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2.守られなかった約束
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煌が平沢家にやってきたのは、ちょうど二十年前のこと。優鶴が五歳で、煌はまだ一歳になったばかりだった。
煌が来た日のことを、優鶴は今でも鮮明に覚えている。優鶴の母親に抱かれた煌は不思議そうな目で、これから兄と姉になる子どもたちを見上げていた。
小さな手が特に可愛かった。ふにっと頬を突っつくと温かい気持ちが胸に広がって、この子が弟なんだと思うと背筋が伸びた。
母親を取られたと初めはぶうたれていた妹の睦美も、煌の面倒を見ているうちにお姉さんの自覚が芽生えたのだろう。煌を可愛がるようになるまでに、時間はかからなかった。
煌の出自を両親から聞かされたのは、優鶴が高校二年生のときだ。煌がバスケ部の強化合宿に参加している時期を見計らい、両親は夕食後に優鶴と睦美をリビングに呼び出した。
「煌の本当のお母さんはね、私の高校時代からの親友なの」
その一言から始まり、優鶴は煌の母親がすでにこの世にはいないこと、オメガだったこと、父親は誰だかわからないこと、このことは煌が二十歳になったら本人に話すつもりだということ。これら弟の事実を知ったのだった。
詳細はともかく、優鶴は煌が初めて来た日のことを覚えていたのでさほど驚きはなかった。だが、幼かったせいで睦美は覚えていなかったようだ。話を聞くまで、煌が本当の弟じゃないなんて考えたこともなかったらしい。「なんで今まで黙ってたのっ」ショックを受けたように、両親に訴えた。
優鶴の説得によりなんとかその場は落ち着いたが、睦美の煌に対する態度は徐々に変わっていった。ただでさえ、このときの睦美は学校のバース性検査で不安定になっていた。所属していた部活に、家族が全員ベータにも関わらずオメガと判定された先輩がいたらしいのだ。
自分もそうだったらどうしよう……という不安と、突然他人となった弟。思春期の少女が荒れる理由としては、十分だった。
睦美が不安になる気持ちも、優鶴にはよくわかった。家族の誰も口にはしなかったが、バース性検査をせずとも、煌がアルファであることをなんとなくそれぞれでわかっていたからだ。
一つの家庭にアルファとオメガがいる場合、どちらかが家の外に出る場合が多い。オメガのヒートに発情したアルファがオメガを襲うという身内間の事件を防ぐためだ。
実際、煌は中学に入ってから成績も身長もぐんと伸びた。中学一年生の段階で、勉強とバスケのどちらで名門高校に進学するつもりなのかと、担任から打診されるほどだった。
もし自分がオメガだった場合、家の外に出ることになるのは先に高校へと進学する自分になる。そう睦美が母親に不安を吐露している場面に、優鶴はよく遭遇した。
そんな姉の不自然な態度に、当然煌もすぐに気づいたようだった。もともと気が強く反発しやすかった姉弟の関係は、みるみるうちにギクシャクしていった。その状態は睦美のバース性がベータだと判明したあとも続き、優鶴が大学に進学し、睦美と煌が高校生になったあとも変わらなかった。
それは八月初旬のこと。毎年八月の頭に、平沢家は父方の祖父母が遺してくれた家を別荘がわりにして、家族で群馬に遊びに行くことになっている。だが、この年は大学のゼミ合宿があったため、優鶴だけ不参加だった。
合宿帰りの電車の中、優鶴のスマホに警察から電話がかかってきた。数週間前に遺失物届を出したパスケースが見つかったのかと思い、優鶴は軽い気持ちで電話に出た。
しかし電話の向こうで聞いたのは、知らない警察署の名前と家族の乗った車が事故に遭ったという報せだった。電話を切ったあと、優鶴は電車を飛び降りて教えてもらった群馬県の総合病院にタクシーで向かった。
初めて訪れた病院の霊安室で、優鶴は両親と妹の変わり果てた姿と対面した。警察が目撃者に聞いた話によると、優鶴の家族が乗るワンボックスカーはハザードランプを点滅させながら、突如高速道路の路肩で停車したらしい。そして車内から出てきた高校生くらいの少年が車から離れた瞬間、後続のトラックが三人の乗る車に激突し、車体を対向車線まで吹っ飛ばしたのだという。
あまりにも突然のことで、優鶴は話を聞いても「はあ」としか答えられなかった。頭が真っ白で、涙も出なかった。
