上 下
32 / 967
大人の隠れんぼ=妻編=

妻の愛を勝ち取れ/8

しおりを挟む
 妻は果敢にも、近くにあったドアの前に、深緑のベルベットブーツで仁王立ちしていた。やたらと壁ばかりが目立つ廊下。学習能力なしの颯茄。

 ドアに喧嘩でも売るように、人差し指を突きつけた。

「もう三度めだ! 今度はそうそう驚かない! ドーンとこい!」

 パッと勢いよくドアを開けたが、普通の生活では決して聞くことのできない異音が聞こえたきた。

 キキー!
 ホホー!

 想像をはるかに超えていて、颯茄は息をするのも忘れてしまった。

「…………」

 やけに薄暗い。奇怪な音はずっと聞こえ続けている。だが、景色に変化はなし。

 しかし、下の方で動きがあった。蝶番ちょうつがいみたいなものが、パカーッと開いてゆくと、くすんだピンクの中に白い三角の列が見えた。

 衝撃的すぎて、それがかえって電気ショックのように、思考停止していた颯茄の頭を無理やり動かしたのだった。

「え……!?!?」

 驚いている間に、右斜め上で太い縄みたいなものが動いたのに気づいて、颯茄は息を詰まらせ、

「っ!!!!」

 ドアを閉めずにはいられなくなった。

「ヤバイヤバイ! は、早く閉めて、閉めてっっっ!!!! 出てきたら大変! 大変っ!」

 しっかりと閉めたドア。平穏な我が家の廊下。とりあえずの危険は回避した。だが、恐怖心は完全に拭い去れたわけではなく、警戒心は解除せず、ドアの向こうに今もあるであろう景色を考える。

「木が生い茂ってた。下の方にいたのはワニ。上にいたのは大蛇……ジャングルですか~~~!」

 誰もいない廊下に、妻の驚き声が響き渡った。だが、答えるものは誰もおらず、

「何のためにこんな部屋作ったんだろう?」

 さすがに地球一個分もある我が家であり、様々な外が家の中にあるのだった。だが、存在理由が妻にはさっぱりなのである。

 しかし、とにかく隠れるである。妻のロングブーツは水色の絨毯の上を足早に歩き出した。

    *


 広い家。霞む通路。それでも妻はとうとう廊下の行き止まりへとやってきた。両開きの立派なドアを開けて、中をのぞく。

「ん? 誰もいない」

 忍び足で、ベルベットブーツは絨毯から、部屋の大理石へと入り込んだ。

「よし、そうっと……」

 静かにドアを閉めて、部屋の奥へと振り返ると、壮大な景色――本の山脈が連なっていた。

「図書室すごいね」

 颯茄の声は響き渡らず、ページの紙に吸い込まれてゆく。

 入ってすぐのシャンデリアの下には、紺の絨毯を従えた大きな丸テーブルが堂々たる態度で鎮座する。モダンなデザインの卓上ライトが花を添える。

 中二階にも本たちはひしめき合う。どこかの店のようにディスプレイされた、様々な本の表紙――顔が立ち並ぶ。おしゃれなカフェのような一人がけの椅子とテーブルが、パーソナルティースペースを十分配慮した間隔で佇む。

 どこかの図書館かと勘違いするほどの広さだった。

 深緑のベルベットブーツは大理石でかかとを鳴らすが、本という情報の交差点に紛れ込んで消えてゆく。

 いくつもの棚を超えると、全面ガラス張りの窓から庭の緑が、見晴らしのいい展望デッキにでもいるように雄大に広がった。

「うわっ!」

 本の整列の間に顔をのぞかせた、白いものに気づいて、颯茄は目を輝かせた。隠れんぼをしていることも忘れて、小走りに近寄る。

「窓際にソファーが置いてある~! これ、憧れなんだよなぁ~」

 どこかの城の庭園のような立派な緑たちとソファーという組み合わせ。小さなサイドテーブルに、颯茄の妄想世界で、上品なティーカップからベルガモットの柑橘系の香りが立ち上る、アールグレーティーがテーブルに置かれているのが見えた。
 
 颯茄は心躍らせる。ソファーにゆったりと座って、大好きな本を読んで、文字の羅列から視線を時々上げては、庭の美しさで一休みをする。そんなさまを思い浮かべて。

「外の景色見ながら、本を読んで、お茶を飲んで……」

 隠れんぼのことなど、遠い宇宙の彼方へサヨナラ満塁ホームランのようにかっ飛ばしている颯茄だった。単純に風景を楽しもうと、ガラスとソファーの間に入ろうとすると、見つけてしまった――

 さすらいの侍が孤独な旅路の途中で、原っぱで一休みしているような姿を。白と紺の袴姿がよく似合う夫。

 彼の無感情、無動のはしばみ色の瞳はまぶたの裏に隠れていて、どうやって見ても正体がなかった。

「あれ? 夕霧さん、寝てる……」

 三人がけのソファーをベッドがわり。武術をしているが、ガタイがいいとまでは言えない体躯たいく。骨格はきちんとあるが、硬いのではなく、しなやか。

 椅子から横にははみ出していないが、百九十八センチの長身は、膝下がソファーから完全に出ていた。みだらになだれ込んだ和装。はだけてはいないが、無防備に妻の前で眠っている夫。帯を解いたら、簡単にその肌は露出だろう。

 男の色香が匂い出て仕方ないあごのシャープなラインを、妻は下からのぞき込む。

「寝たふり……じゃない」

 この武術夫は、横になると瞬殺で眠りの底へといざなわれる。朝だから、夜だからではなく。一日中眠いのだ。どうしようもなく眠い体質。

 夫婦の営みをする時も横になると即行眠ってしまう。さっきまでの盛り上がりはどこへ行ったのかと首をかしげるほどである。だが、そこらへんは本人もよく心得ていて、寝ない体位で必ずするようにしているのだ。

