張りながら微笑んでいた。
謎は一層深まるばかりだ。
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