Wild in Blood

まりの

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山猫の章

女優の飼い猫 4

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 追跡を開始したものの、どうやら俺は今回やっぱりツイていないらしい。それどころか、段々と事態は悪化していくように思われる。
 手掛かりのぬいぐるみを片手に、微かに残るニオイの道を辿っていくうち、俺達はいつしかバラ色の街を遠く離れ、確実にピレネー山脈へと近づいて行った。
 大きな道も昔の鉄道の址もあるのだが、そこは子供であっても身を隠すためか、微かに残る跡はわざとそれらから外れていて、森の中であったり山道であったり草叢であったりした。たまったものではない。そこへ突然雨まで降り始めた始末。
 おまけに……。
「おいディーン、ホントにこっちでいいのか?」
「そう訊かれると自信が無くなって来るじゃないか」
 実はちょっとばかり、俺は鼻が麻痺していたのだ。
 あの女優の部屋の強い花の匂いのせいだった。鼻の粘膜にまだ貼りついているみたいで、そのベール越しにぬいぐるみと同じニオイを探すのはなかなか大変だ。いつも以上に神経が磨り減る。そこにこの雨。ニオイが段々と薄れていく。
 アランも少し心配になってきたようだ。
「ディーン、疲れるだろ? 欧州支部から応援に来てもらえないのか? 大勢いるだろ? ワン公」
「勿論連絡したさ。さっき本部長から返事があったよ」
「で、何て?」
「悲しいお知らせ。折角のチャンスだから、闇市場をぜひ追い詰めたい。大勢で動くと目立つから、出来れば俺達だけで何とかしろってさ」
 本部長の言うことも正論ではあるのだが―――。
「うへぇ。言ってくれるねぇタヌキ親父。まあ確かにその通りだし、遠路遥々来た甲斐はあるってもんだけどさ。せめてフェイだけでも連れて来りゃよかったな」
「もしこの先山登りしなきゃいけないハメになるんだったらんだったら、シンもな」
 二人で互いのパートナーがいないのをぼやきながら、すっかり人の気配の無い雨の山道を数キロも行ったろうか。陽も落ちはじめ、初秋の山地の気温はぐんぐん下がって、雨で濡れた体は芯まで冷たくなってきた。背筋がぞくぞくする。アランが堪らずくしゃみをした。
「うう……風邪くな」
「ああ。それに手掛かりも雨で洗われて薄れてきた……方向は合ってると思うんだが」
 そんな時、目の前に小さな村が見えてきた。
「村か……寄ったかな子供達も」
「何事も起きてなきゃいいけどな。日も暮れて来たし……情報収集がてら雨宿りさせてもらおうぜ。宿があるなら泊まってってもいい」
 俺もアランの提案に賛成だ。
 夕暮れ時のブルーに霞んだ景色に、ぽつりぽつりと灯る明かりを見た途端、どっと疲れが押し寄せたような気がしたから。腹も減ったし、とにかく着替えて温まりたい。そうすれば鼻も少しは調子が戻るだろう。追跡はそれからだ。

