Wild in Blood ~episode Zero~

まりの

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13:美しい羊

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 森林ガイドの小屋は、夜間極力周囲に光や熱を漏らさないよう設計されている。窓もカーテンだけでなく雨戸を閉める。夜行性の野生動物や環境に配慮するためだ。
 遅い日暮れの後、半分ほどの月と瞬く星が昇り、空は真っ暗では無いが森の中は闇。京が最も得意とする時間。
 ヒラキと愛犬クロには屋内で待機していてもらい、京とディーンの二人で表に出た。念のため麻酔銃、ネットガンは装備している。
 息を殺して暗闇に身を隠す二人。
「寒い……」
 夜になり、気温は一気に一桁台まで下がった。尖ったほど澄んだ冷たい空気に、京が身を震わせる。
 まだこれでも、冬の寒さに比べたら温かい夜なのに……ディーンはそう思ったが、これを普通だと思っているのは、彼がここの出身だからだろう。朝までいたニューヨークはまだ残暑の季節だ。仕方が無い。
 京は気を取り直して、千ヘルツを超える高音を発し、耳を澄ませる。
 こちらも耳と鼻に意識を集中させるディーン。
 夜間に活動をはじめた小動物や虫の声、針葉樹の枝を揺らす風の音。それに混じって、微かな落ち葉を踏む音がディーンの耳に届いた。衣擦れの音。微かな息遣い。そして嗅いだ事のないニオイ。近い。
「支部長、近くにいます」
「こちらも補足したわ。うわ……」
 京が驚いた声を上げた。といっても、相手に聞えないように極々静かにだ。囁きだけでディーンには聞える。
「どうしました?」
「……すごい角よ」
 不鮮明なカメラの映像で確認していたものの、京は跳ね返ってきた音波を頭の中でマッピングするうち、実際はもっと大きい事がわかったのだ。
 体はそう大柄ではない。身長は百七十センチほどだろうか。しかし、大きく曲がった角はざっと一メートル近くありそうだ。体との割合を考えると実に大きい。もし声をかけて恐慌をきたして襲って来る事があったなら、注意が必要だろう。
「首、疲れるでしょうね。肩が凝らないのかしら?」
「支部長……」
 緊張感が無さ過ぎます、そう言いたかったディーンは止めておいた。きっとこれも緊張感を解くための計算なのだろうと納得して。事実、京にしてみればそのつもりなのだ。
「こちらには気がついていないようだわ。食料庫に向かってる」
 京とディーンはそっと気配を殺して後を追う。
 二人は食糧庫の扉に手を掛けた瞬間に飛び出すつもりだ。
 殺人や傷害等人的被害が出ているわけではない。余程大きな事件に関与している場合を除いて、この程度の窃盗などの軽犯罪は犯行現場を直接押さえないと捕まえる事が出来無い。たとえ容姿が明らかに非合法であるとわかっていてもだ。
 ディーンが微かに感じるのは、息遣いに混じった空腹時特有の臭い。膵液が胃酸で分解された時に出るガスの臭いだ。相当飢えている。木の実が豊富に採れる時期なのに、採る術を知らないか、こうして盗みに来るところをみると、人の手の加えられた物しか食べたことが無いのかもしれないという事が推測出来る。
 京とディーンは小屋の陰に身を隠し、飛び出すタイミングを計る。
 かちゃ。
 微かな金属音。ついに鍵に手を出したようだ。これで捕まえる理由が出来た。
「行くわよ」
「はい」
 二人はライトを点けて、物陰から飛び出した。
「動くな!」
 ライトを浴びて窃盗犯は固まった。若い男だ。
 大きな角以外、外的差異は無い少年。
「そこまでよ。泥棒は罪なの。わかるわね?」
 京が声を掛けると、一瞬躊躇した後、くるりと身を翻した角のある少年は真っ直ぐ京に向かって突っ込んで来た。手には扉を抉じ開けるための短いバールらしきもの。
「支部長!」
 京は身軽に躱したが、相手も早い。かなり身が軽いようだ。
 もう一度京に少年が飛び掛ろうとした所を、横手からディーンが体当たりをかけて突き飛ばした。
 振りかぶられたバールは大きく京を逸れ、少年の体が飛んだ。
 倒れた所を、ディーンが馬乗りになって押さえつけるも、少年は逃げようと必死だ。
「放せ!」
 大きく身を捩って頭をイヤイヤと振るうち、角が当たってディーンの眼鏡が飛んだ。そのまま頭突きを喰らって、思わずディーンが本気になってしまった。
「この……!」
 がっと牙を剥いた口が喉元に迫るのを感じ、少年は目を閉じた。
「ディーン、もういい!」
 京の声で、はっと我に返ったディーンの下で、少年はガタガタ震えている。
「ほら、眼鏡。危うく噛み殺すところだったじゃない」
 慌てて差し出された眼鏡を掛け、ディーンは上に乗ったままだった少年から身を引いた。小柄な、今にも折れそうな体の上に、こちらも細くて男としてはそう重くは無いとはいえ、百九十センチ近くある大きな体が乗っていたのだ。京から見たら少々気の毒にも見えた。
 もう少年は逃げる素振りは見せなかった。動けなかったのだ。
「すみません……」
「怪我は無い?」
「はい」
 ディーンが倒れたままの少年に手を差し出す。
「ごめん。怪我はないか?」
「……」
 抱き起こされても、少年は何も言わない。
 静かに京が語りかけた。
「あなた名前は?」
「イアン……」
 おどおどとした喋り方は、先程襲い掛かって来た勢いはどこへ行ったのかという弱々しさだった。狼の牙を目の当たりにして、彼は一瞬で死を覚悟したのだ。
「イアン、私達はG・A・N・Pよ。少し話をさせてくれる?」
「はい……」
 京に言われても、イアンはしおらしく頷くだけ。
 その時、後ろから声が掛かる。
「もう暴れないのなら中へお入り。お腹が空いてるんだろ?」
 三人が振り返ると、ヒラキがにこやかに笑っていた。

