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恋する天才軍師の戦術

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 引っ越して一週間後。澄藍すらんは頭を悩ませていた。都会と違って、ネットで頼んだものがその日のうちではなく、二、三日もかかること。

 タクシーで行っていたデパートにあった外国産の品物は、どこにも売っていない。車も持っていないから、買い物に行くのも四苦八苦。

 しかも、南国らしく毎日、気温は四十度で湿度は百パーセント近く。白いビニール袋を持って、高台にある家まで坂道を登ってゆく。

「はぁ~、言葉がわからない」

 国内にいるのに、これほど話が通じないとは、地方へ行ったことがなかった澄藍には驚きとともに、やはりストレスだった。

「『東京はぬくいですか』って聞かれて、意味がわからなかった」

 住宅街の公園を過ぎて、のんびりと車が行き交う交差点を確認して渡ってゆく。

「布団で『ぬくぬく』するとか言うから、あったかいの意味なのかな? って思ったんだけど、今の季節は夏……」

 前を歩いてゆく配偶者の背中を見つめる。

「『ぬくい』は『暑い』の意味らしい。しかも、標準語で話してるんだけど、通じなくて。どうも、アナウンサーが話すような綺麗な発音じゃないと聞き取れないみたいなんだよね。同じ言葉を言ってても、イントネーションがちょっと違うだけで、通じないみたい」

 慣れない土地で、厳しい現実を生きる澄藍だったが、一軒家の門を入って、玄関にたどり着こうとすると、庭に干してあった洗濯物を目の当たりにして、思わずため息が出た。

「あぁ~、買い物をしてる間に、南国特有のスコールが降ったんだ。洗濯やり直りだ」

 ほんの数十分だと思って、干したままにして、ここ一週間で何度も雨にやられて、同じ失敗ばかり。それでも、優しい人たちに囲まれて、澄藍はのんびりとした日々を送ってゆくこととなった。

    *

 壁中が本のカビ臭い部屋で、澄藍は引越し先から持ち込んだ書斎机の上で、コントローラーを両手でつかんで、ヘッドフォンをしながらテレビゲームに夢中だった。

 孔明をモデルにしたキャラクターの話す内容に注意深く耳を傾ける。相手はあの天才軍師だ、どこに罠が仕掛けられているかわからない。

「うんうん、中間テストの話……」

 誰がどう聞いても好青年という声色で、会話が流れてきて、澄藍は珍しく驚いた。

「え?」

 先に進めることもせず、知識の宝庫と言っても過言ではない本だらけの部屋を見渡す。

「そういう考え方?」

 一週間前まで暮らしていた上層階からの景色と違って、同じ高さを車が通り過ぎてゆく音がした。

「見てる方向が違う。いや、範囲が違う。頭いいや、本当だ」

 今年で三十二歳だ。今の年齢ならわかるが、物語の中は高校生。自分が同じ歳だった時と比べると、そう思わずにはいられなかった。

    *

 そうして、クリアをして別のゲーム。今度はオタクのキャラクターに孔明がモデルになっているもの。

 キャラクターと出会って日も浅い頃で、ゲーム画面は夜の近所を歩いているところだった。

「あぁ~、今日もバイト終わった。家に帰って――」
「こんばんはぁ~」

 やけに間延びした口調で、賢い感じにはどうやっても見えないキャラクター。

「あぁ、加地かじくん、偶然だね」
「そ~う~? どうしたの~?」
「今、バイトの帰りだよ」
「そう~。何のバイト~?」
「コンビニなんだけど……」

 甘えているみたいな口調でボソボソと言ってくる。

「前からやってみたかった~?」
「ううん、家の近くだから決めただけ」
「そ~か~。中学の頃って~、何かやりたいとか思ってた~?」
「そうだなぁ? ウェイトレスとかかな?」
「可愛い~。ボクもそういうのにすればよかったかな~?」

 澄藍はびっくりして、コントローラーのボタンを誤って早く押し、主人公のセリフにすぐ変わってしまった。

「え? 加地くんがウェイトレスをするの!?」

 どこからどう見ても、十代後半の青年であり、女装趣味などという設定はなかった。キャラクターが可愛く小首を傾げる。

「そうかも~?」
「どういうこと?」
「な~んちゃってかも~?」

 こういう話し方であり、こういう人物だと思い、主人公は気にせず先に話を進めた。

「本当は何がしたかったの?」
「ボクはね、デバッカーかなぁ~?」
「ゲーム好きだもんね?」
「そうかも~?」
「あ、こんな時間だ、じゃあまたね」
「うん、バイバ~イ」

