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舞姫の章
迷宮の女神 3
しおりを挟むいきなり仰々しい名前の二階に行くのもかなり勇気がいるので、俺達はまず一階の『李飴菓舗』の方に入ってみることした。
ポップな電飾看板とは裏腹に、薄暗くて雑然とした店内には、瓶に入っていたり、紐で天井から吊るされた色とりどりの飴があった。多少人工薬品っぽいニオイではあるが、甘い香りが鼻腔をくすぐる。へえ、意外とまともな店だな。
「いらっしゃい。どれがほしいんだい?」
素っ気無い声とともに出てきた店の主は、これも素っ気無い顔をした中年のおばさんだった。ノーマルタイプの人間みたいだ。
「フェイ、どれがいい?」
「え、えっとね……これ」
フェイが適当に選んだのは、ピンク色も少々毒々しい、スティック状の飴だった。
「いくら?」
俺がそう訊くと、おばさんは指を立てて値段を言いつつも、少し怪訝そうな顔だ。
「ホントにいいのかい? これは大人用だからこの坊やには少し早い気がするがねぇ」
おばさんがそうぽつりとこぼした。
理由はすぐにわかった。瓶に『絶倫棒』と書いてあったから。
うわ、何だかやっぱ普通の店じゃないのもしれないな。
「やめとけ……こっちのにしとけよ」
オレンジ色の『南方桃果』と書いてある丸いのを数個とって袋に入れてもらい、金を払った。
「つりはいるのかい?」
そう訊いてくれるのを見越して、多めに渡したんだよ。
「いや、とっといて。ところで、少し訊きたい事があるんだけど」
「何だい?」
「上の階の主人、最近見かける?」
演技、演技。
「あの兄ちゃんなら昨夜も見たさ。何だい、あんたら知り合いかい?」
「まあ。こいつが以前世話になって」
と、さりげにフェイに振る。
「う、うん。ちょっと挨拶に行こうと」
突然振ったにもかかわらず、フェイも口裏を合わせてくれた。よしよし、いいぞ。
「おやそうかい、じゃあ言っといておくれよ。A・Hも一向にかまいやしないけど、夜中に吼えたり、気味の悪い音がして寝られやしないってね。文句を言いに行きたいけど、ワケのわかんない気持ちの悪い連中がいっぱいいるからさ。か弱い女の身じゃちょっとね」
「はあ。伝えておきます」
か弱いかどうかは別として、相手がおばさんでラッキーだった。どの街でも、おばさんはおしゃべりだと相場が決まってる。訊きもしないのにかなりの情報が得られたぞ。
「あ、やっぱりピンクのも俺がもらうよ」
「若いねぇ。ガンバんな」
おばさんは意味ありげにニヤリと笑った。
店を出て、フェイが不思議そうな顔で訊いて来た。
「ねえねえ、そのピンクのはどうして大人用なの? 頑張るって何を?」
その問いは軽くあしらって、俺は上への階段を見上げた。
別に本当に入ってみる必要も無いかもしれない。だが、G・A・N・P隊員としての誇りもあるし、個人的な興味もあってぜひ確かめてみたい。
階段を上がって、少しばかり緊張しつつ、俺はドアに手をかけた。
鍵はかかっておらず扉はぎぃい……と不快な音を立てて開いた。
入った瞬間、いくつもの視線が刺さった。
一見、小さな町医者の待合室みたいな作りのロビーには、予想外に大勢が長椅子に掛けていたのだ。
横でフェイが息をのむのがわかった。
どの顔も普通の人間では無かった。全員がA・H。それも明らかにそうだとわかる異形。
毛むくじゃらの男、スタイル抜群だが頭髪が無く緑の鱗に覆われた女、妙にひょろ長い腕の無い若者、すでに人間の顔ですらない猫の様な少女……彼等は俺達の姿を確かめると、すぐに興味を失ったように視線を外した。
これまた病院の受け付けみたいな、小窓のあるガラスで仕切られたカウンターに若い男が座っている。店主だろうか。彼だけはノーマルタイプの人間の様だ。何か一生懸命書き物をしている。
「あんたら初めてかい?」
こっちも見ずにその男は訊いた。「ら」とつけたところをみれば俺達の事なんだろう。
「……初めてです」
「あんたらも登録か? それともリストを見に来たのか? 登録ならしばらく待ってな。見りゃわかると思うが順番待ちだ」
「いや、リストを見に……」
そう当てずっぽうに答えると、ロビーの面々から微かにどよめきが上がった。えっ、何かマズイ事を言ってしまったのだろうか?
