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Perfume3.悲痛な決断と伯剌西爾での三日間。
41. 大晦日と初詣。
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ゴーン……
「明けましておめでとうございます!」
何のモチーフなのかわからない和柄の座布団の上で、ヒカル、マコト、アヤノ、イノウエ、イオリがそれぞれ床に手を付いてお辞儀をする。
未だ鐘の余韻は鼓膜を揺らしていたが、彼らはすぐに割り箸を割って蕎麦に食いついた。一口食べただけで出汁のふくよかな香りと風味が彼らを包み込む。
ここはイノウエの家。至って普通の家だが、床の間にある掛け軸と花瓶は彼女こだわりの逸品らしくヒカルたちは恐ろしくて触れることができない。
イノウエがヒカルに怪訝な顔を向ける。
「それにしても何よその被り物。1週間間違えてるわよ」
「いやあクリスマスはアルコール中毒になる人が多すぎて被る機会がなかったのでここでと」
「ヒカルくんはわかるけど、マコトくんまで被るとはね……」
そう言われてマコトは、被っていたサンタ帽を脱いだ。ヒカルはまったく脱ぐ気配はない。
彼らはここに来る前に各自の家で風呂に入ったので、身体が温まり、いくらか目がとろんとしている。
「俺も恥ずかしいですけど、ヒカルの言うことも一理あるかなと思って」
「本当にヒカルくんに対して甘すぎるのよ」
その間にもヒカルはビールを煽っていて、彼の隣でふらふらしている。
年末恒例の音楽特番も終わり、残りわずかの蕎麦を食べ終わってしまえば後は寝るだけ。
蕎麦の出汁に浸った鶏天を齧《かじ》りながらイオリはもうほぼ眠っていた。演歌のときにもう風呂を済ませ、パジャマを着ているので寝る準備はほぼ整っている。
もう寝れば? と母に言われ、せっかく夜更かし出来る大晦日を名残惜しそうにしながらも頷いた。
「おやすみなさい」
「おう、おやすみー」
彼の足音が遠ざかり、残された大人たちはそっとニッポン酒の瓶を開ける。
イノウエは何種類も酒を飲んでいるというのに顔色ひとつ変えずにアヤノに声を掛けた。
「お母さん良かったの? 来てくれたほうが私たちも嬉しいのに」
「うちお客さんがいっぱい集まる家なので、母はいないといけないんです。きっと今頃母の周りもこうなってますよ」
アヤノは横で寝そべるヒカルに視線をやる。ため息をついてイノウエは「これは悪い大人の例……」と苦笑してつぶやいた。
「もう一杯だけ飲みたいよお、どうして酒好きな俺がマコトより弱いんだよお」
「あんたは子供か」
それだけマコトが返答し、皆がヒカルを無視してテレビを観た。
厚着をした人がぎゅうぎゅう詰めで寺や神社に訪れる様子が中継されている。新たな1年の始まりに皆がどこか浮ついているようで、寒さで頬を紅くしているが彼らの表情は暖かそうだ。
中継映像に見入っていたアヤノに、イノウエが温かい緑茶を出しながら、
「明日、初詣行こっか!」
と言った。
「私今までお客さんの相手で忙しくて元日にお寺とか行ったことなかったので夢だったんです!」
「あはは、夢って……アヤノちゃーん、若い子はお寺よりディスコとか行きたいものよ?」
「イノウエさん、ディスコは何か違う気がします」
目を輝かせたアヤノをイノウエが笑い、冷静にマコトが一言。
この様子を床から見上げていたヒカルは、誰にも聞こえないくらい小さな声で「幸せだなあ」と言って眠ってしまった。
元旦、イオリが起きてまず見たのは、こたつに入って眠りこけるセラピストたちだった。
起こすのも悪いと思い、起きたら初めにこたつに入ってテレビを点けるというルーティンに反して、彼はまず顔を洗いに洗面所へ向かう。
