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世界でいちばん最後の
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及川涼子は、単にルックスがいいだけの女ではなかった。
ほかの女のように無駄口を叩かない。無闇にべたべた甘えてくるようなこともないし、匡平を束縛しようともしない。あれが欲しい、これを買って、などとも言わない。おまけに、映画の趣味もあう。
こんな飛び切りイイ女を手放そうなんて男は、飛び切りの馬鹿に決まっている。
「なに、ヒトの顔じっと見て」
映画のパンフレットから顔をあげ、涼子がくすりと笑う。
今日は三回目のデートで、今は映画を観た帰りのカフェタイムだ。
涼子は、四六時中、中身のないことを喋ったりはしない。映画帰りに二人でコーヒーチェーン店に寄るのは二度目だが、前回も今回も、目の前の匡平などそっちのけで熱心にパンフレットを読み耽っている。匡平も、映画鑑賞の後は一人で余韻に浸りたいほうだから、涼子との空間は居心地が良かった。もっとも周りから見れば、会話の一つもない熱の醒めたカップルに映るだろうけれど。
「うん?いい女だな、って思って」
本心だった。
涼子は少し色のついたリップクリームをつけているくらいで、これといったメイクはしていない。高校生なのだからそれが普通なのだろうが、ごてごてとツケマだのエクステだので飾り立てた女ばかりを連れ歩いていた匡平にとっては、逆に新鮮だった。服装も、雑誌に載っているようなこれ見よがしな『愛されワンピ』などではなく、いつもシンプルなシャツとジーンズ、といった格好で、それがスタイル抜群の長身に映え、二人で歩いていると道行く男の半数は涼子を振り返り、物欲しげに眺める。男として、これ程、優越感に浸れる瞬間はない。
「褒めても、何にも出ないよ」
幾分ぶっきら棒に聞こえる口調は、照れているのだ。
「神崎くん、今日はなにか話があったんじゃないの?」
映画観るためだけに呼び出したわけじゃないでしょ?
悪戯っぽい笑みを浮かべる涼子は、勘が鋭く、頭の回転も抜群に速い。
クールビューティで、匡平の気分を先回りで察してくれる涼子。歴代彼女のなかで、ダントツのいい女。
俺は、救いようもない馬鹿だ。こんないい女を、捨てようとしている。
ほかに、好きなやつがいる。
単刀直入にそれだけを告げた。
付き合った、と言っても、たかだか数週間だ。キス以上のことはしていない。涼子だって、そんなに傷つく筈はない。そうであって欲しかった。
涼子はしばらく無言で俯いていた。
肩が小刻みに震えている。泣いているのかとその肩に手を延ばそうとしたとき、涼子は顔を上げた。泣いてはいなかった。
涼子は微笑んでいた。というより、泣き笑いのような顔で、なんとか微笑もうとしていた。決して成功したとは言えないだろうが、ともかくも、涼子が感情を抑えようと必死に努力していることだけは、匡平にも伝わった。
「知ってたよ」
冷めたカフェオレの薄い膜にスプーンをぷすりと突き刺し、それに向かって話しかけるように、涼子は言った。
「多分、誰かいるんだろうな、ってなんとなく思ってた。だから、平気」
ごめん、とは言えなかった。言えば涼子を傷つけるだろう。
「でも、神崎くん、いい人だね。黙って二股かけちゃうことだって、出来たのに。ありがとね、ちゃんと話してくれて」
「別れる、っつって、いい人だって褒められて、おまけに礼まで言われたのなんて、初めてだ」
涼子を笑わせたくて、わざと情けない口調でぼやくと、思いもかけず真面目な顔で、涼子は匡平を見つめた。
「茶化さないで、本気で言ってるんだから。神崎くん、言っちゃ悪いけどタラシだって学校じゃ評判良くないし、私たちが出会ったシチュ(シチュエーション)だって、相当に悲惨だったじゃない」
確かにそうだ。匡平の評判は、殊に女関係で言えば学校では最悪だし、元カノの偽装妊娠騒ぎのときに、真っ先に匡平を吊し上げにかかったのが涼子だった。
涼子は続けた。
でもあのとき、神崎くんは冷静で、毅然としてて、あれだけ酷いことをされたのに、あのコのことを叩いたりもしなかった。
