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第一章
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漁港を見て回るのは私にとってはじめての経験だった。私は海の近くの生まれだったが、地方都市の埋め立て地で、港町というより人工的な住宅街で育った。海面は公営マンションやら県庁やらの背丈のある建築に阻まれ、行き来する船も旅客船がほとんどである。それだから、幼少の私において、海の気配は学校の防風林やらたまに来る生臭い潮風しかなかった。海は、私の意志によらなければ決して姿を見せなかった。そして仮に海を見たいと願っても、半端に発展した大通りを抜け、その挙句に何の顔色もない、ひたすらに無感動な湾があるだけであった。
だからといって、海の憧れはなかった。なるほど海は、限りなく広々として、その皮下に無数の生命が隠匿され、人によれば壮大なシンボルだったはずである。しかし私と海との距離は半端だった。海は夢を見せず、ただ退屈な現実だけを見せた。テレビやら絵画などで海を見ても、私の知っている海はそうではない、とその一言で済ませてしまえた。
これが仮に私が内陸の出身だったとしたら、海は私の内面で際限なく拡張され、海中の世界も竜宮城の如き耽美をもつだろう。けれども私は日常的に海への期待を裏切られ、それだから、抱くはずの期待の余地も、はなからなかった。
この僅かな一時間を漁港の散策にあてた理由も、決して海への期待からではない。竹中はそのわけを訊かなかったが、もし訊かれたならば、創作に役立てるため、と答えたはずだった。だがこれも真意ではない。私は、私を迎い入れ、歓迎してくれたこの友人から少し距離を置きたかった。私がこの島を療養場所として選んだのには、この友人、身内の死を痛み、現実から拒絶された男の存在もあった。しかしこの小一時間の、竹中との会話、彼の素振りは、私を心底安堵させつつ、一方でいつの間にか、われわれのあいだに生じたどうしようもない溝を感じさせた。竹中は、喜ばしいことに、現実と和解を成し遂げていた。そして私はというと、ここ一年、あの故郷の海面のような、冷淡な群青を何の好転もなしに眺めている。
漁港は、遠目で見れば、集合写真のようにその高低で三段に分かれ、人の代わりに古い家屋が建ち並んでいた。家は軒並み、瓦の黒ずんだ灰色と白壁という色合いで、特筆すべきものはなかった。寄港している船は大小ともに想定以上に多く、七、八隻はあった。しかし驚きはそれだけで、船はただの船として、埠頭はただの埠頭として、私の目に映った。これは被写体の問題ではなく、レンズの問題である。私の感受する能力が曇りに曇っているから、映すべき細微な光を捉えず、あるべき明度を抑えて、ひたすらに凡庸なものとして映写しているのだった。
私は執拗な熱射を受け、そして影を辿り避けながら、この立体的に交差状の町を歩いた。時折、幾人の町の住民が声をかけ、私に何用か尋ねた。友人を訪ねてここに来、半月ほどここにいるつもりだ、と私は答えた。すると、友人は誰か、とまた尋ねた。私は竹中のことを言った。住民は得心して、さらにいくつか質問を重ねた。私は答えながら、この情感豊かに表情をつくり、訛りのある口調と、また一方で仏頂面の、面白みのない標準語が交互に交わされるこの空間に違和感を抱えた。
歩き、住民と話すうち、日は沈んでいった。といってもまだ暮れでもなかった。私は時刻を口実に住民に別れを告げ、階段を下った。階段は狭く、中央に手すりがあり、片手に手すりを載せながらたしかめるように何度か港を望んだ。埠頭のほうに少年が三、四人集まり、飛び込んではあがり、あがっては飛び込む遊びをしていた。
港と住宅を隔てる道路まで下ったとき、ようやく少年たちの形姿がはっきりしてきた。少年は、水着でもない短パンを履き、恥ずかしげもなく半身を陽射しに晒していた。肌はどれも日に灼け、淡いとび色をしてい、髪は短髪の者もいれば、襟足を伸ばしている者もあった。肌も、髪も、海水を帯びて艶だち、海面から浮上して、なだらかな傾斜の船揚場から陸上にあがるときに、一層その輝きは激しくなった。飛び込むたびに、埠頭上の少年らは意味のない、刹那的な、粒だった歓声をあげ、それと同時に水面も白く波だった。
……この褐色と歓声と飛沫の世界が、私からほど遠い、桃源郷を描いた屏風であったことは言うまでもない。少年たちは発作的な衝動に駆られ、愉しんだ。私は、それを恨めしい嫉妬の目でしか交われなかった。
私が道路を渡り、船揚場の前を横切ったころだった。ちょうどそのとき、一人の少年が海から揚がった。少年はほかの子どもとちがい、白肌だった。それも西洋じみた、何者も拒むような純白で、それがちょうど背後の太陽と重なり、濡れた裸体はひどく光輝にまみている。そう、私は少年の姿が、一瞬、一糸纏わぬ裸体のように思えた。無論、実際の少年は黒の短パンを履いている。しかしその事実よりも彼の肉体的な威力が、私に裸を、そしてそれに出くわしたときの気恥ずかしさを与えた。私はすぐさま目を逸らした。逸らしたがまた見返した。少年は変わらず、後光を背負ったまま、輪郭のおぼつかない、あの黄金色の躰で、私の眼前を横切った。
