Wild in Blood

まりの

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餓狼の章

方舟~アーク~ 1

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 低く、微かに機械の唸る音がする。空調か何かの音?
 以前グレートクーロンの地下で元アジトらしき場所へ行ったことがある。この廊下の感じはあそこに良く似ている。気味が悪いくらい清潔で、白々とした廊下。大学の研究室の通路だってここまでピカピカじゃなかった。
 白いライトは薄紫がかかってて、紫外線殺菌でもしているのだろうか。微かに消毒液の臭いのする空気も、イオン処理でもしてるみたいな徹底した清浄さ。
「地下なのか? ここは」
「ええ。かなり深いわ」
 俺は足音を消してそっと歩く。裸足なので忍び足は楽だ。
「この先が研究部。全員ノーマルタイプだから、そんなに気配を隠さなくても誰も気が付きやしないわ」
 そう言いつつも、ミカの声も相当小さい。耳がいい者同士の会話は傍から見たらほとんど口が微かに動いて息が漏れているくらいにしか感じないだろう。俺とフェイもいつもこんな感じなので慣れてるけどな。
 幾つかドアをやりすごし、やや大きなドアの前でミカが足を止めた。
 遺伝子チェッカーがついてるドアだ。
「ここの一番奥にルーがいるわ。あの子の仕事を見る?」
「ぜひ」
 ミカが認識パネルに手をかざすとドアが開いた。それでもすぐには奥は見えない。二重のドアになっていて、入った瞬間に風が天井から勢いよく吹いて来た。どうも殺菌されたらしい。
「徹底してるな」
「奥の部屋には雑菌を入れられないの。まだ免疫力の無い小さな子供ばかりだから」
「子供……」
 おチビちゃん達、確かにミカがそう言っていたな。
 もう一枚の扉が開くと、ここまでの風景とは全く違った色が目に飛び込んできた。
 赤、黄色、緑。丸、三角、四角。原色の積み木みたいな柄の壁。花やちょうちょ、風船にくま。子供の好きそうなものがいっぱい。まるで幼稚園みたいだ。
 きゃっ、きゃっ。甲高い笑い声が聞こえる。そこには四・五人の小さな子供が遊んでいた。
 ころころ……足元にボールが転げてきた。それを追いかけて来たのは三歳くらいの男の子。俺が拾って渡してやると、男の子はぺこっと可愛らしくお辞儀をした。
「ありがと」
「お利口さんね。ちゃんとお礼が言えたわね」
 ミカが頭を撫でて褒めると、男の子はにっこりと笑顔を見せて走って行く。笑った口に少し尖った牙が見えた。
「この子達も全員A・H?」
「そうよ。ここで生まれた子供達」
 この子達もいずれ商品として売られていくのか。あんなに幸せそうに笑っているのに……。 
「もう少し奥に入ってみて。ルーは耳がいいからそっとね」
「ああ……」
 部屋の奥の壁は、腰の高さ位から上がガラス張りになっていて中が見える。
「ナーサリールームよ」
 原色の部屋の奥は、クリーム一色の落ち着いた部屋だった。小さなベッドが幾つかと、床に這っている子もいる。育成器から出されて間もない子供の部屋なのだろう。
 その部屋の真ん中にルーがいた。
 床に座って、耳の尖った変わった赤ん坊を抱いている。哺乳瓶で乳を飲ませている手つきは慣れたものだ。
 その表情は……。
 ああ、これがあのルーなのだろうか。
 教会の絵画の聖母のような、穏やかで慈愛に満ちた顔。微笑むような、それでいて少し悲しげな眼差しで、腕の中の赤子を見つめてる。抱かれている子もまた、安心しきっているように身を任せて。他の子達も、その膝元や背中に凭れて夢見るような表情だ。
 ここがあの廊下と同じ場所だとすっかり忘れてしまうような、聖母と天使達のいる風景。
 ミカが静かに言う。
「あの子の生まれ持った最大の能力は、泳ぐ事でも嗅覚聴覚が優れている事でも無い。あの全てを包み込む無限の母性。相手を選ばず、誰に対してでも心から愛情を注ぐわ」
 無限の母性……。
 そうか。同じものをきっとフェイも持ってるんだ。
 あの傍にいるだけで落ち着く感じ、全てから護られていると思える安心感……それは恐らくイルカ由来の能力だろうが、それだけでなく、体は違ってもフェイも根本的なところで女だからなのだろう。
「父は考えもしなかったでしょうね。ルーがこんなに素晴らしい力を持っていたなんて」
「そうだな……」
 ルーは俺の子を欲しいと言っていたらしいが、確かにどんなに化け物のような子が出来ても、ああやって愛情を注いで育てるのだろう。ちょっとそれもいいなと思う。
 俺達はルーに気づかれる前に部屋を去った。
 鼻の奥に、ミルクの匂いと、子供特有の甘酸っぱい匂いが残った。

