虹色の約束

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おまけ

12・進展

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 幼少期の記憶は思い出したくもない痛みや恐怖、悲しみばかりだ。
 それはまるで呪いのように俺の心を蝕んでいる。
 それでも、その記憶は俺を構成する一部であり、切り離して考えることなどできない。
 そればっかりではないのに、幸せだった記憶とは質も量も桁が違う。
 暴力に加えて暴言と罵声を浴びせられる日々が当たり前で、廊下の隅や襖の中で一日中恐怖と空腹を抱えて震えている生活が続いたら……はっきり言って、子どもでも死にたくなるもんだ。
 けど、当時は『死』について母に聞いた空の上しか知らなかった。
 どうやったら母の元へ行けるのか、必死に考えた結果が、虹を作って空へ行くというなんとも可愛らしいものだった。
 まぁ、それが叶うことは無く、俺は母の元に行く前に父に捕まって……その後はまた地獄のような毎日が始まったわけだ。
 ただ、その地獄の中で一筋の優しさに触れた。触れ合った時間は短かったが、生きる意味には充分だった。
 だから、俺は、今、生きている。
 そして、今も、まだ、生かされている。

「……星波」
「…………アオさん」
「大丈夫か?」

 ソファーで居眠りをしていたら、アオさんに揺すり起こされた。
 冷や汗が背中を伝う。嫌な夢を見たせいだ。
 それにしても、昔の夢を見るのは久々だ。最近は見ることも無かったのに。

「アイツとなんかあったか?」
「アイツ? ああ、空矢さんですか? 何もないですよ」

 空矢さんの名前を聞いた瞬間、心臓がドクンと跳ね上がった。
 アオさんにバレないように平静を装いながら答える。
 アオさんは職業柄、人の嘘や機微に鋭いから、少しでも態度や表情に出せばすぐに気が付く。

「……そっか。ならええんやけど」

 ポンポンと頭を撫でられ、アオさんはリビングから出て行った。

「……空矢さん」

 無意識のうちにその名前を口にしていた。
 空矢さんの事を考えるだけで胸の奥からジクジクとしたものが広がっていく。
 あのお兄さんが、今では俺の恋人……ああ、嘘みたいだ。
 手を繋いで、ハグをして?キスをして、セックスまで……信じられないな。
 空矢さんが俺を愛してくれてる。それだけで涙が出そうになるほど嬉しい。
 生きてく意味も価値もそこにある。
 身体に施されたタトゥーをなぞって、俺は小さく笑った。……ただ、この気持ちは少し、怖い。

 幸せすぎて不安になるとか、そんな話はよく聞くが、本当になるとは思ってなかった。
 幸せと比例して、失う恐怖心が膨らんでいくのを誤魔化しながら今日はシャワーを浴びて就寝した。

※※※

 翌日の夜に空矢さん宅に泊まることになった。いつものようにご飯を食べて順番に風呂に入って、寝る前のまったりタイム。
 二人で並んで座ってテレビを見ながら雑談をする。
 少しお酒が入っているから、お互いに気分が良い。
 このまま、一緒にベッドに行って……とか考えてしまうのは男の性だと思う。

「なぁ、お前さ……」

 ふと、空矢さんは何かを言い淀んでから口を閉じた。言いにくいことを無理強いするつもりはないが、気になってジッと見つめる。

「……いや、やっぱいい」
「なんですか? 気になります」
「…………」

 無言の圧力をかけると、観念したようにため息をつく。

「いや、その、あれだ。お前、ココ来るの大変だろ。毎回俺んちに来るの」
「あー確かに、そうですね」

 空矢さんの家は比較的駅近だし、俺の家からはだいたい駅一つ違い。
 少額だがお金もかかる。バイクを買ってからは、時間に融通は効いてるが、交通の便は日による。

「それで、なんだけどな……あーー……お前が良ければ…………一緒に……住まないか?」
「……ぇ?」

 突然の提案に思わず固まってしまった。
 ……空耳じゃないよね?

「……迷惑なら」
「め、迷惑じゃありません! 全然!」

 慌てて訂正すると、ホッと安心する顔を見せた空矢さん。冗談で言っている雰囲気ではない。

「二人じゃココは手狭になるから、引っ越すことになるけど費用は気にしなくて良い。俺がもっと星波と一緒に居たいだけだから」
「そんなの! 俺だってそうですよ! 俺も出しますからね! 二人の暮らしになるんですから!」

 照れくさそうに視線を彷徨わせながら告げられた言葉は俺の心を満たすには十分だった。
 空也さんから同棲のお誘いなんて夢にも思わなかったから、もう有頂天だ。
 嬉しくて抱きつくと、抱きしめ返してくれる腕が温かい。
 俺も空矢さんも男だから、法的な家族になることは出来ない。でも、その事実さえ今はどうでも良かった。
 俺にとっての家族の形なんて、合ってないようなもんだし。

「仕事先と立地考えないとですね」
「……そうだな」

 お互いが仕事をしている身で、生活サイクルも違うが、その辺りは二人で話し合えばいいことだ。
 これから先の未来が明るく見える。ああ、幸せだ。幸せすぎるくらいに。

「……このまま寝たいです」
「せめて横にさせてくれ。腰が死ぬ」

 同棲したら、愛しい人を腕に抱きながら眠れる夜が続くのか……え? 頭おかしくなりそう。天国じゃん。エデンはココにあるじゃん。

「(お母さん、俺……生まれてきて良かったよ。ありがとう)」

 母に感謝を捧げた後に空矢さんを腕に抱きながら、俺は夢心地で眠りについた。
 幸せな日々が当たり前になっていくのを感じている。
 ただ……それが、いつまでも続くことは無いという事を知っている。
 幸せは長く続かない──いつか、この手から離れていく。
 だからこそ、尊くて……大切にすべき日々なんだ。


 だから、しっかり終わらせよう。

「アオさん、今いいですか?」
「ああ、おかえり。私もお前に話があんで丁度ええ」
「?」

 食卓で向き合って座っているとアオさんは俺の目を見て、口を開いた。

「お前に妹が出来る」
「……ふぇ????」
「おい、まだ溶けるな。まぁ、お前と似たような子や。両親が亡くなって、残った子どもをどないしょーかって親族は皆押し付けあっとる状況やったから、私が割り込んだら養子に迎える事になったわ」
「…………」

 思考回路が完全にショートした。
 え? 何? 今の話だと、つまり俺に妹が出来るって事?

