Wild in Blood

まりの

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山猫の章

遠い夜明け 2 ~カレンの日記~

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 気持ちの整理がついたら……そう言われても、整理なんてとっくについているのかもしれないし、永遠に整理しようの無いものなのかもしれない。
 もう一度だけでも会いたい……。その俺の願いは、どんな形であれ叶ったのだから。
 今となっては、シンディが俺を選んだ事も子供達を追ってあの湖の傍の家に辿り着けたのも、何もかもが偶然ではなく、カレンが導いたのではないかとまで思う。
 もう待ち草臥れたから、早く終わりにしましょうよ……と。
 あの実験の日、彼女がどんな思いで飛び出したのかその時はわからなかったが、カレンがいなくなってしばらくしてわかった。
 年上で、しっかりしていて、頭が良くて、一部を聞けば全体を理解出来る。そんな彼女に俺は甘えていたし、姉のように慕っていたつもりだった。
 だがそんな自分の思いが、もっと別の感情であったと……カレンを一人の女性として愛していたのだと気が付いた時にわかったのだ。立場が逆なら俺も同じ事をしたかもしれない……と。
 カレンも俺の事を弟の様にでは無く、一人の男として愛してくれていたのだと……。 
 愛する人が苦しむ姿を見れば耐えられない。女なら尚のことだろう。
 俺が思っていた以上に、彼女は女だったのだ。
 だから俺は彼女に謝りたかった。
 傷つけてごめん、と。気持ちをわかってあげられなくてごめん……と。
 でもカレンはどうなんだろう? 俺に謝りたかったらしいが、何を?
 研究データを持ち出した事? 結果、俺の人生は大きくかわってしまったわけだが、彼女もそれは同じだ。
 こんな研究のために……そう思って、ただ隠すだけのつもりで、彼女はファイルを持ち出したに違いない。
 そして運悪く、あいつらに奪われた。髪も真っ白になってしまうほどの恐ろしい目にあって。
命を救われたとはいえ、その後心の拠り所ともいえる子供達まで奪われて……それでもまだ何を謝る必要があるんだ。
 結局、その日のうちに俺は包みを開けた。

 日記はニール・セス博士に助けられた後から始まっていた。日付は……。
 この日は……そう、忘れもしない。俺が普通の人間の体に完全に別れを告げた日。

  2123年12月29日
 ニールに頼んで日記帳を買ってきてもらった。まだ腰の傷は痛いけど起きられるようになったから。ああ、でもニールがあいつらに恐ろしい話を聞いてきた。私に教えるようにって。
 彼がもう一度あれをやったと。今度は一部じゃなく全て組み替えて……。
 そうよね、ファイルを無くしたって元々彼の頭の中にはシークエンシングもブロッティングもクローニグのタイミングまで何もかも記憶されてるんだから。誰にも止められないわ。
 私は大きな罪を犯してまった。感情にまかせて軽はずみな事をしたが為に、結果あれを広めてしまう事になった。もっとも彼が望まなかった形で。
 普通の人間から変わるより、生まれつきA・Hである体を変える方が簡単。あいつらはそれを知っててすぐに使い始めた。
 彼はあいつらを止めるために地位も名誉も何もかも全て捨てて、牙をもつ獣に自分を変えてしまった。
 ……ああ、でも私の最大の罪は、もう一度彼にあの苦痛をあたえてしまった事。謝って済むことでは無いけれどもう一度会えるなら謝りたい。
 その時までこの命はおあずけ。

  2124年 9月4日
 久しぶりに彼の話を聞いたわ。G・A・N・Pに入隊したらしい。そうよね。彼はもう普通の人間でなくA・Hだもの。頭もいいし、正義感も強いからきっと役に立てるわね。でも昔は体が弱くてよく熱を出してたから心配。ちゃんと食べてるのかしら。

「……今は大丈夫だよ」

  2124年 11月14日
 私が卵子提供をした子供が育成器から出された。リンクスの血を引いた子達。
 ニールは必要以上にこの子達に山猫の力を与えてしまった。
 おそらくあいつらに命令されて。
 でも、ああ、なんて可愛いのかしら!
 まだ目も良く見えないはずなのに、こっちを見て笑うのよ。天使の微笑……生後の生理現象だってわかってるけど、胸がドキドキするくらい素敵。
 こんな穢れの無い可愛い子供達まで、いずれは誰かの私有物や兵器にしようなんて、本当にあいつらは悪魔ね。でも、もし何かあったらG・A・N・Pにいる彼が助けてくれるかしら?

