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愛ゆえに遠くて

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 合わせ鏡でもしたかのように廊下のガス灯がどこまでも続く夜更けの廊下。青緑の南半球の海を思わせる浅葱あさぎ色の絨毯は今は夜色に変わり、その上に、履き慣らされた黒のショートブーツとバックルの整列するヒールつきのゴスパンクロングブーツが止まっていた。

 部屋のドアの前に、オーロラブルーの宝石が薄闇に鈍い光を作り出している黒のロングブーツがスマートに部屋から出てきた。

(23時57分59秒。
 彼女を無事に保護することが出来ました)

 アパタイトのカフスボタンをともなった細く神経質な手がドアノブをそっと閉め、後ろに立つロングコートとサビ色のジャケットへ振り向こうとすると、水色の瞳から冷静さというものが突然なくなり、

「くっ!」
(薬が切れたみたいです)

 細身の白いスボンの両膝を大理石の廊下の床へどさっと落とし、瑠璃紺色のタキシードは脱力したように崩れ落ちた。さっきまでの優雅さはなく、全身にまとわりつく苦痛、欲望という名の渦が紺の肩より長い髪に乱れを作った。

 ロングコートの背の高い人は物音ひとつ立てずに艶やかに屈み込み、神経質で色白の横顔をのぞき込む。

「何錠飲んだ?」
(1錠だけでは、そうならん)

 理性というものが自分の中で、何かによって破壊されてゆく過程でも、冷静な頭脳で何とかあらがおうとするが出来ず、いつも流暢に話す人らしくなく、呼吸が激しく乱れ始め、言葉が滑らかに出せない。

「はぁ……ん……2……錠です」

 銀の満月の光の中でパパッと意識が飛び始めるが、それでも必死に耐えている線の細い瑠璃紺色のタキシードの背中へ、天へスカーンと抜ける俺様の声が激怒という色をともなって、人気のない長い廊下に響き渡った。

「貴様、なぜそんな無茶をしたっ!」

 体中の力が1箇所へ吸い寄せられていき、両膝でも立っていられなくなり、細く神経質な手は左は大理石、右は絨毯の上へ乗せられ、アンバランスという波間に沈んではもがき出てを繰り返す。

「仕方が……っ……なかった……くっ!」
(全てを成功させるという可能性の高いものが……。
 彼女と会う前にしてきた方法だった)

 とうとう丁寧語が消え、月明かりの中で四つんいで床を見つめたまま激しい息遣いで体が反動で上下を繰り返す。あの言葉を自由自在に操り、人を罠にはめては快楽に溺れ遊ぶ、優雅な男が床にひれ伏している、欲求という苦痛の中で。それを、銀の髪の奥に隠されている鋭利なスミレ色の瞳はもどかしさという怒りを露わにした。

「また、その頭で抑え込んで!」
「俺が運ぶ」

 袖口を肘手前までまくり上げた男らしい筋肉質な腕が、自分とは正反対の細い曲線美を描く同性のはずなのに女性に思えるそれに伸びようとした時、細く神経質な手はぎゅうと握られ、絨毯が歪みを作った。

「その前に……あぁっ! 約束……してください」

 未だに救いの手を自分たちへ伸ばさない紺の髪を持つ男のうずくまっている背中を射殺すように見ている銀の長い前髪の持ち主の奥行のある少し低めの声が、廊下のガラス窓を振動させるほどにまた響く。

「貴様の約束など聞くか!」

 冷静な氷の刃と言える水色の瞳からも、その特徴が奪われ始め、四肢から力が抜けていき、自分の一部分がドクンドクンと別の生き物のように脈打ち始めたのを感じながら、うめき声に言葉が埋もれる。

「してください。していただけない時は……はぁぁ! 寝室のドアは今後一切開けない」

 パーセンテージという数字を弾き出す人物。彼は理由があって、絶対に言い切らない、断定しない。だが、言い切った、断定した。丁寧語ではなく常体へ変わった。

 優雅さは完全に消え失せ、遊線が螺旋を描く声の持ち主がこんな話し方をする時は、本当のことを伝えていている。情報を引き出し、罠にはめるためなら平然と嘘をつく男。この男が真実を話す、第三者がいる前では絶対になかった。

 赤髪の男の地鳴りのような低い声が短くうなずく。

「する」

 ここまでの醜態しゅうたいを見せても、自分たちへは手を伸ばさない、冷静という名の強情を前にして、鋭利なスミレ色の瞳はあきれたように一旦閉じられ、どこまでも続くような廊下の端へ向けられ、再びまぶたを開けると従いという手立てを打った。

「……いい、聞いてやる」

 自分の中心より前で、押し広げられてゆく感覚が主導権を握ろうとしている中で、水色の瞳は既に苦痛というまぶたに閉じ込められていた。

「それでは……んんっ! 私の体へは決して触れないでください」
(愛しているからこそ、あなたたちに迷惑をかけたくない)

 優しさの果て、冷静な頭脳の向こう側、そこには愛というものが存在していた。瑠璃紺色のタキシードが屈みを作る一番奥を、無感動、無動のカーキ色の瞳が診断という名の視線で見ながら、それでもしなくてはいけないことを口にする。