 眠くなるくらい間延びした声で言って、画面から消え去った。主人公は一人きりの路上で、ぽつりつぶやく

「ウェイトレスって……。加地くん、おもしろいなぁ~」

 場面展開がされて、澄藍はスルーしていこうとした。

「会話は終了。普通に会って、話して――!」

 今何が起きたのか気づいて、途中で家中に広がるような悲鳴を上げた。

「きゃあぁぁぁぁっっっ!!!!」

 澄藍はコントローラーを机の上に放り投げて、両手で顔を覆った。

「今の会話、全部罠だった!」

 孔明の話してきた会話のほとんどが疑問形だった。それは罠の基本だと彼女は既に学んでいたが、あの間延びした口調にだまされたのだ。

「やられた~! 孔明さんに!」

 いつもその口調で話しているから、その人がそういう人とは限らない。という可能性があることを、澄藍はすっかり忘れていた。

「天才軍師が恋愛するとこうなるのか!」

 疑問形は相手の情報を得るための手段。しかし、彼の疑問形はそれだけではなかった。別の意味があり、全ての会話が何重にも罠が仕掛けられていたのだった。

「いや~~~! もう、完敗です!」

 テレビゲームだからこそ、振り返ってみることもできるが、今のを現実でやられたら、気づかないうちにスルーしているのが現状だ。澄藍は変な意地が働いて、今の場面をもう一度見ようとは思わず、記憶力だけでたどった。

 孔明のイメージと言えば、さわやか好青年で頭が非常にいい。しかし、彼女にとってはそんな男はどうでもよかった。なぜなら、一癖も二癖もある男が好みだからだ。

 コウがなぜか心配していたが、それには及ばなかった。彼女の脳裏にきちんと印象が残り始めた。

 今までの場面でも罠があったのかもしれない。そう思うと、澄藍の手は止まってしまうのだった。

「普通の会話だと思っただろう?」

 突然子供の声が響き渡った、ヘッドフォンをしているのも関わらず。普通だと思っていた男が実は一番扱い注意だったと知り、澄藍は子供の姿をした神様に泣きつく。

「あぁ、コウ。やられたよ!」

 ふんぞり返りながら、コウの小さな足はぴょんぴょんとコミカルな音を立てて、女のまわりを歩き出した。

「とりあえず、この前のゲームで何か気づいたことなったか?」
「あぁ、中間テストのヤマをかける話」
「どう言ってた?」
「普通さ、先生がどこを重点的に教えてたとか、教科書のどの部分とかの話じゃない?」
「それは当たり前の話だな」

 コウはバッサリ切り捨てた。それでは軍師という職業には到底着けないだろう。無駄死にもいいところである。

「だからさ、こう言ったんだよね。『政府の政策が何かを知ってれば、ヤマが当たるよね』って」
「そのレベルじゃないと、孔明とは少なくとも言えないな」

 見ている範囲と方向が違う。覚えている出来事がやはり今までの全てなのだ。しかも、それを高校生でやるというところも重要。神威かむいの効いた作品である以上、セリフに失敗するとは思えない。

 そうなるとやはり、孔明が平和な国で高校生をしたら、こうなる可能性が十分あるということだった。感覚で長らく生きていた澄藍は最近ようやくこの話が理解できるようになった。

「教育ってさ、国っていう組織の中で生きていくのに、最低限の共通事項を覚えるためのものじゃない? だから、合ってるんだよね。こんな考え方をするんだ、高校生なのにさ」

 神の力で棚から出した本を階段のようにして、コウは上へ登ってゆく。それを見ながら、澄藍は大いに感心していた。

 さっきの悲鳴を聞いていたコウとしては、いつまでも話を進めない人間の女に先を促した。

「それで、今騒いでたのは、どういうことだ?」

 恋愛を命がけの戦争と同じ目線で見たらどうなるか。

「恋愛をするってことだから、最終目的は相手の気持ちを自分へ向ける。これが作戦成功ってことだよね?」
「そうだ」
「ってことはさ、まず最初にやることは、相手が自分に興味を持ってるかどうかを知る必要があるよね?」

 接触しないとこれはわからない。しかも、接触しないとコミニケーションは取れない。

「具体的に、どういう方法だ?」
「自分について聞いてくるか、聞いてこないか。もしくは、偶然会っても、話をするか、挨拶だけで終わるか」
「最初に何してきた?」

 全てを記憶していない澄藍は、挨拶をすっ飛ばしていた。

「偶然だねって言ってたけど、バイトからの帰り道だから、大抵その時間にそこを通ってるってことだよね? だから、偶然のふりをしてる」

 挨拶をすることも、何気ない振りを装う術のひとつ。階段のように並んでいた本が斜めに傾き、滑り台のようにつながり、コウは勢いよく降りていった。

「それじゃ、罠はひとつだ。天才軍師の仕業とは言えない」

 ひとつの言動からいくつも見出す。

「それを相手が怪しんでる様子がないように見えるってことは、そのあとの会話以降、多少は簡単な罠でも相手は引っかかる可能性が高いになる」
「他には?」
「同じ理由で、自分に対して相手が警戒心を持ってない。相手が自分に興味を持っていないという可能性は最初より低くなる」

