上 下
78 / 121
19日目

夫婦喧嘩

しおりを挟む
「貴重な犬の窃盗容疑でこの者を捕まえろ!」
「ハッ!」

 エドウィン伯爵の命令で、伯爵を守る屈強な従者がエリックを捕まえた。
 ぷよぷよ酒樽のセルジオ男爵と互角の勝負だったが、三人の相手は無理だった。

「は、伯爵様、これは違います! 私は盗んでいません!」
「それは調べれば分かることです。その間の犬の世話はロクサーヌ婦人にお任せします」
「感謝します、エドウィン伯爵様」

 エリックは無実を訴えているが、伯爵にとって、白か黒かは関係ない。
 パトラッシュが手に入るという事実だけが重要だ。

「ちょっと待ってください! お父様は何もしていま——」
「カノン、やめなさい。それを決めるのはあなたではありません。何もやましいことがないなら、すぐに家に帰してもらえます。あなたは信じて、家で待っていればいいんですよ」
「でも……」

 連行される父親を助けようと、カノンは駆け寄ろうとしたが、母親に止められた。
 母親に優しい言葉で説得されているが、家で待つのはやめた方がいい。
 エリックが金貨修復を話せば、金貸しの代わりに兵士がやって来る。
 パトラッシュと一緒に伯爵家で強制労働だ。
 
「痛たたたたっ、あの野郎、本気で殴りやがって……だが、これでカトレット家は安泰だ! 莫大な金があれば、公爵の地位まで上り詰めることも出来る。やがては一国の王になるのも夢ではない」

 左頬を痛そうに押さえて、セルジオ男爵がやって来た。
 カノンは気にせずに、ロクサーヌに嬉々とした表情で夢物語を話している。
 まだ自分が捨てられるとは気づいていない。
 
「フフッ。セルジオ様、あまり欲をかくと、あの男と同じ場所に行くことになりますよ」
「なに? それはどういう意味だ?」

 欲深い男爵にロクサーヌは忠告ではなく、警告してあげた。
 だが、男爵は意味が分からなかった。
 男爵には何の落ち度もないから当然の反応だ。

「セルジオ様には大変お世話になりました。これからは娘達と一緒にエドウィン伯爵様のお屋敷で、お世話になることに決まりました」
「ロクサーヌ、一体何を言っているんだ? お前は私の妻なんだぞ。他所の家で暮らすなんて、そんなのは別居と同じではないか」

 ロクサーヌは丁寧にお辞儀して、男爵に感謝の気持ちを伝えた。
 だが、男爵にはまったく伝わっていない。
 ロクサーヌは何度もセルジオではなく、セルジオ様と呼んでいる。
 明らかに距離を取っている。

「うーん、察しが悪いですね。別居ではなく、離婚したいと言っているんですよ。セルジオ様」
「り、離婚だって⁉︎ 一体どうしてだ⁉︎ 息子との結婚はどうなる⁉︎」

 浮気もしていない。金も与えている。束縛もしていない。
 男爵は離婚される心当たりがないから驚いている。

「セルジオ様、ご自分の頭と腹に手を当てて考えれば分かることですよ。男爵よりも地位が高い伯爵様が面倒見てくださるのです。セルジオ様から地位と財産が無くなれば、頭と同じじゃないですか」
「ん? んん⁇ 駄目だ、分からない」

 ロクサーヌに言われた通りに、ツルツルな頭とぷよぷよの腹に男爵は手を置いた。
 どちらも最高の触り心地だった。妻が何を言いたいのかちぃっとも分からない。

「はぁー。カノン、私達はこれから伯爵様の屋敷に行きます。フローラとミランダ、もちろんパトラッシュも一緒よ。また家族一緒に暮らしましょう」

 自分のことを世界一のカッコイイ男だと思っている幸せな男爵を、ロクサーヌは放置することにした。
 カノンの両肩に手を置いて、一緒に暮らそうと提案している。
 伯爵の嫁候補は多い方が良い。自分を振った女を手に入れれば、伯爵の支配欲も満たされる。

「すみません、お母様。貴族の生活に戻るのはちょっと。家は自分のがありますし、今の生活の方が合っているというか……」
「あら、そうなの?」
「はい、すみません」

 だけど、カノンは退屈な貴族生活に戻るのは嫌だ。母親の誘いを断った。
 好きな時に食べて、好きなことをやれる、今の自由な暮らしは捨てられない。

「フフッ。謝らなくてもいいのよ。それであなたが幸せなら何も言うことはないわ。会いたくなったらいつでもいらっしゃい」
「はい、お母様。パトラッシュ、元気でね。すぐに迎えに行くから」
「クゥ~ン」

 ロクサーヌの目的はパトラッシュだ。カノンを無理矢理に連れて行くつもりはない。
 ミランダにパトラッシュを任せると、男爵の屋敷から出て行った。

「お父様が捕まってしまいました。でも夫婦喧嘩だから大丈夫ですね♪」

 どっちの犬かという元夫と元妻のくだらない喧嘩だ。
 カノンはすぐに釈放されると思っているが、そんなはずはない。
 犬も食わないくだらない夫婦喧嘩ではない。
 命懸けの喧嘩だ。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

25歳のオタク女子は、異世界でスローライフを送りたい

こばやん2号
ファンタジー
とある会社に勤める25歳のOL重御寺姫(じゅうおんじひめ)は、漫画やアニメが大好きなオタク女子である。 社員旅行の最中謎の光を発見した姫は、気付けば異世界に来てしまっていた。 頭の中で妄想していたことが現実に起こってしまったことに最初は戸惑う姫だったが、自身の知識と持ち前の性格でなんとか異世界を生きていこうと奮闘する。 オタク女子による異世界生活が今ここに始まる。 ※この小説は【アルファポリス】及び【小説家になろう】の同時配信で投稿しています。

