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化け物バックパッカー、透明な虫を見る[後編]
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「ぜえ……ぜえ……」
町外れの雑木林の前で、老人は肩で息を切らしている。
「おじいさん!!」
その後ろから女性……コインロッカーで見かけた少年の母親がついてきた。同じように息を上げているが、老人ほど体力を消費している様子ではない。
「急に走り出してどうしたんですか!? 私の息子を見かけた場所は!?」
「ぜえ……少し……ぜえ……休ませて……ぜえ……くださいよ……」
「キャッ!?」
「!!?」
「! お嬢さん!?」
雑木林から、人とは思えない悲鳴が聞こえてきた。
老人はバックパックから懐中電灯を取り出し、すぐに雑木林の中へと入る。少年の母親も後に続いた。
雑木林の中に、うずくまる黒い影があった。それは人の形をしており、ぶつけたであろうか頭を押さえていた。
「イタタタ……」
「お嬢さん、大丈夫か!?」
「ウン……ダイ……ジョウブ……」
「あんな変な歩き方をしていたもんだから、思わず追いかけてしまったぞ。いったいどうしたんだ?」
「覚エテナイ……気ガツイタラ……ココニ落トサレテ……」
黒い影……変異体の少女は頭を押さえながら立ち上がった。
「あの、おじいさん!?」
後ろから少年の母親の声が聞こえてきた。老人は変異体の少女に向けて、手を広げたポーズを見せた後に女性の方を見た。
「さっきから声が聞こえるんですが……その声を聴くだけで震えてしまうという感じがして……もしかして変異体の……」
「ああ、いや、これはですね……」
少しの静寂の間、老人は言い訳を考える。
「……実は風邪を引いている友人を追いかけていたんです。この子、喉を痛めていますが、普段はステキな声を出すんですよ」
「コホコホ」
変異体の少女は握り拳を口に付け、彼女なりのせきの演技をした。
「そうなんですか……本当に失礼しました。変異体なんて言ってしまって……」
「大丈夫です。この子も無事だったようですし。ところで、あなたの息子さんのことですが……」
「!! どこで見たんですか!?」
老人がコインランドリーで見かけた少年のことを話すと、女性は信じられないように口に手を当てた。
「あの子が傘を差さずに……千鳥足で……?」
「そうです。今思えば、この子と同じような歩き方でしたね」
「それじゃあ、あの子はいったいどうして……」
「ちょっと待ってください」
老人は変異体の少女に近づき、耳打ちをした。
「意識を失う前に覚えていることはあるか?」
「ウン……路地裏デ寝ヨウトシタラ、目ノ前ニ虫ガ飛ンデキテ……ソコカラハ覚エテイナイ」
「その虫というのは……」
「!! アレ……!!」
ふたりは、少女の指さす方向に目を向けた。
「何もないが……」
「本当ニイタノ」
「もしかして、コインランドリーで捕まえたやつか?」
「ウン」
「……どっちの方向に飛んでいった?」
変異体の少女は老人たちが入ってきた方向の反対側を指さした。
「……よし、行ってみよう」
「ワカッタ」
老人と変異体の少女はその方向を目指して歩き始めた。
「あ、あの!? どこへ行くんですか!?」
雑木林を抜けた先には、1軒の団地が見えた。
電気は一切付いておらず、所々にヒビが入っている。正真正銘の廃虚と言えるだろう。
「この中にあの子が……?」
老人から事情を聞いた少年の母親がつぶやく。
「おそらくそうでしょう……お嬢さん、その虫とやらはどこに向かった?」
「1階ノ右カラ2番目ノ部屋ノ窓ニ入ッテイッタ」
3人は、変異体の少女が指定する部屋に向かった。
「この部屋で間違いないな?」
扉の前で確認を取る老人に対して、変異体の少女はうなずいた。
「待っててね……もうすぐお母さんが助けるからね」
少年の母親の流す汗を見て、老人は心配そうな表情を見せた。
「……できればあなたにはここで待っていてほしいのですが」
「い、いえ、あの子を助けることができるなら何だってやります!! たとえ凶悪な誘拐犯がいたとしても、恐ろしい変異体がすぐ近くにいようとも!!」