「服は脱がす」
(この状態ではもう無理だ)

 鋭利なスミレ色の瞳は必死にもがき苦しんでいる線の細い男の背中へ再び戻され、天へスカーンと抜ける声で怒鳴り散らした。

「これは貴様の中のルールと違うだろうっ!」

 座ることも立つことも物理的に出来なくなり、紺の肩より長い髪は大理石と絨毯の上へどさっと落ち、神経質な横顔を見せても、拒否という言葉を言い続ける、うわ言のように。

さわらないで、れないで……」

 相手の意識が遠くへ行ってしまう前に承諾しなければいけない。相手が本気で言っていることに真摯な態度で接しなければならない。だが、どうやっても手を差し伸べたい。しかし、それを相手は絶対に望まない。

 銀の長めの前髪は左右へ揺れてを繰り返し、何とかそれでも、この男の言っていることをくつがえしたいという想いが広がっていたが、何を言っても絶対に聞き入れない、この男は。時間は迫っている、そうして、鋭利なスミレ色の瞳を持つ人は、ゴスパンクのロングブーツで夜色に変わっている絨毯を上から、これ以上ないほど悔しそうに強く蹴りつけた。

「くそっ!」

 自分のわがままとも言える意思が通り、目をつぶったままの紺色の髪を持つ男は礼儀正しくお礼を言おうとしたが、

「ありがとうござ⏤⏤」

 全身が一瞬痙攣けいれんしたかと思うと、動かなくなった。急に屈み寄ったことによって、銀の長めの髪がふわっと舞い上がり、スミレ色の瞳は両目が露わになり、3つの細いシルバーリングは呼びかけという名の揺さぶりを、瑠璃紺色のタキシードへかける。

「……ヒュラル! ヒュラルっ!」
「…………」

 だが、あんなに流暢に話していた男からは、もう言葉が返って来なかった。節々のはっきりした指を持つ赤髪の男は、何の反応も見せない男の首筋と手首に指を当て、長いまつげを持つまぶたを開けてみるが、

「ダメだ」
(意識がもうない)

 スミレ色の瞳の持ち主は絶対に地べたなどに手をつかないタチなのに、アマーリングをつけた左手に大理石の冷たさが広がり、悔しさという怒りが収まらず、気を失っている人へ怒鳴り続けた。

「貴様、なぜ言わなかった! 可能性を導き出したなら、俺たちに伝えろ! 何のため一緒にいると思っている!」

 その余韻が残る廊下から3人の姿はすうっと消え、ヨレてしまった絨毯に銀の満月の光が降り注いでいた。


 ⏤⏤⏤⏤氷輪が木々の上に止まっている星空の下で、噴水がサーっという澄んだ音を作り出す中庭から見上げると、レースのカーテンという霧の向こうで、部屋の明かりが最低限に落とされた空間がポツリと浮かんでいた。

 瑠璃紺色のタキシードは前へ屈み込み、壁側へ正面を見せるようにベッドの上へすうっと現れた。白い天幕の吊るされた八の字を描く狭間に、192cmのロングコートの男と185cmのサビ色のジャケットを着ている男が少し遅れて立った。

 赤髪の男の節々のはっきりしている指先が紺の髪の持ち主へ近づき、瑠璃色のリボンを慣れた感じでスッと引き抜き、ゴスパンクのロングブーツをクロスさせて立っている銀髮の持ち主へ振り返らず、指示を出す。

「ベルトを外せ」

 仰向けではなく、わざと壁向きに横たわされている瑠璃紺色のタキシードをまくり、ラピスラズリで装飾されたバックルへ神経質で繊細な手を伸ばし、金具を外そうとする。

「……っ!」

 だが、ベルトと腰の間に何かが入り込んだように窮屈になり、引っ張ってもなかなか抜けないでいて、相手の肉体の痛みへ土足で踏み込むような気持ちを感じ、スミレ色の瞳はシーツの上にためらいという視線を落とすが、覚悟を持って半ば意地でベルドをガッと引き寄せた。

「……っ!」

 瑠璃紺色のタキシード、シルクのブラウス、黒のロングブーツ、白の細身のズボン、何もかもが全て2人の男によって脱がされ、色白でなめらかな肌が全身に現れ、首元にはサファイアブルーのロザリオが宿命という名で横たわっていた。

 配慮という毛布が赤髪の男によってかけられると、悪夢としか言えない時間が始まった。冷静な水色の瞳は硬く閉じられたまぶたの向こう側のまま、利き手が衝動的に動き、自分の腰元にある肌という棒に慣れた感じで巻きつくと、壁と自分の体への往復をし始め、遊線が螺旋を描く声が喘ぎという色をともなって、部屋の外まで聞こえる大きさで響き始めた。