だから思ったの。この人、周りがあれこれ噂してるのとは違うんじゃないか、って。それで、付き合いたい、もっと知りたい、って。そう思った。
「それでいざ付き合ってみたら、やっぱし評判通りのタラシでロクデナシだっただろ?」
涼子は笑った、今度こそ本当に。
「うん、評判通りだった。評判通りで、だけど、それだけの人じゃなかった」
そんなふうに言ってくれる涼子のことを、愛おしいと思った。本気で好きになれれば、誰もが羨む最高のカップルになれたのに。
涼子が先に席を立った。買ったばかりの映画パンフレットを置いたまま。
忘れてるぞ、と声をかけた匡平に、振り向いた涼子は澄まして言った。
パンフは要らない。本当は、SFよりも恋愛映画のほうが好きだから、と。
匡平は思わず苦笑した。去り際まで、やっぱり涼子は完璧だった。
口が裂けたって認めてやるつもりはないが、周りの皆が思っているほど自分がタフではないことを、匡平は知っている。
子供のころから他人とまともなコミュニケーションを取るのが不得手で、意図せず傷つけてしまい、それを察した途端に落ち込む。その繰り返しだった。だから次第に、喧嘩早く攻撃的になった。恐れられ、嫌われたほうが簡単で楽だから。一人でいるのを好むようにもなった。
神崎くんは一匹オオカミで格好いい、などと言われることが昔からあったが、相手は匡平を持ち上げているつもりでも、匡平にとってはそんなものは褒め言葉でもなんでもなかった。『一匹オオカミ』なんて言葉は大嫌いだ。本来、狼は群れで生活する獣。一匹で彷徨っている狼など、死期が近い老いぼれか、あまりにも性格が捻じ曲がりすぎて群れを追い出された異端者のどちらかだからだ。
啓樹は、決して匡平を狼などに喩えない。匡平の弱さを知った上で、さり気なく寄り添い、そして匡平を護ってくれる。牙などではなく、その存在で。
俺は、ひろが好きだ。
啓樹を抱こうとしたのは、確かに、場の雰囲気に流されたのもあるだろうし、一過性の嗜虐的な欲望に身体が酔わされたせいもある。恋愛感情なのかどうかも未だに分からない。でも、啓樹にいなくなって欲しくない。もしも明日、世界が終わるとしたら、一番最後に側にいて欲しいのは、それは啓樹だ。
啓樹に、そう言おう。今度こそ、はっきりと自分から告白しよう。
そう思えることが、誇らしい。初めて自分自身のことも好きになれるかも知れない。そんな気がした。
明日、啓樹に会いに行く。この世界で誰よりも大切だと、伝えるために。
ほかの女のように無駄口を叩かない。無闇にべたべた甘えてくるようなこともないし、匡平を束縛しようともしない。あれが欲しい、これを買って、などとも言わない。おまけに、映画の趣味もあう。
こんな飛び切りイイ女を手放そうなんて男は、飛び切りの馬鹿に決まっている。
「なに、ヒトの顔じっと見て」
映画のパンフレットから顔をあげ、涼子がくすりと笑う。
今日は三回目のデートで、今は映画を観た帰りのカフェタイムだ。
涼子は、四六時中、中身のないことを喋ったりはしない。映画帰りに二人でコーヒーチェーン店に寄るのは二度目だが、前回も今回も、目の前の匡平などそっちのけで熱心にパンフレットを読み耽っている。匡平も、映画鑑賞の後は一人で余韻に浸りたいほうだから、涼子との空間は居心地が良かった。もっとも周りから見れば、会話の一つもない熱の醒めたカップルに映るだろうけれど。
「うん?いい女だな、って思って」
本心だった。
涼子は少し色のついたリップクリームをつけているくらいで、これといったメイクはしていない。高校生なのだからそれが普通なのだろうが、ごてごてとツケマだのエクステだので飾り立てた女ばかりを連れ歩いていた匡平にとっては、逆に新鮮だった。服装も、雑誌に載っているようなこれ見よがしな『愛されワンピ』などではなく、いつもシンプルなシャツとジーンズ、といった格好で、それがスタイル抜群の長身に映え、二人で歩いていると道行く男の半数は涼子を振り返り、物欲しげに眺める。男として、これ程、優越感に浸れる瞬間はない。
「褒めても、何にも出ないよ」
幾分ぶっきら棒に聞こえる口調は、照れているのだ。
「神崎くん、今日はなにか話があったんじゃないの?」
映画観るためだけに呼び出したわけじゃないでしょ?
