Wild in Blood ~episode Zero~

まりの

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11:帰郷

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2124年 ユーコンテリトリー

「ひゅぅ……いいところじゃない。寒いけど」
 京がコートの襟を立てて、口笛を吹いた。
 広がるのは高い山々に囲まれた針葉樹の森。カナディアンロッキーの北端から更に北に数百キロ。ここから更に北へ上がればもう北極圏。アラスカにも近いここは、住む人もほとんどおらず手付かずの自然が残されている。
 澄んだ湖が点在し、山と森林に囲まれた静かな場所。
「折角近くまで来たんだから、お父さんに挨拶しておかなくていい? 少しの寄り道くらいはいいわよ?」
「……今更、どの面下げて会えって言うんですか?」
 だから来たくなかったのに―――心の中で京を恨むディーンだった。

 ユーコンテリトリーと呼ばれるエリアにある、トレッキング客相手の山小屋の一つからG・A・N・Pに通報があったのは昨日の夜。
 少し前から山小屋の食料が度々盗まれ、当初はグリズリーなどの野生動物が疑われたが、管理しているネイチャーガイドが設置した監視カメラの映像を確認したところ、未確認のA・Hらしい人影が撮影されていたとの事だ。
 正直、事件の場所を聞いた時、ディーンは出動を拒否したかった。
 まだ正式にパートナーが決まっていないため、未だ支部長の京と行動を共にしているディーンだが、今回だけは外してくれと願ったにも関わらず、他の隊員の都合がつかなかったため、京が自ら出る事を選んだ。
 ……というのは建前で、実際このエリアならグリズリーのダグのチームや、山岳山羊系の隊員の方が向いている。それでもあえて京が出ると言い出したのは、ここがディーン・ウォレスの実家に近いからだ。ちょっとした里帰りである。
 あわよくば、ある意味G・A・N・P隊員の中でも異色の問題児、勝手に人体改造した親不孝者の息子を父親に会わせてやろうなどという、ちょっとした意地悪……というよりお節介である。
 ディーンの父は今回通報して来たガイドと同じ職業、ネイチャーガイドで、同じような人里離れた森の中の山小屋でひっそりと暮らしている。
 京は見てみたかったのだ。この人になかなか懐かないオオカミが、幼少期、どういった場所で過ごして、どういう育ち方をしてきたのか。
 そして来てみてわかった。
 この冷たいどこまでも澄んだ空気の中で、幼い頃を過ごしたのかと思うと感慨深い。同時に、よくこんな環境で、若くして博士号を取るほどの頭脳が育ったものだと京は感心する。
 ディーンに言わせると、何の娯楽も無いこの地で、学校も無いから通信教育で自分のペースで好きに進められるし、特に冬場など長く雪に閉じ込められる時期などは、家の中で勉強でもしていないとする事が無かったというのが理由だ。
 そして、もう一つ京が成程とわかった事があった。ディーンのあの自信の無さと人付き合いの悪さは性格でなく、単に人に慣れていないだけなのだろうと。人間より圧倒的に物言わぬ動植物に囲まれた場所で育ち、同年代と関わる事も無く早くに年上しかいない大学に身を置いていれば、おのずとこういう人間が出来上がるのかもしれない。
 まあ根はそう暗くない。最近は少しづつ他の隊員と関わるようになって来たと、京は安心してはいる。
 季節は初秋。ニューヨークではまだ連日夏の暑さが残るものの、旧カナダの北はもう間もなく冬を迎えようとしているような気候。
 緑の針葉樹に混じって、真っ赤や鮮やかな黄に紅葉した楓などの木々が、湖に錦の絵を移す美しい季節。
「綺麗ね、本当に」
「今が一番綺麗で賑やかな季節です。もう少ししたら、一日の大半陽の昇らない長い暗い冬が来ます。雪もかなり積もりますし」
 さっさと仕事を済ませて立ち去りたいと思うと同時に、この空気に懐かしさを感じるディーンだった。
 目指す山小屋はもうすぐ。
 ひんやりと心地よい適度に湿った空気。木々の匂い、土の匂い、コケの匂い。森の中から聞える啄木鳥の嘴が木を叩く音、カサカサ聞こえるのは栗鼠が木を伝う音。夜になれば熊や狼も出る。大きな角のヘラジカもいる。
 山小屋の前には、湖のマスだろうか、燻製の魚が吊るされ、漂ってくる甘い酸っぱい匂いは冬に備えてジャムでも炊いているのだろう。
「お待ちしてました」
 年の頃は三十代半ばくらいだろうか、小柄なアジア系の男性が二人を出迎えてくれた。
「G・A・N・P隊員の私は北米支部長、京・ガーランド。こっちはディーン・ウォレスです」