「あぁ、んん、はあぁ、くっ! あぁ、はぁ、あぁぁっ! んんっ! あ、あぁ、あぁっっ! っ!」

 その合間に、ビュビュッという液体が勢いよく出る音がし始め、それが、ビチャビチャという溢れ出すものへ変わった。

「あぁ、あぁっ、あぁぁっっ、あぁぁぁっっ!」

 上り詰めるようになってゆき、液体の音の間隔が短くなってゆく。

「あぁぁぁぁぁぁっっっ!!!!」

 毛布とシーツの隙間からビューッと力強い線を描き、壁にぶつかり、水しぶきを上げる、白く濁ったどろっとしたものが。

 赤髪の背の高い男は夜色が向こう側に広がるレースのカーテン越しに、腰で窓枠にもたれかかり、両腕を腹のあたりで組み、カーキ色の瞳の端でベッドを捉えたまま何も言わずに、今起きていることを静かに見守っていた。

 銀の長めの前髪を持つ男はドアを背にして、背中全体で寄りかかり、アーマーリングと3つのシルバーリング、バングルの両腕を左斜め前にいる赤髪の男と同じように腰の近くで組み、スミレ色の瞳はぼんやりと反対側の窓のカーテンへ向けられたいた。

 永遠に続くように時は流れ、ドアに立っていた鋭利な瞳の持ち主の繊細な手に携帯電話が突如現れ、顔の前へ持ち上げた。

(11月19日、土曜日。
 3時13分)

 3時間近くの時が流れても、ベッドの上の紺の髪の持ち主の症状は変わらず、叫び声に近い状態で続いている。

「あぁぁぁぁっっっ!! っ! あぁっ!」

 壁際からベッドの下を横切って、白く濁った水たまりが部屋の中央側に出来上がっていた。鋭利なスミレ色の瞳はもう1人の男の心配をし、赤髪を鋭く捉える。

「貴様はもう寝ろ。あとは俺が見る」
(グレド、貴様は朝から仕事だろう)

 無感情、無動のカーキ色の瞳も同じように心配し、銀の長い前髪を真っ直ぐ見た。

「土曜だ。お前は?」
(午後だけだ。スズリは?)

 相手の仕事の心配をしている2人。異常な行為をし続けている男を挟んで、まるで戦友、ナイトのように見守り続けながら、持っていた携帯電話はすっと消え、シルバーリング3つをつけた手はあごに当てられる。

「俺も打ち合わせは午後からだ」

 カーキ色の瞳にはベッドの天幕が入り込み、まるで暗号のようなことを話し出した。

「今日は無理だ」
(向こうへは行けん)

 鋭利なスミレ色の瞳と無動のカーキ色の瞳はベッドの手前でクロスするように交わされた。

「俺が貴様らの分をPCで何とかする。だから、心配するな」
(当の本人が倒れているのに行けないだろう!)

 赤髪の男はレースのカーテン越しに見えるライトアップされた噴水を横顔で見ながら短く響く、侘びという名の裏が隠された言葉で。

「頼む」
(すまん)

 PCで何かをすると言い出した男の鋭利なスミレ色の瞳の視界は急に揺れ出した。

「部屋に一旦戻る」
(1人になる)

 相手が言ってくる言葉の裏はわかっている。カーキ色の瞳は窓の外を眺めながら、ベールという名の最低限の言葉を口にした。

「わかった」
(泣いて、戻ってこい)

 ドアの前から、銀の髪と鋭利なスミレ色の瞳はすうっと消え去った。未だに、何かに取り憑《つ》かれたように響く。

「あぁっ! んんっ! くっ! あぁぁっっ!!」

 窓を張り裂くような遊線が螺旋を描く男の声を聞きながら、赤髪の男の脳裏に思い出という残像が浮かんでは消えてゆく。

「…………」
(お前は昔からそうだった。
 人のことを優先で、自分のことは後回し。
 体が弱くて、よく倒れて……。
 それでも、人に迷惑をかけないために、誰にも頼ろうとせず……。
 俺に頼れ、全てを受けて止めてやる。
 お前を愛している)

 愛ゆえに伝えられない言葉、待つしかない立場。それをひしひしと感じながら、薄暗い部屋で狂ったような断末魔が繰り返されていた。


 ⏤⏤⏤⏤合わせ鏡のようにどこまでも続く廊下の上に、ゴスパンクのロングブーツが突如立った。モデル歩きを数歩していたが、不意に立ち止まり、そのまま横斜めに倒れ、肩で廊下の壁に寄りかかった。

 しばらく、サビ色のジャケットが大きく前後へ揺れるをしていたが、45度右へすうっと向き直り、廊下の壁が背中全体に広がり、シルバーリングのついた繊細な右手で口元をふさぐように当て、目の縁に涙という線が出来た。

「……くっ……っ! くくっ……っ! っ、っ、っ……!」
(苦しんでいるのに……見ていることしか出来ない……。
 俺は何も出来ない。
 何かを返したいのに返せない。
 貴様から愛はたくさんやって来るのに……。
 俺は愛を貴様に返してやれない……。
 愛しているのに……)

 愛ゆえに伝えられない想い、手を伸ばしたくても伸ばせない立場。それでも、本当に苦しいのは自分ではなく相手。だから、涙を瞳から絶対に落としてやるものかという強情の元、視界は歪み続ける。

 ガス灯のオレンジ色と満月の銀の光が入り乱れる、誰もいない廊下で、男の忍び泣く声がしばらく響いていた。
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