Wild in Blood

まりの

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餓狼の章

神話の島 4

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 一人で海沿いを歩いてるうちに、少しずつ頭が冷えてきて、俺は自分の行動がかなり大人げなかったと反省した。
 フェイだってルーを見て動揺していただろうし、あの娘がほぼ間違いなく闇市場に関係している人間だと知っている。そしていきなり偽者の出来損ない扱いされたのでは、腹も立つし面白くなかっただろう。
 それでも、俺にだって言い分はあると思う。理由も聞かずに一方的に悪者扱いされたらたまったもんじゃない。
 好きで人前でベタベタしてたと思うか? 相手は子供だぞ。その上見た目以上に中身の幼い女の子だ。フェイにどう思われているかは知らんが、俺はそこまでケダモノじゃないぞ。オオカミだけど……しかも誰かと同じ顔してる相手だぞ?
 ……って、あ、そうか。フェイに対してなぜ後ろめたさを感じていたかはそこなんだ。
 いつも一緒にいる仕事上の相棒と同じ顔にキスしていたなんて、ものすごい罪の意識を感じる……いやいや、俺が悪いワケじゃないんだって、だから……。
 俺もまだ相当混乱してるな。思春期のガキじゃあるまいし、もうそんな事どうでもいいな。 
 二・三度首を振って頭を切り替えた。
 他にもっと切実な問題があるじゃないか。
 そうだ……薄々考えてはいたルーの正体が、彼女自身の言葉と能力で立証されてしまった今、俺の中で神格化されていたキリシマ博士の暗い影の部分までも、認めざるを得ないということじゃないか。
 それはすなわち、今までの価値観を百八十度転換しないといけない程の大事だぞ。
 ルーは……というより、フェイがかな。どちらかがクローンだ。いや、もともと同時に一つの細胞を分割して作られた同じ形状、能力を持った二つの個体なのかもしれない。異種合成という特殊なA・Hである以上、ありえない事では無い。保険みたいなものだ。勿論法律で禁止されてはいるが。
 性別の問題は、考えてみれば着替えに上半身ぐらいは見ているが、フェイの全裸を見た事も無いわけだし……確かにツルペタだったけどさ……周囲からの情報だけで男だと思い込んでいたに過ぎないだけで、実際は違うのかもしれない。機会さえあれば遺伝子情報を見れば簡単にわかる事だ。
 ルーはXX染色体が上手く働いてちゃんと女の子の特徴を備えているが、彼女が出来損ないだと言ったのはそこなのでは無いだろうか。異種合成にしては外的差異が全く無い訳でなく、フェイの場合はその辺に異常が出たのかもしれない。
 普通の人間でもごく稀にあるし、特にA・Hではもっと高い確立でXY染色体の異常がみられる。
 もう十五にもなるのに、フェイが一向に声変わりもしなければ体が男性化することも無い地点で気がつくべきだった。
 一卵性の双子でも育った環境が違えば発達・発育に大きく差が出るし、見た目だって変わってくる。背の高さや動きの違いは環境によるだけであり、基本設計図……DNAは全く同じだろう。所々の部分欠損があるにしてもだ。
 ということは、基本的にフェイも女の子だという事になる。
 ああ……なんだかくらくらするな。
「もうちょっと優しくしてやるべきだったかな……」
 気になるのはルーが言った言葉だ。
 手も足も盗ったというのがわからない。そこのところはこれ以上詮索しようも無いとはいえ、大事なものをいっぱい盗られたというのは、なんとなくわからなくも無い。
 それには俺の勘通りに、キリシマ博士の家出した娘と、ルーのいう『お姉ちゃん』が同一人物である事が第一条件だ。もしそうだとすれば、同じ能力を持ちながら、一方は『キリシマ博士の最高傑作』と称され、博士も含めて周囲の愛情をいっぱいもらって華やかに生きているのに、もう一方は家出娘と一緒に裏社会で育って生きて来たのだ。
