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白夜の章
ドームの妖精 1
しおりを挟む「あそこだよ」
森の木が段々と背が低く疎らになって来て、間から遠くの草原が覗くようになって来た頃、ハフさんが指差した。
言われる前から、俺の鼻は微かな異臭を感じていたが、臭いがごくごく間近に迫ってきた頃だった。この独特の臭いは死臭。
苔生した大きな岩が幾つか積み重なって、小さな谷を作っている。その手前に、二人のG・A・N・Pの制服を着た隊員と、白衣の科学班の学者が立っていた。
「本部からわざわざご苦労様です! お待ちしておりました」
どう見ても全員俺よりも年上という北欧支部の面々に、なぜかひどく丁寧に頭を下げられ、俺はフェイと顔を合わせた。別に本部勤務ってだけで偉いわけじゃないのだから、普通にして欲しい。
気を取り直して早速仕事だ。
案内された谷には大きな防水シートが掛けられている。子供達の遺体はその下らしい。
「見せてもらってもいいですか?」
俺が尋ねると、北欧支部の学者は頷きながらも小さな声で言う。
「ええ……でも酷いですよ」
だろうな。ハフさんはもう二度と見たくないというように、顔を背けて少し離れた木の方に後ずさった。その様子だけでも相当の覚悟は必要だろうとわかる。。
フェイもあまり気がすすまないという表情だが、これも仕事だ。俺達は北欧支部の隊員と一緒に岩場を降り、シートの所まで行く。
「捲るぞ」
「うん」
そっとシートを持ち上げた下には、想像以上に惨い眺めが広がっていた。
フェイが横で息を飲んだのがわかる。よく悲鳴をあげなかったものだ。
「五……六……八……全部で十六人か」
自分でも、どうしてこうも冷静に数まで数えられたのか不思議だった。
「DNA解析は済んだのですか?」
声を掛けると、白衣の学者は怖い物でも見るかのように顔を顰めて俺を睨んだ。俺が遺体を見て表情を崩さなかったのが気にくわないらしい。
彼は咳払いを一つして、ファイルした書類を俺に渡す。
「組織成分の解析結果と遺伝子配列です。かなり驚くべき結果ですが……」
「昆虫だったんじゃないですか? たぶん蛾だ」
俺がファイルを開く前にそういうと、学者は随分驚いた様子を見せた。
「知ってらしたのですか?」
「いや、カンだけど。正解だったのか」
「全員マユガ、もしくはカイコのA・Hです」
……ああ、違って欲しいと思っていた事が肯定されてしまった。
「死因はわかりましたか?」
「ええ。全身の重度の火傷と酸欠ですね。何をされたのかは不明ですが……」
「火傷……」
普通の繭で生糸をとるときの作業風景を思い出して、俺はすぐに納得はいったものの、その繭の中に人間が入ってるとなると――――。
もう最悪路線まっしぐらだ。ハナ、お前よく逃げて来たな。
流石に長い時間遺体を見ているのに限界を感じて、俺達は谷の上に上がった。
顔には出さなかっただけで、俺だって実際は胸がムカムカするし、膝はガクガク笑っていた。動じていなかったのではなく、冷静を装っていないとおかしくなりそうだったのだ。
谷を上りきって、ハフさんのところに辿りついた時には、俺もフェイと一緒に草の上にへたり込んでしまった。
その瞬間、あまりのショックにぼんやり霞んでいた感情が爆発した。
「ちくしょう……ちくしょう!! 絶対に許さないぞ!」
言いようの無い怒りが込み上げて来て、俺は地面に当たるしかなかった。
「あの……?」
他の隊員達が不思議そうに見ているのに気がついても、ちょっとやそっとじゃこの怒りは収まりそうにない。ぐるると唸り声を上げそうになる喉を抑えつつ、俺は誰に宛てるともなく言う。
「蚕の繭から糸を傷つけずに最も長く巻き取る方法を知ってるか? 繭を湯で茹でるんだ。中にさなぎが入ったまま……」
そこまで言えば、他の者にも俺がなぜこんなに怒ってるのかがわかったらしい。
「まさか……まさかそんな!」
「ああ! ユシェンの絹はあの子達のような蚕の遺伝子をもつA・Hから作られてるんだ。なにが上質の絹だ! あの子達は生きたまま釜の中に入れられたんだぞ!」
その後、しばらくは誰も口を開かなかった。
実際に生糸を取る工程を見たことがあるのは俺だけであっても、想像するは易い。
