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従兄弟と仕事と秘密と
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夜空から流れ落ちる光る滝のように、摩天楼がそびえ立っている。ルーフバルコニーでは、よく冷やされたシャンパンが細長いグラスの中で、小さな泡を打ち上げ花火のようにシュワシュワと弾けさせる。
庭の奥では地平線がはるか遠くで半円を描いていた。ライトアップされた下で、青々とした生命の息吹を強く感じる草原が、風が吹くたびザワザワと揺れる。新しい手で打たれてゆくチェス盤に、冷静な水色の落とされていた。
可能性の数値を測りながら、何手先までも読み切り、神経質な指先は駒をひとつ前のマスへ進ませた。
「夕霧、地球という場所を知っていますか?」
「知っている」
地鳴りのように低い声は簡潔に答えて、彼の前で駒がひとつ弾かれた。
「そうですか」
「なぜそんなことを聞く?」
はしばみ色の無感情、無動の瞳は不思議そうに、水色の冷静なそれに上げられた。光命は優雅に微笑みながら――ポーカフェースでこう言った。
「気まぐれですよ」
生まれてやっと半年が経とうとしている夕霧命は、従兄弟の手口が日に日に巧妙になっていくため、おかしいと気づかず、ただ相づちをし、
「そうか。光は興味があるのか?」
同じ質問をしたが、光命は曖昧な答えを言って、聞き返した――疑問形を投げかけた。
「そうかもしれませんね。あなたはあるのですか?」
「ある」
相手の番を待っている間、夕霧命はシャンパングラスに手を伸ばし、一口飲んだ。そうして、光命はまた疑問形。
「なぜですか?」
「人生という修業を、俺もしてみたい」
ビショップは白いマスへ落とされ、光命はまた疑問形。
「地球へ生まれ出るのですか?」
「それはまだわからんが、守護神の資格は取ろうと思っている」
そんな話は初耳だったが、光命は素知らぬふりで、まだ疑問形。
「資格とは具体的に、どのようものですか?」
「地上に生まれて死ぬか、それと同等の経験をこの世界でするかが必要だ」
陛下が決めた新しいルールのひとつ。神々と人々の暮らす世界は違いが多すぎる。それなのに、人の人生を守護し、導くのには無理がある。だから、身をもって体験した者しかなれない。
未だ気づかず、真っ直ぐ答えてくる従兄弟に、光命は疑問形――罠を仕掛け続ける。
「夕霧はどちらで資格を取るのですか?」
「この世界からいなくなることはできない。だから、後者の方だ」
光命の冷静な瞳はついっと細められた。
おかしい――。
私たちは十八歳です。十分大人です。ですから、地球へ行かない理由としてはこちらでは少々おかしいです。従って、別の理由がある可能性が99.99%。
ここまでの思考時間は0.1秒。夕霧命が手を考えている前で、光命の細い足は優雅に組み替えられ、疑問形――これに答えたら、夕霧命の情報が光命に渡る。
「なぜ、いなくなることができないのですか?」
「好きな女ができた――」
答えてしまった。シャンパングラスを神経質な指先でそっと取り上げ、光命は心の中で密かに祝杯を上げる。
最近、従兄弟の様子がおかしいと思っていたが、罠を仕掛けた通り情報が出てきた。恋に落ちていたのだった。
*
国家機関の中でも、環境整備を担当する組織。その制服は秀美。芸術の才能に富んだ神がデザインしたものだからだ。
高貴の意味を表す紫。そのマントが初夏の風に威風堂々と翻る。襟元にアクセントとしてつけられた鮮やかな水色――ターコイズブルーのリボンが揺れる。
上下白の服に、膝までの黒いロングブーツ。腰元には所持義務の細身の剣――レイピアが威厳を持っていた。
背が高くキリッとしたイケメンの隊長が、ダンディーに微笑む。
「紀花 夕霧命」
「はい」
呼ばれて、深緑の短髪は前へ進み出た。
「躾隊少将に任命する」
「ありがとうございます」
夕霧命は丁寧に頭を下げて、自分が元いた場所へ戻った。背丈が百九十センチを超えた、イケメンの隊長だったが、いきなり背が縮んだ。
五十センチぐらいの小さなバーコード頭の親父に変身して、マイクに自分の背が届かず、ぴょんぴょんと跳ねたり、まわりを落ち着きなく見渡して、助けを求める仕草をし始めた。
