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第二十話 柳刃敏朗は切れ味鋭い

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「——ッゥ‼︎」

 包丁を掴んだ瞬間、ビリッと静電気みたいなものが身体を走り抜けた。
 身体から痛みが消えて、頭の中が鮮明になっていく。
 これならやれる。迫り来る熊鍋を料理できる。

「すぅー……はぁぁ……来いよ、熊鍋にしてやる」
『グガアアアツツ‼︎』

 私の挑発に突進中の熊がボタボタと涎混じりの雄叫びを上げて大口を開いた。
 肉の分際で肉を食うつもりだ。どっちが肉なのか教えてやる。

「行くよ!」

 今度は撥ね飛ばされない。
 左手に包丁を持ち替えると、狙い澄ました一撃を右目に突き出した。

 ——ズボッ‼︎

『グガァッ……ガアアアア‼︎』

 切っ先が右目に吸い込まれ、熊が唸り声を上げる。けれども、止まらない。
 私を食い殺そうと大口に並んだ牙で腹に食いつこうとしている。
 この距離での回避はもう無理だ。助かる方法は一つしかない。

「つああ‼︎」

 包丁を左手に持ち替え、空白になった右手を熊の左目の短剣に伸ばした。
 短剣の柄を力一杯掴んで、逆立ちするようにダァンと地面を蹴り上げた。
 両手で包丁と短剣の柄を持って、熊の顔面でサーカス団員みたいな曲芸が始まった。

『グオオオオツツ‼︎ ガアアアアツツ‼︎』
「くぅぅぅぅぅぅぅ‼︎」

 走りながら暴れまくる熊の顔面が上下に激しく揺れ動く。
 両手に力を入れて、振り落とされないように柄を強く握り締める。

「くっ、ぬうううつつ‼︎」

 地上に落とされないように踏ん張り続ける。だけど、落ちても問題なかった。
 両目は奪い取った。残っている鼻と耳で私を食い殺すのは無理だ。
「せーの!」と横に向かって勢いをつけて倒れ込むと、両目から武器が抜けた。
 そのまま両足で地面に着地したけど、勢いが殺せずに足がもつれて転倒してしまった。
 地面をゴロゴロ派手に四回ほど転がって、やっと停止した。身体の痛みが復活しそうだ。

「痛っっっ……」
『フウガァツツー‼︎ ズガアアツツー‼︎』

 痛む身体摩りながら熊を確認すると、頭が軽くなったからか二足歩行に切り替えて、血涙を流しながら前足を振り回していた。
 私の事が見えてないならこのまま見逃してもいいけど、手負いの獣は厄介だと聞いた事がある。
 殺れる時に殺れだ。粗悪品の短剣をベルトの鞘にしまうと、切れ味鋭い包丁を両手に持って水平に構えた。

(これは……?)

 前に見た時は無かった気がする。敏朗の刀身に『乱』という文字が刻まれていた。
 敏朗にこんな文字は無かった。だとしたら、これは古料理部の『敏朗』じゃない。
 まったく別の柳刃敏朗だ。

(——じゃないよ‼︎)

 色黒敏朗は演技派の渋いおじ様だけど、私の好みじゃない。
 油タップリの醤油顔よりも、サッパリした塩顔の蔵之介や堺雅人の方が良いに決まっている。

 とりあえず偽敏朗は置いておいて、今は熊に全集中だ。
 目が見えないなら、素早い当て逃げ作戦で痛ぶり殺す。
 少女を襲うロリ熊に私は容赦しない。楽に死ねると思うなよ。

「覚悟しろ‼︎」
『グルウ……!』

 身体に怒りの炎を宿して、熊に突撃した。
 私の声と敵意に反応して、熊が瞬時に私の方を振り向いた。
 速く走ろうとする程に身体が『痛い!』と悲鳴を上げるけど、そんな事知った事か。
 ロリ熊の断末魔の叫び声で、この痛みを全て消し飛ばしてやる。

「ヤァッ‼︎」

 ——遅いッ‼︎
 ——ザァクン‼︎

『グガアアア……‼︎』

 仁王立ちで懐ガラ空き状態の熊の左脇腹を、水平に左から右に振り払った刃で切り裂いた。
 流石は柳刃敏朗だ。演技も切れ味も鋭い。エロ爺の店の粗悪品とは桁違いだ。

「まだまだ‼︎」
『グガァ……! グガァ……!』

 私の位置が分かるから声は出さない方がいいけど、おそらくこれが正解だ。
 声や足音でわざと位置を教えて、熊の側面や背後に回り込んで奇襲する。
 熊が騙されまいと側面や背後を警戒し出したら、正々堂々と正面から切りつける。
 これで『もう何も信じられない熊』になる。完璧な作戦だ。