「皮肉だね。本当になってしまったよ。そうか……あの子達は君の子供だったんだ」 
 ライとロイを抱きしめた時の、あの柔らかくて温かい感触が思い出された。
 知らなかったとはいえ俺はカレンの子供を抱いていたのだ。そう思うと少し嬉しかった。
 その後、言葉を話し始めた子供達が、彼女の白い髪を見て『おばあちゃん』と呼んだ事、かつて、持ち出したファイルを奪うために、闇市場に襲われた時に受けた腰の傷が原因で病に伏すようになった事が記されていた。
 セス博士の研究所が摘発をうけて閉鎖されたこと、子供達を連れて湖の傍のあの家に住み始めたこと、短い間だったがその間とても満ち足りた幸せな時間だったことも……。

  2127年8月11日
 ついにここまであいつらにみつかった。まだ半年も経っていないのに早すぎる。
 逃げたいけどこの体ではもう無理。子供達もここを離れたがらない。
 どうすればいいの?

 ……アランが俺に聞かせた次のページで日記は終わった。
 二年前の夏で。

  2127年8月18日
 手も動かなくなってきたわ。目も霞んできた。明日はもう書けないかも。
 結局、彼は私を見つけてくれなかった。でも、もしも私の死後に誰かが何かの機会にこれを目にする事があるかもしれないから書き残しておくわね。

 あなたがいつも羨ましがっていた黒い髪は、こんなに真っ白になっちゃったけど、私がいつも羨ましいって思っていたあなたの金髪に近づいたって気に入ってたのよ。それを見せられなくて残念。
 それと、寂しがり屋さんたったあなたを置いて姿を消してしまった事、自分から会いに行く勇気を持てなかった事を謝るわ。
 愛してた……ずっと一緒にいたかった……あなたに会えてよかった。
 もし、誰かこれを読んだら、私のかわりに彼に……ディーン・ウォレスという人に伝えて。


