Dragon maze~Wild in Blood 2~

まりの

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星龍の章 第一部

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2133年 バンコク

 ルイが、小さな手で自分の顔を指差してゆっくり言う。
「ルイだよぉ、ル・イ」
「……る……い」
「そう。じょうず、いえたねぇ」
 ぱちぱちと嬉しそうにルイが手を叩いてる。
 負けずにフェイも自分を指して首を傾げた。
「じゃあ今度はね、フェイだよ。フェ・イ」
「ふぇ……い」
「すごいすご~い!」
 また、ルイとフェイが二人でにっこり笑って手をぱちぱち。
 それを見て彼も微笑んだ。無垢な子供の様な笑顔で。


「記憶が……無い?」
「ええ。顔見知りはおろか、自分が誰かもわからない。言葉も……何もかもまっさらよ」
 女医さんの宣告の声が酷く遠く聞こえた。
 傷はもうほとんど癒えていた。長く昏睡状態にあったのは場所が悪かったため、首の一番大きな血管を損傷した事による頭部の失血が原因だった。たとえ意識が戻っても、脳に多少の影響は残るだろうと宣告されてはいたものの、まさかここまでとは。あまりの事に、誰もすぐには現実を受け止められなかった。
「いい。ディーンが生きていてくれただけで嬉しい」
 フェイはオレ達にそう言ったものの、やはり自分の事もわからないのは辛かったようだ。初めて見たという目でみつめられて、病室を飛び出して何時間か泣いていた。
 オレはもう少し早くショックから立ち直れた。考え方を変えれば、これはウォレスさんにとっては幸せだったのかもしれないと。
「フェイ、ウォレスさんはもう一度生れ変わったんだよ。生れたばかりの赤ちゃんと同じ。忘れてしまったなら、また教えてあげればいい。少しづつ、ゆっくりと」
「カイ……」
「今まで沢山辛いことばかりだったから、きっと神様が全部忘れさせてしまったんだ。これからは、いいことだけ、楽しいことだけを覚えていられるように。それに、また突然元に戻るかもしれないって先生も言ってただろ?」
 オレは本心からそう思う。だからフェイにそう言った。
 ……これからも恐らく辛すぎる現実が待っている。
 ロンが残していったコートに付いていた、髪の毛根の遺伝子解析の結果は、ほぼルイと同じだった。ってことは、やはりロンもルーとウォレスさんの子だという事だ。
 人工授精で作られた時期が違うのと、別々の卵子が元になっているため、能力的にルイとはあまり共通点が無いように思える。それは、ノーマルタイプの同じ親から生れた兄弟でも、父母のどちらかに似ているのと同じで、ルイは母親似、ロンが父親似だという事だろう。
 また、ウォレスさんは元々ノーマルタイプであるため、遺伝子操作で人工的に作られたA・H、特に異種合成という特殊な遺伝子形態のルーよりもヒトの部分が優勢だし、イヌとオオカミの間にも同じことが言える。飼い慣らされた犬と野生の狼では狼が上位。しかも狼の中でも最上位のアルファである父の遺伝子を引き継いだ子供達が、ウォレスさんの方に似るのは必然なのだ。むしろ、ルーのイルカの能力が色濃く出たルイは、ある意味で劣勢遺伝子だけを引き継いだ奇跡のような存在と言える。それゆえに引き起こされた悲劇だったのだが―――。
『この血は呪われてるんだ』
 以前、ウォレスさんが言っていた。冗談だと思ってたけど、本当なのかもな。
 その血を引く子供が、何か大きなことをやろうとしてる……多くのA・Hの命に関わる事。
 子供達だけじゃない。ルーも、A・Hにあの羽根の生えた蛇の印をつけたのも、そしてまだ赤ん坊のはずのロンを大きくしたのも、どうやったのかはわからないが成熟した自我を持たせた誰かも。恐らくウォレスさんに深く関わる人間のはず。
 そしてフェイも危険に晒されている。それを知ったら、きっと黙ってはいられないだろう。こうなる前だってもう戦えるような体じゃ無かった。それでも、誰が止めたってきっと一人で全部責任を背負って、白衣を脱ぎ捨てて飛び出していたはずだ。確実な死が待っていても。
 ……それは、きっとフェイにとっても一番辛い事だろう。
 だから、もう何も思い出さなくていい、責任を感じることも無い状態になってしまったことは、ウォレスさんにとっては幸せなんじゃないかとオレには思えるのだ。もういい、これ以上苦しまなくてもいいじゃないかって。
「だからフェイ、笑顔で傍にいてあげよう。泣きたい時はオレの前でだけ泣けばいい」
「カイ……カイ!」
 溺れる人のように強く縋り付くフェイの腕。オレは細い体を強く抱きしめた。
 もう一度オレは誓うよ。絶対にお前を守る。
 もう第三者じゃいられないところまで来てしまったんだ。ここまで首突っ込んだ以上、最後までお付き合いしてやるよ。ウォレスさんに替わってオレが。
 だからフェイ、オレの方を向いて。
 心まで全部預けてくれ。

