952 / 967
神の旋律
光る春風/3
しおりを挟む
聖堂の中で感じるようなビリビリとした神の畏敬が、控え室に急に広がった気がした。いや人智を超えた存在が降りてきたような気がした。コレタカは気づいていないのか、相変わらず軽薄的な口調だった。
「悩みごと?」
「…………」
レンの唇は動くこともなく、超不機嫌顔も変わることはなかったが、鋭利なスミレ色の瞳はあちこちさまよった。
「肯定ってことね。女のこと?」
螺旋階段を突き落としたみたいなぐるぐる感のある声の持ち主は、時々こんなことを言い出す。自分の考えていたことを、まるで心でも見透かしているように。
レンはうなずきはしなかったが、銀の長い前髪は不思議そうに斜めにかたむいた。
「?」
「そう。今度は図星。いいんじゃない? 新しい恋してもさ」
「?」
「愛してんでしょ? その女のこと」
コレタカ ファスルの別の顔を今見た気がした。レンの奥行きがあり少し低めの声が何かを言いかけたが、
「コレタカが――」
ドアをノックする音が聞こえた――
*
――時間は少し戻る。
ダステーユ音楽堂の裏口に、白いワゴン車がやってきた。さっきまで降っていた雨が嘘のように、雨季のつかの間で日差しが空に虹を描く。
黒いエプロンをつけた女がふたりが石畳に降りて、積み荷の花を台車に乗せ始めた。歩道を傘をたたんだ人々が往来をしばらく繰り返す間、色とりどりの花々はふたつに分かれた。
赤茶髪のシルレは、片方の台車に素早く回り込んで、
「先輩、こっちお願いします!」
「え? だって、シルレのほうが多くなっちゃうじゃない」
どこかずれているクルミ色の瞳で、リョウカは後輩をじっと見つめた。そんな視線はどこ吹く風で、シルレはこんなことを言ってのける。
「いいんです。先輩のほうが上手に届けられますから。受け取り主のヴァイオリニストの方は結構、ストイックで気難し屋らしいんですよ。だから、先輩のほうが失礼もないかと思って……」
配達する花の数が多いと言っているのに、違うことを答えてきた後輩。リョウカはあきれた顔をする。
「シルレ、全然、理論になってないわよ」
「そうですか?」
久々に姿を現した青空を見上げて、シルレは黄色の瞳をまぶしさに細めた。可愛らしい天使みたいに見える後輩が横顔を見せる意味を理解して、リョウカは観念した。
「そう言う時は聞いても、話さないのよね。わかったわ。じゃあ、こっち行ってくる」
注文された花々の台車のひとつを押し出そうとすると、シルレはやっとこっちへ向いて、
「行ってらっしゃ~い!」
「何で笑顔なの?」
リョウカは首を傾げながら、音楽堂の裏口へと向かった。あらかじめ用意していた建物の見取り図を見ながら、台車を押してゆく。
雨が上がったばかりの廊下はまだ、湿った空気が十分残っていた。ヨハネ受難曲のかすかな音が耳に入り込むと、あの夢の中で聞いたバッハと雨音。そして、銀の髪を持つすらっとした男を思い出した。
人気のない廊下でリョウカはふと立ち止まり、台車から手を離して、唇をなぞった。
車のフロントガラスに、雨が白い線を引いて落ちてゆくのをぼんやり見つめながら、一年前の記憶をたどった、さっきのことを思い返す。
知らない男の部屋を訪ねて、悪魔退治に廃城へ行った夢。とは言い切れないが、夢としか説明がつかないこと。
他の人の足音と話し声が聞こえてきて、リョウカは我に返り、再び台車を押し進んでゆく。やがて、ひとつのドアで立ち止まったが、見取り図ときた廊下を交互に見始めた。
「この控え室よね? 名前も書いてないなんて……よっぽど神経質なのかしら?」
メッセージカードのついた大きな花束を抱え上げて、大きくて前が見えないながらも、リョウカはドアをノックした。すぐに、奥行きのある少し低めの声が響く。