悪戯っぽい笑みを浮かべる涼子は、勘が鋭く、頭の回転も抜群に速い。
クールビューティで、匡平の気分を先回りで察してくれる涼子。歴代彼女のなかで、ダントツのいい女。
俺は、救いようもない馬鹿だ。こんないい女を、捨てようとしている。
ほかに、好きなやつがいる。
単刀直入にそれだけを告げた。
付き合った、と言っても、たかだか数週間だ。キス以上のことはしていない。涼子だって、そんなに傷つく筈はない。そうであって欲しかった。
涼子はしばらく無言で俯いていた。
肩が小刻みに震えている。泣いているのかとその肩に手を延ばそうとしたとき、涼子は顔を上げた。泣いてはいなかった。
涼子は微笑んでいた。というより、泣き笑いのような顔で、なんとか微笑もうとしていた。決して成功したとは言えないだろうが、ともかくも、涼子が感情を抑えようと必死に努力していることだけは、匡平にも伝わった。
「知ってたよ」
冷めたカフェオレの薄い膜にスプーンをぷすりと突き刺し、それに向かって話しかけるように、涼子は言った。
「多分、誰かいるんだろうな、ってなんとなく思ってた。だから、平気」
ごめん、とは言えなかった。言えば涼子を傷つけるだろう。
「でも、神崎くん、いい人だね。黙って二股かけちゃうことだって、出来たのに。ありがとね、ちゃんと話してくれて」
「別れる、っつって、いい人だって褒められて、おまけに礼まで言われたのなんて、初めてだ」
涼子を笑わせたくて、わざと情けない口調でぼやくと、思いもかけず真面目な顔で、涼子は匡平を見つめた。
「茶化さないで、本気で言ってるんだから。神崎くん、言っちゃ悪いけどタラシだって学校じゃ評判良くないし、私たちが出会ったシチュ(シチュエーション)だって、相当に悲惨だったじゃない」
確かにそうだ。匡平の評判は、殊に女関係で言えば学校では最悪だし、元カノの偽装妊娠騒ぎのときに、真っ先に匡平を吊し上げにかかったのが涼子だった。
涼子は続けた。
でもあのとき、神崎くんは冷静で、毅然としてて、あれだけ酷いことをされたのに、あのコのことを叩いたりもしなかった。
だから思ったの。この人、周りがあれこれ噂してるのとは違うんじゃないか、って。それで、付き合いたい、もっと知りたい、って。そう思った。
「それでいざ付き合ってみたら、やっぱし評判通りのタラシでロクデナシだっただろ?」
涼子は笑った、今度こそ本当に。
「うん、評判通りだった。評判通りで、だけど、それだけの人じゃなかった」
そんなふうに言ってくれる涼子のことを、愛おしいと思った。本気で好きになれれば、誰もが羨む最高のカップルになれたのに。
涼子が先に席を立った。買ったばかりの映画パンフレットを置いたまま。
忘れてるぞ、と声をかけた匡平に、振り向いた涼子は澄まして言った。
パンフは要らない。本当は、SFよりも恋愛映画のほうが好きだから、と。
匡平は思わず苦笑した。去り際まで、やっぱり涼子は完璧だった。
口が裂けたって認めてやるつもりはないが、周りの皆が思っているほど自分がタフではないことを、匡平は知っている。
子供のころから他人とまともなコミュニケーションを取るのが不得手で、意図せず傷つけてしまい、それを察した途端に落ち込む。その繰り返しだった。だから次第に、喧嘩早く攻撃的になった。恐れられ、嫌われたほうが簡単で楽だから。一人でいるのを好むようにもなった。
神崎くんは一匹オオカミで格好いい、などと言われることが昔からあったが、相手は匡平を持ち上げているつもりでも、匡平にとってはそんなものは褒め言葉でもなんでもなかった。『一匹オオカミ』なんて言葉は大嫌いだ。本来、狼は群れで生活する獣。一匹で彷徨っている狼など、死期が近い老いぼれか、あまりにも性格が捻じ曲がりすぎて群れを追い出された異端者のどちらかだからだ。
啓樹は、決して匡平を狼などに喩えない。匡平の弱さを知った上で、さり気なく寄り添い、そして匡平を護ってくれる。牙などではなく、その存在で。
俺は、ひろが好きだ。
啓樹を抱こうとしたのは、確かに、場の雰囲気に流されたのもあるだろうし、一過性の嗜虐的な欲望に身体が酔わされたせいもある。恋愛感情なのかどうかも未だに分からない。でも、啓樹にいなくなって欲しくない。もしも明日、世界が終わるとしたら、一番最後に側にいて欲しいのは、それは啓樹だ。
啓樹に、そう言おう。今度こそ、はっきりと自分から告白しよう。
そう思えることが、誇らしい。初めて自分自身のことも好きになれるかも知れない。そんな気がした。
明日、啓樹に会いに行く。この世界で誰よりも大切だと、伝えるために。
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