 もう夜も遅いし、急を要する事件でも無いため、支部への移送は朝まで待つことにした京だったが、目の前で泣きながら食事をしている少年を見て溜息をついた。
 ほとんど真っ白に近いプラチナブロンドに、煤けてはいても白い肌、緑の瞳も美しい整った容姿。見た目には十代半ば程に見えるが、本人曰く十九歳だそうだ。どちらにせよ、人もいない大自然の中で生きるには向いていなさそうな、重い荷物すら持ったことの無いようなか弱さだ。どこの深窓に隠されていたご令息だろうと言う風情の美少年。その大きな角と、ボロボロになった着衣を除いては。
「慌てなくていいから。ゆっくり食べろよ」
 イアンがスープで咽て咳き込んだところを、ディーンがその背中をさすっている。
 先程、危うく噛み殺されそうになっていたわりに、イアンはディーンから離れようとしない。どうやら狼は羊にまでボス認定されたようだ。また、ディーンも別に嫌な顔をするわけでもなく傍にいる。
 何だかんだで世話好きなんだなと、京は呆れなくも無い。
 アルフィーも酷く懐いていたように、人付き合いが悪く、無愛想で孤独な印象を受けるディーンは、自分より弱いものには受けがよく優しい。オオカミは面倒見がいい動物なのだ。
 それにしても二人並んでいると白くて綺麗だ……イアンに角が無かったら兄弟と言っても通りそうだと京は思った。見た目と歳は逆だが。
「ディーン、あなたより年上よ、彼」
「うーん、そんな風に見えない」
 角を除けば、確実に頭一つ分はディーンの方が上背がある。
「よく熊や狼に襲われなかったな」
「岩山の上の穴に居た。ドール(シープ)の群れに紛れてたから」