 なぜ、博士の娘がルーを一緒に連れて逃げたかまでは今一つわからないが、ルーの言動から見るに知能の発達の面に多少の問題がありそうなので、その辺で廃棄されそうにでもなったか……いやいや、キリシマ博士がそんな事を?
 ―――正直、認めたくない。ともかく、絶対の確証を得てからでないと……。
 どうしてルーがあそこにいたのかも気になるし、先程の建物を調べてみようか……そんな事をあれこれ考えながら歩いていて、気がつけば俺は市街地からもかなり離れ、前世紀は活気があったろう、今は廃墟となった旧フェリー乗り場まで来ていた。
 人っ子一人いないというのは、こういう事を言うんだろうなってくらい閑散としている。
 海からの強い風が時折ものすごい音をたてて吹き抜けるのと、海鳥の声がするだけの寂しい場所。
 今、俺は一人っきり。
 横にいつもいる相棒は今いない。
 考えてみれば、この島に来たのって闇市場の誘いに乗って来たんだったよな。しかも常に監視されてる。
 今この状況って、まさに襲ってくださいと言わんばかりじゃないか。
「なんかものすごく面白くないぞ……」
『じゃあ、面白くしてあげるわね』
「えっ?」
 あの声! クノッソスで聞いた女の声だ!
「誰だ?」
 辺りに人影は無い。いや……。
 かさ、かさっ。
 聞き覚えのある乾いた足音。それにこの殺気――――。
「……ほら、やっぱりな」
 覚悟を決めてはいたものの、余りにそのまんまのタイミングに、恐怖を感じる前に呆れた。
 いよいよお出ましか。
 遠い女の声が言う。
『レディはあなたにとても会いたがってたのよ。ダンスのお相手でもしてあげてくれるかしら』
「ダンスねぇ……俺、苦手なんだけど。ってか、お前は誰だ? どこにいる?」
『ヒミツ。生き残れたら姿を見せてあげるわ』
 朽ち掛けたフェリーターミナルの建物からそいつは乾いた足音と共に現れた。
 人間大の巨大なカマキリ……レディ。
「お、何かちょっと雰囲気が変わったじゃないか。再改造でも受けたか?」
 巨大な二つの鎌、虹色の複眼は変わらない。だが、細長い胴体部分が以前と少し色が違う気がする。薄緑一色だったのに、黒っぽくて縞模様がついている。少し蜂っぽい?
『彼女、素敵になったでしょう? お気をつけなさい。強くなってるから』
 聞いてないぞ。以前の戦闘力でしか計算していないんだけど。
 しかもまさか一人で戦うことになろうとは……これも計算外だけどさ。
 ま、爪もばっちり磨いできたし。覚悟も決めてるし。
「ギギッ!」
 カマキリの二本の鎌が上がった。
「挨拶してくれるのか。お手柔らかにお願いするぜ、お嬢さん」
 軽口を叩いてみるも、別に俺に余裕がある訳では無い。それどころか大変マズイ状況だ……悪あがきだな。 
 虹色の複眼が動くたび、心臓をぐっと握られるみたいな殺気が襲ってくる。
 ぐるるる……俺は自分の喉が鳴っているのに気がついた。
 俺の意思とは別に、いつも押さえ込まれている捕食獣の本能が血を求めてる。
 狩る。狩られる前に狩る。
 じりじり間合いをつめる。目を逸らしたら終わりだ。
 先に動いたのはレディ。
 ひゅっ、と風を切って巨大な鎌が襲ってくる。
 一度対峙しているので、そのスピードと到達距離はこちらも学習してる。前より楽に躱せたが、やっぱりこいつの懐に潜り込むのは相当厄介だ。
 何度か躱すうち、少しレディに隙が出来た。そんなに利かないとわかっていても、脇腹の辺りに引っ掻き傷くらいはつくってやった。出来るだけ節の間部分を狙えば更に深く切り込めるだろう。
 ギイィ……。
 怒ったのか更にレディの攻撃が早くなった。
 さすがに何度かは軽く掠めて、こちらも服が数箇所とすねに切り傷をつくる羽目になったが、痛くてたまらなくなるほどの深い傷じゃない。自分でも困った事に、多少はこちらも血を見ないと本気になれない体質らしい。
 短期決戦、一撃必殺がカマキリの狩り。オオカミの狩りは長丁場で本領発揮だ。持久戦に持ち込めばこちらにも分はあるはず。
 数度躱しては、隙をみて爪をたて、また躱しては蹴る。しばらくはこの繰り返し。こっちも少し傷が増えたが、レディの体に傷が目立ち始めた。
「へぇ、血は赤いんだ。いいね」
