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Perfume2.過去への疑問と子供の感情。
30. 無理はしないこと!
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もう秋の涼しさが訪れているというのに額に汗を浮かべて走って来たヒカルを見て、マコトとイノウエは何かがあったのだという不吉な予感がする。
ヒカルは彼らが座っていたテーブルに手をつくやいなや、
「じいちゃんが……じいちゃんが倒れたって!」
と切れ切れな声で言った。
皆がひゅっと不思議な音を立てて息を呑んだ。
“じいちゃん”というのが何者かもわからず面識もないイオリですら。
それほどにその事実は彼らを怯えさせ、ヒカルの取り乱した様子は彼らを圧迫した。
イノウエはヒサシが何らかの病気であるのかを聞いたが、手紙には未だ検査の結果が出ておらずなぜ倒れたのかわかっていないと書いてあったとヒカルが伝えると、彼女は無言で荷物をまとめた。
マコトがテーブルの側でじっと彼らを見ていたタケヤマに申し訳なさそうに声をかける。
「すみません、パンケーキキャンセルできますか?」
「ああもちろん。お話聞こえました、おじいさまがお元気になられますよう祈っております」
深くお辞儀をするタケヤマに一行は深い感謝を感じながらログハウスを後にした。
サイタマからヒサシの入院した病院までは有料道路を用いても1時間半かかる距離。皆の不安感となかなか車が進まないことへの苛立ちが募っていく。
一行の目の前にはメープルシロップと見紛うような空が広がっていた。
昼と夜の間、ヒカルが1番好きな時間だ。
運転するマコト以外は、既に冷めてカバーなしで持てるようになったメープルシロップの瓶をただじっと見ていた。
ヒカルはその綺麗な輝きと、蓋をしていても立ち込める甘い香りに理不尽にも腹が立っていた。
何も話してはいけない雰囲気だと感じ取っていたイオリは、何も言わないうちに睡魔に襲われた。
思えばこの日は出掛けるために早起きをして、その上初めて知ることばかりの1日であったはずだ。
疲れるのも無理はないと、イノウエは彼に持参していたブランケットをかけて「眠っていてもいいよ」と優しく言う。
病院に着いた頃、空はもう群青色をしていた。
すーすーと穏やかな寝息を立てていたイオリを起こしたが、彼は病院特有の張り詰めた空気にすぐに目が覚めた様子だった。
手紙に書いてあった病室の番号を伝え、孫であると伝える。
首に下げる許可証をもらってヒサシのもとへ急ぐ。
彼の部屋を開けると、たったひとつのベッドにヒサシが横たわっていた。その側にはあの手紙の差出人であった看護師が立っている。
急いでやってきたことが明白な彼らを見て、ヒサシは笑顔で軽い調子で話し始めた。
「何だ、ずいぶん大勢で来たな」
「じいちゃん、体調はどうなの。前から調子悪いと思ってたのに無理してた?」
「ひさしぶりに会ったんだから会話を楽しんでも良いじゃないか……」
彼とは反対に責めるような重い調子のヒカルの言葉に苦笑して視線を真上の天井に向ける。
息をゆっくりと吸って、記憶を辿りながら話し始める。
「たしかに最近は身体が怠いと感じることが多かったけど年齢のせいかなと思っていた。決して無理していたわけじゃないよ」
険しかったヒカルの表情が少し和らいだ。
それに、とヒサシは話を続ける。
「今は元気だよ。もう結果を見たけど、ちょっとした貧血みたいなものだったらしい」
「それなら良いけど……」
実際にヒサシの表情は生き生きとしていて重病患者だとは思えなかった。
彼は元からレバーなど貧血に良いと言われる食べ物はどれも苦手で食べなかったので貧血というのにも納得がいく。
今まで元気そのものだった彼が倒れたというのは、皆が息をするのを忘れるくらい驚くことだった。ゆえに彼の元気そうな姿に皆が安堵する。
「はあ、あまり心臓に悪いことをしないでね。じいちゃんが仕事好きなのはわかるけど無理はしないこと!」
あと病院食はもちろん、レバーとかもしっかり食べること!