「……」
変異体の少女はフードの下で触覚を出し入れしていた。
「……わ、わかりました。それでは……開けるぞ」
老人はドアノブを下ろした。
ガチャ
「……ぃぃぃいいいああああああああああああああああああ!!!」
母親は叫び声をあげ、その場でうずくまってしまった。
部屋の中では少年が横になったまま宙に浮いていた。
その横にある壁には……巨大なサナギらしきものがいる。
頭には瞳を閉じた女性の顔が付いており、
尻尾には小さな穴が開いている。
「……あの少年、どうやって宙に浮いているんだ?」
「オジイサンニハ見エテナイケド、虫ガベットノ形ヲ作ッテイルノ」
この光景に対して、老人と変異体の少女は平常心のまま会話をしていた。
少年の母親は胸を抑えていたが、自分の息子を見つけると、サナギの変異体に目を合わせないように少年を抱きかかえ、一目散に出口に向かった。
ドンッ
「キャッ!?」「ひゃあ!?」
少年の母親は変異体の少女と衝突してしまった。互いに尻餅をついた上に……
「あ……あ……ああ」
少年の母親は、自分の息子を抱きかかえたまま白目で失神してしまった。
「ド……ドウシタノ……?」
「お嬢さん、頭」
「……ア」
変異体の少女はフードが取れていることに気がついた。
「ふああ……ん? お母さん、どうしたの?」
「うーん、どうしたの坊や……あら、お客さん?」
少年と、サナギの変異体が目覚めた。
「あはは! このピョコピョコおもしろーい!」
「ヤメテヨ……大切ナ触覚ダカラ……」
「そのショッカクっていうのなら、虫さん、見えるんでしょ? ねえどんな形だった? どんな形だった?」
「チョットマッテヨ……」
少年は変異体の少女の触覚にじゃれついていた。
「うふふ……」
サナギの変異体はその様子を見て笑みを浮かべていた。
「それにしても、どうやってこのふたりをここまで連れてきたんだ?」
老人は何かに腰掛けながら、サナギの変異体にたずねた。
その何かは肉眼で見ることはできない。その側では少年の母親が宙で横になっていた。
「この子たち……肉眼では見えない小さな虫たちが連れてきてくれたの。ちょっと話し相手が欲しいなあって思ったら急に元気になって飛び出して行くのですもの……」
「……少しだけたずねるが、あんたはずっとここにいるのか?」
「ええ、普通の人間でいたころ、仕事とか人間関係とか嫌になっちゃって……ふらりとこの廃虚に訪れたら、このいい部屋を見つけちゃって……壁にひっついてずっとこのままでいいって思っちゃったの。それからずっとね」
「……」
「外の様子はこの子たちの視界を通して見ることが出来るから、別に後悔はしていないの。ただ、1回でもいいから、私を怖がらないでくれる人……私と同じように変異体の姿になった人と話しをしてみたかったの……」
少年は老人とサナギの変異体を見つめた後、変異体の少女の顔を見た。
「ねえお姉ちゃん」
「……ドウシタノ?」
「お姉ちゃんって変異体だよね……怖がられないの? 僕のお母さん、お姉ちゃんを見て倒れちゃったもん……どうして僕だけ怖くないの?」
「……エット、化ケ物病ハ、変化シタ体ヲ、人間ノ肉眼デ、見ルト、化学反応デ、カナラズ怖クナル、ダケド、耐性ノアル人ハ、怖クナイッテ……」
「???」
「……」
変異体の少女は必死に教えていたが、うまく少年に伝わらなかった。
それを聞いた老人は立ち上がった。
「平たく言えば、落ち込まなくたっていいってことだ。誰も変異体を見続ければなれてしまう。坊やはそれが早かっただけだ」
「それじゃあ、いつかはお母さんも変異体と仲良しになれるってこと?」
「ああ、かつては変異体を見てお漏らしをしていた俺が言っているから間違いはない!!」
その後、団地から少年の母親が千鳥足で出てきた。それに続いて、少年も。間を開けてから老人と変異体の少女が出てきた。
団地の屋根から、落ちこぼれのしずくが流れ落ちた。
果たせなかった地面に向かって、一直線に落ちていく。
ピチャン
その直後、1粒のしずくがバラバラに散った。地面に到達することもなく。
まるで、見えない何かが横切ったように。
その見えない何かは空高く舞い上がった。
