上 下
33 / 47
結婚の条件

しおりを挟む

***

 眠れない夜を過ごした翌日、エアルはまだ霧がかった明け方にローデンブルク城を目指して翼を広げた。

 城の裏門には、旅仕様に身を包んだローシュとローシュの愛黒馬のゼリオス、そしてオイルランプを手にした厩舎長がいた。

「朝早くにすまないな」

 ローシュが労うと、恰幅のいい厩舎長が「お安い御用です」と馬の手綱をローシュに渡した。ローシュより頭二つ分ほど背の低い中年男の腹にはでっぷりとした贅肉がついていて、リネンのシャツの上からサスペンダーが食い込んでいる。

 ちょうどエアルも翼を閉じ、男たちの前に降り立った。地面を踏む足音で気づいたらしく、暗がりの中でローシュの頭がこちらを向く。

 目が合った瞬間、キリッと鋭い王子の目が少年のようにアーチ状に曲がる。ローシュが礼とともに持ち場に戻るよう伝えると、厩舎長はおとなしくエアルの横を通り過ぎ、厩舎へと戻っていった。

 二人きりになった途端、ローシュが薬草や食糧が入っているであろう荷袋を積んだ馬を引き、目の前まで歩み寄ってくる。丈の短い黒のフロックコートに身を包んだ姿は、上品な旅人といったところだ。深紅のブリーチズを履いた身軽な腰には、国花を模した王族の紋章が刻まれた剣が備えられている。

「見送ってくれるのか」

 声を抑えたローシュが尋ねる。エアルは男の質問を無視し、淡々と「王の言うことが真実だとお思いですか?」と尋ね返した。

「また今度も性急だな」

 ローシュは苦笑いになる。

「私は王が嘘をついていると思っています。洞窟に王族の宝などありはしない。仮に宝があったとして、あなたがそれを持ち帰ったとしても、私との結婚など認めるはずがないのです」

 エアルがそう言うと、ローシュは表情を変えずに「ふむ」と頷いた。

「私は王を……レイモンド様の性格をよく存じ上げています。あの方が平気で嘘をつくことも、冷淡で無慈悲な考えをお持ちであることも」

 必死で訴える。思い返せば、レイモンドは幼少期の頃から他人に関心のない男だった。よく言えばそつがない。息子のローシュやカリオと比べても、全教科で高評価の成績を収める手のかからない生徒だった。

 幼少期の頃は楽だと感じていたが、それも大人の洗礼を受ける年頃まで。エアルが教えた夜の営みを覚えてからは、歴代のどの王よりもエアルを振り回す曲者となった。

 いくら関係性の薄い親子とはいえ、父親の悪印象をローシュに教えるのは心苦しかった。だがローシュを危険な目に遭わせるぐらいなら、告げ口をする自分に呆れてくれた方がましだと思った。

「わざわざそんなことを教えに来てくれたのか。こんな日も昇らないうちに」

 エアルの焦りとは反対に、ローシュはいたって冷静な口調で返してきた。

「そ、そんなことって……私は心配しているんですよっ?」

「それは光栄だな」

 ははっと笑う男を前にして、エアルは全身の力が抜けるのを感じた。馬鹿にされているとまでは思わずとも、王から与えられた条件を軽く捉えすぎなのではと新たに別の心配が生まれた。

「とにかく、洞窟への出立は中止してください。レイモンド様には私から伝えておきますので」

「遠慮する」男は少しも考える素振りを見せずに答えた。

 まさか本当に王から出された条件を飲めば、自分の願いが叶うとでも思っているのだろうか。エアルは心配を通り越して、ローシュに怒りさえ覚えた。

 エアルの感情の起伏を感じ取ったのか、ローシュの隣にいるゼリオスが耳をピンと立てた。落ち着かせるように、ローシュは馬の鼻筋を撫でる。ゼリオスはブルルと足踏みしながら、ゆっくりと耳をパタパタと動かした。

「父上はもともと『考える』としか言わなかった。エアルの言うように、条件をクリアしたところで結婚を認めるなんてことはしないだろうな」

「そこまで承知の上だったんですか。ならどうして――」

「だってこうでもしなくちゃ、考えてももらえないだろ? きっと父上は俺が諦めない限り、何かと無理難題な条件を吹っかけてくる。今の俺にできることは、出された条件に一つ一つ応えていくことだけだ」

 東塔の後ろから朝陽が昇りはじめている。少しずつ明るみになっていく視界の中で、ローシュの真っ直ぐな目に射抜かれた。

 この目に捕まると身動きがとれなくなるようになったのは、いつからだろうか。思い出せない。エアルはその眼差しからかろうじて目を逸らし、唇を噛んだ。

 自分の負けだ。この男の決意を揺らがすことも、諦めさせることも自分にはできないと思った。

「そんな顔をしないでくれ。昨日、皆の前で迷惑ではないと言ってくれて嬉しかったんだ」

 ローシュの声音が優しいものになる。

 昨日の臨時会議のあと、レイモンド王からローシュへの気持ちを遠回しに訊かれたことを思い出す。正直な気持ちを口にしたエアルだが、今考えてもそれが正しかったのかどうかはわからない。