 京が自己紹介すると、小屋の主はお辞儀をした。
「ススム・ヒラキです」
 ヒラキ氏は元々は日本の出身だが、この地の自然に魅せられ、ガイドの資格を取って移住してきたのだという。
「京さんもお名前から察するに日本の方ですか?」
「いえ。研究所生れのA・Hですので親はわかりません。日系の里親がつけてくれた名前です」
 本人は知る由もないところだが、実際、京・ガーランドの卵子提供者は日本人だ。
 名前に関して、ヒラキ氏はもう一つ引っかかったところがあるようだ。
「あれ、偶然ですかね? ウォレスさんという方を僕、知ってます」
「よくある名です。早速ですが状況の説明をお願いできますか?」
 誤魔化す様に、ディーンは事務的に話を振った。同じエリアの同業者だ。父親を知っていてもおかしくは無い。まだそう歳ではないが、割とその道では有名なガイドだ。
「進入経路は裏口のようです。こちらです」
 やや呆れ顔の京と、無表情を装ったディーンはヒラキ氏について小屋の後ろに回った。
 ログハウス調の木造の小屋といっても、客が来るときは宿泊していくのでかなり大きい。二階建ての建物で、玄関側には木の広いデッキ、裏に水浄化循環システムと発電機の覆いを兼ねた小さな物置が二棟。
 そのうちの一つが、街から遠いここの、食糧貯蔵庫になっているのだ。主に缶詰や瓶詰め、調味料などが搬入用二重扉の奥に置かれている。出し入れは中の扉からも可能。冬場は二階の軒下まで雪の積もるここでは、生命線ともいえる物資だ。後は湖の魚を玄関に吊ってあったように乾燥させるか、狩猟許可のある動物の肉を燻製や冷凍で保存、夏場に採れた木の実や野菜を加工したものを用意する自給自足。
 発電は屋根のソーラーパネルだけでは、冬場日照時間が極端に少ないこの地方では限度があるため、クリーンエネルギーによる発電機が装備されている。
 ほぼ配置まで自分が育った環境と同じだと、ディーンは苦笑いを隠せなかった。
「この扉が壊されて……というより、抉じ開けられていて。グリズリーだと爪跡やマーキングの跡が残るのですが、それも無く、バールか何か、道具を使って開けた様です」
 ヒラキ氏の説明に、微かに傷跡の残る扉の部分を確かめて、ディーンと京も頷いた。
「何かニオイは残ってない?」
 京に促されて、ニオイの分析を始めたディーンだったが、すぐに首を振った。
「ヒラキさんのニオイくらいしか残ってませんね。あとは数時間前にリスが通ったみたいです。それと、猟犬を飼ってらっしゃる?」
「ニオイ?」
「ああ、彼はタイプDといって、犬の嗅覚を持っているの。私はコウモリだから昼間はなんの役にも立たないけど」
 京の説明に、A・Hには詳しく無いヒラキは、関心したように頷いた。
「失礼ですけど、犬にしてはすごい爪ですね」
「俺は犬といってもオオカミなので」
 この辺の人間にとって、狼はもっとも身近で怖れられている生き物。実際は熊よりも人を襲う事は無いとしても、イメージは悪い。
「へえ、カッコいいですね。それでですか、ウチの犬が怯えて表に出て来ないのは。人懐っこい奴なんですが」
「……すみません、怖がらせて」
 余程訓練された犬で無い限り、犬はその本能でより血の濃い狼を恐れる。自分より上位だとわかっているからだ。特にディーンは群れで生きる狼の中でも、群れのトップに立つアルファの雄の遺伝子をもらった。ニューヨークでも散歩途中の犬を怖がらせているディーンである。
 一通り現場を見て回ったものの、犯人の手掛かりは掴めない。
「判断材料が乏しくて特定は難しいわね。ヒラキさん、目撃された特徴などを詳しくお聞きしてもよろしいですか?」
 京が訊くと、ヒラキは大きく頷く。
「ああ、あまり映りはよくないですが、監視カメラの映像が残っています。完全に人型で、しかし人では無いものが映っています」
「完全に人型で人では無いもの……」
 
 京とディーンは小屋の中で、監視カメラの映像を確かめる事になった。
「ごめんな、怖くないよ」
 壁際で震えているレパード・カーに向かって、ディーンは苦笑いを隠せない。そういえば実家にもアイリッシュセターがいたが、今も健在なら怖がられるのだろうなと思う。
 ディーンは意識を仕事の方に向けた。
 ヒラキがモニターに映し出した映像は夜。赤外線カメラのものらしく、不鮮明ではあるが、何かが画像の端で動き、次に光る二つの眼が映った。
「これは……」
 その姿は、ヒラキが言うように、完全に人型で、しかし人では無いものとしか言いようのない姿だった。
 唯一つ、ディーンにも京にもはっきりとわかったのは、A・Hである事。

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