僕に翼があったなら

まりの

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旅の空

月夜の黒い翼

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「やんっ。お兄ちゃん、そこダメ……」
「こら、逃げるな」
「ああんっ。乱暴にしないで」
「そんな声出すなって」
「でもっ。痛い痛いっ」
 僕が床で身を捩ってると、小屋の戸が乱暴に開いた。
「シス君っ!」
 凄い勢いで入って来たのはユシュアさんだった。顔を半分布で隠して、羽根は背中で畳まれてる。
「……何やってる?」
「ルイドにかしかしされてたの。身繕いだよ」
「変な人間のニオイがするから綺麗にしないとな」
 ふうっと溜息が聞えた。顔、目だけしか見えないけど、何だかちょっと安心したように見える。すぐに顔を背けてこっちを見ないで何か差し出した。
「ほら、君のズボン。上は朝縫ってあげるから我慢して」
「拾ってきてくれたの? わあ、ありがとう」
 立ち上がって前に行くと、またぷいっと顔を背けられた。
「あまり見せないでくれ。き、君の裸は目に毒だ……」
 がーん。
 しくしく。目が悪くなっちゃうくらい変なんだね。わりとはっきり言うよね、ユシュアさん。悲しい気持ちでいそいそとズボンを履く。
「……変なものは隠したよ。ゴメンね不愉快な体で」
 ちょっと拗ねてみる。
「いや、そういう意味じゃなくて……」
 首を傾げながら、ユシュアさんは部屋の奥に行った。ベッドの下から大きな袋を出してごそごそやって、服を引っ張り出した。
「少し大きいけど、君の目の色と同じだな」
 そういって僕に薄い青の服を掛けてくれた。貸してくれるんだね。ちょっと男っぽいニオイのする上着は、ごわっとしてるけど温かかった。
「お兄さん、ちょっとシス君と外で話をしてきてもいいかい?」
「……お前と一緒なら安心だから」
 ルイドはうんうんと頷いた。ユシュアさんをとても信用してるみたい。


 外の空気はひんやりしてて、月がとても綺麗。しばらくユシュアさんと二人で並んで座ってた。
「魔物は全部倒して、この村の仕事も済んだ。オレはまた旅に出る」
 そっか。考えてみたら一晩泊めてもらうだけって話だったもんね。明日には僕達も多分この村を離れる。ユシュアさんの雰囲気であっという間に気に入っちゃったけど、すぐにお別れしないといけない人なんだよね。
 きりっと胸が痛んだ。何でだろう。
「人を探してるって言ってたね。どんな人?」
「……どんな姿なのか、女なのか男なのかもわからない。でも……」
 ユシュアさんが空を仰いだ。別に隠さなくても僕は平気なのに顔は布で隠されてて目しか見えない。
「運命の人なんだ」
「……運命?」
 漠然とだけど、それは逆らえないとても大事な物なんだと思った。
「人に話せない条件だから詳しい事は言えないけど、オレは訳あってこの体になった。その人に逢うために聖者様と約束をしたんだ。百一の頼まれごとをやり遂げる事、そして探している人に出会えて、その人が本当のオレの名前を呼んでくれた時、この変身する呪いは解ける」
 本当の名前?
「じゃあユシュアさんは本当は違う名前なの?」
「みたい。実はオレにもわからないんだ」
 ……何だか変わった話だけど、僕には何となく思い当る所がある。死ぬ前の記憶にある、違う世界での名前。とても大事な思い出したい顔があるのに思い出せない。そういったものがユシュアさんにもあるんじゃないかな。始めて見たのに懐かしく思えるのは、ひょっとしてユシュアさんも僕と同じなんじゃないだろうか。同じ世界の人間だったのかも知れない。
 そう言おうと思ったけど、やめた。深く聞いてしまったら、呪いが解けないかもしれない。話せない条件だって言ったもの。
「会ったばかりなのにこんな話……ゴメンな。でも君には何故か話したくて。オレが探してるのが君だったら良かったのに……そう思えて」
 まただ。また胸がきりっと痛んだ。何なんだろう、これは。
 ぐっと胸を押さえてみても、治まらなかった。
「どうした? どこか痛い?」
「何でも……無いよ」
 こんなの初めて。僕、どうかしちゃったのかな?
「シス君……」
 ぎゅっとまた抱きしめられた。温かくて、泣きたいような変な気持ちになった。でも、痛いのはすうっと消えた。
「君だけだよ。こんな姿を見ても怖がらなかったのは」
「だって怖くなんか無いもん。素敵だよ、本当に」
「嬉しい……」
 気持ちいい腕の中。そっと僕もユシュアさんの背中に手を伸ばした。
「飛んでみる? 一緒に」
「え?」
 ぶわっとユシュアさんの黒い羽根が広がった。
 僕を抱きかかえて、ユシュアさんが立ち上がると大きな翼は静かに羽ばたいて、ふわりと浮いた。
「しっかり掴ってて」
 どんどん高く上がってく。ルイドの背中ともまた違う感覚。首にぎゅっとしがみ付いて、ユシュアさんの顔を見ると、月の光で金色に輝いて見える嘴は、ほんの少し笑ってるように見えた。
 冷たい夜の空、僕は黒い翼と一緒に風になった。
 夢のような時間。このままずっと飛んでいたい。
 広い胸に頭を預けると聞えてくるのはドキドキいうユシュアさんの鼓動。大翼鳥の遅い鼓動と違う、僕と同じ時間を刻む鼓動。
「こうして飛べるのもいいな。もう呪いが解けなくてもいい気もする」
 そうだね。本当に……。
 僕がユシュアさんの運命の人なら良かったのに。そう思った時、自分でもわからなかった胸の痛みの正体を知った気がした。
 これが恋なんだろうかって。
 僕、ユシュアさんの事、好きになっちゃったのかな……。
「気持ちいい」
「オレも」
 しばらく僕達は夜の空に浮かんでた。月まで手が届きそうだった。
「君は本当に綺麗だ……」
 固い嘴が僕の唇に触れた。今までで一番嬉しい口付けだった。
 これが夢でもいい。
 僕はこの夜を絶対に忘れない。ずっと、ずっと。


 朝、目覚めるとルイドの羽根の中だった。
「おはよう」
 普通の人間の姿のユシュアさんが笑ってた。
 朝ごはんもご馳走になった。テーブルの向こうで始終ニコニコと愛想よく笑ってるユシュアさんの顔が真っ直ぐ見られなくて、僕はちょっと変だったかもしれない。昨夜の口付けを思い出したから。
「シス、どうした? 何か変だぞ?」
 ルイドにつつかれたけど、言われるともっと恥ずかしくなって、誤魔化すのにルイドの首に顔を埋めた。
「この村の魔物退治で八十二こなした。あと十九だな」
 ユシュアさんが僕の気も知らないで嬉しそうに言う。

 もうすぐお別れしちゃうんだ。そう思うと悲しくなって涙が出た。
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