 フェイはもう泣かなかった。次の日から仕事に復帰すると宣言して、元の制服姿に戻った。
 二日後の夜。オレ、フェイ、ルイの三人で小さな作戦会議中。場所はオレの部屋。
「ボクねぇ、パパのおにいちゃんになってあげるんだぁ」
 ……なんか変な言葉だが、言いたいことはわかるぞ、ルイ議長。
「ママは?」
「パパのママ」
 う~ん、他の人が聞いたら一気におばあちゃんだな、フェイ。
「じゃあ、オレは?」
「パパのパパ」
 う……そう来るとは思ったけど、いきなり年上のでかい息子が出来たぞぉ。
 そこでオレは気が付いてしまった。
「お兄ちゃんってことは、ルイもオレの息子なわけだ。じゃあ、兄ちゃんじゃ無く、オレのことをパパと呼ぶのか?」
「えっとぉ……」
 尋ねたはいいが、ルイにはちょっと難しかったか。
 って、ちょい待て。パパとママって事は、オレとフェイが夫婦って事か? うわ~なんかすごいことになって来たぞ。微妙に嬉しいけど。
「そうだね、パパが二人じゃややこしいもんね。じゃあ、ホントのパパはディーンって名前で呼んで、カイがパパってことで」
 あのぅ、フェイさんも言葉が無茶苦茶になってますが……言いたい事はわかるけど。
「わかった。それでいいよ」
 ルイは納得したらしい。
「じゃ、呼んでみな」
「パパ」
 うわぁ……なんか照れ臭いけど、すごく気持ちいいぞ。思わずルイを抱きしめてしまった。
「よし、ルイ。今日からオレがお前のパパだぞ」
 謎の会議の結果、オレはルイのパパという地位についたのだ。その他おまけつきで。

 さて、G・A・N・P全支部、および条約機構の必死の捜査も虚しく、一週間経ってもクーロンを定期的に訪れている船の行方はわからない。
 その後の調べで、他の地域からも何人も突然消えたA・Hがいる事もわかったのだが、彼等の行方もだ。
「選ばれたから、楽園に行く」
 その言葉を残して皆が消えて行ってしまう。いよいよこれは世界規模の大きな事件となってきて、中央政府も重い腰を上げ始めた。
 他の機関と今後の計画を話し合う会議に本部長は行ってしまったし、めっきり他の事件の報告も減ったこの頃。忙しく出動があるのは、事故処理や救難のチームの隊員だけで、オレ達にはお声が掛からない。
ロンもあれ以来姿を現さないままだ。体の調子が悪そうだったから、そのせいもあるのかなとも思いつつ、平和なのはいい事だ。
 午前中、トレーニングルームで体が鈍らないよう訓練を受けて、午後は出動も無さそうなのでフェイと一緒に医療センターの方に行くというのが、ここ数日で日課みたいになってきた。
「あ、ほら。パパたち来たよ」
 ルイと医局の先生が一緒だった。ディーンは……会議の取り決めで、オレも名前で呼ぶことになったのでこう呼ぶが……座ってこっちを見ている。ちょっと嬉しそう。
「起きてて大丈夫なのか?」
 オレが尋ねると、女医さんが答える。
「今日は調子がいいみたい。ずっとね、あなたを待ってたのよ」
「オレを? フェイじゃなくて?」
 白い手が伸びてきてオレの手を握った。片手は握力が無いから、ほわんとした掴み方。
 あ、なんか胸きゅん。まだ言葉は出ないけど、表情が少し出て来た。目が何か訴えてる。寂しかった?
 フェイがそれを見て横で吹き出した。
「前から思ってたんだけど、カイってさ、やたらと子供に懐かれるよね」
 言われてみたらそうかも。ルイの時もそうだったな。思い返せばフェイに初めて会った時もまだ子供だったけどいきなり懐かれた。しかも皆に言われてる。何故?
 その疑問に、女医さんが横で呆れるように言う。
「ネコって気まぐれで愛想が悪いようで、子供に優しい動物なのよ。大人には本気でひっかくけど、子供には爪をたてない。特に黒猫は愛情深いって言うわ。その辺りがわかるんじゃない?」
 いや、でも子供と言っても……。
 手を握り返すと、ディーンが少し微笑んだ。
 うう、見た目大人でもマジ可愛いかも。笑えるようになったんだぁ。なんかこう、日々少しづつでも変わって行くのを見られると、一生懸命子育てする親の気持ちがわかる気がするっていうか……そう思えるオレってどうなんだろう。
 弱いんだよな、こういう何の邪気もない目に。こう、守ってやりたくなるっていうか、頼られると舞い上がっちゃうタイプっていうか。
 そっか、黒猫だからなのか……。

 会議から帰って来た本部長に呼ばれて、オレがオフィスに行ったのは夕刻の事だった。
「カイ、君に会いたいという人が待っているのだが……その……」
「誰です?」
 本部長の様子おかしいぞ。顔色が悪い。何かに怯えてる?
「……会えばわかる」
 突然の来客は、思いもよらない珍妙な人物だった。
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