「ど、どういう経路で、そんな……見ず知らずの人の子なんですか? 借金で首吊った債務者の子ですか?」
「いや、私の元夫の再婚相手が連れてた子。ほぼ無縁やったんやけど、葬式で縁が出来ちまってな……親も死んで、大人に邪険されながらな泣きもせんとグッと耐えてとる背中見とったらほっとけんくて」
「(……ああ、俺の時もそうだったな)」

 腐り始めた父だった遺体の傍らで、座り込んでいた俺をアオさんが拾ってくれた。
 あの時は、目の前で父を亡くして心が麻痺していただけで、理不尽に泣きたかったと思う。
 必ずしも泣かない子は強い子ってわけでもない。泣けないだけの子もいる。

「名前は?」
ほたる。九歳や」
「……歳の差兄妹だぁ」

 写真を見せてもらったら、利発な子で髪の長い和人形みたいだった。
 
「んで、お前の話は?」
「あ、うん……俺、空矢さんと同棲しようかと思って。まだ、いつとか具体的には決めてないけど、アオさんに話しておきたくて……」
「お! なら、アオ部屋は下の子にあげてええ?」
「構いませんよ。ちょっと寂しいですけど、子ども部屋はあそこだけですから」

 快く承諾してくれたアオさんは、お茶を一口飲むと俺の顔を見据えてきた。真剣な眼差しに息を飲む。

「同居するなら、少しは料理できんとアカンで?」
「え?」
「私と星波は二人して料理下手やったで別になんも思わんかったけど、アイツは料理が出来る」
「はい」
「家事は得意な事はお互いで分割すればええと言えばそうなんやけど、ぶっちゃけ料理って家事ん中でいっちゃん大変やん」
(※個人の感想です)

 確かに……洗濯や掃除、買い物は俺だって出来る。けど、料理は空矢さん頼りになってしまっている現在。

「サラリーマンが疲れて帰ってきて恋人の為にご飯作るってシチュはごっつええけど、料理好きやない限り負担になるはずや」
「負担、ですか……」
「星波の事がいくら好きやからってだけで、三十路の疲れは癒えんよ。やから、少しは自分で作れるよーなっとかな愛想尽かされんで」
「……実体験ですか?」
「あ? 殺すで?」

 図星のようだ。アオさんがバツイチになった理由っぽい。

「確かに……空矢さんが風邪ひいた時に、パルプンテ食らわせるわけにはいきません。俺も何か出来ないと……」
「せめてカレーライスくらいはな。米は炊けるやろ」
「…………」
「ウソ、やろ?」

 こうして俺は空矢さんとの同棲生活においての課題を与えられた。
 レンチンとお湯を注ぐしか出来ない俺は一から勉強する事となる。
 勉強中の俺を見たアオさんは『私より酷いやん……』と頭を抱えていた。
 蛍ちゃんが家に来るという事で、アオさんも料理を練習しているが……雑だ。俺と同じくらい雑。いや、俺がアオさんに似たのか。
 けど、圧倒的に俺の方が味が悪い。なんか納得いかない。見た目はアオさんのが悪いのに。

「ダメだ。底辺同士で争ってても、能力向上に繋がらん。ここはプロに教わるのが一番や!」

 と、いう事で……

「俺には荷が重いんですけど……」
「それなりに出来るようにならんと、同棲は認めんからな」
「はぁ……頑張ります」

 家に空矢さんを招いて、俺達の家で夕食を作ってもらう事となった。

「ええと、まず最初に包丁の扱い方ですね。手つきを見てて下さい」

 空也さんに包丁の持ち方を二人して指導される。
 空也さんのトントンと一定のリズムで野菜を切る手付きを見てると本当に器用な人なんだなと改めて思う。

「ちょ、アオさん、指曲げてください」
「あっぶね! 指切るところやったわ」
「指折り曲げて第一関節と第二関節の間で押さえてください」
「こう?」
「そうです」
『ダン!』
「いや、勢いが解体業者なんですよ!」

 包丁の勢いが凄すぎるアオさんに空矢さんも思わずツッコんでいる。
 よくあれで今まで指が五本共無事だったな。

「……刃が、これ以上、入らない」
「押し付けるだけじゃなくて、引きながら切ると良い」
『スイ』
「!」

 手前に刃を引かれた食材が、抵抗無く切れていく。
 そこまで力も必要無い。

「軽量スプーンの一杯はお菓子作りじゃない限りだいたいで大丈夫です。けど、てんこ盛りになったら、こうやって箸などですり切って平らにするといいですよ」
「「おおー」」

 普段料理しない二人だからか、レシピ見るより実演の方が覚えられるものだな。
 それから空矢さんの指示の元、俺達が危なげなく出来るようになった頃には夕飯のカレーが出来上がっていた。
 具材は歪だが、俺達の合作にしては最高傑作だろう。
 
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