Wild in Blood

まりの

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舞姫の章

帰ってくる場所 2

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 劇場への道のりは行き帰り二度も通っただけあって、今度は妙に短く感じられた。
 迷いさえしなければ、本当はこのクーロンは結構狭いのかもしれないな。
 コウさんの店を出た時から、煙の臭いを感じていたが、徐々にそれは強くなってきた。それと共に大勢の人の気配。
 劇場の見えるところまで来て、俺は目を疑った。
 まさかこんな事になっているとは思いもよらなかったから。
 そして驚きはやがて、胸の奥をきゅっと絞めつけられるみたいな言いようの無い切なさに変わっていく。
 ああ……劇場長、リルケ。二人に見せてやりたい。
 狭い路地は無数の人々で埋められていた。
 最初は野次馬かとも思った。しかし、そうでは無い事は人々の表情でわかる。
 A・Hもノーマルの人間も関係無く、皆が懸命に消火活動にあたっていたのだ。力を合わせて汗だくになって必死に―――。
 この入り組んだ路地では、消防車など入って来られるわけも無い。そもそもそんな物も、備えの消火栓も何もあったもので無いだろうから、バケツの水や手持ちの小さな消火器で火を消すしか無い。
 劇場は無残な姿になってはいても、完全に破壊されてはおらず原型はかろうじて残っている。まだ少しだけ煙をあげてはいても、ほぼ火は消えている。それがどんなに大変な事だったか、想像に易い。
 人だかりの中には見覚えのある顔があった。
 リルケと同じステージで踊っていた踊り子達、飴屋のおばさん、年老いた受付嬢に、子猫の顔をした少女をはじめみんな……。
「よし、もう一息だ! 女神の踊るこの劇場は街の心だ。何としても残すんだ!」
 煤けた顔で指揮をとっているのは、獣人中心の主人だった。その声に答える声、声、声。 
 決して自分達の住処に延焼するのを防ぐためというだけでは無く、この劇場のためにこれだけの人間が集まっているのだ。
「劇場長さんもリルケも幸せ者だね……」
 少し涙混じりの声でフェイが呟いた。
「ああ」
 俺も今すぐ一緒になって参加したかったが、これはこのクーロンの住人達の仕事。俺達余所者の入る隙はない。
「フェイ、ここは彼等に任せよう。行くぞ」
 俺達には俺達がせねばならない事がある。
 コウさんの所に劇場の様子を簡単に伝えた後、無憂大路を更に進み、再びあのトンネルを目指した。今度は何があっても奥まで進まねばならない。
 俺の勘が確かならば、そこは……恐らくA・H闇市場のアジト。

 辿り着いたトンネルの入り口には、さすがにもうあのカマキリの化け物はいなかった。
「考えてみればあの刺客も気の毒にな。与えられた任務を全う出来なかった事でお仕置きされてんじゃないか。レディって言ってたよな? もしかしてなくても女性だったかな」
 俺がそう言うと、フェイは少し呆れた様に俺の顔を見た。
「ディーン、痛い目に遭わされてもそういう心配ができるなんて……」
「変か?」
「ううん、優しいって言っておくよ。それより怪我は大丈夫?」
「ま、本音を言うと少し辛いけどな。なに、痛いのは慣れてるから平気だよ」
「無理しないでね」
 そんなやりとりの後、俺達は
 オレンジの電灯が前よりも冷ややかに見えるのは気のせいだろうか。足音を出来るだけ立てないように注意して進む。先に来た時は気がつかなかったが、この通路は緩やかな坂になっていて少しづつ下っていってるようだ。思ったより長い。
 そして、ついに俺達は通路を抜けた。
「なに……ここ?」
 フェイが呟いた。
 俺だって驚いた。そして納得した。
 成程、あの通路に誰も入らないわけだ……と。

 通路を抜けて出た先はかなり広い空間。
 正直、ここがさっきまでいた同じクーロンだとは俄に信じられないくらい、まるっきりの別世界。
 完全に地下だという事はすぐにわかる。空気が違う。だが規則正しく並んだ照明のせいか、街中より遥かに明るい。冷たい光を放つぴかぴかの床、真っ白な壁。先には真っ直ぐな廊下が見えて、金属製の扉がかなり先まで等間隔で並んでいる。清潔で寒々しいこの近代的な空間は、一言でいえばまるで病院だった。
 微かに消毒液のニオイがするのも病院に似ている。
「地下がこんな風だなんて……」
「見ろ、研究房って書いてある。ここは研究所なんだ」
 研究……何の研究だ? 恐らく非合法のA・HやH・Kを造っていたと見た。
 そのまま入り口のホールを抜けて廊下を行く。
 フェイも足音や気配を殺して、静かに歩いている。
 よく見ると、各ドアにプレートがあり、それぞれに人名らしき文字が並んでいる。研究者一人一人の個室というところか。
「人の気配がまったく無いね」
 フェイの言う通り、どのドアの中からも人の気配を感じず、音も無く静まり返ってる。昨日今日無人になったって感じじゃない。もう長いこと放って置かれているという感じだ。
 試しにノブを回してみたが、どのドアも鍵が掛かっている。
 宛があるわけでも無くとりあえず進み、廊下の三叉路に突き当たった時、覚えのあるニオイが鼻をついた。
 甘い花のような香り。
「あの香水の匂いだ」
「こっちからだよ!」
 フェイが廊下を右に曲って駆けだした。
「おい、ちょっと待て……」
 俺は追いかけようとして、傷が痛んだ。
 自分でも重く感じる体を引きずってやっと俺が追いついた時には、フェイは一つの扉の前で立ち尽くしていた。
「この先に続いてるみたいなんだけど……」
 明らかにその扉は他の扉とは違っている。
 水平にスライドするタイプで、横の壁にはセキュリティタッチパネルがついているところを見ると、G・A・N・P本部でもそうであるように、遺伝子レベルで個人を識別して開くようになっているのだろう。こういう仕掛けが必要な場所といえば……。
「ふん、この先が重要施設だって言ってるようなものじゃないか」
 一応、フェイがパネルに手を置いてみたが、勿論何の反応も無かった。
「どうしよう?」
「どうしようも無いな。開くわけが無いんだから」
 そう言って、何気無く叩きつける様に俺がパネルに手を掛けた時、小さな電子音がしてパネルが赤く点滅した。
「わ?」
 驚いて俺が手を引っ込めた横で、扉はすうっと開いた。
「な、何でだ? おい?」
「ディーンが叩いたから壊れた?」
「さ、さあ……ま、とりあえず行くぞ」
 閉じてしまわないよう、二人一緒に潜る。
 それがエレベーターだと気がついた時には扉はしまっていた。
 行き先も指示しないうちに、エレベーターは降下をはじめる。もっとも、指示しようにもボタンも表示も無いところをみると、行き先は一箇所と決まっているみたいだ。
「何だか怖いよ」
 フェイが俺の服の袖を掴んだ。俺だって怖い。
 数秒後、エレベーターが止まった。時間的にかなり降りたと思う。
 さあ、正念場だな。
 そして、扉が開いた。
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