 だが、ローシュは嬉しそうだった。焼け野原のような殺伐とした空間の中、ひとり花畑にいるみたいに喜びをあらわにしていた。

 俯いたままのエアルに、ローシュは続けて声を注いでくる。

「エアルを愛している俺を受け入れてくれてありがとう。たとえエアルの気持ちが俺に向いていないとしても、俺はそれだけで宝探しでも魔物討伐でも――何でもできる気がするんだ」

 その瞬間、鼻の奥がツンとした。目の奥が震えて、涙が出そうになった。

 どうしてこの男はこんなにも愛情深いんだろう。二十年という短い人生の中で、どうしてこんなにも愛の言葉を知っているんだろう。

 人間なんて馬鹿にするだけの対象だった。狡くて薄汚くて、大嫌いだった。ローシュもその一人だった。ちょっと前までは。

 でも今は自然と思う。

 傷ついてほしくない。

 危険な目に遭ってほしくない。

 離れたくない――。

 エアルはズッと洟を啜り、憎たらしい目を向ける。なんとか涙を堪えながら、「わかりました」と観念の音をあげた。

「私もご一緒いたします。魔物との戦闘ではお役に立てませんが、回復系や補助系の魔法でしたら使えます。実戦経験もローシュ様よりはあるかと」

 やはりたった一人で向かう算段だったのだろう。ローシュは意外そうな顔をして目を見開いた。

「エアルが一緒に来てくれるのは心強いが、それでは父上がなんて言うか――」

「王はローシュ様お一人で、とは申されませんでした。あとからどうとでもなりますよ。といいますか、どうにかします」

 ローシュは感心するように「頼もしいな」と呟いた。

「あたりまえです。私のせいで未来の時期国王に何かあれば、たまったものではありませんから」

 本当はそれだけじゃない。ローシュを守りたかった。危険な場所に行くというのなら、手を伸ばせば届く範囲にいたかった。

 どうしてそんな風に思うのか、自分でもわからないが……。

 エアルは「行きましょう」と言いながら、大きく広げた両翼を煽いだ。ふわりと体が浮上するとともに、ローシュとの間に距離ができる。空が近くなる。

 王の茶番などさっさと終わらせて、ローシュを安全な城に連れ戻したかった。求婚されていることに関して頭を悩ませるのは、それからでも遅くはないだろう。

 地上に目を落とすと、ローシュが馬の背中で跨いでいた。男が鞍に腰を落とすのを確認してから、エアルは雲がかかった北の空に向けて進行方向を変えた。




しおりを挟む
感想 4

あなたにおすすめの小説

十七歳の心模様

須藤慎弥
BL
好きだからこそ、恋人の邪魔はしたくない… ほんわか読者モデル×影の薄い平凡くん 柊一とは不釣り合いだと自覚しながらも、 葵は初めての恋に溺れていた。 付き合って一年が経ったある日、柊一が告白されている現場を目撃してしまう。 告白を断られてしまった女の子は泣き崩れ、 その瞬間…葵の胸に卑屈な思いが広がった。 ※fujossy様にて行われた「梅雨のBLコンテスト」出品作です。

闇を照らす愛

モカ
BL
いつも満たされていなかった。僕の中身は空っぽだ。 与えられていないから、与えることもできなくて。結局いつまで経っても満たされないまま。 どれほど渇望しても手に入らないから、手に入れることを諦めた。 抜け殻のままでも生きていけてしまう。…こんな意味のない人生は、早く終わらないかなぁ。

幽閉王子は最強皇子に包まれる

皇洵璃音
BL
魔法使いであるせいで幼少期に幽閉された第三王子のアレクセイ。それから年数が経過し、ある日祖国は滅ぼされてしまう。毛布に包まっていたら、敵の帝国第二皇子のレイナードにより連行されてしまう。処刑場にて皇帝から二つの選択肢を提示されたのだが、二つ目の内容は「レイナードの花嫁になること」だった。初めて人から求められたこともあり、花嫁になることを承諾する。素直で元気いっぱいなド直球第二皇子×愛されることに慣れていない治癒魔法使いの第三王子の恋愛物語。 表紙担当者:白す(しらす)様に描いて頂きました。

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

転移したらなぜかコワモテ騎士団長に俺だけ子供扱いされてる

塩チーズ
BL
平々凡々が似合うちょっと中性的で童顔なだけの成人男性。転移して拾ってもらった家の息子がコワモテ騎士団長だった! 特に何も無く平凡な日常を過ごすが、騎士団長の妙な噂を耳にしてある悩みが出来てしまう。

僕の番

結城れい
BL
白石湊(しらいし みなと)は、大学生のΩだ。αの番がいて同棲までしている。最近湊は、番である森颯真(もり そうま)の衣服を集めることがやめられない。気づかれないように少しずつ集めていくが―― ※他サイトにも掲載

振られた腹いせに別の男と付き合ったらそいつに本気になってしまった話

雨宮里玖
BL
「好きな人が出来たから別れたい」と恋人の翔に突然言われてしまった諒平。  諒平は別れたくないと引き止めようとするが翔は諒平に最初で最後のキスをした後、去ってしまった。  実は翔には諒平に隠している事実があり——。 諒平(20)攻め。大学生。 翔(20) 受け。大学生。 慶介(21)翔と同じサークルの友人。

別れの夜に

大島Q太
BL
不義理な恋人を待つことに疲れた青年が、その恋人との別れを決意する。しかし、その別れは思わぬ方向へ。

処理中です...