隠密スキルでコレクター道まっしぐら

たまき 藍
ファンタジー
没落寸前の貴族に生まれた少女は、世にも珍しい”見抜く眼”を持っていた。 その希少性から隠し、閉じ込められて5つまで育つが、いよいよ家計が苦しくなり、人買いに売られてしまう。 しかし道中、隊商は強力な魔物に襲われ壊滅。少女だけが生き残った。 奇しくも自由を手にした少女は、姿を隠すため、魔物はびこる森へと駆け出した。 これはそんな彼女が森に入って10年後、サバイバル生活の中で隠密スキルを極め、立派な素材コレクターに成長してからのお話。

転生したらチートでした

ユナネコ
ファンタジー
通り魔に刺されそうになっていた親友を助けたら死んじゃってまさかの転生!?物語だけの話だと思ってたけど、まさかほんとにあるなんて!よし、第二の人生楽しむぞー!!

ぐ~たら第三王子、牧場でスローライフ始めるってよ

雑木林
ファンタジー
 現代日本で草臥れたサラリーマンをやっていた俺は、過労死した後に何の脈絡もなく異世界転生を果たした。  第二の人生で新たに得た俺の身分は、とある王国の第三王子だ。  この世界では神様が人々に天職を授けると言われており、俺の父親である国王は【軍神】で、長男の第一王子が【剣聖】、それから次男の第二王子が【賢者】という天職を授かっている。  そんなエリートな王族の末席に加わった俺は、当然のように周囲から期待されていたが……しかし、俺が授かった天職は、なんと【牧場主】だった。  畜産業は人類の食文化を支える素晴らしいものだが、王族が従事する仕事としては相応しくない。  斯くして、父親に失望された俺は王城から追放され、辺境の片隅でひっそりとスローライフを始めることになる。

異世界道中ゆめうつつ! 転生したら虚弱令嬢でした。チート能力なしでたのしい健康スローライフ!

マーニー
ファンタジー
※ほのぼの日常系です 病弱で閉鎖的な生活を送る、伯爵令嬢の美少女ニコル(10歳)。対して、亡くなった両親が残した借金地獄から抜け出すため、忙殺状態の限界社会人サラ(22歳)。 ある日、同日同時刻に、体力の限界で息を引き取った2人だったが、なんとサラはニコルの体に転生していたのだった。 「こういうときって、神様のチート能力とかあるんじゃないのぉ?涙」 異世界転生お約束の神様登場も特別スキルもなく、ただただ、不健康でひ弱な美少女に転生してしまったサラ。 「せっかく忙殺の日々から解放されたんだから…楽しむしかない。ぜっっったいにスローライフを満喫する!」 ―――異世界と健康への不安が募りつつ 憧れのスローライフ実現のためまずは健康体になることを決意したが、果たしてどうなるのか? 魔法に魔物、お貴族様。 夢と現実の狭間のような日々の中で、 転生者サラが自身の夢を叶えるために 新ニコルとして我が道をつきすすむ! 『目指せ健康体!美味しいご飯と楽しい仲間たちと夢のスローライフを叶えていくお話』 ※はじめは健康生活。そのうちお料理したり、旅に出たりもします。日常ほのぼの系です。 ※非現実色強めな内容です。 ※溺愛親バカと、あたおか要素があるのでご注意です。

天然人たらしが異世界転移してみたら。

織月せつな
ファンタジー
僕、夏見映(27)独身。 トラックに衝突されて死にかけたものの、どうにか腰痛が酷いくらいで仕事にも復帰出来た。 ある日、会社にやって来たおかしな男性に「お迎えに参りました」なんて言われてしまった。 まさかあの世ですか? やっぱり死んじゃうんですか? って動揺するのは仕方ないことだと思う。 けれど、死んじゃうと思ったのは勘違いだったようで、どうやら異世界に行くらしい。 まあ、それならいいか。と承諾してしまってから気付く。 異世界って何処? 温和な性格に中性的な顔立ちと体つきの綺麗なお兄さんである主人公。 男女問わず好意を持たれてしまうので、BL要素あり。 男性に「美人」と言うのは性転換してることになるそうですが(そう書き込まれました)男女問わず綺麗な人を美人と表記しています。他にも男性には使わない表現等出て来ると思いますが、主人公は男性であって、自分の性別も分からない白痴ではありませんので、ご了承下さい。

ちょっと神様!私もうステータス調整されてるんですが!!

べちてん
ファンタジー
アニメ、マンガ、ラノベに小説好きの典型的な陰キャ高校生の西園千成はある日河川敷に花見に来ていた。人混みに酔い、体調が悪くなったので少し離れた路地で休憩していたらいつの間にか神域に迷い込んでしまっていた!!もう元居た世界には戻れないとのことなので魔法の世界へ転移することに。申し訳ないとか何とかでステータスを古龍の半分にしてもらったのだが、別の神様がそれを知らずに私のステータスをそこからさらに2倍にしてしまった!ちょっと神様!もうステータス調整されてるんですが!!

死霊王は異世界を蹂躙する~転移したあと処刑された俺、アンデッドとなり全てに復讐する~

未来人A
ファンタジー
主人公、田宮シンジは妹のアカネ、弟のアオバと共に異世界に転移した。 待っていたのは皇帝の命令で即刻処刑されるという、理不尽な仕打ち。 シンジはアンデッドを自分の配下にし、従わせることの出来る『死霊王』というスキルを死後開花させる。 アンデッドとなったシンジは自分とアカネ、アオバを殺した帝国へ復讐を誓う。 死霊王のスキルを駆使して徐々に配下を増やし、アンデッドの軍団を作り上げていく。

処理中です...