月夜に照らされた、肉眼では決してみることのできない輝きを、
変異体の少女はその触覚で目撃していた。
町外れの雑木林の前で、老人は肩で息を切らしている。
「おじいさん!!」
その後ろから女性……コインロッカーで見かけた少年の母親がついてきた。同じように息を上げているが、老人ほど体力を消費している様子ではない。
「急に走り出してどうしたんですか!? 私の息子を見かけた場所は!?」
「ぜえ……少し……ぜえ……休ませて……ぜえ……くださいよ……」
「キャッ!?」
「!!?」
「! お嬢さん!?」
雑木林から、人とは思えない悲鳴が聞こえてきた。
老人はバックパックから懐中電灯を取り出し、すぐに雑木林の中へと入る。少年の母親も後に続いた。
雑木林の中に、うずくまる黒い影があった。それは人の形をしており、ぶつけたであろうか頭を押さえていた。
「イタタタ……」
「お嬢さん、大丈夫か!?」
「ウン……ダイ……ジョウブ……」
「あんな変な歩き方をしていたもんだから、思わず追いかけてしまったぞ。いったいどうしたんだ?」
「覚エテナイ……気ガツイタラ……ココニ落トサレテ……」
黒い影……変異体の少女は頭を押さえながら立ち上がった。
「あの、おじいさん!?」
後ろから少年の母親の声が聞こえてきた。老人は変異体の少女に向けて、手を広げたポーズを見せた後に女性の方を見た。
「さっきから声が聞こえるんですが……その声を聴くだけで震えてしまうという感じがして……もしかして変異体の……」
「ああ、いや、これはですね……」
少しの静寂の間、老人は言い訳を考える。
「……実は風邪を引いている友人を追いかけていたんです。この子、喉を痛めていますが、普段はステキな声を出すんですよ」
「コホコホ」
変異体の少女は握り拳を口に付け、彼女なりのせきの演技をした。
「そうなんですか……本当に失礼しました。変異体なんて言ってしまって……」
「大丈夫です。この子も無事だったようですし。ところで、あなたの息子さんのことですが……」
「!! どこで見たんですか!?」
老人がコインランドリーで見かけた少年のことを話すと、女性は信じられないように口に手を当てた。
「あの子が傘を差さずに……千鳥足で……?」
「そうです。今思えば、この子と同じような歩き方でしたね」
「それじゃあ、あの子はいったいどうして……」
「ちょっと待ってください」
老人は変異体の少女に近づき、耳打ちをした。
「意識を失う前に覚えていることはあるか?」
「ウン……路地裏デ寝ヨウトシタラ、目ノ前ニ虫ガ飛ンデキテ……ソコカラハ覚エテイナイ」
「その虫というのは……」
「!! アレ……!!」
ふたりは、少女の指さす方向に目を向けた。
「何もないが……」
「本当ニイタノ」
「もしかして、コインランドリーで捕まえたやつか?」
「ウン」
「……どっちの方向に飛んでいった?」
変異体の少女は老人たちが入ってきた方向の反対側を指さした。
「……よし、行ってみよう」
「ワカッタ」
老人と変異体の少女はその方向を目指して歩き始めた。
「あ、あの!? どこへ行くんですか!?」
雑木林を抜けた先には、1軒の団地が見えた。
電気は一切付いておらず、所々にヒビが入っている。正真正銘の廃虚と言えるだろう。
「この中にあの子が……?」
老人から事情を聞いた少年の母親がつぶやく。
「おそらくそうでしょう……お嬢さん、その虫とやらはどこに向かった?」
「1階ノ右カラ2番目ノ部屋ノ窓ニ入ッテイッタ」
3人は、変異体の少女が指定する部屋に向かった。
「この部屋で間違いないな?」
扉の前で確認を取る老人に対して、変異体の少女はうなずいた。
「待っててね……もうすぐお母さんが助けるからね」
少年の母親の流す汗を見て、老人は心配そうな表情を見せた。
「……できればあなたにはここで待っていてほしいのですが」
「い、いえ、あの子を助けることができるなら何だってやります!! たとえ凶悪な誘拐犯がいたとしても、恐ろしい変異体がすぐ近くにいようとも!!」
「……」
変異体の少女はフードの下で触覚を出し入れしていた。
「……わ、わかりました。それでは……開けるぞ」
老人はドアノブを下ろした。
ガチャ