「くくく……」
夕霧命は噛み締めるように笑った。まったく、この世界の大人――いや男どもときたら、率先して笑いを取りにくるのだ。
どのような状況になろうとも力が抜けていて、明るく前向きに進んでいってしまう。それは、いろいろな経験をしてきた年長者だからだと、夕霧命は改めて思った。自分が気にかけている地球では、年齢を重ねると硬くなってしまう人が多いと聞く。なぜそんなことが起きるのかと首を傾げてしまうが。
苦肉の策――笑いの落ちとして、隊長は浮遊してマイクの位置まで登った。バーコード頭の実はイケメンなのに、親父のふりをしている男は、わざとらしく咳払いをして話し始める。
「え~、私たち躾隊は、国家の環境維持を陛下から任された機関でございます。新しい社会の中で、対応不足のところがまだまだあり、私たちを必要とされる一般市民の方はたくさんおります。え~ですから、できるだけ早く解決できるよう、常日頃考え、まい進してまいりましょう。それでは本日から入隊された方、共に任務に励みましょう。よろしくお願いいたします」
新任隊員の任命式が終わり、たくさん集まっていた隊員たちはそれぞれの任務へ向かい始めた。少し遠くの城の入り口から、女性たちが次々に出てきて、停車していたリムジンのまわりに整列し始めた。
「あれは?」
城のそばに暮らす生活をしているが、それぞれの家の敷地は地球何個分という広さであり、いちいち動きを監視しているものでもない。夕霧命は女性たちが並ぶという現象が単に気になった。
同じ隊の先輩が、犬の顔でのぞき込んできた。
「どうした? 紀花」
「あれは何かの団体ですか?」
指を差すと、弓形の目が同じ方向へ向き、先輩が何かと見極めると、夕霧命へ向き直った。
「煌輝隊だ」
「こうきたい?」
ある意味、自分たちの躾隊より有名だが、女性しか所属できない隊。先輩は毛に覆われた両腕を組んで、うんうんと何度もうなずく。
「そうか。まだこの世界に生まれたばかりだったな。女王陛下の侍女たちだ。つまりは、女王陛下の荷物を持ったり、身の回りのことを代わりにする係だな」
「そうですか。ありがとうございます」
夕霧命がお礼を言うと同時に、女王陛下を乗せたリムジンが玄関ローターリーから正門へと走り出した。侍女たちが動き出した中で、一人の女が無感情、無動のはしばみ色の瞳に目を止めた。夕霧命は思う。
(あの女は母に似ている……)
立ち姿から、振り返り方、視線の動かし方までそっくり。しばらく視線を動かさないでいると、女が色っぽく微笑んだ。
(俺を見ている……?)
他の隊員の声が耳に入って、止まっていたような時間は再び動き出した。
*
夕霧命の話は終わった。恋がどんなものか知りたい光命。庭の景色を眺めながら、足を優雅に組み替えして、物憂げに頬杖をつく。
人を愛することはとても素晴らしく、尊いものだと、両親から教えられた。それは言葉の時もあれば、態度や相手を思いやる気持ちでもあった。
それが、従兄弟の身に近づいているのであれば、ぜひとも結ばれて幸せになってほしいと、光命は願うのだった。だからこそ、彼なりの質問を投げかける。
「目が合ったのは何回ですか?」
「見かけるたび、毎回だ」
瞬発力のある自分とは反対に、いつでも後手後手。導き出した可能性通り、まだ行動していないと言う。ただの従兄弟として、今度は自分がエールを送る番だ。光命はそう思った。
「それならば、気持ちを伝えてはいかがですか?」
「何て言えばいい?」
恋愛に興味などほとんどなったが、突然出逢ってしまい、模範となるものが、夕霧命にはどこにもなかった。
「あなたらしく、そのままを伝えればよいのではありませんか?」
「そうする」
夕霧命が結婚をしたとしたら、遊びにいく家は変わるのだろう。話す内容も変わるのだろう。そうなれば、新しい可能性を導き出すために、日々が今よりも鮮やかな色を持つだろう。
何よりも人として、誰かが幸せになることは、見ていて気持ちのいいものだ。自分も幸せになる。光命はシャンパンの酔いと従兄弟の恋に身を任せ、至福の時に浸る。
恋の話を最初にしてきたのは光命だった。それなのに、自分の好きな人の話を今はしている。夕霧命は地鳴りのような低い声を、夏の夜の空気にじませた。