「はい?」
「お花を届けにきました」
向こうまで聞こえるように大きく言うと、靴音が近づいてきて、引き入れられたドアから、山吹色のボブ髪と黄緑色の瞳が顔を出した。まだら模様の声がナンパするように、
「お疲れさま~」
返事をした人と声が絶対に違った。だが、リョウカはそこにではなく、別のところに引っかかった。
「あぁ……」
隙でも作ったみたいに、ワインレッドのスーツは廊下へ出て、背を向けたまま離れてゆく。
リョウカはその後ろ姿をじっと見つめて、首をかしげた。
「ん? どっかで聞いたことがある声ね?」
あの印象的な声色。そうそうない。だが、あの山吹色のボブ髪と黄緑色の瞳も強烈だった。しかし、それは見た記憶がない。また不思議な現象が起きて――
「悩みごと?」
「…………」
レンの唇は動くこともなく、超不機嫌顔も変わることはなかったが、鋭利なスミレ色の瞳はあちこちさまよった。
「肯定ってことね。女のこと?」
螺旋階段を突き落としたみたいなぐるぐる感のある声の持ち主は、時々こんなことを言い出す。自分の考えていたことを、まるで心でも見透かしているように。
レンはうなずきはしなかったが、銀の長い前髪は不思議そうに斜めにかたむいた。
「?」
「そう。今度は図星。いいんじゃない? 新しい恋してもさ」
「?」
「愛してんでしょ? その女のこと」
コレタカ ファスルの別の顔を今見た気がした。レンの奥行きがあり少し低めの声が何かを言いかけたが、
「コレタカが――」
ドアをノックする音が聞こえた――
*
――時間は少し戻る。
ダステーユ音楽堂の裏口に、白いワゴン車がやってきた。さっきまで降っていた雨が嘘のように、雨季のつかの間で日差しが空に虹を描く。
黒いエプロンをつけた女がふたりが石畳に降りて、積み荷の花を台車に乗せ始めた。歩道を傘をたたんだ人々が往来をしばらく繰り返す間、色とりどりの花々はふたつに分かれた。
赤茶髪のシルレは、片方の台車に素早く回り込んで、
「先輩、こっちお願いします!」
「え? だって、シルレのほうが多くなっちゃうじゃない」
どこかずれているクルミ色の瞳で、リョウカは後輩をじっと見つめた。そんな視線はどこ吹く風で、シルレはこんなことを言ってのける。
「いいんです。先輩のほうが上手に届けられますから。受け取り主のヴァイオリニストの方は結構、ストイックで気難し屋らしいんですよ。だから、先輩のほうが失礼もないかと思って……」
配達する花の数が多いと言っているのに、違うことを答えてきた後輩。リョウカはあきれた顔をする。
「シルレ、全然、理論になってないわよ」
「そうですか?」
久々に姿を現した青空を見上げて、シルレは黄色の瞳をまぶしさに細めた。可愛らしい天使みたいに見える後輩が横顔を見せる意味を理解して、リョウカは観念した。
「そう言う時は聞いても、話さないのよね。わかったわ。じゃあ、こっち行ってくる」
注文された花々の台車のひとつを押し出そうとすると、シルレはやっとこっちへ向いて、
「行ってらっしゃ~い!」
「何で笑顔なの?」
リョウカは首を傾げながら、音楽堂の裏口へと向かった。あらかじめ用意していた建物の見取り図を見ながら、台車を押してゆく。
雨が上がったばかりの廊下はまだ、湿った空気が十分残っていた。ヨハネ受難曲のかすかな音が耳に入り込むと、あの夢の中で聞いたバッハと雨音。そして、銀の髪を持つすらっとした男を思い出した。
人気のない廊下でリョウカはふと立ち止まり、台車から手を離して、唇をなぞった。
車のフロントガラスに、雨が白い線を引いて落ちてゆくのをぼんやり見つめながら、一年前の記憶をたどった、さっきのことを思い返す。
