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祖母のこと
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私のおばあさんは八十五歳で亡くなりました。一月某日、夜中のことでした。病院に行くと、死体の処置を医師と看護師がしていました。ほんとに死んだのか確かめたくて、二人きりになったとき何回かおばあさんと呼びかけてみました。もちろん返事はありませんでした。おばあさんが横たわる病室のベッドに私も腰掛けてちょっと横になりました。その手はもう既に冷たくて、なんだか怖くなりました。前日会いに行った時はまだ呼吸していたものの、会話することはできませんでした。最後にした会話は明日も来るからね、でした。私はその次の日おばあさんの会いに行くことはできませんでした。
葬式も四十九日も納骨もしたのに、私はおばあさんが死んだという実感が湧きませんでした。
日常のふとした中でおばあさんを思い出します。地元のお祭り、藤の花のあるお寺、おばあさんの家の近くの喫茶店。行くたびにおばあさんと来たなと思い出して、急に寂しくなるのでした。もう二度と二人で訪れることはないんだなとその度に思って涙が零れてくるのです。もう一年も経つのに、私はずぅっと変わらずにおばあさんとの思い出を振り返ってしまいます。
思い出さない日もあれば思い出す日もあります。でも不思議と、もっとお出かけすればよかったなとか、そういうことは思わなかったのでした。十分孝行したかと言えばそういうわけでもなく。でも本当は、私のウエディングドレス姿と私の赤ちゃんを抱かせてあげたかった。私はおばあさんが亡くなるその日までそんな想いだけで生きてきたので、おばあさんが亡くなったあとどうやって生きていけばいいのかわからなくなりました。
私の両親は共働きでした。二人とも帰りが早い日もあれば遅い日もありました。保育園のお迎えはいつもおばあさんかおじいさんでした。小学校の頃はまずおばあさんの家に帰って、両親が迎えに来るのを待っていました。おばあさんとは私が一人暮らしをするまで毎日顔を合わせていました。
日曜日に、おばあさんの趣味の畑に行くのは嫌いではありませんでした。汚れるとか虫やだとか言いながらも、おばあさんが畑仕事をしているのを見るのは楽しいものでした。時々肥料を買いに連れていけと朝イチに電話が来る時がありました。そういう時はなんだよ、と思ったものでした。
おばあさんはある年の冬から具合が悪くなり、入院するようになりました。胃癌でした。年を越す前に余命宣告され、おばあさんはその余命より一日早く逝ってしまいました。その前日、私はもう意識のなくなったおばあさんの左手をずっと撫でて喋り続けていました。退院したらあそこに行こうとかあれをしようとか。聞こえてたのか感じてたのかは分からないけれど、寄り添うことで私自身が救われているような気がしていました。そこから葬式まではあっという間でした。
もうすぐおばあさんが死んでから一年。私は何も変われなかったし、変わりたくなかった。でも変わりたくなくても私は年をとるし、私の両親もまたそう。おばあさんが居ないことにみんな慣れて、普通の生活にまた戻っていって。だけれど、生活は少しずつ変化していって。きっと私は今の彼氏と結婚して子供を産んで、そのまた子供が子供を産んで。そんな人生を送るのでしょう。おばあさんがおばあさんのおばあさんから受け継いだDNAが私の子供にも流れるのだと思うと、私の心はほんの少しだけ安らぐのでした。
葬式も四十九日も納骨もしたのに、私はおばあさんが死んだという実感が湧きませんでした。
日常のふとした中でおばあさんを思い出します。地元のお祭り、藤の花のあるお寺、おばあさんの家の近くの喫茶店。行くたびにおばあさんと来たなと思い出して、急に寂しくなるのでした。もう二度と二人で訪れることはないんだなとその度に思って涙が零れてくるのです。もう一年も経つのに、私はずぅっと変わらずにおばあさんとの思い出を振り返ってしまいます。
思い出さない日もあれば思い出す日もあります。でも不思議と、もっとお出かけすればよかったなとか、そういうことは思わなかったのでした。十分孝行したかと言えばそういうわけでもなく。でも本当は、私のウエディングドレス姿と私の赤ちゃんを抱かせてあげたかった。私はおばあさんが亡くなるその日までそんな想いだけで生きてきたので、おばあさんが亡くなったあとどうやって生きていけばいいのかわからなくなりました。
私の両親は共働きでした。二人とも帰りが早い日もあれば遅い日もありました。保育園のお迎えはいつもおばあさんかおじいさんでした。小学校の頃はまずおばあさんの家に帰って、両親が迎えに来るのを待っていました。おばあさんとは私が一人暮らしをするまで毎日顔を合わせていました。
日曜日に、おばあさんの趣味の畑に行くのは嫌いではありませんでした。汚れるとか虫やだとか言いながらも、おばあさんが畑仕事をしているのを見るのは楽しいものでした。時々肥料を買いに連れていけと朝イチに電話が来る時がありました。そういう時はなんだよ、と思ったものでした。
おばあさんはある年の冬から具合が悪くなり、入院するようになりました。胃癌でした。年を越す前に余命宣告され、おばあさんはその余命より一日早く逝ってしまいました。その前日、私はもう意識のなくなったおばあさんの左手をずっと撫でて喋り続けていました。退院したらあそこに行こうとかあれをしようとか。聞こえてたのか感じてたのかは分からないけれど、寄り添うことで私自身が救われているような気がしていました。そこから葬式まではあっという間でした。
もうすぐおばあさんが死んでから一年。私は何も変われなかったし、変わりたくなかった。でも変わりたくなくても私は年をとるし、私の両親もまたそう。おばあさんが居ないことにみんな慣れて、普通の生活にまた戻っていって。だけれど、生活は少しずつ変化していって。きっと私は今の彼氏と結婚して子供を産んで、そのまた子供が子供を産んで。そんな人生を送るのでしょう。おばあさんがおばあさんのおばあさんから受け継いだDNAが私の子供にも流れるのだと思うと、私の心はほんの少しだけ安らぐのでした。
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