「お前は?」
「私はどなたも愛していませんよ」
音楽事務所には、女性アーティストはたくさんいる。廊下で出会い、話などもするが、光命の中で恋愛をするという可能性の数値は0.01%も上がることはなかった。同僚同士での結婚式へ招待されることが多くても。
他の宇宙へゆく飛行船が赤いランプを点滅させながら、摩天楼の合間を飛んでゆく。あっという間に大人になった自分たちと同じように、世の中は目まぐるしい変化を遂げている。
次々に新しい宇宙が開拓され、国は広がり続けているが、今では、陛下の霊層は上がり、自分たちの神々の世界へとどんどん登っている。科学技術は著しい発展を見せ、あの飛行船の輸送時間が大幅な短縮が繰り返されている。
上の世界からこの世界へ、魂を磨くための修業として、生まれ変わる者が増えてきているという話はよく聞く。成長し続ける世の中。その首都。しかも中心である城のすぐ隣に屋敷がある光命と夕霧命だったが、彼らの生活は他の誰とも違っていなかった――平等だった。
風で落ちてしまった後毛を、光命は神経質な指先で耳にかけた。
「仕事はいかがですか?」
「ぼちぼちだ」
「そうですか」
六百八十七年経たなければ、十九歳にはならない。ゆったりとした時の流れの中でも、お互いの生活は少しずつ変わり始めていた。
「お前は?」
チョコレートをひとつ口の中へ入れて、夕霧命の視線が光命に向かった。社会人として――いやミュージシャンとして誰にも言えないが、従兄弟にだけは伝えたかった。
「こちらの話はここだけにしておいてください」
「わかった」
いつも家に来ると、クラシックの旋律が屋敷の庭にまで流れてきて、音符がまるで輪舞曲を踊るようにくるくると回っている。それほど一日中、音楽と戯れている従兄弟は優雅に微笑んで、
「自作のCDを来月に出し、音楽界へデビューします」
そう言う光命はどこまでも冷静だった。浮き足立った気持ちなどない。自分の才能におごり高ぶることも。
世の中には何百億年も生きている大人がいる。この世界は努力するのが当たり前で、数ヶ月しか生きていない若い自分たちがどうやっても追いつけない。だからこそ、謙虚であり続けることができるのだ。
夕霧命ははしばみ色の瞳を細め、珍しく微笑んだ。
「そうか。お前も順調そうだ」
よきライバルとして、切磋琢磨できる関係。光命は優雅な声で、「えぇ」とうなずき、夜空を見上げた。
「神のお陰で好きな仕事にもつけ、日々望む通りに進んでいます」
両親も首をかしげる単語で、夕霧命も同じく不思議そうな顔をした。
「教会? には頻繁に行っているのか?」
「いいえ。私は神職ではありませんからね、月に一度や二度です」
紺の長い髪は横へ揺れた。光命に霊感はなかったが、宗教というものが新しい世界には生まれて、神様に感謝をするという習慣を持っていた。
「そうか」
お手伝いさんには断りを入れている、ふたりきりの誰も来ないルーフバルコニー。虫も存在しないこの世界では、都会の騒音が時折、夜風と一緒に耳へと運ばれる。
光命は書斎机の引き出しに昨日しまった手紙についての記憶を、今デジタルに蘇らせた。
初めて城へと上がったあの日。陛下の執務室から出てくると、一人の男が近づいてきて、名刺を差し出した。
それは出版権を取り扱う団体で、取材をさせてほしいとのことだった。それに応じると、ぜひお願いしたいことがあると言われ、詳しい説明を聞いたあと承諾して、日常生活にちょっとした動きが出てきた。
「あなたのところにもゲームイベントへ、モデルとして参加する旨を問う手紙は来ましたか?」
「来た」
ゲームである以上、キャラクターの声優がイベントに出るのが常だが、神様の世界は違っていた。そのモデルになった人も一緒に出ることになる。つまり、キャラクター一人に対して、二人出演するのだ。
光命は思う。自身は音楽家だ。人前に出ることもあり、それに関しては既に了承済みだが、国家公務員の従兄弟は一般の人間だ。単純に気になった――情報をほしがった。
「あなたはどのように思っているのですか?」
「あまり気は進まんが、出る。お前は?」
「参加させていただきます。私のような人生経験のない者を、モデルにしていただいたお礼をしなくてはいけませんからね」
