Wild in Blood ~episode Zero~

まりの

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 静かな住宅街は、歩道の整備された大きな道路に面して家が並び、裏手にはそれぞれ広い庭が広がっているという、旧世紀からのアメリカの郊外の住宅地の典型的なスタイルで、奥まった細い路地も無いので見て回るのは簡単だった。
 黒い影の噂が出て以来、日が落ちてから外出する住民はほぼいない。会社帰りの者が数人車で通りかかったが、すぐに家に入っていった。
 犬を飼っている家庭も多いが、室内飼いがほとんどだ。例え外で番犬にしている家庭でも、牧場と乗馬センターの事件以降は室内に入れている。
 静まり返った広い道は閑散として、昼間の日差しの名残の火照った空気が淀んでいる。そんな中、耳を澄まして音を聞き分け、人には感じられない様々なもののニオイを嗅ぎわけるべく、ディーンは神経を集中した。街灯に集まった虫の羽音ですら大きな音に聞える。
 普通の人間であった時は感じられなかったものが、今は感じられる。これは喜びであり恐怖でもある。
 やっと必用な時以外は、コントロールする術を身につけたが、自らをA・Hに改造してしばらくは時計が時間を刻む音、電子機器の発するモーター音など、そんな小さな物音一つも耳につき、驚き、夜も眠れなかった。様々なニオイが鼻について、人ごみにも出られなかった。動物達が自然の中で生きていくために長い時をかけて進化させた能力を、たった一夜にして身につけたのだ。やはり無理はある。
 血を吐く思いで実用化まで漕ぎつけた研究が盗まれたのは痛い。だが、盗まれたファイルは百パーセントでは無い。残りの一番大事な部分は自分の頭の中にある。だから手に入れて悪用した組織も、元々A・Hである成体からの再改造にしか使わないのだ。もしかしたらノーマルタイプの人間からA・Hになる技術が完全な形で公にならなかったのは、不幸中の幸いなのかもしれないとディーンは思う事がある。この苦労を多くの者に与えないで済んだ事だけが。そうとでも思わないとやっていられないというのが正直なところではある。
 今夜は月も無い。元々天気の変わりやすい土地柄、夕刻までは晴天だった空は雲に覆われ湿度も増してきた。蒸し暑いが湿度がある程度あるほうが音もニオイも感じやすい。
 辺りを探るうち、微かだが乗馬センターで嗅いだのと同じニオイを感じた気がして、ディーンが足を止めた。
「何か感じた?」
「微かですが……鉄分……血のニオイです」
「どっちから?」
 京に訊かれ、ディーンが指差した方は一軒の大きな家。表に『for sale』の看板が立っている。空き家であるようだ。
 二人はそっと近づき、家の扉に手を掛けた。しかし鍵が掛かっている。中の様子を伺うが物音一つしない。
「裏に納屋があるわね」
 足音を忍ばせて進む二人。街灯から離れ灯りも何も無い無人の家の裏手に回るとそこは真っ暗だった。ディーンには殆ど何も見えない。だが、京はたとえ真闇であっても手に取るように状況がわかる。どこに何があるのか、その大きさ、距離までも。自らが発した超音波の跳ね返ってくる微細な差を読み取り、頭の中でそれをデータ化および映像化する事が反響測定である。
 広い庭。手入れされてはいないが芝生の様だ。奥行きは七~八メートルはあるだろう。その最奥には大きな木々が生い茂っている。その向こうに建物は無く、木々に埋もれる様に三メートル四方ほどの納屋。扉は一つ。窓は無い。そんな詳細が京の頭の中に映像化される。
「動く気配は今のところ無いわね」
 タイプDのディーンには聞えるとわかってか、京が声もほとんど出さずに言った。
 更に納屋に近づいた二人に突然、鳥肌が立つ様な感覚が襲った。
 どこかの家の中で犬が吠えている。
 それは人が気がつかない異変を、本能が察知する合図。
 かさっ。
 納屋から聞えた小さな物音をディーンの耳が拾った。
「何か中にいます」
 制服のポケットからライトを取り出したディーンを、京が止めた。
「私が見てくる。あなたは待ってて」
 暗闇の中、足音も気配も殺して京が納屋のドアに手を掛けた。鍵はかかっていない。いや、何者かに壊された形跡がある。旧世紀の物らしき大きな南京錠がぐにゃりと曲げられている。
 そっと京が扉を開けると、中は外よりも更に濃密な闇だった。
 京の額と鼻の間にある器官から超高域の音波が発せられた。跳ね返ってきた音波を巨大な耳が拾い、中の様子を伝える。
 用途はわからないドラム缶や箱、オートバイの部品。後は……情報を頭の中で映像化する京がある一点で止まった。
 古いベッドのマットレスの上。
 一方、ディーンの方も更なる異変を感じて、すでにそちらに走っていた。納屋の裏手の木々の方から足音が聞えたのだ。
 京に待っていろと言われたのに、何も言わずに別方向へ単独で動いた事は、後で叱られる覚悟だ。G・A・N・Pは基本二人以上で行動するのが鉄則。だが、走って行った相手をすぐに追わないと、追いつけないかもしれないという焦りが、新米隊員の足を動かした。
 逃げるように走る足音と息遣いは広い庭を突っ切って、母屋の方へ向かう。そのまま住宅地の道路の方へ行くようだ。
「待て!」
 ディーンが声を掛けても止まる気配は無い。闇雲に追いかけて来たが、追われて困るなら何か事件に関係はありそうだ。
 暗闇から街灯のある少し明るい歩道に出た時、見えたのは人の形の影だった。大きい。
 百九十センチ近くあるディーンだが、その影は更に大きいように見える。しかも幅は恐らく彼の倍近くはあるだろう。その巨体は数十メートル先で突然止まった。
 分厚い冬用の毛皮の上着を着ているその姿が振り返り、自分の方を向いた顔がディーンに見えた。
 若い男だ。一瞬だが見えた目は明らかに怯えを浮かべていた。
「……」
 男は何も言わずにくるりと向きを変え、また走り出す。
 大きな重そうな体に似合わず意外にも走るのが速い。
 ディーンは走りながら、京に連絡を入れる。手首に付けた薄いアームバンドは通信機になっている。向こうを驚かせてはいけないので無音で所在通知の情報だけを送る。
 すぐさま音声で返信が返って来た。
「こら、新米! 待ってろって言ったでしょ!」
「実行犯と思しき人物を追跡中です。逃げられてしまいます」
「まあいい、追って。こっちもすぐに追いかける」
「了解」
 喋りながらの追跡で少々間が開いてしまったものの、まだ見失ってはいない。
 長時間追うのはオオカミの本能で、ディーンには苦にもならない。毎日のトレーニングで少しばかりは体力もついた。
 結構な勢いで走っていた巨体のスピードが、少しづつ落ちて来た。
「来るな……」
 追われる側が初めて発した声は、思ったより幼げな声だった。
「何故逃げる?」
「追いかけてくるから!」
 この暑い季節に似つかわしくない、もこもこした黒い服を着ている様に見えた大きな体は、近づくにつれて体毛だとわかった。下半身はズボンを身につけているが上半身は裸のようだ。
「君はA・Hか? G・A・N・Pだ。抵抗しなければ何もしない。話をきかせてくれないか」
「やだっ! 捕まりたくない」
 巨体と不釣合いな声と、喋り方にディーンに違和感が込み上げて来る。
 子供……?
 もつれ始めた足で、尚も逃げ続ける大きな男は牧場の方に向かって走って行く。もう少し疲れさせよう、そう思いディーンは間を空けつつ追い続けた
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