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第四話 雨月の祭り
雨月の祭り 伍
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鳥居に頭をぶつけても痛くはなかった。ただただ香果さんが恐ろしかった。
あの時嘘でも「違う」と言って欲しかった。ありえないと。私の正体は違うと。
この自己中心的な期待が見たくもない事実を無理やり見せつけた。
あんなにも優しく清らかな人の正体は、私に触れなくとも私を簡単に殺すことが出来るバケモノ。彼が私の問いに答えた瞬間、そう確定してしまった。
この町には恐ろしくない妖怪も沢山いる。それを教えてくれたのも香果さんである。
それでも私に害を与えた化け物と彼の正体が同じ云うだけで逃げ出すほどだった。
怖い。
もし香果さんが私を憎んだら。もしこの町で彼が化け物になったら。そして、私を襲ってくることがあったら。
私は今も昔も何の特殊な能力を持たないただの人間だ。霊感すらもない。
まだ心が蝕まれているのかゴチャゴチャとした感情が黒くタールの様に淀み、私をそのまま喰らってやろうとしていた。
恐ろしい。
私は妖怪でもアヤカシでも神でも化け物でもない。生きたまま此処に迷い込んだ人間なのだ。
勿論死にたくもないし、恐ろしいものは非常に怖い。そんな馬鹿で臆病者だ。
そかし、私には帰る家もなければ、突然迷い込んだ私を迎え入れてくれたあの温かい家族も、頼れる人も香果さん以外はいない。だからと言ってこの町から出ていけば私はいつか消えてしまう。
詰みである。
何故、私に教えてくれなかったのだろうか。藤華さんは知っていたのか。いつも優しくて、他人の事ばかり優先しては藤華さんに怒られる、利他行の言葉が一番似合う彼は嘘だったのか。それとも。
軽率に迷い込んで綿菓子を食べた私も、手配ミスした不動産会社も、非現実的なこの町も。軽く一方的に全てを恨んでから、行く当てもなくただ歩き彷徨っていた。
「よう、人間のあんちゃん、準備の方はどうだい。まぁ香果様が一緒に手伝って下さるんだ、心配なことは無いよな。それに香果様にお世話になっている感謝を祭りで示さないとだぜ」
棟梁の経凛々は私の空模様も知らずに晴れ晴れとした笑顔を見せた。いつの間にか商店街の方まで来てしまったらしい。
「あんちゃんこの前来たばっかりだから知らねぇだろ。春祭りは賑やかで多くの妖怪が歌って踊って騒ぐんだ。頓知気騒ぎとはこのことだぜ」
そうだ、そもそも此処の住民は人間ではない。妖怪、アヤカシだ。
そんな街の中の中心人物なんて普通に考えて人間じゃない。火を見るよりも明らかだ。
「あんちゃんはまだ飲めねえが、祭りはどれだけ飲んでもお咎め無しってだけでも、こりゃ格別だぜ」
真っすぐな目で言う彼の言葉は私には直視が出来ない程眩しかった。
「どうしたんだ、あんちゃん」
経凛々は不思議そうに顔を覗き込んだ。
「あの、香果さんってどういう人なんですか」
「なんだよ、藪から棒に。そりゃ、一緒に暮らしているあんちゃんの方が知っているだろ」
彼はきょとんとしながら私の眼を見た。
「なんでも良いのです。教えて下さい」
「喧嘩でもしたのか」
「いえ、そういう訳では。ただ香果さんが本当に何者なのか判らなってしまって」
「詳しくは自分も知らねぇが、この町を作ったのが香果様だ。自分たち妖怪は時代の風を受けて棲み処を追われたモノも多くいた。そんなときに町を作ってくれて、棲むのを許してくれたのが香果様だったわけだ。それから多くの妖怪が長い時を経て此処に棲み付いたわけだ。本当に感謝してもしきれない恩人だぜ、あのお方は」
「香果さんがこの町を作った。では香果さんは妖怪なのですか」
