波の旋律(おと)

岩崎みずは

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◆迩(に)

波の旋律(おと)

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 良い子を演じるのは、それ程の重労働ではない。むしろ、悪い子になりきるほうが、余程、手番が多くて面倒くさい。
 小、中学校は公立だったが、高校は葉奈の望んだ私立校に入学した。昔、俺が小学校受験に失敗したエスカレーター式の進学校で、俺のように高校から入学する生徒というのは二割に満たなかった。
 もともとが、アウェイだったのだ。
 既に出来上がっている学内階級。生徒たち自身が作る、差別社会。
 なんと煩わしくて、くだらない。
 俺は、小、中学でも特に親しい友人は作らなかった。集団で行動することに興味はなく、単独でいることを好んだ。変わった子、という評価はまだ好意的なほうで、反社会的だ、と決めつけられ、俺を危険因子扱いした教師も一人や二人ではなかった。
 高校に入った途端、それが顕著になった。
 自分で言うのもナンだが、俺はチートだ。昔から特に努力をしなくても、机にかじりついている生徒より遥かに勉強が出来た。状態にムラはあったが、学年十位から落ちたことは一度もない。面倒だから試験勉強は特にしない。テストの前日に、教科書の出題範囲を2・3回読み直すだけでいい。それで楽に8割は点が取れる。俺が頭がいいんじゃなくて、この程度のことを出来ないほかの連中がバカなのだと思う。
 スポーツも同様で、入学早々の体力テストで、短距離走で陸上部のエース級の記録を叩き出し、気紛れに体験入部した拳法部で黒帯の上級生から瞬く間に一本を奪った。勿論、本気で入部するつもりなんかなかった。ただ、周りのレベルを知ってみるのもいいかも、と思っただけだ。武道自体は多少なり齧ったことはあるが、基本的に他人と競い合いたいなどと思わないし、他人の上に立つことにも興味がない。第一、ウサギほどの骨もない、愚かな烏合の衆どもと競って何が楽しいのか皆目分からない。
 なんでも出来るのに、なにもしようとしない生徒。怠惰で無気力で、社会や大人に対して斜めに構えた今どきの高校生。教師にそう見られていることは知っていた。とはいえ、授業をサボったりトイレで煙草を吸ったりする落ちこぼれ組でもない。教師にとって、間違いなく俺は、扱いにくい存在なのだろう。
 ある日、生徒指導の体育教師に呼び出された。最初は、やたらと俺を持ち上げ、それほどの才能があるのに延ばさないのは勿体ないと運動部への参加をしつこく持ちかけてきたが、それに俺が同調しないとみるや、そいつは態度を一変させた。
「家庭環境に問題があるのは知っているが、それがなんだ。粋がっているんじゃないぞ。教師を舐めるな」
 俺はその台詞に、正直驚いた。
 粋がる、という意味がピンとこなかったし、自分の家庭環境に問題があるなどと考えたこともなかった。確かに、両親が揃った家族構成ではないが、いまどき片親の家庭など珍しくもない筈だ。おまけに、礼儀正しく受け答えをしていたつもりなのに、いつの間にか生徒指導の教師の苛立ちと怒りを募らせる結果になっていたらしい。
 思わず失笑し、激高した体育教師は俺の胸座を掴んだ。
 殴り飛ばしたのは、ただの反射作用だった。別に、その教師に対して怒りを感じたわけではない。
 俺の拳に頬骨を砕かれた体育教師は、理事長にこう言ったという。
 自分の指導が至らなかったせいです、家庭の問題のことを話し合おうとして、結果的にかれのプライドを酷く傷つけてしまいました、と。
 成程ねえ、と思った。悲劇の熱血教師で好感度アップ。そして俺は心を閉ざした繊細な不良少年の役回りか。
 俺にくだされた処分は一か月の停学と自宅謹慎。それが重いのか軽いのかは分からない。ただ、学内階級での位置付けは、デカい根暗ヤロー、からキレるとやばい一匹狼、になったらしい。まあ、どうでもいいけれど。
「うちって、なんか家庭環境に問題があんの?」
 処遇を言い渡されたその日、同じく学校に呼び出され理事長と面談していた葉奈と肩を並べて帰宅する道すがら尋ねると、葉奈は業と鹿爪らしい顔をして俺を見た。
「そうね、そう言われたら問題がないことはないわね」
 でも、問題なんて、多かれ少なかれ、どこの家にもあるんじゃない。
 そう言って、葉奈は笑った。
 本当は、俺が停学になったことなど、気にもしていないのだ。葉奈がいま気にしているのは、勝手口の横にいつの間にか咲いた紫陽花を引き抜くかどうかなのだから。
 葉奈は、極端なほどの放任主義で、息子にべたべたと世話を焼くような母親ではない。そんなところが、俺には好もしい。
 葉奈は、好きだ。綺麗なだけじゃなく聡明で、考え方や行動がユニークだから。
「謹慎のあいだ、暇でしょう。叔父さんのところに行ってみない?」
 茶の間の畳のうえに転がって雑誌を呼んでいた俺は、葉奈がなにを言っているのかと訝(いぶか)った。
「なに、それ。俺に叔父さんなんていたの?」
 だいたい、自宅謹慎中だ。親戚の家に遊びになど行っていい筈がない。葉奈はそれを分かっているのだろうか。
「大丈夫。学校とはもう話がついてるから。こういうとき、母子家庭ってアピールは強いわね」
 俺は半ば呆れて溜め息をついた。葉奈は、理事長と指導教師の前で目を潤ませてでもみたのだろう。
 男親がいないので、私だけでは手に余ります。謹慎期間中、父親替わりをしてくれる親類に預けます。
 葉奈は、大概の相手に言うことをきかせる術を心得ている。相手が男性なら尚更だ。
「反省文なんてどこでも書けるでしょう。それに叔父さんの家は横浜だから、家庭訪問も免れるわよ」
 その一言が決め手だった。一か月の謹慎期間中、定期的な家庭訪問など御免だし、横浜は中華街やマリンタワーに行ってみたいと前から思っていた。
「その叔父さんて、どんなタイプ?」
 葉奈は少し考えて、答えた。
「そうね、神経質で、ちょっと扱いづらい人かな。でも、その辺はあなたも似たようなものだから、気が合うんじゃない」
 一年ほど前にアメリカから帰国し、横浜のマンションで独り暮らしをしている、と葉奈は続けた。
 神経質で扱いづらい。それを聞いた途端、気が重くなった。自分と似た人種と上手く付き合えるなどとは到底思えない。
 家にいるつもりなら、毎日隅から隅まで家中の掃除をさせる、と脅す葉奈に押し切られる形で横浜行きは決定し、俺はデイパックに身の回りのものを放りこんだ。それが、昨日のこと。そして今日はもうその家に到着し、初対面のひとのベッドで横になっている。
 葉奈とは似ていない瞳の色。進二さんの瞳は、微かな光が揺れる湖面のような澄んだ灰色だ。穏やかで優しいが、見る者が視線を合わせづらい、どこか不安を感じさせる色。ずっとずっと昔、どこかでその色を見たことがあるような気がした。
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