ただ、白い布の下で小さくなった三人を見ていると、腹の底に熱いものがこみあげてきた。けれど、それが怒りなのか悲しみなのかわからなかった。三人の横に置かれた焼け焦げた遺品を衝動にまかせて薙ぎ払い、「クソッ!」と叫ぶことしかできなかった。
煌が目を覚ましたのは、事故から一週間後のこと。怯えたように開けた目をブルブルと震わせて、煌の目は何かを探すように焦点を泳がせた。「煌」と呼ぶと、煌はビクッと怯えるように身体を弾ませて、ベッドの横に座る優鶴を凝視した。
じわじわと目に涙が溜まっていく煌に、優鶴は「大変だったな」と声をかけた。煌が意識を失ったのは、事故の一部始終を見てしまったことによるショック性のものだと、担当医から説明を受けていた。
目覚めた瞬時に、三人が亡くなったことを悟ったのだろう。煌は細くなった両腕で目を覆い、「ごめん」とベッドの上で泣きじゃくりながら何度も謝罪の言葉を口にした。「煌のせいじゃないよ」と優鶴が言っても、煌は謝るのをやめなかった。
声がかすれていく煌を前に、やがて優鶴はもしも自分がいたら何かが変わっていたかもしれない、みんなを助けられたかもしれないと思えてきた。煌が謝るたびに、どんどん責められているような気持ちになった。
「いい加減にしろよっ!」
咄嗟に声を荒げると、煌は謝るのをやめた。代わりに腕の隙間から天井の蛍光灯を見上げて、歯の奥を嚙みしめるように言った。
「み、みんな……あ、兄貴の、家族だったのに……っ。お、俺……俺が……っ!」
それは煌が自分は平沢家の人間ではないと認めた瞬間だった。母の『煌が二十歳になったら話す』という約束は、守られなかったようだ。もしかすると、高速道路を走る車内で煌と口論になった際、睦美が口を滑らしてしまったのだろうか。それでショックを受けた煌が、車を停めて降りようとして……。
だが、真相を煌に問い詰めることも、事故の原因を煌の責任にすることも優鶴にはできなかった。優鶴にわかること――それは煌の傷は簡単に癒えないだろうし、三人が戻ってくるわけじゃないということだけだった。
優鶴は泣きじゃくる弟の肩をさすって言った。
「俺だけの家族じゃない。『俺たちの』、だろ」
様々な精密検査のついでに、本来なら学校で行われるバース性検査も煌は入院先の病院で受けた。後日、煌の病室のゴミ箱を見ると、バース性検査の判定診断書が捨ててあった。
手に取ってしわくちゃになった紙を広げると、欄には煌を平沢家の人間ではないことを証明するかのように『アルファ』と書かれていた。
煌が来た日のことを、優鶴は今でも鮮明に覚えている。優鶴の母親に抱かれた煌は不思議そうな目で、これから兄と姉になる子どもたちを見上げていた。
小さな手が特に可愛かった。ふにっと頬を突っつくと温かい気持ちが胸に広がって、この子が弟なんだと思うと背筋が伸びた。
母親を取られたと初めはぶうたれていた妹の睦美も、煌の面倒を見ているうちにお姉さんの自覚が芽生えたのだろう。煌を可愛がるようになるまでに、時間はかからなかった。
煌の出自を両親から聞かされたのは、優鶴が高校二年生のときだ。煌がバスケ部の強化合宿に参加している時期を見計らい、両親は夕食後に優鶴と睦美をリビングに呼び出した。
「煌の本当のお母さんはね、私の高校時代からの親友なの」
その一言から始まり、優鶴は煌の母親がすでにこの世にはいないこと、オメガだったこと、父親は誰だかわからないこと、このことは煌が二十歳になったら本人に話すつもりだということ。これら弟の事実を知ったのだった。
詳細はともかく、優鶴は煌が初めて来た日のことを覚えていたのでさほど驚きはなかった。だが、幼かったせいで睦美は覚えていなかったようだ。話を聞くまで、煌が本当の弟じゃないなんて考えたこともなかったらしい。「なんで今まで黙ってたのっ」ショックを受けたように、両親に訴えた。
優鶴の説得によりなんとかその場は落ち着いたが、睦美の煌に対する態度は徐々に変わっていった。ただでさえ、このときの睦美は学校のバース性検査で不安定になっていた。所属していた部活に、家族が全員ベータにも関わらずオメガと判定された先輩がいたらしいのだ。
自分もそうだったらどうしよう……という不安と、突然他人となった弟。思春期の少女が荒れる理由としては、十分だった。
睦美が不安になる気持ちも、優鶴にはよくわかった。家族の誰も口にはしなかったが、バース性検査をせずとも、煌がアルファであることをなんとなくそれぞれでわかっていたからだ。
一つの家庭にアルファとオメガがいる場合、どちらかが家の外に出る場合が多い。オメガのヒートに発情したアルファがオメガを襲うという身内間の事件を防ぐためだ。