知らない男の部屋を訪ねて、悪魔退治に廃城へ行った夢。とは言い切れないが、夢としか説明がつかないこと。
他の人の足音と話し声が聞こえてきて、リョウカは我に返り、再び台車を押し進んでゆく。やがて、ひとつのドアで立ち止まったが、見取り図ときた廊下を交互に見始めた。
「この控え室よね? 名前も書いてないなんて……よっぽど神経質なのかしら?」
メッセージカードのついた大きな花束を抱え上げて、大きくて前が見えないながらも、リョウカはドアをノックした。すぐに、奥行きのある少し低めの声が響く。
「はい?」
「お花を届けにきました」
向こうまで聞こえるように大きく言うと、靴音が近づいてきて、引き入れられたドアから、山吹色のボブ髪と黄緑色の瞳が顔を出した。まだら模様の声がナンパするように、
「お疲れさま~」
返事をした人と声が絶対に違った。だが、リョウカはそこにではなく、別のところに引っかかった。
「あぁ……」
隙でも作ったみたいに、ワインレッドのスーツは廊下へ出て、背を向けたまま離れてゆく。
リョウカはその後ろ姿をじっと見つめて、首をかしげた。
「ん? どっかで聞いたことがある声ね?」
あの印象的な声色。そうそうない。だが、あの山吹色のボブ髪と黄緑色の瞳も強烈だった。しかし、それは見た記憶がない。また不思議な現象が起きて――
0
お気に入りに追加
76
あなたにおすすめの小説
【完結】異世界に転移しましたら、四人の夫に溺愛されることになりました(笑)
かのん
恋愛
気が付けば、喧騒など全く聞こえない、鳥のさえずりが穏やかに聞こえる森にいました。
わぁ、こんな静かなところ初めて~なんて、のんびりしていたら、目の前に麗しの美形達が現れて・・・
これは、女性が少ない世界に転移した二十九歳独身女性が、あれよあれよという間に精霊の愛し子として囲われ、いつのまにか四人の男性と結婚し、あれよあれよという間に溺愛される物語。
あっさりめのお話です。それでもよろしければどうぞ!
本日だけ、二話更新。毎日朝10時に更新します。
完結しておりますので、安心してお読みください。
4人の王子に囲まれて
*YUA*
恋愛
シングルマザーで育った貧乏で平凡な女子高生の結衣は、母の再婚がきっかけとなり4人の義兄ができる。
4人の兄たちは結衣が気に食わず意地悪ばかりし、追い出そうとするが、段々と結衣の魅力に惹かれていって……
4人のイケメン義兄と1人の妹の共同生活を描いたストーリー!
鈴木結衣(Yui Suzuki)
高1 156cm 39kg
シングルマザーで育った貧乏で平凡な女子高生。
母の再婚によって4人の義兄ができる。
矢神 琉生(Ryusei yagami)
26歳 178cm
結衣の義兄の長男。
面倒見がよく優しい。
近くのクリニックの先生をしている。
矢神 秀(Shu yagami)
24歳 172cm
結衣の義兄の次男。
優しくて結衣の1番の頼れるお義兄さん。
結衣と大雅が通うS高の数学教師。
矢神 瑛斗(Eito yagami)
22歳 177cm
結衣の義兄の三男。
優しいけどちょっぴりSな一面も!?
今大人気若手俳優のエイトの顔を持つ。
矢神 大雅(Taiga yagami)
高3 182cm
結衣の義兄の四男。
学校からも目をつけられているヤンキー。
結衣と同じ高校に通うモテモテの先輩でもある。
*注 医療の知識等はございません。
ご了承くださいませ。
旦那様が多すぎて困っています!? 〜逆ハー異世界ラブコメ〜
ことりとりとん
恋愛
男女比8:1の逆ハーレム異世界に転移してしまった女子大生・大森泉
転移早々旦那さんが6人もできて、しかも魔力無限チートがあると教えられて!?