人前に立つための練習――情報源がめぐってくるかもしれないのなら、光命が出ない理由はなかった。もちろん、神にも感謝をする彼は、嘘も言っていなかった。
夕霧命はシャンパンを少し飲んで、珍しくあきれた顔をする。
「お前が出たら、ファンができそうだ」
自分はないだろうと思う。実際、侍女の女は別として、視線が合った異性などいない。しかし、目の前に座っている従兄弟は違う。
だが、チョコレートをひとかけら入れた中性的な唇が、おどけた感じで微笑んだ。
「陛下や他にも魅力的な男性が参加されますから、私にはどなたも振り向きませんよ」
「お前はいつも謙遜する。街を歩くと、全員振り返ってお前のことを見てる」
興味がないと言うように、光命はチェアにひじをもたれかからせ、遠くの泉で水が落ちる音に耳を傾けた。
「そうですか?」
「そうだ。釘付けという言葉はお前にあるようなもんだ」
「なぜ、そのようなことが起きるのでしょうね?」
「詳しいことはわからないが、お前が人より綺麗だからだ」
紺の髪は肩より長く、質感はしなやかでありながらコシがある。逆三角形の体型は男性的なのに、全体を見ると中性的。神経質でありながら、瞬発力で大胆さを発揮する。
永遠の世界なのに、ガラス細工のような繊細で壊れやすさを持つ。真逆が生み出すギャップ。光命の魅力はそこにあると、夕霧命は思っていた。
「そうですか……」
遊線が螺旋を描く声は勢いがなく、庭の草の上に落ちた。冷静な水色の瞳は陰っていて、その視線の先には、隣接する城が映っていた。
夕霧命はそれを追って、同じものを見つめる。
「陛下のことを気にしているのか?」
「いいえ、気にしてなどいませんよ」
首を横に振って、光命は平然と嘘をついた。このことだけは、目の前にいる男しか今は共有できない気持ちだと判断し、
「あなたはどのように思っていますか?」
事情を知らない人が聞いたら、首を傾げてしまうようなことを、夕霧命は言った。
「親は親だ。甥は甥だ」
「そうですか」
静かな夏の夜に、うなずきでも意見でもなく、情報漏洩を避けるための相づちが響き渡った。
庭の奥では地平線がはるか遠くで半円を描いていた。ライトアップされた下で、青々とした生命の息吹を強く感じる草原が、風が吹くたびザワザワと揺れる。新しい手で打たれてゆくチェス盤に、冷静な水色の落とされていた。
可能性の数値を測りながら、何手先までも読み切り、神経質な指先は駒をひとつ前のマスへ進ませた。
「夕霧、地球という場所を知っていますか?」
「知っている」
地鳴りのように低い声は簡潔に答えて、彼の前で駒がひとつ弾かれた。
「そうですか」
「なぜそんなことを聞く?」
はしばみ色の無感情、無動の瞳は不思議そうに、水色の冷静なそれに上げられた。光命は優雅に微笑みながら――ポーカフェースでこう言った。
「気まぐれですよ」
生まれてやっと半年が経とうとしている夕霧命は、従兄弟の手口が日に日に巧妙になっていくため、おかしいと気づかず、ただ相づちをし、
「そうか。光は興味があるのか?」
同じ質問をしたが、光命は曖昧な答えを言って、聞き返した――疑問形を投げかけた。
「そうかもしれませんね。あなたはあるのですか?」
「ある」
相手の番を待っている間、夕霧命はシャンパングラスに手を伸ばし、一口飲んだ。そうして、光命はまた疑問形。
「なぜですか?」
「人生という修業を、俺もしてみたい」
ビショップは白いマスへ落とされ、光命はまた疑問形。
「地球へ生まれ出るのですか?」
「それはまだわからんが、守護神の資格は取ろうと思っている」
そんな話は初耳だったが、光命は素知らぬふりで、まだ疑問形。
「資格とは具体的に、どのようものですか?」
「地上に生まれて死ぬか、それと同等の経験をこの世界でするかが必要だ」
陛下が決めた新しいルールのひとつ。神々と人々の暮らす世界は違いが多すぎる。それなのに、人の人生を守護し、導くのには無理がある。だから、身をもって体験した者しかなれない。
未だ気づかず、真っ直ぐ答えてくる従兄弟に、光命は疑問形――罠を仕掛け続ける。
「夕霧はどちらで資格を取るのですか?」
「この世界からいなくなることはできない。だから、後者の方だ」
光命の冷静な瞳はついっと細められた。