「セィッ‼︎」

 ——ズバァ‼︎
 
 右手に持った敏朗を左から右に振り抜き、熊の右腹をトマトのように軽々切り裂いた。
『グオオッッ……!』と鋭い痛みに熊が一瞬怯んだ。だけど、まだまだ止まらない。
 背後に回り込んで、敏朗を背中に振り下ろした。

 ——ザァン‼︎

『グルオオッッ……‼︎』

 背骨から左脇までの背中を斜めに深く長く切りつけた。
 それに対して熊が怒号を上げ振り返り、左腕を乱暴に振り回した。

「ぐぅっ! リァッー‼︎」

 左腕の裏拳を後ろに短く素早く跳んで躱すと、すぐに素早く前進して懐に入り込んだ。
 左手で包丁の峰を押さえつけ、『この死に損ないがあー‼︎』と擦れ違いざまに左腹を左斜めに切り裂いた。

 ——ザガァン‼︎

『グゴオオツツー‼︎』

 よし、完全に私のペースだ!
 三連続で熊の身体を切り刻んでやった。
 この調子で切り刻んでいけば倒せる。
 熊が逃げないかぎりは。

 パアアアアツツ‼︎

(ちょっと、今度は何⁉︎)

 良い調子だったのに敏朗が急に輝き始めた。
 何かと思って見てみたら、刀身に刻まれていた文字が『乱』から『乱切り』になっていた。
 乱切りとは食材を適当な形や大きさに切って良いという、私が好きな切り方の一つだ。
『イチョウ切り』とか『さいの目切り』とか正直面倒くさい。
 噛んで食べれば同じ形になるんだから、丁寧に大きさを揃えて切るなんて面倒だ。

 だけど、今はそんな事よりも包丁が輝き出した理由だ。
 普通に考えれば、何かの合図だ。切れ味が上がったとか、折れそうとか。
 この場合は『乱切りしろ』と敏朗が言っているようなものだ。
 熊の身体を乱切りしろと言っているなら、もう切りまくっているから必要ない。
 だとしたら、別の意味があるはずだ。

「『乱切り』——うわっ⁉︎」

 とりあえず魔法の呪文のように唱えてみた。すると、私の周りの空中に五本の包丁が現れた。
 どうやらこの五本の包丁で敏朗が熊野郎を『乱切りしろ』と言っているみたいだ。
 敏朗の気持ちは分からないけど、これは使える気がする。
 包丁の切っ先を四メートル先の熊に向けて、切るというイメージで振り下ろしてみた。

 ——ザザザザザァン‼︎

『グゴオオッッ……‼︎』
「おおっ‼︎」

 凄過ぎる‼︎ 宙に浮いていた五本の包丁が熊目掛けて飛んでいって、熊の身体を切りつけた。
 熊の凄まじい絶叫が上がった。だけど、一本一回しか切りつけてない。乱切りには程遠いものだ。
 でも、熊の周りに浮いている五本の包丁は消えていない。
 つまりは柳刃敏朗が『雪澤、さっさと殺れ!』と言っているようなものだ。

「おおっ‼︎ おおっ‼︎」
『グガァァ……‼︎ ガァァァ……‼︎』

 これは凄過ぎる。離れた位置から包丁を振り回すだけで、一方的に切り刻める。
 私が持つ包丁が指揮棒なのか、包丁を振るたびに五本の包丁が熊の身体を一回ずつ切りつけていく。

「えっ、もう終わり……?」

 流石は敏朗だと嬉々として興奮していたのに、そんなに上手い話はなかった。
 浮いていた包丁がたったの五振りで突然消えてしまった。
 私が持つ敏朗の刃からも『輝き』と『乱切り』が消えてしまった。
 敏朗には一瞬の輝きしか維持できないみたいだ。

『グォ……ッ……』
 
 それでも、フラフラ揺れていた熊が乱切りに耐え切れなかったのか、ドォスンと地面に崩れ落ちた。
 このまま放置しても出血死だろうけど、油断はしない。トドメはしっかり刺してやる。

「よっ、ヤァッ!」

 ——ズバァ‼︎

『‼︎』

 うつ伏せに倒れている熊の背中に跳び乗り、包丁で首裏を真横に切り裂いた。
 真っ赤な血がドバァと噴き出し、下の地面に小さな血溜まりが出来ていく。
 それなのに熊は微動だにしない。もう動く力は残っていないみたいだ。

「ふぅー、終わったぁ……ッゥ! ペトラ‼︎」

 もう安全だ。あとは放置していれば、勝手に終わってくれる。
 私には急いでやる事がある。倒れているペトラの元に急いだ。
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