 涙が頬を伝うのを感じた。
 日記帳を抱きしめてみても、硬い感触はカレンとは違う。それが悲しくて更に涙が出た。
 ふいに、ふわっと柔らかい腕が後ろから首にまわった。
「ディーン、泣いてるの?」
 フェイ。いつの間に部屋に入ったのかさえ気が付かなかった。
「……泣いてる」
 フェイは黙って暫く後ろから抱きしめてくれていた。背中が温かくてまた涙が出た。 
 誰かに自分が泣いている姿を見られるなんて、とても恥ずかしいことだといつも思っていたのに、不思議と嫌な感じはしなかった。
 それに涙が止まらなくて……たぶん六年分……この前カレンの亡骸の前でも泣いたけど……溜まっていたものがダムが決壊したみたいに一気に溢れ出したのか止まらなくて、最後は声をあげて泣いていたと思う。
 フェイが前に回って俺の眼鏡を外してもう一度頭をぎゅっ、としてくれたから、もっともっと泣いた。
 泣き疲れて息が苦しくなるまで。その間フェイは一言も言わずにただ髪を撫でてくれた。
 どのくらい経ったかもわからない。生まれてはじめてこんなに泣いた。
 もう最後は何でこんなに泣いてたのかすらわからなくなってきた。
 涙と一緒に何かが流れていってしまったのか、やっと少し落ち着いてくると、今度は、吐き気がするくらいの怒りが湧き上がってきた。
 結局カレンも、またあいつらに……闇市場に殺されたんじゃないか!
 俺の大切なものは全てあいつらに奪われた。命をかけた研究も、そしてただ一人愛した人も。
俺だけじゃない、カレンの大切なものも、他の多くのA・H達の人生も何もかもすべて……。
 これ以上、何が残ってるだろう? そう、もう俺には何も無い。それでもまだ欲しいなら命だってくれてやってもいい。だが何もせずに、はいどうぞと差し出すわけにはいかない。
 あのすました男の喉元にこの牙を突き立てるまでは――――。
「ディーン、痛いよ」
 フェイの声にハッとして、俺は我に返った。
 知らぬ間にフェイの手首を強く握っていた。慌てて離すと、少し爪がくいこんで細い手首に赤く跡が残っていた。
「すまない……」
「平気だよ。ディーンはもう大丈夫?」
「……うん」
 穏やかな声にすっと心が静まった。もしフェイがいなかったらもっと時間がかかったと思う。
何も残ってないと思っていたが、まだ……俺にはこいつがいるんだ。
「フェイ、本当にごめんな」
「泣きたい時はナデナデしてあげるって言ったでしょ?」
「ああ……」
 その後もしばらく二人で黙って並んで床に座っていた。
 侵入防止の為に格子のついた天井近くの小さな窓は、漆黒から濃い青に変わっていた。 
「もうすぐ夜が明けるね」
「そんな時間か……」
 そう。もうすぐ夜が明ける……だが、俺の心の中に夜明けが来る事はあるんだろうか。 
 隣を見ると、あどけない横顔が窓を見上げている。
 今、フェイは一体何を考えているのだろう……まだ子供といってもいい歳なのに、何もかも見通してしまうような瞳と、何もかも包み込んでしまうような包容力を持ってて……。
 最近は空気みたいに、いて当たり前の存在になってしまったが、考えてみれば俺はこいつのことは何も知らない。
 憧れだったキリシマ博士が作った素晴らしい能力を持っているA・Hだということと、性格が素直で優しい……それ意外何も知らないのだ。どこでどんなふうに育ったかも、何も。
そう思うと謎だらけだな。なのに、こうして黙って並んでるだけでも、どうしてこんなにも落ち着けるのだろう……これも謎。
 フェイの顔を見ていて、俺はやっともう一つ大事なことを忘れてた事に気付いた。 
「なんで、ライがルーの事を知っていたのか……訊いてなかった」
「ホントだ」
 訊くまでも無く、良くない構図は俺の頭の中にすでに固まっている。
 あのユシェンの森での出会いから、ライの言葉に含まれた単語、あの闇市場の男の言うお嬢さん達……今までの経緯を全て繋ぎ合わせれば、自ずと見えてくる形。
 考えたくも無いその素性。
「まあ今更きかなくても……闇市場に関係してるのは間違いないな。それも中枢部に」 
「……なんで、僕にそっくりなんだろう?」
 フェイにしてみたら、そちらのほうが気になるところだろう。
「ま、他人の空似ってのもあるし」
 なんとなくフェイが気の毒になったのでそう誤魔化してみたものの、こちらに関してもあまり考えたくない図式はすでに出来上がっていた。それでも、それをフェイに話すのはまだやめておきたい。クーロンでのキリシマ博士の秘密も含めて……。
「なあ、フェイ」
「なあに?」
「もし、お前が泣きたくなったら、今度は俺が撫で撫でしてやるよ。約束する」
「お願いね」
 フェイが泣きたくなる時……それはそう遠い事ではないだろう。
 その時はおそらくフェイの謎も解けるとき。
 金色の朝日が昇るころ、フェイが俺にもたれかかって寝息をたて始めた。

 約二週間我慢した。
 いっそオトリに使ってくれていいから、出動させてくれと本部長に直談判に行って、やっと缶詰生活が終わった。
 勿論、無為に時を過ごしたわけではない。今まで以上にトレーニングもしたし、研究室に籠って対レディ用の作戦も練った。
 もう逃げ隠れはしたくない。
 カレンの仇を討つためにも。

(山猫の章:END)
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