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9.家族ごっこ

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 とりあえずその夜は白井と別れ、帰り道に白井と連絡先を交換したことを煌に報告した。煌は「は!?」と不満の声を洩らし、連絡先を今すぐ消せとスマホを奪おうとしてきた。
 だが、優鶴はスマホを渡さなかったし、もちろん白井の連絡先も消さなかった。煌は悔しそうに、「あんな奴の言ってることを信じるのかよ」と腕に血管を浮かばせて拳をきつく握りしめていた。

「まだ信じてないけど、信じた方がいい気がした」

 先週煌が白井を襲いかけた花井田公園の入口で立ち止まり、優鶴はそう言った。先週より紫陽花がしぼんでいて、花びらの端が茶色く枯れはじめている。
 優鶴の言葉に、煌は「俺は信じない」と強く言った。
「一回信じてみたら? 一生のうちに出会えないアルファとオメガがほとんどだっていうのに、会えたんだぞ、おまえは」
 紫陽花から煌に視線を移す。煌は悔しそうな表情を浮かべてズカズカとこちらにやってくると、ガシッと優鶴の手首を掴んだ。そして握った優鶴の手を自身の胸に当てた。

「俺が出会ったのは兄貴、あんただよ」

 彫りの深い二重に縁どられた黒い瞳が、まっすぐ自分を見つめてくる。ドキッとして、優鶴は思わず視線から逃げた。真っ直ぐな眼差しに見つめられると、体が熱くなる。泣きたくなる。オメガでもないのに。自分の体はどうかしている。
「またそんなこと言って……」茶化すように笑って、大きな手を離させる。

「そ、それよりコンビニでなに買ったんだよ」
 誤魔化すために煌の手元の袋を覗こうとすると、「兄貴」と呼ぶ声に遮られた。条件反射のように見ると、煌の怒ったような目に射抜かれた。

「兄貴が誤魔化したくなる気持ちはわかる。ずっと弟だった奴から告白されて、ほぼレイプみたいなこともされたんだからな」

 言葉にされるといたたまれなくなる。優鶴は自分のつま先に目を落とした。
「それなのに、兄貴はずっと普通にしようとしてくれてる。俺はありがたいと思わなくちゃいけないんだろうな。でも、余計なお世話なんだよ。俺言ったよな? 許さなくていいって」
 一歩ずつ歩み寄りながら、煌ははっきりと聞こえるように言った。
「俺は兄貴が好きだ。何度普通にされても、あんたが俺を見るまで言い続けてやる」
 まっすぐな言葉に、かあっと頬が熱くなる。
「この何日間か兄貴の家族ごっこに付き合ってきたけど……俺だってもう限界なんだよ」
「家族ごっこって……家族だろ、本物の」
「それ本気で言ってんのか? あんたを好きになった時点で、俺はあんたを家族だとは思えなくなってんだよ」
「……っ」
 断定的な言葉がショックだった。
「壊したのは俺なのに、こんなこと言うのは間違ってるって自分でも思う。でも気持ちを誤魔化されるのは、しんどい」
「そ、そんなこと言われても……だって俺ら兄弟だぞ兄弟!」
「だからそれはもう直らねえんだって!」
 煌が声を荒げる。

 兄弟として、家族としてうまく切り抜けてきた一週間を、これまで培ってきた家族の時間を、どうしてこの男は否定するんだろう。ぶち壊そうとするんだろう。イライラする。優鶴は思わず叫んだ。

「お、おまえが言ったんだろっ。俺の首の匂いを嗅いで、『これじゃない』って」
 優鶴の言葉に、煌は「え?」と口を開けた。 自分でも言いたいことはこれじゃないと思ったが、口にしたら止まらなかった。
「お、覚えてないかもしれないけどな、俺を襲いながらあの子の匂いを捜してたのは、おまえじゃないかっ!」
 あの夜、煌はたしかに自分の身体にオメガの――白井の名残を探っていた。優鶴から剥ぎとったシャツに顔をうずめる煌を前に、優鶴はひどく心をかき乱されたのだ。今思えばあれは嫉妬に似た感情だった。うまく言えないが、ひどく気分が悪かった。
 否定したかったようだが、自分の記憶に自信がないのだろう。煌はグッと口をつぐんだ。
「さすがにハアッ? って思ったよ俺も。でも責めらんないよ。おまえはただ『運命の番』のフェロモンにあてられただけなんだから」