洗面所を開けると、赤い着物に身を包んだ華やかなアヤノの姿があった。彼女の後ろから着付けをしていた母が姿を見せる。
「おはよう! イオリも着せてあげようか?」
「ううん、窮屈だからいいや」
ふうんそっか、と言って彼女はまたアヤノの着付けに戻った。
女性の身支度を見てはいけないと思い洗面所を出ると、真っ青な顔をしたヒカルと対面する。
「だめです、僕らは出掛ける準備をしましょう」
何がなんだかわからないままヒカルは和室に戻され、イオリが淹れた緑茶をとりあえず飲む。
少し後に起きたマコトは自分で緑茶を淹れて、寝起きの身体に一気に流し込んだ。
テレビには山を登るランナーたちが映し出され、 実況者が物凄い熱量で現状を伝えている。白熱した展開に、皆が息を呑む。
1番良い場面でマコトが車内を暖めておくために外に出た。残されたヒカルたちは、ぼーっと窓の外を眺める。
ガチャリ。戸が開いて着物に身を包んだアヤノがちょこんとそこに立っていた。
小柄な彼女に和服が良く似合う。
真紅の口紅を乗せた唇と、少し赤のアイシャドウを塗った目元が彼女の可愛らしさを最大限に引き出している。
「わあ、可愛いね、アヤノちゃんは和風美人だよ」
チークは塗っていないはずの頬に赤みがさした。
「あらあらあ」
とイノウエが冷やかして、お腹が空いたから早く行こうと皆を急かす。
暖かい車から神社に降りたとき、全員が思わず寒いという言葉を漏らした。
女性2人が列に並んで男性3人が唐揚げや鯛焼き、そして甘酒を買ってくる。
「神様すみません、朝食なしでこの寒空の下は凍死します」
列の先にいるはずの神にイノウエが言い訳する。その言葉を聞いて皆が笑った。
やっと訪れた順番。
1年の感謝を述べた後、それぞれが、それぞれの、思い思いの願いをした。
『いつまでもこの幸せが続きますように』
この一言がヒカルとマコトの願いだった。
クリニックの休憩室にある例のコルクボードには、着物姿のアヤノを囲んで撮った写真が増えた。
「明けましておめでとうございます!」
何のモチーフなのかわからない和柄の座布団の上で、ヒカル、マコト、アヤノ、イノウエ、イオリがそれぞれ床に手を付いてお辞儀をする。
未だ鐘の余韻は鼓膜を揺らしていたが、彼らはすぐに割り箸を割って蕎麦に食いついた。一口食べただけで出汁のふくよかな香りと風味が彼らを包み込む。
ここはイノウエの家。至って普通の家だが、床の間にある掛け軸と花瓶は彼女こだわりの逸品らしくヒカルたちは恐ろしくて触れることができない。
イノウエがヒカルに怪訝な顔を向ける。
「それにしても何よその被り物。1週間間違えてるわよ」
「いやあクリスマスはアルコール中毒になる人が多すぎて被る機会がなかったのでここでと」
「ヒカルくんはわかるけど、マコトくんまで被るとはね……」
そう言われてマコトは、被っていたサンタ帽を脱いだ。ヒカルはまったく脱ぐ気配はない。
彼らはここに来る前に各自の家で風呂に入ったので、身体が温まり、いくらか目がとろんとしている。
「俺も恥ずかしいですけど、ヒカルの言うことも一理あるかなと思って」
「本当にヒカルくんに対して甘すぎるのよ」
その間にもヒカルはビールを煽っていて、彼の隣でふらふらしている。
年末恒例の音楽特番も終わり、残りわずかの蕎麦を食べ終わってしまえば後は寝るだけ。
蕎麦の出汁に浸った鶏天を齧《かじ》りながらイオリはもうほぼ眠っていた。演歌のときにもう風呂を済ませ、パジャマを着ているので寝る準備はほぼ整っている。
もう寝れば? と母に言われ、せっかく夜更かし出来る大晦日を名残惜しそうにしながらも頷いた。
「おやすみなさい」
「おう、おやすみー」