おかしい――。
私たちは十八歳です。十分大人です。ですから、地球へ行かない理由としてはこちらでは少々おかしいです。従って、別の理由がある可能性が99.99%。
ここまでの思考時間は0.1秒。夕霧命が手を考えている前で、光命の細い足は優雅に組み替えられ、疑問形――これに答えたら、夕霧命の情報が光命に渡る。
「なぜ、いなくなることができないのですか?」
「好きな女ができた――」
答えてしまった。シャンパングラスを神経質な指先でそっと取り上げ、光命は心の中で密かに祝杯を上げる。
最近、従兄弟の様子がおかしいと思っていたが、罠を仕掛けた通り情報が出てきた。恋に落ちていたのだった。
*
国家機関の中でも、環境整備を担当する組織。その制服は秀美。芸術の才能に富んだ神がデザインしたものだからだ。
高貴の意味を表す紫。そのマントが初夏の風に威風堂々と翻る。襟元にアクセントとしてつけられた鮮やかな水色――ターコイズブルーのリボンが揺れる。
上下白の服に、膝までの黒いロングブーツ。腰元には所持義務の細身の剣――レイピアが威厳を持っていた。
背が高くキリッとしたイケメンの隊長が、ダンディーに微笑む。
「紀花 夕霧命」
「はい」
呼ばれて、深緑の短髪は前へ進み出た。
「躾隊少将に任命する」
「ありがとうございます」
夕霧命は丁寧に頭を下げて、自分が元いた場所へ戻った。背丈が百九十センチを超えた、イケメンの隊長だったが、いきなり背が縮んだ。
五十センチぐらいの小さなバーコード頭の親父に変身して、マイクに自分の背が届かず、ぴょんぴょんと跳ねたり、まわりを落ち着きなく見渡して、助けを求める仕草をし始めた。
「くくく……」
夕霧命は噛み締めるように笑った。まったく、この世界の大人――いや男どもときたら、率先して笑いを取りにくるのだ。
どのような状況になろうとも力が抜けていて、明るく前向きに進んでいってしまう。それは、いろいろな経験をしてきた年長者だからだと、夕霧命は改めて思った。自分が気にかけている地球では、年齢を重ねると硬くなってしまう人が多いと聞く。なぜそんなことが起きるのかと首を傾げてしまうが。
苦肉の策――笑いの落ちとして、隊長は浮遊してマイクの位置まで登った。バーコード頭の実はイケメンなのに、親父のふりをしている男は、わざとらしく咳払いをして話し始める。
「え~、私たち躾隊は、国家の環境維持を陛下から任された機関でございます。新しい社会の中で、対応不足のところがまだまだあり、私たちを必要とされる一般市民の方はたくさんおります。え~ですから、できるだけ早く解決できるよう、常日頃考え、まい進してまいりましょう。それでは本日から入隊された方、共に任務に励みましょう。よろしくお願いいたします」
新任隊員の任命式が終わり、たくさん集まっていた隊員たちはそれぞれの任務へ向かい始めた。少し遠くの城の入り口から、女性たちが次々に出てきて、停車していたリムジンのまわりに整列し始めた。
「あれは?」
城のそばに暮らす生活をしているが、それぞれの家の敷地は地球何個分という広さであり、いちいち動きを監視しているものでもない。夕霧命は女性たちが並ぶという現象が単に気になった。
同じ隊の先輩が、犬の顔でのぞき込んできた。
「どうした? 紀花」
「あれは何かの団体ですか?」
指を差すと、弓形の目が同じ方向へ向き、先輩が何かと見極めると、夕霧命へ向き直った。
「煌輝隊だ」
「こうきたい?」
ある意味、自分たちの躾隊より有名だが、女性しか所属できない隊。先輩は毛に覆われた両腕を組んで、うんうんと何度もうなずく。
「そうか。まだこの世界に生まれたばかりだったな。女王陛下の侍女たちだ。つまりは、女王陛下の荷物を持ったり、身の回りのことを代わりにする係だな」
「そうですか。ありがとうございます」
夕霧命がお礼を言うと同時に、女王陛下を乗せたリムジンが玄関ローターリーから正門へと走り出した。侍女たちが動き出した中で、一人の女が無感情、無動のはしばみ色の瞳に目を止めた。夕霧命は思う。
(あの女は母に似ている……)
立ち姿から、振り返り方、視線の動かし方までそっくり。しばらく視線を動かさないでいると、女が色っぽく微笑んだ。
(俺を見ている……?)