「……ぃぃぃいいいああああああああああああああああああ!!!」
母親は叫び声をあげ、その場でうずくまってしまった。
部屋の中では少年が横になったまま宙に浮いていた。
その横にある壁には……巨大なサナギらしきものがいる。
頭には瞳を閉じた女性の顔が付いており、
尻尾には小さな穴が開いている。
「……あの少年、どうやって宙に浮いているんだ?」
「オジイサンニハ見エテナイケド、虫ガベットノ形ヲ作ッテイルノ」
この光景に対して、老人と変異体の少女は平常心のまま会話をしていた。
少年の母親は胸を抑えていたが、自分の息子を見つけると、サナギの変異体に目を合わせないように少年を抱きかかえ、一目散に出口に向かった。
ドンッ
「キャッ!?」「ひゃあ!?」
少年の母親は変異体の少女と衝突してしまった。互いに尻餅をついた上に……
「あ……あ……ああ」
少年の母親は、自分の息子を抱きかかえたまま白目で失神してしまった。
「ド……ドウシタノ……?」
「お嬢さん、頭」
「……ア」
変異体の少女はフードが取れていることに気がついた。
「ふああ……ん? お母さん、どうしたの?」
「うーん、どうしたの坊や……あら、お客さん?」
少年と、サナギの変異体が目覚めた。
「あはは! このピョコピョコおもしろーい!」
「ヤメテヨ……大切ナ触覚ダカラ……」
「そのショッカクっていうのなら、虫さん、見えるんでしょ? ねえどんな形だった? どんな形だった?」
「チョットマッテヨ……」
少年は変異体の少女の触覚にじゃれついていた。
「うふふ……」
サナギの変異体はその様子を見て笑みを浮かべていた。
「それにしても、どうやってこのふたりをここまで連れてきたんだ?」
老人は何かに腰掛けながら、サナギの変異体にたずねた。
その何かは肉眼で見ることはできない。その側では少年の母親が宙で横になっていた。
「この子たち……肉眼では見えない小さな虫たちが連れてきてくれたの。ちょっと話し相手が欲しいなあって思ったら急に元気になって飛び出して行くのですもの……」
「……少しだけたずねるが、あんたはずっとここにいるのか?」
「ええ、普通の人間でいたころ、仕事とか人間関係とか嫌になっちゃって……ふらりとこの廃虚に訪れたら、このいい部屋を見つけちゃって……壁にひっついてずっとこのままでいいって思っちゃったの。それからずっとね」
「……」
「外の様子はこの子たちの視界を通して見ることが出来るから、別に後悔はしていないの。ただ、1回でもいいから、私を怖がらないでくれる人……私と同じように変異体の姿になった人と話しをしてみたかったの……」
少年は老人とサナギの変異体を見つめた後、変異体の少女の顔を見た。
「ねえお姉ちゃん」
「……ドウシタノ?」
「お姉ちゃんって変異体だよね……怖がられないの? 僕のお母さん、お姉ちゃんを見て倒れちゃったもん……どうして僕だけ怖くないの?」
「……エット、化ケ物病ハ、変化シタ体ヲ、人間ノ肉眼デ、見ルト、化学反応デ、カナラズ怖クナル、ダケド、耐性ノアル人ハ、怖クナイッテ……」
「???」
「……」
変異体の少女は必死に教えていたが、うまく少年に伝わらなかった。
それを聞いた老人は立ち上がった。
「平たく言えば、落ち込まなくたっていいってことだ。誰も変異体を見続ければなれてしまう。坊やはそれが早かっただけだ」
「それじゃあ、いつかはお母さんも変異体と仲良しになれるってこと?」
「ああ、かつては変異体を見てお漏らしをしていた俺が言っているから間違いはない!!」
その後、団地から少年の母親が千鳥足で出てきた。それに続いて、少年も。間を開けてから老人と変異体の少女が出てきた。
団地の屋根から、落ちこぼれのしずくが流れ落ちた。
果たせなかった地面に向かって、一直線に落ちていく。
ピチャン
その直後、1粒のしずくがバラバラに散った。地面に到達することもなく。
まるで、見えない何かが横切ったように。
その見えない何かは空高く舞い上がった。
月夜に照らされた、肉眼では決してみることのできない輝きを、
変異体の少女はその触覚で目撃していた。
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