そう言い残してヒカルは病室を出た。
「先生のクリニックを休業にするわけにはいかないのなら、俺らを呼んでくださいね」
「昔からヒサシさんは無理するから……そちらの看護師さんに迷惑かけないようにちゃんと体調管理なさってくださいよ!」
マコトは穏やかに思いやって、イノウエは付き合いが長いため比較的強い語気でそう言って立ち去った。
「今日は悪かったね、ありがとう」
ヒサシは笑顔で手をひらひらさせた。
病室に彼と看護師が残される。
ヒサシは振っていた手を力なくベッドに下ろした。看護師は彼が天井を見るのに倣《なら》う。
しばし無言の時間が過ぎていったが、看護師はヒサシの顔に視線をやって、
「良いんですか、これで」
と言った。
何も言わず、どの話をしているのかわからないといったような顔をしているヒサシに、看護師は苛立ちを見せて再び言葉を発する。
「実は癌だって、言わなくて良いんですか!」
ヒサシは看護師とは反対に顔を向けて、「良いんだよ、これで」とだけ呟いた。
病院を出たところでマコトが、
「“無理はしないこと”ねえ」
とヒカルの言葉を繰り返した。
「何、文句でもあるの」
ヒカルは口を尖らせてどんどん先へ歩いていく。
彼が1番に車に着いてドアに手をかけたとき、一言だけ低い声で言った。
「でもじいちゃん、ずいぶんと痩せたような気がするんだよな……」
マコトは何と言ったのかわからず聞き返したが、ヒカルはそれ以降何も言わなかった。
ヒカルは彼らが座っていたテーブルに手をつくやいなや、
「じいちゃんが……じいちゃんが倒れたって!」
と切れ切れな声で言った。
皆がひゅっと不思議な音を立てて息を呑んだ。
“じいちゃん”というのが何者かもわからず面識もないイオリですら。
それほどにその事実は彼らを怯えさせ、ヒカルの取り乱した様子は彼らを圧迫した。
イノウエはヒサシが何らかの病気であるのかを聞いたが、手紙には未だ検査の結果が出ておらずなぜ倒れたのかわかっていないと書いてあったとヒカルが伝えると、彼女は無言で荷物をまとめた。
マコトがテーブルの側でじっと彼らを見ていたタケヤマに申し訳なさそうに声をかける。
「すみません、パンケーキキャンセルできますか?」
「ああもちろん。お話聞こえました、おじいさまがお元気になられますよう祈っております」
深くお辞儀をするタケヤマに一行は深い感謝を感じながらログハウスを後にした。
サイタマからヒサシの入院した病院までは有料道路を用いても1時間半かかる距離。皆の不安感となかなか車が進まないことへの苛立ちが募っていく。
一行の目の前にはメープルシロップと見紛うような空が広がっていた。
昼と夜の間、ヒカルが1番好きな時間だ。
運転するマコト以外は、既に冷めてカバーなしで持てるようになったメープルシロップの瓶をただじっと見ていた。
ヒカルはその綺麗な輝きと、蓋をしていても立ち込める甘い香りに理不尽にも腹が立っていた。
何も話してはいけない雰囲気だと感じ取っていたイオリは、何も言わないうちに睡魔に襲われた。
思えばこの日は出掛けるために早起きをして、その上初めて知ることばかりの1日であったはずだ。
疲れるのも無理はないと、イノウエは彼に持参していたブランケットをかけて「眠っていてもいいよ」と優しく言う。
病院に着いた頃、空はもう群青色をしていた。
すーすーと穏やかな寝息を立てていたイオリを起こしたが、彼は病院特有の張り詰めた空気にすぐに目が覚めた様子だった。
手紙に書いてあった病室の番号を伝え、孫であると伝える。
首に下げる許可証をもらってヒサシのもとへ急ぐ。
彼の部屋を開けると、たったひとつのベッドにヒサシが横たわっていた。その側にはあの手紙の差出人であった看護師が立っている。
急いでやってきたことが明白な彼らを見て、ヒサシは笑顔で軽い調子で話し始めた。
「何だ、ずいぶん大勢で来たな」
「じいちゃん、体調はどうなの。前から調子悪いと思ってたのに無理してた?」
「ひさしぶりに会ったんだから会話を楽しんでも良いじゃないか……」
彼とは反対に責めるような重い調子のヒカルの言葉に苦笑して視線を真上の天井に向ける。
息をゆっくりと吸って、記憶を辿りながら話し始める。
「たしかに最近は身体が怠いと感じることが多かったけど年齢のせいかなと思っていた。決して無理していたわけじゃないよ」
険しかったヒカルの表情が少し和らいだ。
それに、とヒサシは話を続ける。
「今は元気だよ。もう結果を見たけど、ちょっとした貧血みたいなものだったらしい」
「それなら良いけど……」
実際にヒサシの表情は生き生きとしていて重病患者だとは思えなかった。
彼は元からレバーなど貧血に良いと言われる食べ物はどれも苦手で食べなかったので貧血というのにも納得がいく。
今まで元気そのものだった彼が倒れたというのは、皆が息をするのを忘れるくらい驚くことだった。ゆえに彼の元気そうな姿に皆が安堵する。
「はあ、あまり心臓に悪いことをしないでね。じいちゃんが仕事好きなのはわかるけど無理はしないこと!」
あと病院食はもちろん、レバーとかもしっかり食べること!
そう言い残してヒカルは病室を出た。
「先生のクリニックを休業にするわけにはいかないのなら、俺らを呼んでくださいね」
「昔からヒサシさんは無理するから……そちらの看護師さんに迷惑かけないようにちゃんと体調管理なさってくださいよ!」
マコトは穏やかに思いやって、イノウエは付き合いが長いため比較的強い語気でそう言って立ち去った。
「今日は悪かったね、ありがとう」
ヒサシは笑顔で手をひらひらさせた。
病室に彼と看護師が残される。
ヒサシは振っていた手を力なくベッドに下ろした。看護師は彼が天井を見るのに倣《なら》う。
しばし無言の時間が過ぎていったが、看護師はヒサシの顔に視線をやって、
「良いんですか、これで」
と言った。
何も言わず、どの話をしているのかわからないといったような顔をしているヒサシに、看護師は苛立ちを見せて再び言葉を発する。
「実は癌だって、言わなくて良いんですか!」
ヒサシは看護師とは反対に顔を向けて、「良いんだよ、これで」とだけ呟いた。
病院を出たところでマコトが、
「“無理はしないこと”ねえ」
とヒカルの言葉を繰り返した。
「何、文句でもあるの」
ヒカルは口を尖らせてどんどん先へ歩いていく。
彼が1番に車に着いてドアに手をかけたとき、一言だけ低い声で言った。
「でもじいちゃん、ずいぶんと痩せたような気がするんだよな……」
マコトは何と言ったのかわからず聞き返したが、ヒカルはそれ以降何も言わなかった。
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