たぶんフェイも、ハフさんも、他の隊員達も皆、頭の中に浮かぶ地獄のような情景を打ち払うのに必死だったことと思う。無言で谷のシートを見つめて首を振る者、天を仰ぐ者、拳を握りしめる者……恐らくG・A・N・P始まって以来の最悪の事件だ。
白衣の学者はさすがに解析をしただけあって薄々は気がついていたのか、他の者に比べて幾分か冷静だったので、彼に詳しい話を聞くために二人でちょっと離れた木のほうへ移動した。
俺も大概尋常ではない歳で学校を出て博士などと呼ばれていたので、偉そうには言えないが、このグエルという研究班の学者もひどく若い。まだ二十代後半というところで、一見頼りなげに見えるものの、なかなかの切れ者のようだ。医学のほうが専門らしい。
俺は渡されたファイルを改めて見直しながら説明を受けた。
遺伝子情報はともかく、細胞組織の状態、血液は死後時間が経過していたのと、死因となったように高熱に晒されたため破壊された組織が多く、不明な点が多かった。しかし、何をとってみても、それらは残酷この上無い現実を肯定するだけだった。低温火傷の状態のため、深部まで細胞組織が壊された状態だ。
俺にとって唯一幸いだったのは、またしても例の再改造の技術が使われ、俺がこうなったように、普通の子供達がA・Hにされたのではないだろうかと、後ろめたい気持ちと共に疑っていたのが晴れた事だった。たった今までそれが一番気にかかっていたのだ。そうとしか説明がつかないとすら思っていたのだが、その痕跡は無い。
ただ、そうなるとまたしても様々な矛盾が生じてくる。
「……実はここに来て子供達の遺体を見る前に、恐らくは同じ種のA・Hと思しき子供を成り行きで保護しました。その子がやはり昆虫の特徴を備えていた事から、薄々はこういう分析結果が出て来るだろうとは予想出来た。それでも疑問は残る。第一に子供達の年齢です。いかにA・Hとはいえ、蚕の生態を考えれば、繭を作るには早すぎるとは思いませんか? まだ変態するには早過ぎるように見える」
ぶつけた疑問は、案外あっさりDr.グエルが消し去ってしまう。
「それは私も感じました。しかし調べてみて驚いたのは、見た目はあのように幼くても、実際のところはもう少しいってるようです。もう一枚の骨の分析表を見ていただければわかると思います。但し、検体があのような状態なので正確な数値とは言えませんが……少々意外でしょう?」
言われた通り、確かに分析結果が示す数値は、意外な事実を物語っていた。
遺体の子供達は一見、八歳から十歳くらいかと思われたのに、骨密度などの状態から十五・六歳以上に相当することが判明したのだ。これならば充分に大人になるステップを踏んでも納得がいく。この種のA・Hの詳しい生態は未だ不明だが、小さいという特徴でもあるのだろうか。そう納得することにした。
意外にもあっさりと一つ目の矛盾はクリアされた。いや、実年齢が上がったことで更にもう一つの矛盾はその大きさを増しただけではないだろうか?
その答えを求めるように、俺は細部まで見逃す事の無く分析結果のファイルを眺め続け、ある一点で目が止まった。
「ん? 何だこれは? Dr.グエル、この血中の成分分析……」
「ああ、さすがウォレスさんですね。気がつかれましたか。変わった成分が幾つか含まれてるでしょう? しかも多量に。ただ単に珍しい昆虫のA・Hだからというだけではなく、人工的に生成され、後で投与されたもののようですね。ある種の合成ホルモンかと思われますが、どういう働きをするものなのかはまだ推測の域を出ないので……」
Dr.グエルの返答に、胸がザワザワするようなおかしな感覚が襲って来た。
考えたくはないけど、ものすごく嫌な予感がしてきたぞ。
「推測でもいい。あなたはどう思います?」
「初めて見るものなので何とも言えません。ですが、そう……成長を促すホルモンに、少し構造が似てるようですね」
「成長を促す……!」
心の何処かで、何かが軋んだ気がした。
俺が最も聞きたくなかった言葉であり、期待していた答えでもあった。
それは全ての謎が解けてしまう魔法の呪文だった。
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