 それに、今回は俺も装備無しではない。攻撃をかわしつつ、ポケットから短くて重い金属製の棒を出す。これは元々G・A・N・Pで用意されている救助隊員用の装備の一つ。本来は武器じゃない。
 傷つけられた事と、一向にまともに攻撃が当らないのに業を煮やしてか、ついにレディが前傾姿勢……カマキリが完全に怒ったポーズになった。
 よし、これを待ってたんだ!
 両方の鎌が胸前で揃う瞬間……最も隙が無いはずのこの時がチャンス。
「それっ!」
 すかさず棒を思いっきり振る。先の重いそれは二つに分かれて、中から特殊なロープが飛び出す仕掛けなのだ。ロープが対象に当れば、先の錘が遠心力で戻ってくるので何重にも巻きつく。強化チタン製だからそう簡単には切れないぞ。
 よし! 上手く鎌に掛かったぞ!
「ギィ!」
 レディの驚きの声があがった。
「ふふん、君のために特訓したんだぜ」
 だが、完全に鎌を封じたわけじゃない。片方持ってるロープはぐいぐいものすごい力で引っ張られるし、手が空かない以上こっちも攻撃をしかけられない。
 こんな時一人じゃなかったら。フェイがいてくれたらな……そんな事を思っても仕方ない。ここは持久戦は諦めて早めにケリをつけるしかないな。
 ロープを握ったままレディの周りを全速力でぐるっと回った。一時的とはいえ、これで動きはある程度押さえ込めるだろう。
 俺はもがくレディの背後に回って、羽根の付け根……人の肩甲骨の間あたりを思い切り手刀で突いた。
 思いの他深く爪が突き刺さった。配置が昆虫の通りなら裏急所だ。動けなくなるはず。
 思惑通りレディの動きが止まった。
 本当は殺すのはご法度なのだが、こんな危険なものを放置できない。クビも始末書も覚悟でとどめを刺させてもらおう。
 後から考えたら、俺もマトモな精神状態じゃなかったかもしれない。姿は違えど、これも人であるという事をすっかり忘れていたのだから。
 首筋に噛み付こうとしたその時、先に自分の首の後ろに痛みが走るのを感じた。
 ちくっ、と太めの針を刺されたみたいな一瞬の痛み。
「え?」
 しかし別にこれといって異常も感じなかったので、俺は今度は本当に思い切り深く、細い首に牙を立て、そのまま血管ごと噛み切った。
 どっ、と噴水のように血飛沫が広がるのを見て、ぞくぞくするような言いようの無い興奮を覚えた。
 ……なんだろう、今の感じ……? 気持ちいいって思った?
 レディは声もあげなかった。
「さよなら……レディ」
 カマキリが倒れて動かなくなるのを見届けて、俺は口を拭った。
 口の中にちょっと苦い血の味が残った。
『あらあら、酷い男ね』
 また遠い声が聞こえる。
「おい、生き残ったぞ。約束だ、姿を見せろ」
『でもあなた、レディに刺されちゃったわね。大変』
「あ……」
 先程ちくっと来たやつか。
「毒か?」
『勿論。よく効くわ。ふふ、私がそちらにつくまであなたの意識があるかしら? ごめんね、ちょっと遠いの』
 その声が終わる前から、俺の異変は始まっていた。目が霞んで眩暈がしてきたのだ。
 眼鏡を外して目をこすってみたが、どうもそういう問題ではなさそうだ。
 次に足に力が入らなくなって立っていられなくなった。鼓動が急速に遅くなっていくのがわかる。呼吸もほとんど出来ない。
 ……代謝抑制型の神経毒だな。レディは*タランチュラホークだったのか!
『安心なさい。死にはしないわ。仮死状態にはなるけどね。ではテーセウス様をミノタウロスの所にご案内するわね。ちゃんとアリアドネの糸をお持ちだといいのだけれど』
「く……」
 もう、手も足もほぼ動かなくなった。
 最後のあがきで、口で手首の通信機のスイッチを入れた。
「……フェイ……さっきは……ご……めん……」
 声もほとんど出なかったが、聞こえただろうか……
 最後に数人の足音を聞いた気がするが、それも定かではない。
 その後三日間の記憶は無いのだから。




*タランチュラホーク
オオベッコウバチ。蜘蛛に麻酔毒を打ち、卵を産みつけるために生かしたまま巣に運ぶ寄生蜂の仲間
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