「『運命の番』じゃねえ」煌が悔しそうに眉根を寄せる。

「そんなこと、煌がいくら否定したってベータの俺にはわからない。白井君にも言われたよ。ベータにはわからないって」
「……っ」
「……本能レベルで求めあう相手なんて、最高じゃん。そんな相手がいるのに、なんでよりによって俺なんだよ」
 煌は「兄貴が決めることじゃねえだろ」と絞り出すように言った。
「おまえは頭もいいし、自分がアルファってことにいろんな意味で敏感だから……本当はわかってるんじゃないのか? あの子が『運命の番』だって」
 煌の視線が揺れる。それが答えだと思った。

「おまえの気持ちを疑ってるわけじゃないよ。でも俺はおまえの気持ちより、おまえと白井君が『運命の番』だってことの方が、よっぽど信じられる。信じたほうがいいって思う」

 それが世間的にも健全だし、自分の願う煌の幸せに一番近い。
 煌と白井が『運命の番』だと白井の口から聞かされたとき、頭が真っ白になった。何も考えられなくなって、目の前が霞んだ。思わず煌の手を取って逃げだしたくなった。白井の目の届くところから、煌を隠したかった。
 でもできなかった。シャツに顔をうずめる煌の姿を思い出したら、手も足も前に出せなかった。

 敵わない。

 そう思ったのだ。運命にも白井にも。
 ようやく気づいた。自分も煌に惹かれている。弟としてだけじゃない。煌の孤独に触れたあの瞬間から、ずっとこの男のことが気になって仕方なかった。自分の様子を窺いながら好意を小出しにする男が可愛かった。好意を持たれて嬉しかった。だからどんなにウザがられても構い続けた。
 もちろん『兄』として煌を思う自分もいた。
 煌に特別な感情を抱いている自分と、兄の自分。どちらの立場で相手に接するか、考えるまでもなく後者を自然に選んだ。兄の立場なら、ずっと傍にいることができる。そう信じて疑わなかったからだ。

 十分理解しているつもりだった。『兄』は煌の未来や幸せを奪っちゃいけない。背中を押して、応援しなくちゃいけない。

「大丈夫だって。おまえはあの子のことを、きっと好きになるよ」

 ヒクつきそうになる口元で無理やり笑顔をつくると、胸に乾いたものが流れてきた。諦めに似たそれが、喉をキュッと締めつけてくる。

 煌には幸せになってもらいたい。

 本気でそう思う後ろで、白井だろうと誰だろうと、煌が誰かに夢中になっている姿を見たくないと思う自分がいる。でも煌に自分の想いを伝えていない今なら、まだ見ることができるような気がする。応援できる。だから――。
 煌は何も言い返してこなかった。背中を丸め、ただ足元を呆然と見つめていた。煌の手からコンビニ袋を抜きとって中を見る。優鶴の好きなガリガリ君と煌の好きなカルピスバーが入っていた。小学生の頃、よく二人でアイスを食べながら帰った記憶がよみがえる。もうあの頃には戻れないのだ。だから、前へ進むしかない。

「帰ろう」優鶴は上ずりそうになる声を押し殺して、煌に言った。
「なんで……俺はアルファなんだよ」
 ポツリと落とされる、何度か煌の口から聞いたことのある疑問。これまで優鶴がそれに答えたことはなかった。
「幸せになるためだよ」
 煌自身と、煌の運命の人が。
 『弟』の手を引き、優鶴は家に向かって歩き出す。
「俺は兄貴のアルファになりたい」
 後ろから聞こえてきた声にせつなくなる。

「神様にでも言ってくれ」

 短い沈黙のあとに出た自分の声は、震えていた。






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