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神の旋律
光る春風/3
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聖堂の中で感じるようなビリビリとした神の畏敬が、控え室に急に広がった気がした。いや人智を超えた存在が降りてきたような気がした。コレタカは気づいていないのか、相変わらず軽薄的な口調だった。
「悩みごと?」
「…………」
レンの唇は動くこともなく、超不機嫌顔も変わることはなかったが、鋭利なスミレ色の瞳はあちこちさまよった。
「肯定ってことね。女のこと?」
螺旋階段を突き落としたみたいなぐるぐる感のある声の持ち主は、時々こんなことを言い出す。自分の考えていたことを、まるで心でも見透かしているように。
レンはうなずきはしなかったが、銀の長い前髪は不思議そうに斜めにかたむいた。
「?」
「そう。今度は図星。いいんじゃない? 新しい恋してもさ」
「?」
「愛してんでしょ? その女のこと」
コレタカ ファスルの別の顔を今見た気がした。レンの奥行きがあり少し低めの声が何かを言いかけたが、
「コレタカが――」
ドアをノックする音が聞こえた――
*
――時間は少し戻る。
ダステーユ音楽堂の裏口に、白いワゴン車がやってきた。さっきまで降っていた雨が嘘のように、雨季のつかの間で日差しが空に虹を描く。
黒いエプロンをつけた女がふたりが石畳に降りて、積み荷の花を台車に乗せ始めた。歩道を傘をたたんだ人々が往来をしばらく繰り返す間、色とりどりの花々はふたつに分かれた。
赤茶髪のシルレは、片方の台車に素早く回り込んで、
「先輩、こっちお願いします!」
「え? だって、シルレのほうが多くなっちゃうじゃない」
どこかずれているクルミ色の瞳で、リョウカは後輩をじっと見つめた。そんな視線はどこ吹く風で、シルレはこんなことを言ってのける。
「いいんです。先輩のほうが上手に届けられますから。受け取り主のヴァイオリニストの方は結構、ストイックで気難し屋らしいんですよ。だから、先輩のほうが失礼もないかと思って……」
配達する花の数が多いと言っているのに、違うことを答えてきた後輩。リョウカはあきれた顔をする。
「シルレ、全然、理論になってないわよ」
「そうですか?」
久々に姿を現した青空を見上げて、シルレは黄色の瞳をまぶしさに細めた。可愛らしい天使みたいに見える後輩が横顔を見せる意味を理解して、リョウカは観念した。
「そう言う時は聞いても、話さないのよね。わかったわ。じゃあ、こっち行ってくる」
注文された花々の台車のひとつを押し出そうとすると、シルレはやっとこっちへ向いて、
「行ってらっしゃ~い!」
「何で笑顔なの?」
リョウカは首を傾げながら、音楽堂の裏口へと向かった。あらかじめ用意していた建物の見取り図を見ながら、台車を押してゆく。
雨が上がったばかりの廊下はまだ、湿った空気が十分残っていた。ヨハネ受難曲のかすかな音が耳に入り込むと、あの夢の中で聞いたバッハと雨音。そして、銀の髪を持つすらっとした男を思い出した。
人気のない廊下でリョウカはふと立ち止まり、台車から手を離して、唇をなぞった。
車のフロントガラスに、雨が白い線を引いて落ちてゆくのをぼんやり見つめながら、一年前の記憶をたどった、さっきのことを思い返す。
知らない男の部屋を訪ねて、悪魔退治に廃城へ行った夢。とは言い切れないが、夢としか説明がつかないこと。
他の人の足音と話し声が聞こえてきて、リョウカは我に返り、再び台車を押し進んでゆく。やがて、ひとつのドアで立ち止まったが、見取り図ときた廊下を交互に見始めた。
「この控え室よね? 名前も書いてないなんて……よっぽど神経質なのかしら?」
メッセージカードのついた大きな花束を抱え上げて、大きくて前が見えないながらも、リョウカはドアをノックした。すぐに、奥行きのある少し低めの声が響く。
「はい?」
「お花を届けにきました」
向こうまで聞こえるように大きく言うと、靴音が近づいてきて、引き入れられたドアから、山吹色のボブ髪と黄緑色の瞳が顔を出した。まだら模様の声がナンパするように、
「お疲れさま~」
返事をした人と声が絶対に違った。だが、リョウカはそこにではなく、別のところに引っかかった。
「あぁ……」
隙でも作ったみたいに、ワインレッドのスーツは廊下へ出て、背を向けたまま離れてゆく。
リョウカはその後ろ姿をじっと見つめて、首をかしげた。
「ん? どっかで聞いたことがある声ね?」