「いや、妖怪ではねぇな。そうだな、あのお方は——」
「チョット、お前さん。そんなところで油を売ってないでこっち手伝いなよ」
後ろから不思議な声がした。
「珍しいねぇ、人間なんて。話題の子かい」
声がした方を振り帰ると半人間半猿の様な奇妙な姿の妖怪が居た。
「お前さんがヤクモかい」
「え。あ、はい」
いきなり名前を呼ばれた私は無意識に直立した。
「なんで知っているのかって警戒したね。安心しなよ大丈夫だから。ちゃんとタネは話すから」
妖怪は楽しそうに、爽やかに語った。まるで子供が好きなことについて語るときの様だった。
「噂になってるよ、この町に人間が来たってね。しかも生きた人間だから余計にね」
「あの。あなたは妖怪、ですか」
「ははは、私が人間に見えるかい。見ての通り妖怪さ。あたしゃ経凛々の女房、覚さ。宜しくね」
「さとり、さん」
彼女は、さんなんて堅苦しいから要らないよとケラケラ笑った。
「雨月祭はこの上なくは楽しいよ。きっとあんたも気に入ると思うね」
「そんなにも楽しいのですか」
「嗚呼、それに私たちは祭りの時は店を出すんだ。見つけたら寄っておくれよ。びっくりするほどおいしいのを作るからね。あ、安心してよ。香果さんからのお願いで、今回の祭りからどの店も生きた人間が食べても、妖怪が食べても大丈夫な食材を使うから」
「そうですか」
「どこかうわの空だね。ここで会ったもも何かの縁だ。ちょいと見てやろうか」
彼女はそういうと私の眼をじーと見てきた。私はその眼圧に押し潰されそうになってしまった。
「別に私は助言なんて出来やしないからおばさんの独り言だと思って、軽く聞いておくれよ。ただあんたの後悔しない方を選びなよ。未練があるなら尚更ね。モヤモヤが大きくなってしまうから。お前さんの人生はね、お前さんが願った様にしかならないんだから。だから、意識的でも無意識でも思っていること、感じている事は自分の脳で考えて、身体で行動しないといけないからね」
覚は下手なウィンクをしてから「ほら、経凛々はボーと突っ立ってないでちゃんと働きな」といって祭りの準備に行ってしまった。
あの時嘘でも「違う」と言って欲しかった。ありえないと。私の正体は違うと。
この自己中心的な期待が見たくもない事実を無理やり見せつけた。
あんなにも優しく清らかな人の正体は、私に触れなくとも私を簡単に殺すことが出来るバケモノ。彼が私の問いに答えた瞬間、そう確定してしまった。
この町には恐ろしくない妖怪も沢山いる。それを教えてくれたのも香果さんである。
それでも私に害を与えた化け物と彼の正体が同じ云うだけで逃げ出すほどだった。
怖い。
もし香果さんが私を憎んだら。もしこの町で彼が化け物になったら。そして、私を襲ってくることがあったら。
私は今も昔も何の特殊な能力を持たないただの人間だ。霊感すらもない。
まだ心が蝕まれているのかゴチャゴチャとした感情が黒くタールの様に淀み、私をそのまま喰らってやろうとしていた。
恐ろしい。
私は妖怪でもアヤカシでも神でも化け物でもない。生きたまま此処に迷い込んだ人間なのだ。
勿論死にたくもないし、恐ろしいものは非常に怖い。そんな馬鹿で臆病者だ。
そかし、私には帰る家もなければ、突然迷い込んだ私を迎え入れてくれたあの温かい家族も、頼れる人も香果さん以外はいない。だからと言ってこの町から出ていけば私はいつか消えてしまう。
詰みである。
何故、私に教えてくれなかったのだろうか。藤華さんは知っていたのか。いつも優しくて、他人の事ばかり優先しては藤華さんに怒られる、利他行の言葉が一番似合う彼は嘘だったのか。それとも。
軽率に迷い込んで綿菓子を食べた私も、手配ミスした不動産会社も、非現実的なこの町も。軽く一方的に全てを恨んでから、行く当てもなくただ歩き彷徨っていた。