実際、煌は中学に入ってから成績も身長もぐんと伸びた。中学一年生の段階で、勉強とバスケのどちらで名門高校に進学するつもりなのかと、担任から打診されるほどだった。
もし自分がオメガだった場合、家の外に出ることになるのは先に高校へと進学する自分になる。そう睦美が母親に不安を吐露している場面に、優鶴はよく遭遇した。
そんな姉の不自然な態度に、当然煌もすぐに気づいたようだった。もともと気が強く反発しやすかった姉弟の関係は、みるみるうちにギクシャクしていった。その状態は睦美のバース性がベータだと判明したあとも続き、優鶴が大学に進学し、睦美と煌が高校生になったあとも変わらなかった。
それは八月初旬のこと。毎年八月の頭に、平沢家は父方の祖父母が遺してくれた家を別荘がわりにして、家族で群馬に遊びに行くことになっている。だが、この年は大学のゼミ合宿があったため、優鶴だけ不参加だった。
合宿帰りの電車の中、優鶴のスマホに警察から電話がかかってきた。数週間前に遺失物届を出したパスケースが見つかったのかと思い、優鶴は軽い気持ちで電話に出た。
しかし電話の向こうで聞いたのは、知らない警察署の名前と家族の乗った車が事故に遭ったという報せだった。電話を切ったあと、優鶴は電車を飛び降りて教えてもらった群馬県の総合病院にタクシーで向かった。
初めて訪れた病院の霊安室で、優鶴は両親と妹の変わり果てた姿と対面した。警察が目撃者に聞いた話によると、優鶴の家族が乗るワンボックスカーはハザードランプを点滅させながら、突如高速道路の路肩で停車したらしい。そして車内から出てきた高校生くらいの少年が車から離れた瞬間、後続のトラックが三人の乗る車に激突し、車体を対向車線まで吹っ飛ばしたのだという。
あまりにも突然のことで、優鶴は話を聞いても「はあ」としか答えられなかった。頭が真っ白で、涙も出なかった。
ただ、白い布の下で小さくなった三人を見ていると、腹の底に熱いものがこみあげてきた。けれど、それが怒りなのか悲しみなのかわからなかった。三人の横に置かれた焼け焦げた遺品を衝動にまかせて薙ぎ払い、「クソッ!」と叫ぶことしかできなかった。
煌が目を覚ましたのは、事故から一週間後のこと。怯えたように開けた目をブルブルと震わせて、煌の目は何かを探すように焦点を泳がせた。「煌」と呼ぶと、煌はビクッと怯えるように身体を弾ませて、ベッドの横に座る優鶴を凝視した。
じわじわと目に涙が溜まっていく煌に、優鶴は「大変だったな」と声をかけた。煌が意識を失ったのは、事故の一部始終を見てしまったことによるショック性のものだと、担当医から説明を受けていた。
目覚めた瞬時に、三人が亡くなったことを悟ったのだろう。煌は細くなった両腕で目を覆い、「ごめん」とベッドの上で泣きじゃくりながら何度も謝罪の言葉を口にした。「煌のせいじゃないよ」と優鶴が言っても、煌は謝るのをやめなかった。
声がかすれていく煌を前に、やがて優鶴はもしも自分がいたら何かが変わっていたかもしれない、みんなを助けられたかもしれないと思えてきた。煌が謝るたびに、どんどん責められているような気持ちになった。
「いい加減にしろよっ!」
咄嗟に声を荒げると、煌は謝るのをやめた。代わりに腕の隙間から天井の蛍光灯を見上げて、歯の奥を嚙みしめるように言った。
「み、みんな……あ、兄貴の、家族だったのに……っ。お、俺……俺が……っ!」
それは煌が自分は平沢家の人間ではないと認めた瞬間だった。母の『煌が二十歳になったら話す』という約束は、守られなかったようだ。もしかすると、高速道路を走る車内で煌と口論になった際、睦美が口を滑らしてしまったのだろうか。それでショックを受けた煌が、車を停めて降りようとして……。
だが、真相を煌に問い詰めることも、事故の原因を煌の責任にすることも優鶴にはできなかった。優鶴にわかること――それは煌の傷は簡単に癒えないだろうし、三人が戻ってくるわけじゃないということだけだった。
優鶴は泣きじゃくる弟の肩をさすって言った。
「俺だけの家族じゃない。『俺たちの』、だろ」
様々な精密検査のついでに、本来なら学校で行われるバース性検査も煌は入院先の病院で受けた。後日、煌の病室のゴミ箱を見ると、バース性検査の判定診断書が捨ててあった。
手に取ってしわくちゃになった紙を広げると、欄には煌を平沢家の人間ではないことを証明するかのように『アルファ』と書かれていた。
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