のんびりまったり暮らしたいのにいつの間にか国を救うハメになりました……
イケメン山盛りの逆ハーです
前半はラブラブまったりの予定。後半で主人公が頑張ります
小説家になろう、カクヨムに転載しています
囚われの姫〜異世界でヴァンパイアたちに溺愛されて〜
月嶋ゆのん
恋愛
志木 茉莉愛(しき まりあ)は図書館で司書として働いている二十七歳。
ある日の帰り道、見慣れない建物を見かけた茉莉愛は導かれるように店内へ。
そこは雑貨屋のようで、様々な雑貨が所狭しと並んでいる中、見つけた小さいオルゴールが気になり、音色を聞こうとゼンマイを回し音を鳴らすと、突然強い揺れが起き、驚いた茉莉愛は手にしていたオルゴールを落としてしまう。
すると、辺り一面白い光に包まれ、眩しさで目を瞑った茉莉愛はそのまま意識を失った。
茉莉愛が目覚めると森の中で、酷く困惑する。
そこへ現れたのは三人の青年だった。
行くあてのない茉莉愛は彼らに促されるまま森を抜け彼らの住む屋敷へやって来て詳しい話を聞くと、ここは自分が住んでいた世界とは別世界だという事を知る事になる。
そして、暫く屋敷で世話になる事になった茉莉愛だが、そこでさらなる事実を知る事になる。
――助けてくれた青年たちは皆、人間ではなくヴァンパイアだったのだ。
交換された花嫁
秘密 (秘翠ミツキ)
恋愛
「お姉さんなんだから我慢なさい」
お姉さんなんだから…お姉さんなんだから…
我儘で自由奔放な妹の所為で昔からそればかり言われ続けてきた。ずっと我慢してきたが。公爵令嬢のヒロインは16歳になり婚約者が妹と共に出来きたが…まさかの展開が。
「お姉様の婚約者頂戴」
妹がヒロインの婚約者を寝取ってしまい、終いには頂戴と言う始末。両親に話すが…。
「お姉さんなのだから、交換して上げなさい」
流石に婚約者を交換するのは…不味いのでは…。
結局ヒロインは妹の要求通りに婚約者を交換した。
そしてヒロインは仕方無しに嫁いで行くが、夫である第2王子にはどうやら想い人がいるらしく…。
義母ですが、若返って15歳から人生やり直したらなぜか溺愛されてます
富士とまと
恋愛
25歳で行き遅れとして実家の伯爵家を追い出されるように、父親より3つ年上の辺境伯に後妻として嫁がされました。
5歳の義息子と3歳の義娘の面倒を見て12年が過ぎ、二人の子供も成人して義母としての役割も終わったときに、亡き夫の形見として「若返りの薬」を渡されました。
15歳からの人生やり直し?義娘と同級生として王立学園へ通うことに。
初めての学校、はじめての社交界、はじめての……。
よし、学園で義娘と義息子のよきパートナー探しのお手伝いをしますよ!お義母様に任せてください!
女性が全く生まれない世界とか嘘ですよね?
青海 兎稀
恋愛
ただの一般人である主人公・ユヅキは、知らぬうちに全く知らない街の中にいた。ここがどこだかも分からず、ただ当てもなく歩いていた時、誰かにぶつかってしまい、そのまま意識を失う。
そして、意識を取り戻し、助けてくれたイケメンにこの世界には全く女性がいないことを知らされる。
そんなユヅキの逆ハーレムのお話。
転生したら、6人の最強旦那様に溺愛されてます!?~6人の愛が重すぎて困ってます!~
月
恋愛
ある日、女子高生だった白川凛(しらかわりん)
は学校の帰り道、バイトに遅刻しそうになったのでスピードを上げすぎ、そのまま階段から落ちて死亡した。
しかし、目が覚めるとそこは異世界だった!?
(もしかして、私、転生してる!!?)
そして、なんと凛が転生した世界は女性が少なく、一妻多夫制だった!!!
そんな世界に転生した凛と、将来の旦那様は一体誰!?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる