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34「親子丼が食べたい」
しおりを挟む凍えるような寒さの中、夏樹が歩いていたのは何も無い空間であった。
この“空間”を理解した理由、それは遙か先に白い光が一筋差し込んでいたからだ。
目視で周囲を見渡すが、その光を反射するものや人の気配は無いようで実に不気味な謎の空間。
全身を確認する。
ほとんど認識できないが、胸元には白いワイシャツに暗めの色をしたネクタイとスーツ。
足元に目を向ける――。そうだ、これは履き慣れたビジネスシューズ。いつもの馴染みある衣服たちの感触。
「俺、いつからここに――」
柔らかい光の先を目指すと、その先に何者かがこちらに背を向け立っているようであった。
その距離は百メートルを超える程だろう。
夏樹は、歩みを進める。
あの栗色の癖っ毛は――
「秋之ッ……!?」
咄嗟に彼の名を呼んだが、振り返らずに立ち尽くしているようだった。
歩みを進めているにも関わらず、距離が徐々に離れていく――。
「はっ!? なんで」
手を伸ばすが届かない。
あっという間に、彼は遥か遠くへ――。そして光の先に“彼”が消えると、その唯一の光は淡く力を失うようにゆっくりと消え、視界一面に漆黒の闇が広がった。
一気に不安が押し寄せ息苦しさが、背後には謎の温かさがある。
ぐらぐらとした目眩が襲い、その場に夏樹は跪いてしまう。
夏樹、夏樹――。
「!」
ハッと瞼を開くと、その先には心配そうに背後から身を乗り出し顔を覗き込む秋之がいた。
「もう! ずっと魘されてたよ。何度呼んでも起きないし!」
「――夢、なのか」
「後ろから、ぎゅーってしたら体あっついからさ、おかしいと思って心配したんだよ」
「――なんだろう、体が重い」
「ん~~? もしかして風邪かなぁ。ほら、確か“あの日”は汗だくになったような――」
「二日前か――。気温低かったし、雪も降ったもんなぁ……って言うか、そんなヤワじゃないよ、俺!」
「いいや、全然今は説得力ないからね?」
秋之の右手が額に触れる。
「冷たい」
「熱あるって、それ」
人肌のぬくもりのありがたみ――なんと幸せなことだろう。
時計は午前七時を過ぎている。
それからすぐに体温計で熱を測ると、三十八度近くある。
「わぁ~……。やっぱり熱がある。うん。夏樹、今日は安静にしよう」
「はい。――すまない」
「いいよ、買い物はいつでもできるし。薬飲む? あっ、その前になにか食べなきゃか」
なかなか互いが多忙で予定が合わず、二人の時間がままならずにいた。
ようやく休日に久しぶりのお出かけデートを予定していたが――。
「体調管理、完全にミスりました」
「しっかり治そう? 待ってて!」
ベッドの上で横になりながら半泣き状態の夏樹。
その様子に秋之は、朝食の準備にキッチンへ向かおうとしたその時、夏樹が秋之の手首を掴み引き止めた。
「――ん!?」
「も、もう少し――その、そばにいて」
夏樹は火照っているのか、照れているのか、顔が赤く染まっていた。少し眠そうな瞳。
「わかった、いいよ。そばにいる! もちろん」
横になる夏樹の枕元に目線を下ろすと、優しく微笑み額にキスをした。
「…………」
夏樹の顔が、ぷしゅーっと更に赤くなった。
「夏樹が、甘えてくるなんて珍しいね」
「そう、かな。そんな日も、ある」
「カタコトみたいになってない? 個人的にはもっと甘えてくれていいんだけど。ふふ」
「――どっか、行っちゃいそうで」
「え? 誰が」
「秋之がだよ」
「あっはは! どこにも行かないよ。何か栄養あるもの用意しにキッチン行こうとしただけ。夏樹はなにか食べたいもの、ある? ゼリーとか買ってこようか?」
「――親子丼」
「思ったより重め……!」
この日、秋之は夏樹の傍らにずっと居てくれた。
翌日は秋之も風邪症状で発熱。
夏樹は早くも完全復活し、立場がコロッと逆転してしまった。
「うう、まさか僕までこんな――迂闊」
ベッドの上で仰向けになった秋之は、悔しそうに両手で顔を隠している。
「完全に俺の風邪だよな、これ」
「っく……! もうこれからは完全密閉の布団の中で“しよう”! そうしたら、こんなダブルで風邪引かないかもだし!」
ぐぬぬ、と半ギレ状態の秋之をとにかく撫で撫でして宥める。
「――――そんな極端な」
またまたぁ、と夏樹が苦笑いする。
「ほら! ねぇ、いま想像したでしょ?」
「し、してないよ!」
「僕は、した!!」
「したのか――」
秋之が風邪になり、三日目を迎えた。
しかも今日は月曜日。
ほとんど普段の弁当は秋之にお願いしていたが、今日は全て夏樹が料理を担当。
早起きをして、キッチンで格闘する姿は真剣だ。
「秋之が早く良くなりますように」
呪文を唱えるかのように静かに連呼しながら、フライパンで卵焼きを作っていた。
炊飯器の近くからは米の炊ける匂いがする。
「え!? あれ、夏樹何してるの、おはよう」
「まだ寝てなきゃダメだって」
「物音がしたからさ。しかも、いい匂いだし!」
キッチンの中に入ると、秋之は夏樹の背後から身を乗り出すように朝の様子を確認している。とても嬉しそうだ。
「食欲は? 食べられそう?」
「うん! お腹すいた!」
「それじゃあ、もう少しだけ、向こうで待ってて。完成までのお楽しみ」
夏樹が横からハグしてくる秋之の頭をわしゃっと撫でると、頬にキスをした。
へへ、と笑う秋之が夏樹の脇腹を擽る。
「こしょこしょこしょ……!」
「わはー!? 危ないから! 火! 火!」
風邪も、案外悪くないかもしれない。二人はそんなことを考えながら、いつもとは変わった平日を過ごした。
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