あの印象的な声色。そうそうない。だが、あの山吹色のボブ髪と黄緑色の瞳も強烈だった。しかし、それは見た記憶がない。また不思議な現象が起きて――
「悩みごと?」
「…………」
レンの唇は動くこともなく、超不機嫌顔も変わることはなかったが、鋭利なスミレ色の瞳はあちこちさまよった。
「肯定ってことね。女のこと?」
螺旋階段を突き落としたみたいなぐるぐる感のある声の持ち主は、時々こんなことを言い出す。自分の考えていたことを、まるで心でも見透かしているように。
レンはうなずきはしなかったが、銀の長い前髪は不思議そうに斜めにかたむいた。
「?」
「そう。今度は図星。いいんじゃない? 新しい恋してもさ」
「?」
「愛してんでしょ? その女のこと」
コレタカ ファスルの別の顔を今見た気がした。レンの奥行きがあり少し低めの声が何かを言いかけたが、
「コレタカが――」
ドアをノックする音が聞こえた――
*
――時間は少し戻る。
ダステーユ音楽堂の裏口に、白いワゴン車がやってきた。さっきまで降っていた雨が嘘のように、雨季のつかの間で日差しが空に虹を描く。
黒いエプロンをつけた女がふたりが石畳に降りて、積み荷の花を台車に乗せ始めた。歩道を傘をたたんだ人々が往来をしばらく繰り返す間、色とりどりの花々はふたつに分かれた。
赤茶髪のシルレは、片方の台車に素早く回り込んで、
「先輩、こっちお願いします!」
「え? だって、シルレのほうが多くなっちゃうじゃない」
どこかずれているクルミ色の瞳で、リョウカは後輩をじっと見つめた。そんな視線はどこ吹く風で、シルレはこんなことを言ってのける。
「いいんです。先輩のほうが上手に届けられますから。受け取り主のヴァイオリニストの方は結構、ストイックで気難し屋らしいんですよ。だから、先輩のほうが失礼もないかと思って……」
配達する花の数が多いと言っているのに、違うことを答えてきた後輩。リョウカはあきれた顔をする。
「シルレ、全然、理論になってないわよ」
「そうですか?」
久々に姿を現した青空を見上げて、シルレは黄色の瞳をまぶしさに細めた。可愛らしい天使みたいに見える後輩が横顔を見せる意味を理解して、リョウカは観念した。
「そう言う時は聞いても、話さないのよね。わかったわ。じゃあ、こっち行ってくる」
注文された花々の台車のひとつを押し出そうとすると、シルレはやっとこっちへ向いて、
「行ってらっしゃ~い!」
「何で笑顔なの?」
リョウカは首を傾げながら、音楽堂の裏口へと向かった。あらかじめ用意していた建物の見取り図を見ながら、台車を押してゆく。
雨が上がったばかりの廊下はまだ、湿った空気が十分残っていた。ヨハネ受難曲のかすかな音が耳に入り込むと、あの夢の中で聞いたバッハと雨音。そして、銀の髪を持つすらっとした男を思い出した。
人気のない廊下でリョウカはふと立ち止まり、台車から手を離して、唇をなぞった。
車のフロントガラスに、雨が白い線を引いて落ちてゆくのをぼんやり見つめながら、一年前の記憶をたどった、さっきのことを思い返す。
知らない男の部屋を訪ねて、悪魔退治に廃城へ行った夢。とは言い切れないが、夢としか説明がつかないこと。
他の人の足音と話し声が聞こえてきて、リョウカは我に返り、再び台車を押し進んでゆく。やがて、ひとつのドアで立ち止まったが、見取り図ときた廊下を交互に見始めた。
「この控え室よね? 名前も書いてないなんて……よっぽど神経質なのかしら?」
メッセージカードのついた大きな花束を抱え上げて、大きくて前が見えないながらも、リョウカはドアをノックした。すぐに、奥行きのある少し低めの声が響く。
「はい?」
「お花を届けにきました」
向こうまで聞こえるように大きく言うと、靴音が近づいてきて、引き入れられたドアから、山吹色のボブ髪と黄緑色の瞳が顔を出した。まだら模様の声がナンパするように、
「お疲れさま~」
返事をした人と声が絶対に違った。だが、リョウカはそこにではなく、別のところに引っかかった。
「あぁ……」
隙でも作ったみたいに、ワインレッドのスーツは廊下へ出て、背を向けたまま離れてゆく。
リョウカはその後ろ姿をじっと見つめて、首をかしげた。
「ん? どっかで聞いたことがある声ね?」
あの印象的な声色。そうそうない。だが、あの山吹色のボブ髪と黄緑色の瞳も強烈だった。しかし、それは見た記憶がない。また不思議な現象が起きて――
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