彼の足音が遠ざかり、残された大人たちはそっとニッポン酒の瓶を開ける。
イノウエは何種類も酒を飲んでいるというのに顔色ひとつ変えずにアヤノに声を掛けた。
「お母さん良かったの? 来てくれたほうが私たちも嬉しいのに」
「うちお客さんがいっぱい集まる家なので、母はいないといけないんです。きっと今頃母の周りもこうなってますよ」
アヤノは横で寝そべるヒカルに視線をやる。ため息をついてイノウエは「これは悪い大人の例……」と苦笑してつぶやいた。
「もう一杯だけ飲みたいよお、どうして酒好きな俺がマコトより弱いんだよお」
「あんたは子供か」
それだけマコトが返答し、皆がヒカルを無視してテレビを観た。
厚着をした人がぎゅうぎゅう詰めで寺や神社に訪れる様子が中継されている。新たな1年の始まりに皆がどこか浮ついているようで、寒さで頬を紅くしているが彼らの表情は暖かそうだ。
中継映像に見入っていたアヤノに、イノウエが温かい緑茶を出しながら、
「明日、初詣行こっか!」
と言った。
「私今までお客さんの相手で忙しくて元日にお寺とか行ったことなかったので夢だったんです!」
「あはは、夢って……アヤノちゃーん、若い子はお寺よりディスコとか行きたいものよ?」
「イノウエさん、ディスコは何か違う気がします」
目を輝かせたアヤノをイノウエが笑い、冷静にマコトが一言。
この様子を床から見上げていたヒカルは、誰にも聞こえないくらい小さな声で「幸せだなあ」と言って眠ってしまった。
元旦、イオリが起きてまず見たのは、こたつに入って眠りこけるセラピストたちだった。
起こすのも悪いと思い、起きたら初めにこたつに入ってテレビを点けるというルーティンに反して、彼はまず顔を洗いに洗面所へ向かう。
洗面所を開けると、赤い着物に身を包んだ華やかなアヤノの姿があった。彼女の後ろから着付けをしていた母が姿を見せる。
「おはよう! イオリも着せてあげようか?」
「ううん、窮屈だからいいや」
ふうんそっか、と言って彼女はまたアヤノの着付けに戻った。
女性の身支度を見てはいけないと思い洗面所を出ると、真っ青な顔をしたヒカルと対面する。
「だめです、僕らは出掛ける準備をしましょう」
何がなんだかわからないままヒカルは和室に戻され、イオリが淹れた緑茶をとりあえず飲む。
少し後に起きたマコトは自分で緑茶を淹れて、寝起きの身体に一気に流し込んだ。
テレビには山を登るランナーたちが映し出され、 実況者が物凄い熱量で現状を伝えている。白熱した展開に、皆が息を呑む。
1番良い場面でマコトが車内を暖めておくために外に出た。残されたヒカルたちは、ぼーっと窓の外を眺める。
ガチャリ。戸が開いて着物に身を包んだアヤノがちょこんとそこに立っていた。
小柄な彼女に和服が良く似合う。
真紅の口紅を乗せた唇と、少し赤のアイシャドウを塗った目元が彼女の可愛らしさを最大限に引き出している。
「わあ、可愛いね、アヤノちゃんは和風美人だよ」
チークは塗っていないはずの頬に赤みがさした。
「あらあらあ」
とイノウエが冷やかして、お腹が空いたから早く行こうと皆を急かす。
暖かい車から神社に降りたとき、全員が思わず寒いという言葉を漏らした。
女性2人が列に並んで男性3人が唐揚げや鯛焼き、そして甘酒を買ってくる。
「神様すみません、朝食なしでこの寒空の下は凍死します」
列の先にいるはずの神にイノウエが言い訳する。その言葉を聞いて皆が笑った。
やっと訪れた順番。
1年の感謝を述べた後、それぞれが、それぞれの、思い思いの願いをした。
『いつまでもこの幸せが続きますように』
この一言がヒカルとマコトの願いだった。
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