 山の麓の村は、坂道になった細い石畳の路地に、身を寄せ合うように建ったアンティークで小さな建物が印象的な、小ぢんまりした佇まいだった。
 花の飾られた窓辺、猫や野放しの鶏が徘徊する路地もなかなか長閑で、都会の様に忙しく走りまわる車も無くとても静かだ。季節も丁度いいし、これがいい天気で、今来ている目的が仕事でなくのんびりするための休暇中だったら理想的な環境だろうな……そう思った。
 中心にはパン屋や雑貨屋のほか、居酒屋などもあるようで、なんとか俺達は村で唯一の宿に落ちつくことが出来た。
 温かい湯気を上げるコーヒーカップを幸せそうに抱えこんで、暖炉の前に陣取ったアランの横で俺は本部に連絡をとっている。
「仕事熱心だな、ディーンは。ちょっとは休んでからでいいじゃんか」
 そんな声を受けて苦笑いした。自分でも損な性分だなと思わなくも無い。
 だが、ロリィ・マクラウドの証言から、闇市場の斡旋をしたという人物の居所を調べてもらえるように本部に頼んであったので、その答えを一刻も早く聞きたかったのだ。
 また、山猫のA・Hを生み出した科学者なり研究所がわからないかも。非合法であっても、G・A・N・P本部に集められたデータで多くのケースはその出自がわかる。今回は証拠や資料が少ないためこちらについてはそうは期待していないものの、頼むからあの名前だけは出て来ないでくれと、密かに祈っている自分に気がついた。
 そんな緊張感の中……。
「はぁい、ディーン」
 本部からの返答の第一声で一気に力が抜けた。相手はシンディだった。
「調子はどう?」
「……最悪。君を恨んでる。帰ったら覚えてろよ」
「おいディーン。オレも恨んでるって言っといて!」
 後ろからアランの声も飛んでくる。
「ああん、二人して怖い。本部長から『ロリィ・マクラウドになりきって、君が素敵だと思う好みの男を選べ』って言われたから正直に選んだだけなのに」
「へぇ……」
「わかってるわよ。アントニオ・ルシアの居所と山猫のA・Hの生まれについてでしょ?」
 悔しいことに、この女は顔がいいだけでなくカンもいいし仕事も出来るんだよな。俺達なんかすっかり子供扱いで、常にからかわれてる気がしてならない。
「調べはついたわ。アントニオ・ルシア四十六歳、ロリィ・マクラウドのファンクラブ会長。独身。自宅はバルセロナ。後で詳しい地図を送るわ。それと、子猫ちゃん達の生まれだけど……」
「それもわかったのか? すごいな」
「こちらもスペインよ。バルセロナからもう少し貴方達が今いるフランス側の町。そこに、セス研究所という施設があったの。猫科のA・Hに特化した研究所だったの。どうもそこの生まれみたい。二年前に条約機構の摘発を受けて研究所は閉鎖、ニール・セス博士は逮捕されて博士号を取り上げられてるわ」
 ……よかった。違う名前だ。
 だが、そんな俺の安堵を知ってか知らずか、シンディの説明はまだ終わっていなかった。そう、悪い事は続くと言うが、ツイていない時は本当にそうなのだ。
「セス研究所といえば、摘発を受けたときに数人の学者や研究員が逃れたまま見つからなかったの。かなり高度な研究をしていた施設で、皆優秀な研究者ばかりだったから、もしかしたら闇市場のほうに匿われてるんじゃないかって当時噂になったわね、確か。そういえば、博士の奥さんも学者でその人もみつからなかったんじゃ無かったかしら。その奥さんが山猫の専門だったと思ったけど」
 なにかズン、と心に圧し掛かるものがあった。
 それは悪い予感だったのかもしれない。
「……その人の名前はわかる?」
「待ってね……えっと……あった。カレン。カレン・セスよ」
「……っ!!」
 まだ、まだだ。同じ名前の女など、この世には沢山いるじゃないか。
 そうさ、わかってる。なのに、なぜこんなに鼓動が早くなる?
 しばらく俺は声さえ出せなかった。
「ディーン?」
「……シンディ、情報をありがとう。また連絡する」
 通信を断ち、俺は一度思いきり深呼吸をした。まだ心臓がバクバクいってる。
「ディーン? どうしたんだ顔色悪いぞ?」
 気がつくとアランが俺を覗きこんでいた。そんなに顔にでていたのだろうか。
「大丈夫……すまん、ちょっと一人になりたい。表を歩いてくるよ」
 俺は思わず部屋を飛び出した。
 外はまだ冷たい雨がしとしとと降り続けている。
 カレン……。
 一番もう思い出したくなくて、そして、もう一度でいいから会ってみたい人物の名。
 俺の知ってる猫科の権威。

 あの日……俺の研究室から成体再改造の技術の資料を持ち去った女。
 カレン・ザグウェルと同じ名前。
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