「よう、人間のあんちゃん、準備の方はどうだい。まぁ香果様が一緒に手伝って下さるんだ、心配なことは無いよな。それに香果様にお世話になっている感謝を祭りで示さないとだぜ」
棟梁の経凛々は私の空模様も知らずに晴れ晴れとした笑顔を見せた。いつの間にか商店街の方まで来てしまったらしい。
「あんちゃんこの前来たばっかりだから知らねぇだろ。春祭りは賑やかで多くの妖怪が歌って踊って騒ぐんだ。頓知気騒ぎとはこのことだぜ」
そうだ、そもそも此処の住民は人間ではない。妖怪、アヤカシだ。
そんな街の中の中心人物なんて普通に考えて人間じゃない。火を見るよりも明らかだ。
「あんちゃんはまだ飲めねえが、祭りはどれだけ飲んでもお咎め無しってだけでも、こりゃ格別だぜ」
真っすぐな目で言う彼の言葉は私には直視が出来ない程眩しかった。
「どうしたんだ、あんちゃん」
経凛々は不思議そうに顔を覗き込んだ。
「あの、香果さんってどういう人なんですか」
「なんだよ、藪から棒に。そりゃ、一緒に暮らしているあんちゃんの方が知っているだろ」
彼はきょとんとしながら私の眼を見た。
「なんでも良いのです。教えて下さい」
「喧嘩でもしたのか」
「いえ、そういう訳では。ただ香果さんが本当に何者なのか判らなってしまって」
「詳しくは自分も知らねぇが、この町を作ったのが香果様だ。自分たち妖怪は時代の風を受けて棲み処を追われたモノも多くいた。そんなときに町を作ってくれて、棲むのを許してくれたのが香果様だったわけだ。それから多くの妖怪が長い時を経て此処に棲み付いたわけだ。本当に感謝してもしきれない恩人だぜ、あのお方は」
「香果さんがこの町を作った。では香果さんは妖怪なのですか」
「いや、妖怪ではねぇな。そうだな、あのお方は——」
「チョット、お前さん。そんなところで油を売ってないでこっち手伝いなよ」
後ろから不思議な声がした。
「珍しいねぇ、人間なんて。話題の子かい」
声がした方を振り帰ると半人間半猿の様な奇妙な姿の妖怪が居た。
「お前さんがヤクモかい」
「え。あ、はい」
いきなり名前を呼ばれた私は無意識に直立した。
「なんで知っているのかって警戒したね。安心しなよ大丈夫だから。ちゃんとタネは話すから」
妖怪は楽しそうに、爽やかに語った。まるで子供が好きなことについて語るときの様だった。
「噂になってるよ、この町に人間が来たってね。しかも生きた人間だから余計にね」
「あの。あなたは妖怪、ですか」
「ははは、私が人間に見えるかい。見ての通り妖怪さ。あたしゃ経凛々の女房、覚さ。宜しくね」
「さとり、さん」
彼女は、さんなんて堅苦しいから要らないよとケラケラ笑った。
「雨月祭はこの上なくは楽しいよ。きっとあんたも気に入ると思うね」
「そんなにも楽しいのですか」
「嗚呼、それに私たちは祭りの時は店を出すんだ。見つけたら寄っておくれよ。びっくりするほどおいしいのを作るからね。あ、安心してよ。香果さんからのお願いで、今回の祭りからどの店も生きた人間が食べても、妖怪が食べても大丈夫な食材を使うから」
「そうですか」
「どこかうわの空だね。ここで会ったもも何かの縁だ。ちょいと見てやろうか」
彼女はそういうと私の眼をじーと見てきた。私はその眼圧に押し潰されそうになってしまった。
「別に私は助言なんて出来やしないからおばさんの独り言だと思って、軽く聞いておくれよ。ただあんたの後悔しない方を選びなよ。未練があるなら尚更ね。モヤモヤが大きくなってしまうから。お前さんの人生はね、お前さんが願った様にしかならないんだから。だから、意識的でも無意識でも思っていること、感じている事は自分の脳で考えて、身体で行動しないといけないからね」
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