「ご主人様……僕を捨てた」
 ぽつりぽつりと、涙ながらにイアンが語り始めた。
 アラスカにあるという無認可の研究所で作られたイアンは、ドールシープのように身が軽い事を除いては特別な能力は無い。だが、この幻想的で美しい容姿のため、愛玩用に欲しがる人間は多かった。非合法のA・H専門の市場でオークションにかけられ、一人の富豪の未亡人に買われた。
 十年近く屋敷の奥で人目につかぬよう可愛がられていた彼は、主人の再婚が決まってすぐ、ドライブに行こうと誘われたらしい。屋敷の外に出た事も無いイアンは喜んで着いて行ったが、それは彼を捨てるための最後の旅行だったのだ。
 アラスカからカナダ北西部に走るハイウェイの途中、美しい景色に見惚れていたイアンを置いたまま、女性は車を走らせ、そのまま二度と戻ってくる事は無かった。
 人ならぬペットとしての扱いであったとはいえ、イアンはそれなりに不自由無く幸せに生活していた。温かい住まい、柔らかなベッド、調理された食事、清潔な着衣……そんなものから突然切り離され、生きる術すら教えられずにツンドラの地に一人取り残されたのだ。
 少し行けば小さいながらも街はある。しかし、この異形の身で人前に現れる事は彼も躊躇した。いっそ早くに人に助けを求め、通報されていればG・A・N・Pが保護できたのだが、イアンにそんな知識も無く、気も回らなかった。
 せめてもの救いは、血のルーツであるドールシープの生息地であったこと。女性もそれをわかっていてこの場所を選んで捨てたのかもしれない。
 角の大きさは強さの証。姿形は違っても、この立派に巻いた角はドールシープの群れで仲間と認められ、熊などから守られた。
 閉じ込められていたとはいえ、都会育ちの青年は何が食べられる物なのかも知らない。さすがに他の羊と一緒に草を食べるわけにはいかなかった。それでもイアンは数ヶ月生き伸びた。温かい時期は湖で水浴びも出来たし、飲み水も得られたが、冬の訪れは近い。
 いよいよ困って、今回の食料の盗難に至ったというわけだ。
「まあ、盗みは悪いことだけど、よく我慢したわね」
 京が微笑みかけると、イアンの顔にやっと笑みがのぼった。ヒラキは晴れ晴れした顔でその様子を見ている。
「それにしてもまた闇市場ね」
 急に真顔になった京に、ディーンの表情も翳る。
「……本人にも記憶は無さそうだし、主人の女性を探し出して裏を取るしか無いですけど」
「まあ、そっちは帰ってからね。A・Hを売買したのは罪だから捕まえはしなきゃいけないでしょうけど……口を割るとも思えない」
 もう時間はそろそろ日付を越えようという時間だ。
 ヒラキがイアンに優しく声を掛ける。
「着替えもあるからシャワーを使いなさい。寒かっただろう? 夜は」
「あの、僕……ドロボウなのに、こんなに良くしてもらって……」
 遠慮がちにイアンがヒラキに返した言葉に、京とディーンは顔を合わせて頷いた。同意。本当にヒラキは変った人物だと思う。
「最初から盗まなくても、一声掛けてくれたら良かったんだよ」
「でもこんな見た目だし、怖がる人もいるから……」
 誰もが皆、ヒラキの様に理解のある人間ばかりでは無い。異形のA・Hはこんなに大人しくても恐れられる存在なのだ。
 たまたまとはいえ、ヒラキの小屋で良かったとディーンも京も思う。もし、気の早い人間が相手だったら、熊と間違えられて早々に射殺されていてもおかしくはないのだ。
 ふと、ディーンはもし父の小屋で同じ事があったのだったらどうだっただろうと考えた。
 獣医の資格もあるディーンの父親は、ガイドの傍ら、たとえ相手が人を襲ったグリズリーであろうと、狼であろうと傷ついた動物達の治療をしていたな……と。
 やはり同じだろうな。多分このヒラキ氏と同じ反応だろう。出た結論に、ディーンは苦笑いを禁じえなかった。
 だが、勝手に姿を消した実の息子が、今は人間ではありえない狼の爪と牙を持っていたら驚くでは済まないだろう。
 だからやはり会いたくない、そう思ったディーンだった。

 疲れていたのか、イアンは暖炉の前で眠ってしまった。
 その穏やかな寝顔を見ながら、ディーンと京はヒラキが入れてくれたコーヒーを飲んで、深夜だがしばし寛ぎの時間だ。
 傍から離れようとしないクロを撫でながら、少しうとうとしかけていたディーンの耳に、新しい足音が届いた。
 時刻は夜も更けた一時過ぎ。
 どんどん、と誰かがヒラキの小屋のドアをノックした。
「こんな夜中に誰かな?」
 ヒラキが入り口に向かったのをクロが追いかける。吠えてはいないので、熊や野生動物では無いだろう。
 しばらくして、入り口でやり取りが聞こえてきた。
「怪我してるじゃないですか!」
「すまない、こんな時間に。沢の所でやられてな。自分の所まで戻れなくなったんだ」
 ヒラキの相手の声に、ディーンがハッと顔を上げた。

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