 あの触れただけで、敵を持ち上げ投げ飛ばす芸術的な技。相手の握っている武器を目にも止まらぬ速さで自分へと奪ってしまう感嘆の技。そんな美しい動きをする大きな手を見つめて、妻は心配になった。

「起こさないと、夕飯にまた遅れて、光さんに叱られる。……それだけじゃなくて、夕霧さん本人も困るから……」

 みんなが幸せであるように。自分に今できることを。妻はそれを原動力として、横からかがみ込んだ。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

4人の王子に囲まれて

*YUA*
恋愛
シングルマザーで育った貧乏で平凡な女子高生の結衣は、母の再婚がきっかけとなり4人の義兄ができる。 4人の兄たちは結衣が気に食わず意地悪ばかりし、追い出そうとするが、段々と結衣の魅力に惹かれていって…… 4人のイケメン義兄と1人の妹の共同生活を描いたストーリー! 鈴木結衣(Yui Suzuki) 高1 156cm 39kg シングルマザーで育った貧乏で平凡な女子高生。 母の再婚によって4人の義兄ができる。 矢神 琉生(Ryusei yagami) 26歳 178cm 結衣の義兄の長男。 面倒見がよく優しい。 近くのクリニックの先生をしている。 矢神 秀(Shu yagami) 24歳 172cm 結衣の義兄の次男。 優しくて結衣の1番の頼れるお義兄さん。 結衣と大雅が通うS高の数学教師。 矢神 瑛斗(Eito yagami) 22歳 177cm 結衣の義兄の三男。 優しいけどちょっぴりSな一面も!? 今大人気若手俳優のエイトの顔を持つ。 矢神 大雅(Taiga yagami) 高3 182cm 結衣の義兄の四男。 学校からも目をつけられているヤンキー。 結衣と同じ高校に通うモテモテの先輩でもある。 *注 医療の知識等はございません。    ご了承くださいませ。

【完結】異世界に転移しましたら、四人の夫に溺愛されることになりました(笑)

かのん
恋愛
 気が付けば、喧騒など全く聞こえない、鳥のさえずりが穏やかに聞こえる森にいました。  わぁ、こんな静かなところ初めて~なんて、のんびりしていたら、目の前に麗しの美形達が現れて・・・  これは、女性が少ない世界に転移した二十九歳独身女性が、あれよあれよという間に精霊の愛し子として囲われ、いつのまにか四人の男性と結婚し、あれよあれよという間に溺愛される物語。 あっさりめのお話です。それでもよろしければどうぞ! 本日だけ、二話更新。毎日朝10時に更新します。 完結しておりますので、安心してお読みください。

旦那様が多すぎて困っています!? 〜逆ハー異世界ラブコメ〜

ことりとりとん
恋愛
男女比8:1の逆ハーレム異世界に転移してしまった女子大生・大森泉 転移早々旦那さんが6人もできて、しかも魔力無限チートがあると教えられて!? のんびりまったり暮らしたいのにいつの間にか国を救うハメになりました…… イケメン山盛りの逆ハーです 前半はラブラブまったりの予定。後半で主人公が頑張ります 小説家になろう、カクヨムに転載しています

義母ですが、若返って15歳から人生やり直したらなぜか溺愛されてます

富士とまと
恋愛
25歳で行き遅れとして実家の伯爵家を追い出されるように、父親より3つ年上の辺境伯に後妻として嫁がされました。 5歳の義息子と3歳の義娘の面倒を見て12年が過ぎ、二人の子供も成人して義母としての役割も終わったときに、亡き夫の形見として「若返りの薬」を渡されました。 15歳からの人生やり直し?義娘と同級生として王立学園へ通うことに。 初めての学校、はじめての社交界、はじめての……。 よし、学園で義娘と義息子のよきパートナー探しのお手伝いをしますよ!お義母様に任せてください!

女性が全く生まれない世界とか嘘ですよね?

青海 兎稀
恋愛
ただの一般人である主人公・ユヅキは、知らぬうちに全く知らない街の中にいた。ここがどこだかも分からず、ただ当てもなく歩いていた時、誰かにぶつかってしまい、そのまま意識を失う。 そして、意識を取り戻し、助けてくれたイケメンにこの世界には全く女性がいないことを知らされる。 そんなユヅキの逆ハーレムのお話。

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

転生したら、6人の最強旦那様に溺愛されてます!?~6人の愛が重すぎて困ってます!~

恋愛
ある日、女子高生だった白川凛(しらかわりん) は学校の帰り道、バイトに遅刻しそうになったのでスピードを上げすぎ、そのまま階段から落ちて死亡した。 しかし、目が覚めるとそこは異世界だった!? (もしかして、私、転生してる!!?) そして、なんと凛が転生した世界は女性が少なく、一妻多夫制だった!!! そんな世界に転生した凛と、将来の旦那様は一体誰!?

女性の少ない異世界に生まれ変わったら

Azuki
恋愛
高校に登校している途中、道路に飛び出した子供を助ける形でトラックに轢かれてそのまま意識を失った私。 目を覚ますと、私はベッドに寝ていて、目の前にも周りにもイケメン、イケメン、イケメンだらけーーー!? なんと私は幼女に生まれ変わっており、しかもお嬢様だった!! ーーやった〜!勝ち組人生来た〜〜〜!!! そう、心の中で思いっきり歓喜していた私だけど、この世界はとんでもない世界で・・・!? これは、女性が圧倒的に少ない異世界に転生した私が、家族や周りから溺愛されながら様々な問題を解決して、更に溺愛されていく物語。

処理中です...