他の隊員の声が耳に入って、止まっていたような時間は再び動き出した。
*
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人を愛することはとても素晴らしく、尊いものだと、両親から教えられた。それは言葉の時もあれば、態度や相手を思いやる気持ちでもあった。
それが、従兄弟の身に近づいているのであれば、ぜひとも結ばれて幸せになってほしいと、光命は願うのだった。だからこそ、彼なりの質問を投げかける。
「目が合ったのは何回ですか?」
「見かけるたび、毎回だ」
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「それならば、気持ちを伝えてはいかがですか?」
「何て言えばいい?」
恋愛に興味などほとんどなったが、突然出逢ってしまい、模範となるものが、夕霧命にはどこにもなかった。
「あなたらしく、そのままを伝えればよいのではありませんか?」
「そうする」
夕霧命が結婚をしたとしたら、遊びにいく家は変わるのだろう。話す内容も変わるのだろう。そうなれば、新しい可能性を導き出すために、日々が今よりも鮮やかな色を持つだろう。
何よりも人として、誰かが幸せになることは、見ていて気持ちのいいものだ。自分も幸せになる。光命はシャンパンの酔いと従兄弟の恋に身を任せ、至福の時に浸る。
恋の話を最初にしてきたのは光命だった。それなのに、自分の好きな人の話を今はしている。夕霧命は地鳴りのような低い声を、夏の夜の空気にじませた。
「お前は?」
「私はどなたも愛していませんよ」
音楽事務所には、女性アーティストはたくさんいる。廊下で出会い、話などもするが、光命の中で恋愛をするという可能性の数値は0.01%も上がることはなかった。同僚同士での結婚式へ招待されることが多くても。
他の宇宙へゆく飛行船が赤いランプを点滅させながら、摩天楼の合間を飛んでゆく。あっという間に大人になった自分たちと同じように、世の中は目まぐるしい変化を遂げている。
次々に新しい宇宙が開拓され、国は広がり続けているが、今では、陛下の霊層は上がり、自分たちの神々の世界へとどんどん登っている。科学技術は著しい発展を見せ、あの飛行船の輸送時間が大幅な短縮が繰り返されている。
上の世界からこの世界へ、魂を磨くための修業として、生まれ変わる者が増えてきているという話はよく聞く。成長し続ける世の中。その首都。しかも中心である城のすぐ隣に屋敷がある光命と夕霧命だったが、彼らの生活は他の誰とも違っていなかった――平等だった。
風で落ちてしまった後毛を、光命は神経質な指先で耳にかけた。
「仕事はいかがですか?」
「ぼちぼちだ」
「そうですか」
六百八十七年経たなければ、十九歳にはならない。ゆったりとした時の流れの中でも、お互いの生活は少しずつ変わり始めていた。
「お前は?」
チョコレートをひとつ口の中へ入れて、夕霧命の視線が光命に向かった。社会人として――いやミュージシャンとして誰にも言えないが、従兄弟にだけは伝えたかった。
「こちらの話はここだけにしておいてください」
「わかった」
いつも家に来ると、クラシックの旋律が屋敷の庭にまで流れてきて、音符がまるで輪舞曲を踊るようにくるくると回っている。それほど一日中、音楽と戯れている従兄弟は優雅に微笑んで、
「自作のCDを来月に出し、音楽界へデビューします」
そう言う光命はどこまでも冷静だった。浮き足立った気持ちなどない。自分の才能におごり高ぶることも。
世の中には何百億年も生きている大人がいる。この世界は努力するのが当たり前で、数ヶ月しか生きていない若い自分たちがどうやっても追いつけない。だからこそ、謙虚であり続けることができるのだ。
夕霧命ははしばみ色の瞳を細め、珍しく微笑んだ。