カウンターの男が弾かれたように立ちあがった。
俺は一瞬身構えたが、男の表情は妙に嬉しそうだった。
「ようこそ! ささ、リストはここだ。選りどり見どりさ。ぜひ雇ってやってくれよ! おいみんな、何やってる。お客さんに席をお空けしないか!」
店主の弾んだ声に、順番待ちをしているA・H達はあわてて長椅子の一つを開けた。心なしか彼等の表情も明るい。
「す、すまないな」
俺達は分厚いファイルを受け取り、遠慮しながら椅子に掛けた。
なるほど。今までの経緯で、ここはA・H専用の登録制の職業斡旋所であることがわかった。登録は有料だが、働いて賃金を得なければ食べてはいけない。この街であっても、異形ゆえ働き口の無い者にとっては藁をも縋る思いなのだろう。
リストを開いてみた。各ページには顔写真と共に簡単な経歴とスキルが記されている。
ほとんどの登録者が非合法か初期の失敗作であろう異形のA・H。その中の何人かは、G・A・N・Pの要捕獲や救済対象リストで見た事のある顔だった。
「沢山いるんだね……」
そうフェイが呟いたとき、俺は膝に微かな重みを感じた。
「ん?」
猫の顔をした少女が、俺の膝の上に頬杖をついて見上げていた。くるくるした愛らしい目が微笑むようにこっちを見てる。
私を選んで。その少女の目はそう訴えているようだ。子供特有のふっくらした小さな手。まだ十を過ぎてはいないだろう。
「これあげるね」
俺が言う前に、フェイがさっき買った飴をやると、少女は嬉しそうにみゃぁと小さく鳴いた。声帯の構造のためか言葉は喋れないのだろう。
こんな小さな娘まで、生きるために働き口をみつけようと必死になっている……そう思うと少し切ない気持ちになった。
ファイルを閉じ、カウンターに返しに行く。
「どうだい、いいのが見つかったかい?」
「……皆良さそうだから迷ってるんだ。二・三人思い当たるのがいたから、帰って親方に相談してみて決めるよ」
「そうこなくっちゃ! 見た目は悪いが、皆良く働くよ。親方に良く言ってやってくれよ」
俺のその場逃れの言葉に、男の顔は真摯だった。たとえ登録料で生計を立てているにせよ、本気でA・H達を雇ってやって欲しいと願っている様だ。結構いい奴みたいだな。
下の階のおばさんには気の毒だが、とても文句を言う気にもなれなかった。
去り際、男にコウさんから行く様に言われた劇場の場所を聞いた。親切にメモに地図まで書いてくれた。
「あの劇場にはここから何人か雇ってもらってるからな。よろしく言っといてくれよ。みんな元気にしてるかなぁ。お兄さん達もリルケを見に行くんだろ? あの、街で一番の踊り子もウチから雇われて行ったんだぜ! 知らなかっただろ? いやぁ、実物見たら感動するぜ。あの娘は本当に、この街の女神様さ」
俺達は獣人中心を後にして、劇場のある街のさらに中心部……無憂大路を目指した。
「ねぇ、ディーン」
獣人中心を出てから、ずっと黙ったままだったフェイが口を開いた。
「どうした? 疲れたか?」
「ううん、そうじゃないけど……ちょっと考えてたんだ。僕達が今やっている事は本当に正しい事なのか」
「正しいか?」
「……僕達が帰って調査結果を報告すれば、この街にいる非合法A・Hや犯罪者を一斉摘発する計画が実行される。それは果たして本当に必要なんだろうか? ……上手く言えないけど、さっきの子猫ちゃんや、斡旋所にいた人達を見てて思えてきたんだ。ひょっとして、この街は今の世界にとても必要な存在なのかもしれないって」
そんなことを考えていたのか……。
すぐに返答出来ずに俺が黙っていると、フェイは更に首を傾げた。
「それとも僕の思い違い?」
「いや、思い違いでは無いと思うぜ。実は俺もそんな感じがするんだ。だがな、まだこの街を深く知ったわけじゃない。まずは当初与えられた任務通り、出来るだけ詳しくこの街を知る事だ」
「そうだね……」
「そうそう。まずはもう少し大勢の人間に会う事だな。あの兄ちゃんが言った言葉を聞いただろ? 今から行く劇場には、この街で一番の踊り子がいるそうじゃないか。その娘もあの斡旋所から紹介されたところを見ると絶対A・Hだ。しかも尋常な見た目では無いな」
「女神様だって言ってたよ」
少し明るい表情に戻ったフェイがわくわくした様に言った。
「どんな踊り子さんなのかなぁ……」
そして、俺達は何とか『大九龍劇場』に辿りついたのだった。
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