 また殺風景な廊下に戻ってしばらく歩くと、ミカが寄り道を勧めた。
「そこの備品置き場に寄りましょう。白衣と靴くらいはあるわ」
「助かるね」
 確かにこの格好は面白すぎる。さっきの部屋でガラスに映った自分の姿を見てふき出しそうになったもんな。病院から抜け出してきたヤバイ患者そのもの。やっぱり眼鏡とピアスが笑える要因かも。
「く……」
 着替えた俺を見てミカが固まった。笑いを堪えてるな。口元が引きつってるぞ。
「ここにいる学者でそこまで縦に大きい人はあまりいないから」
「……もういいよ。さっきよりは現代人っぽくなった気がするから」
 上はTシャツに懐かしの白衣。これはまあいい。百九十センチの背にズボンがあきらかに寸足らずだ。七部丈のパンツだと思えば諦めもつく。しかもダブダブなのでベルトで辛うじて止まっている。元々ウエストが細いところに、ここ数日何も食べてないからな。その上残念ながら十一インチ半の足に履ける靴は無かったのでサンダル。南国にバカンス中に駆り出された医者みたいだ。
「やっぱり白衣が似合うわね」
「昔は着ていない日がなかったからね。戦闘服みたいなもの」
「塩基配列と戦ってたのよね」
「そう」
 さて、これから何と戦うやら。
 身支度も済んだし、これで廊下で人に会ってもちょっとは誤魔化せる……かな?
「レイはこの階のコンピュータールームにいると思うわ。どうする? すぐに行く?」 
 ミカに訊かれたが、俺は首を振った。
「いや、君が言ってた、カレンの髪を白くしたものってのを先に見たいね」
「……わかった。もう一階下りるわ」
 その後、無言で廊下を行った。
 確かにここは迷宮だ。入り組んだ廊下、何の部屋かもわからないドア。人の気配はそこかしこにあるのに、ほとんどすれ違わない。一度だけ数人の学者らしき人間とすれ違ったが、ミカと一緒にいることと、この白衣のせいか誰も気にも留めなかった。
 エレベーターであろうドアの前で、またミカがパネルに手を翳した。
「ここから先は一部の人間しか入れない、通称『ストックヤード』よ」
「 一時保管場所ストックヤード?」
 何を保管するのかは大体想像はつくが……。
 ミカが重々しく注意を喚起する。
「エレベーターを降りたら、レイに見られているものと思ってね。監視カメラは至る所にある。勿論、彼のいるコンピュータールームに直結してるわ」
「君はいいのか?」
 裏切り者は粛清されるんだったよな。
「覚悟が無いとあなたをここまで連れて来ていない。言ったでしょ? アレをやってから何があっても平気になったって」
「……」
 心中覚悟か。困ったね。
 ここまで世話になっておいて何だが、他人の、しかもこんな美人の命まで預けられると気が重い。ミカに何かあったら、残されたルーはどうするんだ。

 しかし……もう遅い。

 エレベーターのドアが開いた。
 そこにはむっとする重い空気が立ち込めていた。上の階とえらい違いだ。
 グレーっぽい床は相変わらずピカピカだが、照明が少し暗い。所々に赤いランプが見え、天井にはミカの言ったように監視カメラが何台もこちらを見張っていた。
 おーい、おっさん、見てるか? 通路を歩きながら思わずカメラを睨んでやった。
 ぐおぉ……低く、獣の吼えるような声が聞こえる。
 そのドアの前で、ミカが説明してくれる。
「ここは最終の出荷待ちの部屋。今日明日にでも買い手の元に行く者がいる所」
「出荷って……野菜みたいに」
 さすがにここまで来るだけで厳重だったので、ドアは鍵で簡単に開く。
 部屋には幾つかの檻と水槽が置かれていた。中には明らかな異形の影が見える。部屋に入った瞬間、一斉に敵意に満ちた幾つもの目がこちらを向いた。
「これだけは覚えておいて。彼らはもう売れた。それは買う人間がいるからよ」
「わかってる」
 売る側も悪いが、買う側も悪い。需要があるからこうした供給者が出てくる……そんな事は俺もわかっている。いくら取り締まろうと、いや取締りが厳しくなればなるほど、より悪質に、より巧妙になっていく。そして何処まで行ってもそれに終わりが無い事も。
 最終の部屋を早々に後にして、次に案内されたのは新入りの部屋だった。
 新入り……つまりは誘拐などで連れてこられたばかりの者の部屋だ。
「気が立ってる者もいるわ。気をつけて」
 ……そりゃ気も立つよ。攫われて来たら。
「出して……」
「たすけて……」
 思わず耳を塞ぎたくなる声。泣き声。檻に入れられ、悲嘆にくれるもの、怒りを露にするもの。こちらを見て手を合わしている者もいる。その中に見覚えのある姿を見つけて、俺は思わず立ち止まった。
「みぃ……」
 小さな猫のような鳴き声。この子は……クーロンの獣人中心で会った少女じゃないか!
 少女は俺を覚えていたのか、涙を溜めた目で檻の隙間から必死にこちらに手を伸ばしている。
 項のあたりがちりちりする。喉が鳴ってる。牙が疼く。早くもキレそうだ。だが、まだだ。まだ……俺は懸命に堪えて、なんとか平静を保てた。
「待ってろ。後で必ず助ける」
 俺が子猫の顔をした少女の手を握ると、少女も小さく頷いた。
 新入りの部屋から出て、ミカが俺の背中に手を当てた。
「顔見知りがいたの? よく我慢できたわね」
「……まだ、こんなもんじゃないんだろ?」
「ええ」
 次の部屋は見なかった。攫われたり、改造された記憶を消す部屋らしい。
 入ったら俺は確実にキレて中の技師を噛み殺していただろう。脳への繊細な作業の真っ最中に技師を死なせたら、弄られている方も危険だ。第一、忘れてしまった方が本人も幸せだろう……そう思う事にした。

 ストックヤード。保管場所。

 その真実の意味がわかったのは、一番奥の部屋、一際重そうな鋼鉄の扉の向こう側だった。
 この中で何かを見て、カレンの髪は一日で真っ白になったのだ。
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