「そうか。お前も順調そうだ」
よきライバルとして、切磋琢磨できる関係。光命は優雅な声で、「えぇ」とうなずき、夜空を見上げた。
「神のお陰で好きな仕事にもつけ、日々望む通りに進んでいます」
両親も首をかしげる単語で、夕霧命も同じく不思議そうな顔をした。
「教会? には頻繁に行っているのか?」
「いいえ。私は神職ではありませんからね、月に一度や二度です」
紺の長い髪は横へ揺れた。光命に霊感はなかったが、宗教というものが新しい世界には生まれて、神様に感謝をするという習慣を持っていた。
「そうか」
お手伝いさんには断りを入れている、ふたりきりの誰も来ないルーフバルコニー。虫も存在しないこの世界では、都会の騒音が時折、夜風と一緒に耳へと運ばれる。
光命は書斎机の引き出しに昨日しまった手紙についての記憶を、今デジタルに蘇らせた。
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それは出版権を取り扱う団体で、取材をさせてほしいとのことだった。それに応じると、ぜひお願いしたいことがあると言われ、詳しい説明を聞いたあと承諾して、日常生活にちょっとした動きが出てきた。
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光命は思う。自身は音楽家だ。人前に出ることもあり、それに関しては既に了承済みだが、国家公務員の従兄弟は一般の人間だ。単純に気になった――情報をほしがった。
「あなたはどのように思っているのですか?」
「あまり気は進まんが、出る。お前は?」
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夕霧命はシャンパンを少し飲んで、珍しくあきれた顔をする。
「お前が出たら、ファンができそうだ」
自分はないだろうと思う。実際、侍女の女は別として、視線が合った異性などいない。しかし、目の前に座っている従兄弟は違う。
だが、チョコレートをひとかけら入れた中性的な唇が、おどけた感じで微笑んだ。
「陛下や他にも魅力的な男性が参加されますから、私にはどなたも振り向きませんよ」
「お前はいつも謙遜する。街を歩くと、全員振り返ってお前のことを見てる」
興味がないと言うように、光命はチェアにひじをもたれかからせ、遠くの泉で水が落ちる音に耳を傾けた。
「そうですか?」
「そうだ。釘付けという言葉はお前にあるようなもんだ」
「なぜ、そのようなことが起きるのでしょうね?」
「詳しいことはわからないが、お前が人より綺麗だからだ」
紺の髪は肩より長く、質感はしなやかでありながらコシがある。逆三角形の体型は男性的なのに、全体を見ると中性的。神経質でありながら、瞬発力で大胆さを発揮する。
永遠の世界なのに、ガラス細工のような繊細で壊れやすさを持つ。真逆が生み出すギャップ。光命の魅力はそこにあると、夕霧命は思っていた。
「そうですか……」
遊線が螺旋を描く声は勢いがなく、庭の草の上に落ちた。冷静な水色の瞳は陰っていて、その視線の先には、隣接する城が映っていた。
夕霧命はそれを追って、同じものを見つめる。
「陛下のことを気にしているのか?」
「いいえ、気にしてなどいませんよ」
首を横に振って、光命は平然と嘘をついた。このことだけは、目の前にいる男しか今は共有できない気持ちだと判断し、
「あなたはどのように思っていますか?」
事情を知らない人が聞いたら、首を傾げてしまうようなことを、夕霧命は言った。
「親は親だ。甥は甥だ」
「そうですか」
静かな夏の夜に、うなずきでも意見でもなく、情報漏洩を避けるための相づちが響き渡った。
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