Wild in Blood

まりの

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舞姫の章

闇市場の刺客 1

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「あっ」
 劇場長の部屋を前にして、フェイが小さく声をあげた。
 廊下に女神が立っていたのだ。二つのドアの前に。
 指を口の前に立てて「しっ」という仕草を見せるリルケ。もう片方の手は劇場長の部屋を指している。中に気付かれない様にしろということらしい。
 彼女は俺達に手招きをする。
「なに?」
 よくわけもわからず、俺達は素直に彼女に従うしかなかった。
 手招きされるまま左側のドア、おそらくは彼女の楽屋と思しき方の部屋に招き入れられる。
「あの……?」
 間近で見る憧れの女神様に、少し緊張した面持ちでフェイが俺より先に何か言いかけたが、彼女はまた「しっ」とやって、劇場長の部屋の方を指し、囁く様に一言。
「お客」
 そう言った。
 小さな声だったが、初めて聞いた彼女の声だ。舞台で彼女は一言のセリフも無く、踊っていただけだったから、ひょっとして鳥のように声帯の構造が違い喋れないのではと思っていたが、考えてみればオウムは人間の言葉を真似て喋れるな。
 彼女は耳の横に手をかざして、聞き耳をたてる格好をした。
「こう?」
 俺が真似ると、彼女は頷いた。
 成程、壁の向こうに複数の気配がある。劇場長とあと他に二人ばかり。
 何だろう? 微かだが花のような香り。
 この部屋にある化粧品とはまた違う。おそらくはオーデコロンの匂い。しかもかなり上質のものだ。あと、微かに消毒液のニオイもする。一体どんな客なのだろう。
「劇場長、困ってる?」
 また小さくリルケが呟いた。くるくるした大きな瞳は縋る様な眼差しだ。
 彼女は俺達が耳や鼻のいいA・Hだと知ってる様だ。確かに、悪いがこの程度の薄い壁の向こうの会話など丸聞こえだしニオイだってわかる。
「何度言われようと答えはノーだ!」
 劇場長の声だ。
「そう、すげなくなさらなくてもよろしいでしょう? 私は金儲けのために彼女を欲しいと言っているのでは無いのですよ。あの奇跡のような才能を、このような薄汚れた街に埋もれさせるのは勿体無いと申し上げているのです。貴方もそうは思いませんか?」
 淡々とした男の声。随分と言葉遣いがお上品だな。英国風のイントネーションだ。
「……それにあの娘は今でも充分魅力的ですが、私共に任せて頂ければもっと美しい姿に変えてあげる事だって出来ますわ。しっかりした教育を受けさせ、今度こそは幸せになれるよう手助けをしたいのです」
 今度は若い女の声だ。
 上品な言葉使いの男と若い女……待てよ、そんな組み合わせを見た。
 そうだ、貴賓席にいた二人! あの危険な気配を漂わせていた……。
 しかしこの会話の内容は――――。
「黙れ!」
 俺達だけでなく、リルケにも聞こえるくらいの声で劇場長が叫んだ。
 フェイはいつ飛び出そうかとタイミングを計っているが、俺はその腕を掴んで制した。 
「待て。もう少し様子を見よう」
「でも……!」
 ここで水を差したら取り返しのつかない事になる気がする。もう少し確証がほしい。 
 ひょっとしたらあの男は――――。
 その答えは劇場長の言葉に含まれていた。
「どんなに綺麗事を並べてみても、魂胆は見え見えだよ。あんた達に渡したが最後、どうせリルケも他のA・Hと同様に、また売り飛ばして人殺しの道具や金持ちの慰みものにでもされるのがオチだろう? そうとわかっていながら、みすみす渡せるものかね!」
 あの丸い劇場長と思えない迫力のある声。先刻会った時の優しげな声とまるで別人だ。困っているというより怒っている。
 その迫力に押されたのか、男も女もすぐには何も返さなかった。
 しばらくして、何かをとん、と机の上に置く音がして、劇場長の更に激昂した声がした。 
「そんな物を積まれても私の気は変わらん! さっさとしまって出ていけ! この人買野郎め!」
「おやおや手厳しい。いや、そんなつもりではありません。まさかそのような額で済まそうとは思っておりませんよ。それに、これは貴方にではなく、あの踊り子さんにですよ。今日は素晴らしい舞台を見せて頂いたので私の気持ちです」
 男の声はあくまでクールだ。きっと微笑んでいたりするんだろうな。それがまた余計に気に入らなかったのか、ドアに何かを投げつける音と共に劇場長が叫んだ。
「消えろ! 悪魔め!!」
「行きましょう、レイ。話にならないわ」
 ドアが開く音。
「……それでは、今日は失礼させて頂くといたしましょう。それから、口のきき方には注意したほうがいいですよ。ご自分の身辺にもね」
 男の声の危険な言葉の後に、ドアが閉まる音。
「二度と来ないでくれ!」
 劇場長の声。
「逃げちゃうよ!?」
 フェイが俺に掴まれたままジタバタしている。
「いいから行かせとけ」
「でもあれ、闇市場の人間じゃ……」
 俺だってそんな事、お前に言われなくてもわかってるよ。だが今焦ったら余計捕まえられなくなりそうな気がする。
 かつんかつん……廊下を行く足音は次第に遠のいていく。
 少し頬を膨らませてフェイが俺を睨んだ。
「行っちゃったよ? いいの?」
「馬鹿、今正体明かすわけにはいかんだろ? この後の任務が続行できなくなるぞ。お前のその鼻は何のためにある?」
 俺が鼻先を突つくと、フェイはやっと納得した顔になった。
「あ」
「わかったようだな。俺達の最大の武器である鼻や耳を生かして、後でさりげなく追跡したい。顔を覚えられでもしたら厄介だしな」
 と、そこまで言ってから、俺ははたと気がついた。
 しまった。この部屋にはもう一人いたんだ。
「任務? 正体?」
 案の定、鸚鵡の顔をした踊り子は首を傾げている。
「あ……いや、その……」
「それより、劇場長さん大丈夫かな? 酷く怒ってたみたいだし。様子を見に行こうよ」 
 すかさずフェイが気の利いたフォローをしてくれた。コイツって時々、馬鹿なのか本当は賢いのかよくわからない。
 まだリルケは不審そうな目ではあるが、とりあえずは誤魔化せたというより、優先事項を思い出したという感じだ。俺達は三人で隣の部屋に向かった。
 ドアにはやはり鍵が掛かっていた。
 コンコン。フェイがノックする。
「まだいたのか!」
 すぐに怖い声が返って来て、フェイは飛び退いた。別に俺達の事を言ったわけでは無いのだろうが、劇場長は気が立っているらしい。
「パパ、リルケよ。入ってもいい?」
 踊り子の声を確認して、やっと鍵が開いた。
 リルケがドアを開けると、丸い男は頬を紅潮させて難しい顔で立っていた。その足元に散乱している紙きれは金。札束をドアに投げつけた時に散らばったのか。
「……君達も一緒だったのか」
「すみません。何だかお取り込中の様ですので俺達はこれで……」
「いや、いいんだよ。さ、おはいり」
 一瞬顔を合わせてから、俺とフェイもリルケに続いた。
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