Wild in Blood

まりの

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舞姫の章

帰ってくる場所 1

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「リルケ?!」
 両目をやられてのたうつカマキリを尻目に、踊り子は駆けよって来て、俺の身を起こしてくれたので、少し離れた場所までとりあえずよろめきながらも走った。
「怪我してるじゃない! すごく血が出てるわ」
「大丈夫だよ。それよりどうしてここに?」
 助けなければいけない相手に命を助けられ、俺はそれしか言葉が出なかった。
「あなた達がどうしても気になって。探し回ってやっと見つけたの。でも良かった。みつかって」
「無茶な事を! 今、一人で出歩いたりしたら危険なんだぞ。あいつらは君を狙ってるんだから……」
 そう言ってすぐに自分の現状に気がついて、苦笑せずにはいられなかった。
「……すまない。君のおかげで助かったのに。まさかあんな化け物がいるとは思わなかったから、素手で来てしまって……G・A・N・P隊員も情け無いな」
 リルケも微笑むように目を細めた後、まだ踠いているカマキリの方を見た。
「一体あれは何?」
「闇市場の刺客だ。劇場長の命を狙っている」
「パパの?」
「ああ。闇市場は君を手に入れるためには手段は選ばないようだ」
「そんな……」
 そこへ、パイプらしい棒を拾って来たフェイが全速力で帰って来た。
「えっ?」
 第一声はそれだった。勿論、俺を見て驚いたのでは無く、リルケの姿を確かめてだろう。
「助けるはずの女性に助けられた男の図」
 俺がそう言うと、フェイは首を傾げた。
「どういう事?」
「説明は後だ。武器の調達ご苦労さんだったが、彼女のおかげで奴は今のところ戦闘不能みたいだ。今のうちに劇場まで戻るぞ」
 相手が次の手を打ってくる前に、一刻も早く劇場長に伝え、リルケと共に避難させなければ。
 あの危険な目をした男が、こんなもので諦める相手とも思えなかったから。

「あいたたっ!」
「ええい、情け無い声を出すな。男だろう」
 かなり乱暴に包帯を巻きながらコウさんが溜め息混じりに言った。
 一旦劇場に戻って劇場長を保護し、俺達は黄薬舗に身を寄せたのだ。
 コウさんには厄介事を持ち込んで非常に申し訳無いと思う。しかし、このグレート・クーロンで信頼の置ける人を俺達は他に知らない。劇場長とコウさんが仲の良い友人なのもある。不覚にも怪我をしてしまった俺にとっても幸いな事に、薬屋だけあって手当てもしてもらえた。
「ま、わしの調合した秘伝の薬をつけたから、少し大人しくしてたらすぐに治るさね」
 コウさんは薬箱を片付けながら肩を竦めた。ガーゼにべったり塗り付けた形容しがたいニオイと色のペーストを傷に貼り付けられたのだが―――。
「すっごく滲みるんですけど……この薬」
「贅沢言いなさんな。痛いと感じるって事は生きてる証拠。仕事に熱心なのはいいが、あまり無茶をせんでおくれ。心配で仕方ない」
 目を細めて言う小さな壮年の男の言葉が、一瞬故郷の親父の声とだぶった。
「……すみません」
「謝る必要は無いがね。幸い、もうあちらも諦めたのか何もしては来んようだし、少しお休み。リルケや劇場長の方はあの坊やと見張ってるから」
 そう言って部屋を出て行きかけるコウさんを俺は引きとめる。
「あ、待ってください」
 リルケと劇場長は別室でフェイが相手をしている。今この部屋は俺とコウさんの二人きりだ。
「少し、お訊きしてもいいですか?」
「何だね?」
「気になった事があって。俺達が着いてすぐ、フェイの名前を聞いて……キリシマって。貴方、不思議な顔をしましたよね」
「そうだったか?」
 別にどうでもいい事なのかもしれない。どうして気になったのかも自分にもよくわからないのだ。だが、何か誤魔化すような言い方で余計に気になった。
「何だかとても懐かしむような、よく知った人の話を聞いたようなそんな顔でした」
 コウさんはふう、と息を一つついた。
「ごめんなさい。過去は聞かないのがこの街のルールですが……」
「いや、別に隠す必要も無い事だよ。そう、生前、リューゾーさん……キリシマ博士は幾度となくこの街にみえてる。博士がまだG・A・N・Pを設立される前の話だがな」
 初めて聞く意外な事実だった。ずっと表舞台にいた博士とこの街はあまりに似合わない。
「キリシマ博士人がクーロンに────」
「ああ。その時、案内していたのがワシだったんだ」
「なるほど」
 何かもっと深い話がありそうな感じだが、その時はそれ以上詰めなかった。
 そして今度はコウさんが訊ねる番だった。妙に悲しげな目で俺の顔をじっと見つめる。 
「お前さん、歳は幾つだ?」
「もうすぐ二十四になります」
「そうか……」
 それっきり、コウさんは後を続けなかった。
 俺もその事について追及はしなかったが、何だったんだろう、あの悲しそうな表情は。 

