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あなただけに咲く
しおりを挟むその子は花屋の店員だった。名札には綺麗な字で諫山と書かれていて、そこで初めて彼女の名前を知った。いつも朗らかに笑っていて楽しそうに花の面倒をみるその姿を、会社に行く前に見るのが僕の楽しみだった。諫山さんは店の前を通る人全員に挨拶をしながら店先に花を並べていた。他にも女性店員が何人か居るが彼女ほど幸せそうに働いている女性を僕は知らなかった。ある曇りの日、たまたま仕事が定時に終わったので花屋が閉まる前に店に行けた。僕は入るのを戸惑ったけれど今日と言う日は神様の思し召しかもしれないと思って意を決して店内に入った。鼻腔を刺激する薔薇の香りと、よく見知った諫山さんの背中を見つけた。いらっしゃいませ、と諫山さんは笑って手元の花にまた目を向けた。僕は花を選ぶフリをしながら彼女の横顔を盗み見ていた。僕の熱烈な視線に気づいたのか諫山さんはなにかお探しですか、とやわらかな声を出した。僕は思わず花束をと言ってしまった。どなたにあげるんですか、とまた諫山さんが微笑んだ。貴女、と言う勇気はもちろんなく、僕は家用ですと蚊の鳴くような声で返した。素敵ですねと諫山さんが立ち上がって僕の前に立った。すらりと伸びた手足と、その肌の質感に若さを感じた。僕よりもふたまわりは違うであろうその白い肌が眩しかった。どんなお色がいいですかね、と諫山さんが尋ねた。僕は一応玄関の風景やリビングのことを想像した。質素な一人暮らしの僕の部屋にはどんな花も似合わないだろうと思った。あまり派手なのは似合わないので、と僕は答えた。でしたらかすみ草はどうですか?と諫山さんが少し屈んで手のひらを花に向けた。目をやるとそこには白い小さな花がたくさん咲いていた。小さくて地味かもしれませんけど、ほかのお花を引き立ててくれますし、シンプルなお部屋にも合うと思いますよ。と、諫山さんが言って、じゃあそれをおすすめで、と言った。おすすめと言うのは変だったのか諫山さんがくすくす笑ってはい、と答えた。しばらく待っていると、諫山さんが花束を作ってくれた。お待たせしましたと持ってきたのは、かすみ草と白色のコスモスがまとめられたものだった。こんな可愛らしいものを僕の部屋に置くのかと思うと少し汗が滲んだ。そしてここで、家に花瓶がないことに気づく。花瓶はありますか、と僕が聞くと諫山さんは少し困ったようにほかのお店にはあると思うんですけどうちにはないんです、すみませんと言った。そうか花屋に花瓶はないのかと思っていると、道路越しの雑貨屋さんには可愛い花瓶があると思いますよ、と諫山さんがひらめいたように言った。そしてまた僕は思案した。なぜならこの可愛らしい花束を持って雑貨屋に入るのがどうも恥ずかしかったからだ。諫山さんはそんな僕の姿を見て面白そうにお花お預かりしておきましょうか、と笑った。僕はお願いしますと少し頭をかいた。
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