「ケン! 次やるか!」
埠頭のほうから声がした。私は我に返り、しかし半ば夢見心地で彼の名を知った。少年は頷き、埠頭へ走った。「ケン」という日本的な響きが、彼の素肌とひどく乖離したその呼び名が、鼓膜に永くこびりついた。
だからといって、海の憧れはなかった。なるほど海は、限りなく広々として、その皮下に無数の生命が隠匿され、人によれば壮大なシンボルだったはずである。しかし私と海との距離は半端だった。海は夢を見せず、ただ退屈な現実だけを見せた。テレビやら絵画などで海を見ても、私の知っている海はそうではない、とその一言で済ませてしまえた。
これが仮に私が内陸の出身だったとしたら、海は私の内面で際限なく拡張され、海中の世界も竜宮城の如き耽美をもつだろう。けれども私は日常的に海への期待を裏切られ、それだから、抱くはずの期待の余地も、はなからなかった。
この僅かな一時間を漁港の散策にあてた理由も、決して海への期待からではない。竹中はそのわけを訊かなかったが、もし訊かれたならば、創作に役立てるため、と答えたはずだった。だがこれも真意ではない。私は、私を迎い入れ、歓迎してくれたこの友人から少し距離を置きたかった。私がこの島を療養場所として選んだのには、この友人、身内の死を痛み、現実から拒絶された男の存在もあった。しかしこの小一時間の、竹中との会話、彼の素振りは、私を心底安堵させつつ、一方でいつの間にか、われわれのあいだに生じたどうしようもない溝を感じさせた。竹中は、喜ばしいことに、現実と和解を成し遂げていた。そして私はというと、ここ一年、あの故郷の海面のような、冷淡な群青を何の好転もなしに眺めている。
漁港は、遠目で見れば、集合写真のようにその高低で三段に分かれ、人の代わりに古い家屋が建ち並んでいた。家は軒並み、瓦の黒ずんだ灰色と白壁という色合いで、特筆すべきものはなかった。寄港している船は大小ともに想定以上に多く、七、八隻はあった。しかし驚きはそれだけで、船はただの船として、埠頭はただの埠頭として、私の目に映った。これは被写体の問題ではなく、レンズの問題である。私の感受する能力が曇りに曇っているから、映すべき細微な光を捉えず、あるべき明度を抑えて、ひたすらに凡庸なものとして映写しているのだった。
私は執拗な熱射を受け、そして影を辿り避けながら、この立体的に交差状の町を歩いた。時折、幾人の町の住民が声をかけ、私に何用か尋ねた。友人を訪ねてここに来、半月ほどここにいるつもりだ、と私は答えた。すると、友人は誰か、とまた尋ねた。私は竹中のことを言った。住民は得心して、さらにいくつか質問を重ねた。私は答えながら、この情感豊かに表情をつくり、訛りのある口調と、また一方で仏頂面の、面白みのない標準語が交互に交わされるこの空間に違和感を抱えた。
歩き、住民と話すうち、日は沈んでいった。といってもまだ暮れでもなかった。私は時刻を口実に住民に別れを告げ、階段を下った。階段は狭く、中央に手すりがあり、片手に手すりを載せながらたしかめるように何度か港を望んだ。埠頭のほうに少年が三、四人集まり、飛び込んではあがり、あがっては飛び込む遊びをしていた。
港と住宅を隔てる道路まで下ったとき、ようやく少年たちの形姿がはっきりしてきた。少年は、水着でもない短パンを履き、恥ずかしげもなく半身を陽射しに晒していた。肌はどれも日に灼け、淡いとび色をしてい、髪は短髪の者もいれば、襟足を伸ばしている者もあった。肌も、髪も、海水を帯びて艶だち、海面から浮上して、なだらかな傾斜の船揚場から陸上にあがるときに、一層その輝きは激しくなった。飛び込むたびに、埠頭上の少年らは意味のない、刹那的な、粒だった歓声をあげ、それと同時に水面も白く波だった。
……この褐色と歓声と飛沫の世界が、私からほど遠い、桃源郷を描いた屏風であったことは言うまでもない。少年たちは発作的な衝動に駆られ、愉しんだ。私は、それを恨めしい嫉妬の目でしか交われなかった。
私が道路を渡り、船揚場の前を横切ったころだった。ちょうどそのとき、一人の少年が海から揚がった。少年はほかの子どもとちがい、白肌だった。それも西洋じみた、何者も拒むような純白で、それがちょうど背後の太陽と重なり、濡れた裸体はひどく光輝にまみている。そう、私は少年の姿が、一瞬、一糸纏わぬ裸体のように思えた。無論、実際の少年は黒の短パンを履いている。しかしその事実よりも彼の肉体的な威力が、私に裸を、そしてそれに出くわしたときの気恥ずかしさを与えた。私はすぐさま目を逸らした。逸らしたがまた見返した。少年は変わらず、後光を背負ったまま、輪郭のおぼつかない、あの黄金色の躰で、私の眼前を横切った。
「ケン! 次やるか!」
埠頭のほうから声がした。私は我に返り、しかし半ば夢見心地で彼の名を知った。少年は頷き、埠頭へ走った。「ケン」という日本的な響きが、彼の素肌とひどく乖離したその呼び名が、鼓膜に永くこびりついた。
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