 探偵が犯人探しをするように、考え出した澄藍に、コウがあの世で今出した虫眼鏡が渡された。彼女はそのレンズをのぞき込み、ゲームの画面に当てる。

「途中で、ウェイトレスになりたいみたいに聞こえるように言ってたけど、はっきりとは言ってないから、違う可能性が高い」

 夕日をレンズに当てて、そこから床に伸びた光をたどると、コウがふわふわと本を神の力で持ち上げ、棚に戻しているところだった。

「でも、それが返って、印象に残ることになる。つまり、他の男の人たちから差をつけられる可能性が出てくる。恋愛シミレーションゲームだから、自分を選択してもらわないと、意味がないから、その対策でもある」

 現実の恋愛でもライバルは数いる。その中から自分を選ばせるには、アクシデントと見せかけて、わざと印象に残るものを起こすことなど恋する軍師はできるのだ。

 恋愛を理論立てて考えたら、この流れになっている。当事者は感情に流されているから、そのことを客観的に見れないだけで、相談相手が言っている内容はつまりはこういうことなのだった。

「そのあと、嘘だと言って、自分のことを相手が聞くように仕向けてる。それを聞いてしまうと、さらに相手が自分に興味を持っている可能性は上がる。興味がなければ聞かない。しかも、さりげなく自分の好きなものも教えてる。それは同時に、怪しまれないための会話でもある」

 質問の内容がどうとかいう問題の前に、仕向けられているのだ。嘘だったと言われたら、本当のことを聞きたくなるのが人情。それを聞いた時点で、罠に引っかかっている――孔明の思うままなのだった。

 聞きたくないのなら、戸惑ったりする可能性が高いのだから。平気で聞き返したら、ますます可能性は上がる。

 質問をする疑問形と違うもうひとつのことに、澄藍は捜査のメスを入れた。

「『そうかも?』は、不確定な上に疑問形になってるから、相手に情報が伝わりづらい。質問をしている限り、自分の情報は漏洩しないけど、相手が答えてくれば、情報は手に入れられる」

 これを撃退する方法はある。質問し返せばいい。しかし、これは孔明には聞かない。さっきのわざと質問させるという罠が常に張られているからだ。澄藍は手強いことを痛感した。

「次に会った時は、ウェイトレスとデバッカーとゲームの情報を使って、罠を組み立ててくる可能性大。相手の話題に合わせられる可能性が上がる。だから、お互いの心の距離が縮まる可能性は上がる……」

 恋する天才軍師の作戦通り、ますます進んでゆくというものだ。孔明らしい恋愛の仕方を前にして、コウは書斎机の上にちょこんと座り、まとめ上げる。

「お前が考えすぎなんじゃなくて、理論ができないやつは、気づかないですぎてく。だけど、まだまだだ。他にも罠は隠れてる」

 罠だと気づく繊細さもないのなら、孔明の思惑通りに動かされ続ける。彼から見たら、相手に意外性がなく恋愛対象にもならないだろう。つまりは彼にとってその他大勢と変わらない。

 彼の特別な存在になるためには、思考回路を多少なりとも理解して、同じ土俵に立たないといけない。これが孔明を――いや理論で考えている相手を攻略する方法――恋の勝利ということだ。

「マジですごい人だ」

 テレビゲームの説明書をめくって、澄藍は感嘆した。

「これは氷山の一角だ」

 コウの近くに置いてあったコーヒーを飲み、彼女は珍しくにっこり微笑む。

「私は何も考えずに、このまま罠に埋もれて、恋愛するのがいいかも?」

 望んでいるかもしれないし、嘘かもしれない。

「お前も少しできるようになったな、理論を」
「そうかも?」

 調子に乗って、恋する天才軍師の手口を多用し始めた、澄藍はさわやか好青年は見た目だけのキャラクターをじっと見つめて、

「でも、感情もきちんと持ってる人だ。そんな感じがする?」

 コウの姿はもう消え去っていて、感情を冷静な頭脳で押さえ込んでいる孔明と、面影が重なる人をふと思い出した。

 コーヒーカップをソーサーへ置き、一人きりの部屋でカチャンと食器の鳴る音が、青の王子を脳裏に色濃く蘇らせた。コウからあの日以来何も聞かないが、もう結婚したのだろうと、澄藍は思うと、急に視界が涙でにじんだ。

「理論を使うたび思い出すなら、使わなければいいと思う。だけど、人生は勘や感情だけでは決してうまくいかない。やっぱり理論が必要。だから、光命ひかりのみことさんに感謝します。私に理論を教えてくださるきっかけになっていただいて。私の人生を大きく変えていただいて、本当にありがとうございます」

 叶わないのなら、会うこともないのなら、せめて、人間として神様に感謝をしようと、澄藍はそう思うのだった。たとえ光命に届いていなくても。
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