 四・五時間も眠ったろうか。秘伝の薬とやらが効いたのか、少し楽になったので皆がいる部屋に行こうとドアを開けた時だった。
「待ちなさい!」
「そうだよ。いま出ちゃ駄目だよ!」
 フェイとコウさんの声がしたので、俺は慌ててそちらに駆け寄った。
「まあ、起きて大丈夫なの?」
 そう言って俺を出迎えたリルケは、困った顔で視線を往復させていた。
「ああ、大丈夫だよ。それより何の騒ぎだ?」
「私、もうどうしていいか……」
 リルケは泣きそうな声で指差す。
 その先には、入り口のドアの前で両腕を広げて踏ん張ってるフェイとコウさん。その二人を押し退けようと頑張っている劇場長の姿があった。
「どうしたんですか?」
 俺が声を掛けると、二人に押さえられながらも、必死で外に出ようともがいている劇場長が、泣き声に近い声で叫んだ。
「劇場が……劇場が燃えてるんだ!!」
「なっ……!」
「爆破されたって。でも、これは奴らの誘いだよ。ディーン、劇場長を止めて!」
 フェイも行かせまいと必死だ。そして劇場長も。
「行かせてくれ! あそこは大事な場所なんだ。頼む……!!」
 ちくしょう!
 たった数時間で事態は悪い方に進んでいた。暢気に眠っていた自分が歯痒い。
「と、とにかく落ちついてください」
 そうとしか言いようのない自分も情けない。
「これが落ちついていられるか?」
 まあ、そりゃそうだろう。相当頭に血がのぼっているらしい劇場長を諌めるのは無理みたいだ。だが、フェイも言ったように、これは明らかに闇市場の挑発か見せしめだ。ここで出て行ったら奴等の思うツボ。
 どうすれば……。
 その時、ぽつりと小さく呟いた声があった。
「────私が行けばいいのよね」
 リルケだった。これにはさすがに劇場長も大人しくなり、全員が凍りついた。
「私が大人しくあの人達の元に行くと言えば、もうパパが命を狙われる事も無いのよね。もっと早くにそうしてたら、劇場が燃やされる事も無かったのだけど……そうでしょ?」
 誰もすぐには返事出来なかった。
 リルケは間違っていない。その通りだ。だが、それは一番考えたくも無い解決方法ではないか。 
「そんな悲しい事を言わないでおくれ……」
 劇場長が涙を浮かべてリルケを抱きしめる。
 胸が痛くなるそんな様子を、俺はしばらく見ていたが、もう少しましな案を立てた。フェイに視線を移すと相棒は軽く頷く。どうやら考えてる事は一緒らしい。
「俺達が代わりに劇場の様子を見てきて連絡します。だからもう少し我慢してください。もし、長引くようならば、一旦一緒にクーロンを出て闇市場の手の届かない所にお二人を保護するよう本部に打診します」
 俺が劇場長にそう言う。
「絶対にあいつ等に渡したりしないからね。早まった事を考えちゃいけないよ」
 フェイはリルケにそう言った。フェイはもう何時でも出ていける態勢だ。
 今度顔を合わせたのは劇場長とリルケだった。どうやらこれで納得はしてくれたようだ。
「でもそんな体で……」
「大丈夫。コウさんの秘伝の薬が効いたから」
 そう笑って、俺達はさっさと身支度をして入り口に向かった。今度はちゃんとある程度の武装や通信機は必要だな。
 コウさんは黙って入り口から身を引いた。
「コウさん、二人をお願いします」
「ああ。気をつけてな」
「はい」
 俺達は再び、薄暗い迷路の街に飛び出した。
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